現地調査のためのマニュアル01版--その1

現地調査の目的と意義

          01/06/05補訂HAT 1970年代から90年代にかけて日本の農村では圃場整備事業が多く行われ、機械化農業に適合し た大型水田への造り替えがなされた。この結果、曲がりくねったような畦をもち、土の水路がめぐ らされていた、小規模水田はおおかた消滅した。この消えた旧水田は牛馬耕に適応して形成された ものである。ほぼ牛馬耕の歴史に等しい奈良・平安時代から近代まで、およそ1000年ほどの歴史を 有したと考えられる。  耕地の基本的な枠組みは長い歴史をもつものであった。むろん、水田が全く同じであるはずはな い。土木技術の進展によって畑から水田への転換、新規の大規模用水の開削にともなう原野の開発、 水田の集約化(小規模耕地整理、まちなおし、まちだおし)、散村から集村への村の姿の変化など の変化があった。けれども、大規模な用水路の付け替えが微地形の制約をうけて困難であったこと、 あるいは個々の農民の土地への執着心が強かったこと、土木工事の工具が人力によるものだけだっ たこと、などの理由から、一気に土地の形状が変わるような大きな激しい変化は、以前にはほとん どなかった。  長い歴史をもつ旧水田にはさまざまな地名が付されていたし、複雑な水利慣行が形成されていた。 いずれも過去の人々の生活を考える上での歴史資料として重要である。しかし消えるがままにまか されており、調査されたり、記録されたりすることは、ほとんどない。このままでは時間の経過に つれ、完全に忘却されてしまうものである。 小字(公称)と通称<私称>地名(しこ名)について 水田、畑、山林などには小字(こあざ)が付されている。税務のための帳簿である土地台帳に書 かれた行政的な地名が小字である。公的な正式な(小)地名である。 全国的にみればこの小字が有効な歴史資料になるが、広い地域にわずか一つの小字しか決めなか ったりしたところも多い。 佐賀県の場合、明治期に小字を決める際に、「一本松 二本柳 三 本谷」など機械的な命名によって小字を決めたりしたところさえある。この場合の小字は明治以後 の新地名にすぎず、長い水田の歴史を考えるための歴史資料としては有効ではない。また広いとこ ろに一つの小字しか付けなかったところもあったので、小字にならなかった(なれなかった)地名 もできた。 *大字というのは江戸時代の村とだいたい同じ。現在も多く自治会(区)の単位になっている。小 字はその下の土地の単位になる。小字、字(あざ、あざな)は同じ。 *小字は現代の公式な地名である。市役所・町村役場、あるいは法務局登記所に行けば分かるもの で、事前にみんなにその地図を渡す予定。現地では読み方を確認しておく。 現地には農民が日常的に使用してきた小地名が残った。この地名は正式地名である小字には採用 されなかったもので、通称、私称地名だが、村の人々の間ではりっぱに通用する伝統的な地名であ る。この地名をしこ名とかあだ名という。熊本県、佐賀県や福岡県ではしこ名というのが普通。し かし唐津市や伊万里方面ではしこ名という言い方はあまり使われていなかった。地域によってはコ ナともアダナともまたホノギとも呼ぶようだ。今回はこのしこ名の聞取収集が一つの課題である。 一つのムラ(大字)ごとに20程度は収集してほしい。(2人1チームの目標が20ぐらいという こと)。 *しこ名とは相撲取りの四股名やへりくだったときの醜名と語源的には同じはず。「あだな」も 「字」(アザナ・アダナ)も本来は同義。「君諱**字++」 水利と水利慣行 各村の水田にはそれぞれ高低差があった。この微妙な差に応じて用水網が作られている。どうい う風に水は流れて村の全部の田に入っていくのか、じっくり聞き取りたい。そして各村の中で、ま た隣接する村どうしで、用水を平等に配分するための慣行が形成されている。村の水はどこから、 どのようにしてとりいれ、また出しているのか。そのおりにどんな取り決めがあるのか調査したい。 もう7年前になるが、1994年は大旱魃の年だったが、どのようにしてそれをのりきったのか。ま た、もしさらに30年以上前だったらどうなっていたのか。そうしたことも併せ調査しよう。 昔の暮らしについて  昔の古い道はどこをとっていたのか、どのような品物が、どこからどうやって入ってきたのか。 山の村だったら塩、魚等どこから来たのか。農業以外にも村には現金収入があった。それはなにか。 昭和初期、電気のこない村もあった。ガスもない。どうやってご飯を炊き風呂を沸かしたのか。真 っ暗な夜、テレビはもちろんない。君たちのような若者は何をしていたのだろうか。

