2.3 梅岩地区の調査(3)かつての村の様子、伝統

むらの伝統的儀式

Q.”牛洗い”とはどんなものですか。

A.いわゆる”雨乞い”のための儀式だ。”だるまさん”と呼ばれる場所に、”牛岩””雨岩”という岩と、”だるまさんの松”と呼ばれる巨大な松の木がある。”牛岩”という名の岩の鼻の穴に当たる部分に杉の木の枝を入れその前で牛を、3石3度3両33吟の酒で、するめを用いて洗う。するめは、1キロ660目も用いた。これは昭和15年に稲が枯れる前に行った。1994年の渇水のときは、簡易の牛洗いを行った。

また、”雨乞い”の儀式としては、梅岩の南側”クロカミ山”にお参りにいったりもする。

昔の農業について

Q.昔、米がよく取れるところと取れないところの差はあったか?また、どのくらいの差か。化学肥料を用いる前の状況で教えてください。

A.差はあった。いったん当たり、昔の最高が現在の最低レベルである。すなわち、よく取れる田は6俵、少ないところは平均して2〜3俵であった。

Q.化学肥料によって収穫はどう変わりましたか。

A1.収穫は増えた。平均10俵の収穫が取れるようになった。
A2.しかし、土壌は弱くなったような気がする。

Q.昔は売る前の米や種もみ、兵糧米はどのように保存していたか。

A1.昔の家は瓦ではなくわらぶき屋根だったため梁が天井に見えていた。その梁の上に袋に詰めておいていた。ねずみ?時々袋が破られていたね(笑)
A2.すぐに農協に出してしまった。ほかの米はつぼの中や、大きなブリキで作ったかんかんに保存していた。

Q.米以外の農業はどうだったか。

A.ひえは作らなかった。排水(水はけ)の悪い田で麦を作っていた。だから麦は最大、米の半分ぐらい作っていたかもしれない。お金を手にするためさまざまなことをした。炭焼き、養鶏、養豚、養蚕、たばこの栽培など。

ガスや電気の普及

Q.ガスや電気はいつごろついたか

ガスは、昭和37〜37年頃についた。電気はかなり早く、97歳の古老によると、80年前だったということだ。

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