服部英雄のホームページ

○白馬岳 61/7(小学五年父と大雪渓から・落石が多くてこわかった。のちクーデター事 件をおこす三無会が一緒に登っていた。大きな声を出す連中だったと記憶する) 62/7(父と妹と、蓮華温泉から小蓮華経由で鑓温泉へ) 64?/7(父と中学の友人と・朝日から、モッコの渡しや針金渡しが珍しかった。) 66/7高校クラブ縦走 △白馬乗鞍・天狗原 スキー登山数回 ◎朝日岳 64/7(父と中学の友人と) 66/7高校クラブ縦走       80/8北又谷遡行(丸山) ◎雪倉岳 66/7高校クラブ縦走 ○五龍岳 66/7高校クラブ縦走 70/4遠見尾根から春山縦走・横川と ○鹿島槍が岳 66/7高校クラブ縦走 70/4春山縦走・横川と ○剣岳 65/7高校クラブ縦走(笠が岳まで、剣沢でものすごい雨の中を濡れながらテン トで頑張る。) 85/4三の窓スキー滑降・よく雪崩が出た。
昼下がりの剣沢・シュプール

(上)剣沢から三の窓・内蔵助平 


○立山 60/7父と         65/7高校クラブ縦走 ○薬師岳 65/7高校クラブ縦走 (この後雲の平らに) 68/9横川と、穂高までの縦走の開始。ばてて太郎平までやっとの思いでたどり 着く。 ◎北の俣岳(赤木平) 68/9横川と縦走 78夏 藤原・坪野、双六谷遡行、赤木平のお花畑がやたらきれいだった。雷の 中を寺地山に下る ○黒部五郎岳 68/9横川と縦走 78夏 藤原・坪野、双六谷遡行 82夏か 赤木沢遡行・妻と ◎野口五郎岳 77/1(吹雪で三日冬季小屋に閉じこめられる) ○黒岳 77/8(東沢遡行・藤原たち)83夏か(高天が原から) ○鷲羽岳 77/8(東沢遡行・藤原たち) ◎三俣蓮華岳 65/7高校クラブ縦走 68/9横川と縦走 82夏か 赤木沢遡行後・妻と(巻道の通過のみ) ◎双六岳 65/7高校クラブ縦走 68/9横川と縦走 82夏か 赤木沢遡行後・妻と(巻道の通過のみ) ○槍が岳 68/9横川と縦走;69/12か(冬季北鎌尾根・横川) ○穂高岳 64/8中学クラブ;66/8(父と・西穂);68/9横川と縦走 (前尾根、奥又白、明神) ◎燕岳 63夏中学2年学校から ○常念岳 74/12(修論を書いて小林・マスター) ◎蝶が岳 74/12(修論を書いて小林・マスター) ○笠が岳 65/7高校クラブ縦走 ○乗鞍岳 66/8(父と、大雪渓に天幕、夕方になると誰もいなくなり、静かなカールに穂 高の夕陽がきれいだった。今は幕営禁止になっている。当時自由に入れた五の池 には黒百合があった。) 70/8(乗鞍寮を知る、前川本谷や伊奈川からたびたび登頂) 71/1(位ヶ原に幕営、頂上にまっすぐに取り付いたが、急できつかった。冷泉 からカモシカへ、途中スキーがあまりに下手で、歩きの人に抜かれた。) 71/7〜8;71/9〜10; 79/5(春スキー) 84/5(春スキー);84/8;85/5(春スキー) 90年代 丸山とのスキーも春、冬二回ほどある、カモシカからの切り開きをあ がり、肩の小屋から冷泉に降り、カモシカに出る昔の切り開きを辿ったが、ペン キも薄れ不明瞭、薮も深くて苦労した。もう一回はスキーバスが出ず、小屋から 全部歩いた。位で濃霧、大学尾根をすべりおりたが、中川山の木が大きくなって いて、雪も少なく昔のように大きな回転では滑れなかった。
(上)東大乗鞍寮1985(推定) 乗鞍高原温泉

99/7/31〜8/2 大丹生より姫の原湿原を経て十石山手前から池の沢へ(滝に阻まれて下れず)

○御嶽山 59/7(小学4年父と、小坂口から、山頂の池の水を飲んだことが新鮮だった。) 66/12(高校1年;大竹・大野と・屋敷野までバス。あとは歩き。黒沢口8合 目で猛烈な吹雪で敗退、下山のとき作業小屋に入る。その後黒沢口には車道もで き、スキー場もできた。この小屋も今はもうなくなっているらしい。) 83/12(田の原口リフト終点の避難小屋泊、スキーは7合あたりにデポ、頂上 のエビのシッポが噴火口からの硫黄で黄色かった。) 95/夏名古屋の家族で・岩魚釣り ○美ケ原 87/10/31
○霧が峰 87/9(御射山周辺、仕事で) 90/7(蝶々御山、妻、義父、義母、そして子どもをおぶって)


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