2事前の準備

A 村の概要の把握 指示された調査対象の村について  1角川日本地名大辞典・佐賀県、福岡県(六本松図書館開架室)     2佐賀県の地名、福岡県の地名(平凡社、六本松図書館開架室) 予備知識としてその概要を調べる。市町村史が刊行されていれば目を通しておく(県立図書館や九 大箱崎の九州文化史研究所などで調べたい)。こうした印刷物の内容そのものをレポートする必要 はないが、関連して言及する。村には農村以外にも宿場の村(街道沿いの村に多い)や山村、漁村 もある。窯業や林業で暮らし、農業にタッチしない村もある。マニュアルはふまえるが、ケースバ イケース、臨機応変に村の性格に応じた質問も考える。  B 5000分または2500分の1の地図の入手  原図をもとに各自必要に応じてコピーする。 地形図と小字図のコピーをする日・時間(重要) 火:6月12日(火)午後12時15分から2時45分まで、本館3F第一製図室にて、 木:6月14日(木)午後2時半から4時35分まで、本館3F33教室にて、  地形図(鹿島市と太良町はア地形図1万分1図とイ森林基本図5000分1図の2組が基本、福 岡市は2500分1図と5000分1図)、それにウ小字図(こあざず)、太良町と福岡市の場合 はウ小字図にエ小字史料(佐賀県地名辞典記載分小字または明治15年字小名書き上げ)を受け取 るか、コピーする。絶対にこの日に地図コピーを入手し、確保すること。欠席して次回に地図をく れといわれても、対応は不可能です(準備と場所の確保ができない)。どうしてもこの時間に出ら れない事情のできた人は、友人に地図の入手を依頼しておく。  コピーする範囲は割り当てられた村の範囲全部。隣の村(他の人に割り当てられた地区)の位置 までコピーしておくこと。特に山は思っている以上に範囲が広いので注意すること。その村が市町 村境までが範囲であれば、そこまでコピーする必要がある。地図がなければ先方がせっかく話して くれても、地図に落とせないということになってしまう。山も大事だということ。海の村の場合も 生活が及ぶ地域は持っていきたい。有明海の大潮の干潮線を示す地図が最低必要。 コピーは聞き取り調査用(書き込み用)と提出用(清書用)の2部必要です。  地図には川、水路、谷(以上青)、主な尾根(緑色)、道路(茶色)、高圧線(灰色)、墓地 (こげ茶色)を、それぞれ色分けしておく(現地用、清書用とも、この色塗りは地図の理解を容易 にするためのものです。色塗り個所は調査対象域のみでよい。地図全域を塗る必要はない)。  また配布する小字図を参考にして小字の境界を聞き取り用の基本地図(一番わかりやすい地図) に赤で記入し、小字名を同じく赤で書いておく(以上は調査用地図、提出用地図とも)。 *地図の記号を解説した凡例が地図には付いています(ふつうは右の欄外)。それもコピーしてお いてください。これに高圧線、墓地、石垣などの記号が解説されています。 *道路と水路の区別の仕方。  道路は普通二本の線が平行線として書かれている。川や水路は太ったり、やせたりしていて平行 ではない。橋の記号に注目。橋の上を通るのが道、下を通っているのが水路(天井川は別)。 *尾根(緑)と谷(青)の区別の仕方  谷は川から続いている。尾根は山頂から続いている。尾根は心持ち丸く描かれ、谷は鋭角に描か れる。 イ 25000分の1地図  目的地にたどり着いたり、現在の様子を知る上で必要。大きな本屋(丸善、紀ノ国屋、三省堂な ど)や地図専門店、博多合同庁舎売店で売っている。一枚二九〇円ぐらい。本当は各自で購入して ほしいが、殺到すれば品切れになることもある。その場合はコピーで済ます。 2 住宅地図  六本松図書館のカウンター(受付)前に配架されているので、各自で訪問先の分と周辺をコピー する。ふつう市名か郡名が一冊の単位になっている。住宅地図には住所の番号(地番)も記入して あります。それを手がかりに目的の家を見つける(訪ねる本人の名前が出ているとは限らない。親 の名前、またはこの名前が出ていることもある。番地も併記されているから見当をつける。 3 小字の位置の分かる地図 小字は手渡された資料を基に聞き取り用の地図に記入しておく。しこ名が何という小字の範囲に あるのかが確認できる。今回の調査対象はあくまでしこ名であって、小字ではないことに留意。  なお地名に関して特別な資料がある場所(福岡県の場合は明治一五年の小字一覧)は事前に手渡 しします。こうした資料は相手方もほしがることがある。置いてこられるよう、余分にコピーして おく。 4 訪問先---嘱託員(区長)か生産組合長、公民館長に窓口になってもらいます。福岡市の場合は 農事奨励員(*ただしデータが古く平成六年度)  その一覧を授業中に張り出します(太良町は今年度分、鹿島市は昨年度の委員)。この役員から 直接話を聞くか、または村に詳しいお年寄りを紹介してもらいます。 5 事前の手紙 手紙を出してください(相手先は上記役員)。 連絡がうまくとれないこともある。もしも連絡が うまくいかなかったとしても、過疎の村では人自体が少ないし、村の人たちもけっこう忙しい。当 日に、その村で情報を多くもつ人を探し当てるということも重要。 *手紙を出す場合は君たちがいつ、何の目的で訪問するか、つまり何月何日の何時頃に訪問し何を 聞くかを明記する。お昼時は避けて12時半過ぎに行くとするのが常識だろう。そして必ず相手の 都合を聞く返信用はがき(発信者である君たちの住所が宛先になっているもの)を入れる。