現地調査のためのマニュアル,01/12/09補訂HAT 目的(主として全学教育の面から) 1半世紀前に青春を過ごしたひとたちの生活と、現代の生活の差。直接にたずねて、質問する中で、 先輩たちの過去の暮らしを考え、またそれ以前の人々たちの暮らし(歴史)を考え、さらに自分たち の暮らしを考える。 2調査は机上の勉強とはまったくちがう。実際に聞き取りをさせていただく方と、事前に連絡を取り、 調査がスムースにいくように段取りをする。みしらぬ初対面の人にどうやってお願いしたらいいのか。 事前の折衝でうまくいかなかった場合にどう対応するのか。調査の終了後、相手の方たちも君たちと よい時間が過ごせたと思ってくださるように。レポートを書き上げることが第一の目的だが、それだ けではない。社会に出たら経験しなければならないことの縮図。すべて勉強になる。 3よいレポートを書くこと。レポートは原則として公開したい。有益な情報を整理してわかりやすく 書く。 ----------------------------------------------- 1現地調査の目的と意義 唐津市と鳥栖市、志摩町を調査対象としたい。 1970年代から90年代にかけて日本の農村では圃場整備事業が多く行われ、機械化農業に適合し た大型水田への造り替えがなされた。この結果、曲がりくねったような畦をもち、土の水路がめぐ らされていた、小規模水田はおおかた消滅した。この消えた旧水田は牛馬耕に適応して形成された ものである。ほぼ牛馬耕の歴史に等しい奈良・平安時代から近代まで、およそ1000年ほどの歴史を 有したと考えられる。 耕地の基本的な枠組みは長い歴史をもつものであった。むろん、水田が全く同じであるはずはな い。土木技術の進展によって畑から水田への転換、新規の大規模用水の開削にともなう原野の開発、 水田の集約化(小規模耕地整理、まちなおし、まちだおし)、散村から集村への村の姿の変化など の変化があった。けれども、大規模な用水路の付け替えが微地形の制約をうけて困難であったこと、 あるいは個々の農民の土地への執着心が強かったこと、土木工事の工具が人力によるものだけだっ たこと、などの理由から、一気に土地の形状が変わるような大きな激しい変化は、現代以前にはほとんど なかった。 長い歴史をもつ旧水田にはさまざまな地名が付されていたし、複雑な水利慣行が形成されていた。 いずれも過去の人々の生活を考える上での歴史資料として重要である。しかし消えるがままにまか されており、調査されたり、記録されたりすることは、ほとんどない。このままでは時間の経過に つれ、完全に忘却されてしまうものである。 小字(公称)と通称<私称>地名(あざな、しこ名)について 水田、畑、山林などには小字(こあざ)が付されている。税務のための帳簿である土地台帳に書 かれた行政的な地名が小字である。公的な正式な(小)地名である。 全国的にみればこの小字が有効な歴史資料になるが、広い地域にわずか一つの小字しか決めなか ったりしたところも多い。,佐賀県の場合、明治期に小字を決める際に、「一本松,二本柳,三本谷」な ど機械的な命名によって小字を決めたりしたところがある。この場合の小字は明治以後の新地名にす ぎず、長い水田の歴史を考えるための歴史資料としては有効ではない。また広いところに一つの小字 しか付けなかったところもあったので、小字にならなかった(なれなかった)地名もできた。 *大字というのは江戸時代の村とだいたい同じ。現在も多く自治会(区)の単位になっている。小 字はその下の土地の単位になる。小字(こあざ)、字(あざ、あざな)は同じ。 *小字(こあざ)は現代の公式な地名である。市役所・町村役場、あるいは法務局登記所に行けば分 かるもので、事前にみんなにその地図を渡す予定。現地では読み方を確認しておく。 現地には農民が日常的に使用してきた小地名が残った。