1.1現地調査前の事前準備

1.1.1 地図作成

まず、私たちは梅岩集落の地図を入手するために、本館二階の会議室に集まり、地図を捜索することを始めた。探し始めてから数十分、2万5000分の1の地図を探し出すことができなかった私たちは、この問題を、翌々日に持ち越すことに決めた。
翌々日、25000分の1の梅岩地区の地図が存在しないことを知ったため、50000分の1の地図を2倍に拡大することにする。これは、この調査の中での大きな失敗といえるだろう。

1.1.2 質問の制作

現地の方への質問を簡単にするため以下のような質問文案をまとめた。(制作:石塚博孝)

<質問草案(妙)>

村の道など
松浦では小字でない小地名をなんとよんでいるか。

昔の隣の村へ行く道、学校道はどれか、…ノウテ(ノウテは縄手、道のこと)と呼ばれる道はあったか。

田圃、掘り、しいど(水路)、道、橋、井通、のしこなは何というか、また何という小字の中にあるか。

昔の古い道はどこを通っていたか、どのような品物がどこから、どうやって入ってきたか。

山にある村なら、山、谷(沢)、山道、岩、大木などの目印になるものにつけられた名前を聞く。

草刈り場(キノイ、切り野)(草を刈って牛のえさにしたり肥料にした),があったか、あったとすると何と呼んでいたか、その位置と、誰の土地だったのか、個人のものなのか、入り会い山(共同の土地)だったのかを聞く。キノイはほかの場所に移るから、同じ場所では行われない。

村の中を細かく分けてシュウジ(小路)といっているが、その名前を聞く。

今日はどの田…を刈る、どの田…に水を入れるなどの家のものや、村の人の間で通用する名前があれば教えてもらう。

村の水利
水田にかかる水はどこから引水されているのか、川か、ため池か、そして何という( 井堰)
から取り入れるか。

用水はその村のみが使っていたのか、共有していた場合、他の村は何カ村で、何という村か、
また、その規則の内容について聞いてみる。

特別に水利に強い村はあったのか、。

ポンプで水をくみ上げているなら、ポンプ以前はどうしていたか、過去に水争いはあったか
あったとすると、それは村の中か、他の村とか聞いてみる。

1994年の大旱魃の時どのように水をまかなったか、特別な水の対策はとったのか訊ねてみる。対策としては、普通他の村から水を分けてもらう、時間給水を行う、犠牲田(大豆などの他の作物に切り替える)を作るなどを行う。時間給水(時水、香水というところもある)を何と呼んでいたのか聞いてみる。
また40年前だったらどうなっていたか聞いてみる。

村の範囲
訪ねた村の範囲はどこからどこまでか、どの道、どの水路、どの堀が境界かを聞く。

村の耕地など
村で特によく米が取れるところがあったのか、場所によって差があったのか。

化学肥料が入る前、米は反当何俵か、良い田と悪い田との差はどれぐらいであったか、

化学肥料が入ってどう変化したか。
山に近い山だったら入り会い山(むらの共有の山林)はあったのか。あったとするとその場所はどこか。

ガスが普及する前燃料の薪はどこからとっていたか。

村に電気、ガスが普及したのはいつ頃か。

米の保存
昔、家で食べる分の米(兵糧米)、種もみ、外に売ったりする前の 米はどうやって保存していたのか。ネズミや虫の被害をどうやって防いだのか。

米、麦、ひえをどの程度の割合でつくっていたのか。
東部の佐賀平野では田のなかに(コズカとして)おいたままで保存していたり、マキウドラ(巻き俵)で保存していた。

村の過去
50 年前の村では米以外の現金収入にはどんなものがあったのか、養蚕、林業(炭焼き)
タバコ、 など聞いてみる。


村の展望
村の姿の変わり方、むらわどうなったのか、これからどうなるのか、今後の日本農業への展望を訊ねてみる。

以上が、質問文である。

1.1.3 地図への色塗り

写真を示す。次のような色を塗った。

 

 

以上が、調査前の準備であった。

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