念のた め手紙が着いた頃に、確認の電話を入れた方がよい。はじめから電話を入れる旨明記してあれば、 返信用のはがきはいらないことにはなるが、はがきを入れておいたほうが無難。はがきには発信者 である君たちの連絡先・電話番号を書いておくこと。手紙が相手に届くまでは三日か四日ぐらいを 見ておくこと(速達なら翌日着くことがおおい)。 調査の一〇日ぐらい前に着くようにする。*手紙を出したあと、何という人に手紙を出したか忘れ てしまったという学生もいたが、論外。必ずメモを残しておく。 訪問を依頼する手紙のひな形 (以下は参考)-------------------------------------------------------------------------- 拝啓   突然お便りする失礼、お許しください。わたしたちは九州大学の 年生で、いま大学で歴史につ いて学んでいます。このたび授業の一環として、  町地域の昔と今について調べるため、現地を 訪問し、以前の古いむらの姿について皆さん方からお話をおうかがいしようしようということにな りました。  そこで、もしできましたら  月  日の  時前後に   さんのお宅を訪問させていただき たいと思っています。お聞きする内容は、圃場整備前の水田(タンナカ)に付けられていた通称地 名や、あるいは屋号、谷や川の名前、用水井堰の名前(*海が近ければ、海岸の磯や岩の名前、浅 瀬の名前など)、また昔の水利のありかたや慣行、古道、また大正、昭和初期の村の姿、生活につ いてなどです。小字名などは既に調べてあります。どうかよろしくお願いします。もしご都合が悪 いようでしたら、御近所の土地に詳しく、物知りの古老のかたをご紹介いただければ幸いです。は がきを同封しましたので、ご都合の良し悪しをお教えください。 月  日                  住所                  名前 電話番号 ---------------------------------------------------------------------------------------- (「この手紙がついた頃こちらからお電話いたしますので、ご都合の良し悪しをお教えください。」) など文案は適宜工夫する。また次の服部の手紙を同封した方がよい。<君たちの手紙に同封する添 え書き> -------------(以下を参考に作り直すか、ホームページから引用して使用する)--------------- 拝啓  突然のお便り、申し訳ございません。私は九州大学の歴史学の教官をつとめるもので服部と申し ます。  私どもは以前より各地の村の昔の姿を記録にとどめる作業を、学生の皆さんと一緒に行ってまい りました。今夏はこの作業を   市(*町)において実施する計画でおります。  そこでご多忙のところ恐縮ですが、 月  日の   頃に、学生 名がお訪ねいたしますので、 適宜、地名(とくに小字名以外の通称、私称地名)や水利などの慣行、また大正〜昭和初期の村の 姿、人々の生活などについて、お教え下さい。  またもしご都合が悪ければ、そうしたことに詳しい方を学生たちにご紹介いただけますれば、幸 いです。お忙しい時期に、一方的なお願いでまことに申し訳ありませんが、重ねてよろしくご協力 のほど、お願いいたします。  なお嘱託員さん(自治会長さん、生産組合長さん、公民館長さん、農事奨励員さん)のお名前に ついては、以前に貴市(*町)教育委員会より教えていただいたものです。教育委員会においても、 この調査の意義を認めてくださり、ご協力いただいております。どうかよろしくお願いいたします。 平成 年 月 日      〒810ー8560       福岡市中央区六本松4ー2ー1       九州大学大学院比較社会文化研究院教授                                                 服部英雄 -----------------------------(切取線)---------------------------------------  手紙を出した以上は必ず約束の日時に訪問しなければならない。手紙は相手を拘束すると同時に 自分を拘束する。なお都合が悪いから別の日に来てくれといわれる場合もある。自動車組は変更で きるが、バスは変更が利かないので、団体行動である旨説明し、別の人を紹介してもらう。 当日用意するもの 地図、資料、ノート、録音機とテープ(MDも可)、マニュアル、カメラ、雨具、弁当、財布、帽 子、てぬぐい、日焼け止め、防虫スプレーなど *九大から調査に来るということで、場合によってはかなり期待されることもある(その逆に無視 されることもあるが)。期待にこたえられるようにしてください。 *当日の服装については、お願いした家を訪問するのだから、常識の範囲できちんとした格好をし ていくこと。短パン・サンダル履きなどは、失礼になる。あまりに突飛なファッションも避けるべ き。その日は一日まじめな九大生でいてください。女子はいろいろなところを歩き回ることになる から、スカートよりはズボンの方がよい。虫さされ等にも注意。 *テープは持っていった方が、レポートを書くときに楽です。録音済みのテープ・MDには村名と 調査者の名前、調査の年月日を書いて提出して下さい。替わりに未使用のテープ・MDを渡します。 *ときどきバイトや深夜テレビで徹夜をしたあと参加する人がいる。相手の方の話を聞きながらコ ックリコックリすることは、たいへんな失礼になる。万全の体調で臨むこと。

