服部英雄のホームページ

研究室の歩み・平成22(2010)年度

 周船寺の町と冠雪した井原山20100213 造成中:2009.9.18にはこれだけの高さがあった。もとはもっと高かった。 いまは平坦地、なにもない。

1月

賀詞

1月4日愛知県農業試験場農業民俗館でみた竜骨車

12月

12月19日西新プラザにて シンポジウムー重要文化的景観 田染荘小崎への招待 参加者170名

9月

9月1日 若ノ花勝治氏逝去

9月24日むねん 宮本雅明さん

8月

8月5日 納涼今宿花火大会 8月7日 豊後高田市シンポジウム  重要文化的景観選定記念「田染荘小崎の農村景観」 8月30日 夕立のあと、空に二重の虹が出た。太陽の動きにつれて少しずつ西に動いていった。

7月

7月1日 自転車にて今津(歴史の認識クラス 偶然木下寿一さんにあう) 7月2日 史跡で読む日本の歴史・アジアの中の日本、責了 7月20日ゼミ「フロイス”日本史”ポルトガル語版を読む」前期終了

貴田潔作成「中世ポルトガル語・現代ポルトガル語のスペル比較表(暫定版)」

なお本ホームページ・翻訳の項も参照下さい

6月

5日尾花沢市軽井沢越え→峠の歴史学へ

13日田染お田植え祭 今回延長組は熊野磨崖仏にいったあと、村おこしとしてのホタル鑑賞を体験。 ブラジル出身のモアナさんはホタルを見たことがないようだった。 ターボを搭載していないバスは遅い。おまけに霧も出た。日帰りはかなりきつい。

   

6月24日バス4台にて今津(歴史の認識クラス) 

5月

5月11日開学記念日にあわせてキャンパス出土木簡現物の借用や複製作り. 4月末から忙しかった。 石田智子さん(基層構造)が福岡市の比佐陽一郎氏ほかのご指導によって作成した木簡複製作成マニュアルを紹介したい。

木簡複製作成マニュアル/石田智子作成

複製作成光景

4月

服部は3月末から国東六郷満山峯入りに参加。3月30日御許山、31日熊野から長安寺、 4月1日天念寺、無動寺、応暦寺、西大岩屋、千燈寺、東大岩屋、岩戸寺、4月2日、文 殊仙寺から成仏寺まで。このあとの行程は次回10年後に回した。 4月13日からモアナさんを迎えてフロイス『日本史』原語版の輪読を開始。石畑さんが あらたに参加。 4月18日佐賀県立図書館に赴任した本田佳奈さんの歓迎会を大牟田・港倶楽部にて開催。 石橋、渡邊、藤本、貴田、本田そして服部が参加。 服部はそのまえ昼に太宰府市国分と水城にて調査。 国分では萩尾俊実さん(昭和11年生まれ)からお話を聞く。 火の尾は「みのお」とよんでいるということだった。火の尾は烽火台の意味でみのおは頂上 の意味だから意味がちがう。 ほか大宰府旧蹟図にある、じる谷、大岩谷(おいわんたに)、本谷(ほんだん)、大谷、中 尾、などを確認。旧蹟図に記載のないサクラがタンも聞き取った。いずれも小字(辻、裏 山)ではない。妙見は旧蹟図と同じ小字である。 おかあさんが宇美町炭焼からお嫁に来られた。 「国分の大谷、四十八谷ある。じゃ(蛇)のすむげな」 むかしは谷々に名前が付いていたのだろう。大谷でいまもわかるのは中尾。谷の中にろく (陸)なところ(たいらな場所)があった。そこから大谷が枝分かれ。 雨乞いは上のみのおのけいさし井戸で。わらで作った龍をあげて音あげまではせんで、け いさし井戸を浚えて雨乞い。 みのおが二つあったらしい。 水城では伊藤進さん(昭和七年生まれ)から 大谷 大谷川に重ね池(上の堤、下の堤)、 鐘が浦池(鐘が池) こもいけ(菰池、旧蹟図のほりやかた池に該当しよう) つかぐち池  ほりきり池 さっかうら(旧蹟図の鷺が浦池に該当しよう)丸山(いま宅地、水城堤防、 もっこでかろうて山から持ってきてここで下ろした) 水城台にも谷の名前があった(思い出せず)

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