バス利用の場合の当日の行動

6月30日(土)、7月1日(日)、7月7日(土)のうち一日の参加になる。 当日8時45分集合・六本松本館前 (班のパートナーがこなければ電話で確認を取る。急な事態 が発生してパートナーが来ないこともある。地図を一人だけが持っていて、当日あらわれないとな ると、いつまでもバスが出発できなくなってしまう。地図は1班に2枚作るのだから、各自が持つ ようにしたい。なお定員六〇人のバスに学生六〇人が乗る日もあります(たぶん教官は運転手横の 定員外の助手席に乗ることになる、計六一名)。乗れなければ出発できない。空席は絶対に作って はいけない。順に詰めて完全に埋まってから、後からの人は補助席に座る。   9時出発→都市高速・九州道(多久サービスエリアでのトイレ休憩を経て)→武雄北方インタ ー→鹿島市・太良町 だいたい11時頃現地に着く。目的地はかなり広いので最初の人がおりた後、最後の人がおりる まで1時間はかかる。後の方の人はおくれて目的の村に着くかもしれない。どこでおりたらよいの か。地図を見ながら今車がどこを走っているのか、常に確認しておく。下車時、道が狭いと、バス が停車している間、後続の車を止めてしまう。最初に降りる人はサービスエリアの休憩時に交代し、 補助席に入って、待機する。席が空いたら補助席の人はどんどん普通席に移って補助席を空ける。 村に到着したら手紙を出してあった人を訪ねる。 ◎ 帰りは4時頃(予定)から来た道と逆のコースでバスが迎えにいく。来た道と同じコースを走 る。バスの通過時刻は地図に記入して渡します。多少の誤差は出る。最後にバスに乗る人は5時頃 になるだろう。何らかの用があって早く帰らなければならない人は、その旨を事前に服部か、また はバスの運転手に連絡すること。

自主行動の場合

 レポートの期日(7月第2週の授業時間より以前)に間に合うように、調査にいく。調査期日は 自由に決めてよい。

聞き取りをする相手

 嘱託員(区長・自治会長)、生産組合長、公民館長を訪ねる。福岡市の場合は農事奨励員。最近 は世代交代で若い人が区長などの役についていてあまり古いことを知らないこともある。区長の父 親が出てきて調査が進んだという話も時おり聞く。もし若い人だったり、農家でなかったりしたな らば、嘱託員(区長)や生産組合長を経験した70歳ぐらいの古老を訪ねる。 *聞き取りをしていて相手方から「そういうことは役場に行けばわかる」といわれて役場に行く人 がいるが、それは無意味で無駄。役場でわかることはすでに一応調べて渡してある。地元の人でな ければわからない「しこ名」や「慣行」を調べているのだ。役場に行けば余分な迷惑をかけること にもなる。特にバス組は休みの日にしかいけない。日曜や土曜に休みで閉まっている役場に行った 学生も過去にはいた。 *寺に行く人も結構多いが、まちがいのもと。寺は農家ではない。 *誰でもしこ名を知っているわけではない。男女を問わず農家の年配者。 *我々は忙しい人に無理に時間をさいていただいて、調査の相手をお願いしているのである。お願 いする立場にあることを忘れずに決して失礼のないように。人生の大先輩に対しては常に敬意を払 うこと。

しこ名・あざなのたずね方

(1)「ぼくたち(私たち)は大学の授業で歴史を勉強していますが、今日はこの村(具体的にそ の村の名を言う)の昔のことや、水田のことを調べにきました。圃場整備によって古い水田がなく なっているので、今の内に何とか記録を残しておかないと、分からなくなってしまうからです。そ れで田のしこ名、シュウジの名前、山や谷の呼び名を教えてください。橋や道の呼び方も教えてく ださい。」と頼む。 *佐賀弁になれること。参考までに先ほどの分を佐賀弁でやってみよう。もっとも堪能なようにみ られると、早口でしゃべられるからほどほどに。 ーーーそいぎ、田ん中(たんなか;佐賀では田圃のことをたんなかという)ん、しこ名ば教えてく んしゃい。役場や登記所で使っとう字名(小字)ん方ぎ、調べて分かっとうですもん。そがんとで はなか、こがんしこ名ばしりたかですもん。うちん中でんわかっとうごた、村ん中でん通じるごた、 そがんたんなかん呼び名、そいから、橋、ほい(ほり)、しーど(水路)、デー(土居・堤防)、 そがん名ば教えてくんしゃい。 」  なお佐賀では年寄りは「はいはい」というときに「ないない」というが、否定しているわけでは ないから、間違えないこと。語尾にはよく「--なた」が付く。 (2)田んなかのしこ名を順次聞く。よく知っている人に出会えれば、一つのむらで20くらいは 集めることができる。わかれば範囲も聞く。 (3)平野の場合 (ア)田が終わったら次には(イ)ほり(*クリークのことだが、今回調査地にはあまりないだろ う、普通「ほい」という。*佐賀のことばでは「り」のR音は弱い。吉野ヶ里は「よしのがい」。 「ひょうたんぼり」は「ひゅうたんぼい」) (ウ)しいど(水道の佐賀発音、水路のこと)(エ)橋 (オ)井樋(用水やあおの取り入れ口、 干拓地では塩止め井樋もある。樋門のこと・(カ)堤防 それぞれのしこ名を順次聞く。何という小字の中にあるのかも聞いておく。 (4)山にある村の場合 山や谷(沢の名前)、山道や岩や大きな木など目印になるものに付けられた名前を聞く。田の近く には草切り場(草を取って牛の餌にしたり肥料にした)があった。焼き畑もあった。名前があった はず。 (5)村の名前(コガ・シュウジ・班の名前)  村の中(家のある部分)をいくつかに分けて「古賀」とか「こうじ」「くうじ」「しゅうじ」 (小路、佐賀発音でシュウジとなる)といっている。名前が付いているはずなので、これも順次尋 ねてみる。 (6)海の村(海沿いの村)の場合、岬、磯、浜、浅瀬、洲、岩、島等の名前を聞く。潮の流れ、 海中の瀬や根についてもその名前を聞く。ふだんは海の中で、引き潮の時にだけ現れる岩などもあ る。ハジ(ハゼ・竹の列で魚を追い込み、捕る仕掛け)や、また浅瀬に石の輪を置き、干潮時に石 をどけて魚を捕る。有明海独特の干満の差を利用した仕掛漁法もある。その有無や名前を具体的に 聞いてください。船をつけやすいところ、つけにくいところ、海岸にもいろいろな特色がある。海 の地図は大潮の時の引き潮線まで入っているものが最低限必要。有明海に注ぐ川は、筑後川も沖ノ 端川も矢部川も嘉瀬川も六角川も塩田川も沖では一つの川になっているといわれている。 (7)窯業の町や宿場町、商業中心の町の場合は非農家になる。陶土を取る山の名前、町の名前、 屋号などを適宜聞きたい。非農家であれば、以下のような農業に関する質問はできない。

しこ名の地図への記入

 集めたしこ名(あざな)は正確にその位置そして範囲を地図に落としていかなければ、資料とし ての価値はない。しかしこの作業は案外難しく、先輩たちにもできない人が多かった。その理由は 二つある。第一はお年寄りが地図を読めないこと。第二は調査者である学生諸君が地図を読めない 場合。しかしこれらは工夫の仕方によって克服できる。  事前に地図に道路や水路、高圧線、墓地などを色分けしたはず。まず自分がどこにいるのか、を 確認する。渡した地図は何十年も前のもので田の形などは現況とは大きく異なっている。だが家の 並び方、神社の位置、主要な道路はあまり変わっていないだろうから、それが目印になる。そして 残念ながら圃場整備以前の耕地の様子は古老の脳裏にはあっても、現地にはない。話を聞く側と、 調査する側が双方ともに地図を正しく理解していないと調査は失敗する。つねに目印との位置関係 (道路の北か南か、水路の東か西か、橋からどっちの方角かなど)を反復しつつ、たずね確認して いくこと。またせっかく話が聞けても、用意した地図が、その範囲までカバーしていなければ地図 に落とせないということになってしまう。注意しよう。 *しこ名は収集するだけでなく、正しく地図に落として、記録できたか(成績評価の指標とする)。

しこ名調査の際の諸注意

 しこ名という呼び方は主として平野部のもので、山間部では「あざな」と呼ぶところもある。あ ざなには二つの意味がある。土地台帳上の地名としての字と、通称としてのあざな(あだ名)の二 つである。後者の意味ならしこ名と同じものである。  実はこのしこ名についてなかなか理解してもらえない。たとえば 「しこ名(あざな・あだな)はない」「しこ名なんか勝手に付けた名前ぞ」 といわれることも多い。そういう場合、簡単に引き下がっては行けない。向こうは生まれて初めて しこ名のことを聞かれたのだ。 「今日はどの田(----)に水を入れる」とか、「どの田(-----)の草を刈る」とか そういう時に使う田の名前、家の人たちの間や、村の人たちの間では通用するような名前があれば、 とにかく教えてもらう。  最初は「しこなは、なか」といっていても、ひとつ事例が出せれば、芋づる式にしこ名が集まる こともある。きっかけが大事。小字を書き込んだ地図、あるいは現地をよく見て、ある一つの小字 のなかにいくつのも谷や離れた田や畑の記号、場所があったら、そこには地名がつけられていたは ず。そこをなんと呼んだのかを尋ねてみる。  先方はそんな名前に価値があるとは思っていない。特に訪ねていく区長さん(嘱託員)は、ふだ んは市役所、役場との窓口になっているので、あまりしこ名を使わない人が多い。何かのきっかけ をつかんで、前田(まえだ、めいだ)、大田(おおだ、うーだ*オ音はウ音に変化する)のような 特段には特色のない地名でも良いのだから、知っておられるだけの地名すべてを教えてもらおう。  また最近の傾向として、しこ名の蒐集に失敗したチームがあると、携帯で連絡を取り合って、お 互いに失敗に満足してしまうことがある。しこ名はないといわれても簡単にはあきらめないこと。 しこ名は必ずあるという前提のもと調査する。→後掲学生レポートを参照して下さい。 ◎ もし最初に訪ねた家でうまく調査が進まなかったなら 「この村で田のことに詳しいお年寄り、 こういうことをよく知っておられる方はどなたですか」と尋ねてみよう。 *もし田のどこどこにい る、とかビニールハウスにいるといわれたら、そこにいってみること。*もしゲートボールにいっ ているといわれたら、普通はゲーム中は聞き取りにならないので、様子を見てダメそうだったら他 の人のところをまわる。 ◎ある古老と別の古老とでしこ名の位置が異なっていることがある。どちらが正確なのか、よく考 えること。概していえば、たくさんしこ名を知っている人の方が正確。25のしこ名を知っている 人が示した位置と5つしか知らない人が示した位置では、当然あとの方がアバウト。しかし違う場 所を同じしこ名で呼んでいることもある。実際に人によってしこ名の位置が違う場合があるのだ。 こういう時はその旨記録しておこう。 ◎しこ名は元来音でのみ伝わったもの。文字(漢字)表記されることは普通はない。音をカタカナ で記録しておくこと。自分で勝手に漢字に置き換えないこと。後でなんと読んだのか分からなくな る。しかし向こうの人がこういう漢字を書くんだよと教えてくれることもある。そういう時は、カ タカナのあとに( )のなかに漢字を示しておく。できたらアクセントは記録しておきたい。いち んつぼ→いちんつぼ、のように<°′″のように分かるように記号を付けて置いてください>。

村の水利

 水田にかかる水はどこから引水されているのか。水は高い方から低い方にしか流れない。ポンプ が使われるようになったのはまだ六,七〇年ぐらい前のこと。用水源は川か、ため池か(*クリー クは今回の調査域にはあまりないだろう)、そして何という井堰(井樋、いかり)から取り入れる のか、その用水はその村がすべて使うことができたのか、つまり単独の用水だったのか、他村と共 有だったのか、共有の場合、受益する村は何カ村で、何という村だったのか、配分に関して特別の ルールはあったのか、それはどんな内容だったのか、例えば下流の村に少し水を流すため、コンク リートにはできないとか、昔はむしろを当ててはいけなかったとか、また特別に水利が強い村はあ ったのか、過去に水争いはあったのか、それは村の中での争いだったのか、または他の村との争い だったのか。あとだとすればどこの村と争ったのか。 ◎水利を聞くには、村だけの地図ではなくより広い範囲を示す地図(二万五千分の一図)が必要 ◎水利に関する慣行もきく。  ため池をめぐる行事の例 のこし 池の魚をすくって浅くなった池の泥を取る。 ため池まくり 村人がため池に入り、足でかき混ぜてから、排水する。泥が流れ出て、ため池がき れいになる。 ふうつう:溜池の管理人をフーツウといった。水の配分を決める。  杵嶋郡白石町の場合 ○水路が低いので、ミズグルマを踏んで揚水する。 ○溜池から各村に水を配水する。その時間が終わって、水路に貯留した水(水利権のない水、あま りみず)を、各農家・個人が区長の合図の鐘で、一斉に汲み出す。瞬く間になくなり、揚水量も個 人差、不公平が生じた。 ○他の村と共有の水路から揚水するとき(上記と同じか)、カンカンフミといって競争で踏んだ。 カンカンフミは日常だった。ジカンフミといって「反あたり、何分ずつ」という決まりもあった。 ○田植えの時に水不足であれば、「歩(分)作り」をした。区長と水利委員が検査員になって、耕 作面積の何分の一にだけ、水を入れた。 ○水を汲み入れても良い田には区長の印の押された白い旗、水が余っている田には赤い旗を立てた 水を入れる場合にも、一寸汲み、五分汲みなど段階的に入れ、水役を立て、水尺でひとつひとつ測 って入れた(久治)。 ○むかしの堰はドヒュウ(土俵)で止めていた。そこに井樋番が、一晩中蚊帳をつって、番をした。 昔は若気のいたり。水番を川に投げ入れて、上がってくる間に土俵を止めるためにに打ち込んであ る竹を抜く。下の土俵に縄を掛けて、下から水を盗んだ。 ○各井樋ごとに水を使う田が決まっていた。それ以外から汲み上げようとするから争いが起きた。 ○水の入り口をイガマという


(その2につづく)