この地名は正式地名である小字には採用 されなかったもので、通称、私称地名だが、村の人々の間ではりっぱに通用する伝統的な地名であ る。この地名をしこ名とかあだ名とかあざなという。熊本県、佐賀県や福岡県ではしこ名というのが 普通。しかし唐津市や伊万里方面ではしこ名という言い方はあまり使われず、あざなというようだっ た。地域によってはコナともアダナともまたホノギとも呼ぶ。今回はこのしこ名・あざなの聞取収集 が一つの課題である。一つのムラ(大字)ごとに20程度は収集してほしい。(2人1チームの目標 が20ぐらいということ)。 *しこ名とは相撲取りの四股名やへりくだったときの醜名と語源的には同じはず。「あだな」も 「字」(アザナ・アダナ)も本来は同義。「君諱**字++」 水利と水利慣行 各村の水田にはそれぞれ高低差があった。この微妙な差に応じて用水網が作られている。どうい う風に水は流れて、村の全部の田に入っていくのか、じっくり聞き取りたい。村の中で、また隣接す る村どうしで、用水を平等に配分するための慣行が形成されている。村の水はどこから、どのように してとりいれ、また出しているのか。そのおりにどんな取り決めがあるのか調査したい。もう7年前 になるが、1994年は大旱魃の年だったが、どのようにしてそれをのりきったのか。また、もしさらに 30年以上前だったらどうなっていたのか。そうしたことも併せ調査しよう。 昔の暮らしについて 昔の古い道はどこをとっていたのか、どのような品物が、どこからどうやって入ってきたのか。 山の村だったら塩、魚等どこから来たのか。農業以外にも村には現金収入があった。それはなにか。 山の場合昭和初期、電気のこない村もあった。ガスもない。どうやってご飯を炊き風呂を沸かしたの か。真っ暗な夜、テレビはもちろんない。君たちのような若者は何をしていたのだろうか。 2事前の準備 A,村の概要の把握 指示された調査対象の村について 1角川日本地名大辞典・佐賀県、福岡県(六本松図書館開架室) 2佐賀県の地名、福岡県の地名(平凡社、六本松図書館開架室) 予備知識としてその概要を調べる。市町村史が刊行されていれば目を通しておく(県立図書館や九 大箱崎の九州文化史研究所などで調べたい)。こうした印刷物の内容そのものをレポートする必要 はないが、関連して言及する。村には農村以外にも宿場の村(街道沿いの村に多い)や山村、漁村 もある。窯業や林業で暮らし、農業にタッチしない村もある。マニュアルをふまえるが、ケースバ イケース、臨機応変に村の性格に応じた質問を考えることが必要になることもある。 B,5000分または2500分の1の地図の入手 原図をもとに各自必要に応じてコピーする。 地形図と小字図のコピーをする日・時間(重要) 「歴史の認識」は火曜12月18日14時30分から15時20分まで、教室を変更して地図を渡し たい(35,36番教室)。不足があれば各自でコピーもする。そのあとN130に戻って、ふつう の授業をしたい(またせる可能性もあるので、自習の用意をしてきてください)。 地形図(鹿島市はア地形図1万分1図とイ森林基本図5000分1図の2組、それにウ小字図(こあ ざず)が基本、鳥栖市は1万分1図にエ小字を書き込んだ地図と明治10年代の小字の書き上げ、志 摩町はオ1万分を拡大した地図に小字(こあざ)を書き込んだものに、カ小字史料(佐賀県地名辞典 記載分小字または明治15年字小名書き上げ)を受け取るか、コピーする。鹿島市に行く人はこの日 が調査前の最後の授業になります。 コピーする範囲は割り当てられた村の範囲全部。隣の村(他の人に割り当てられた地区)の位置 までコピーしておくこと。特に山は思っている以上に範囲が広いので注意すること。その村が市町 村境までが範囲であれば、そこまでコピーする必要がある。地図がなければ先方がせっかく話して くれても、地図に落とせないということになってしまう。山も大事だということ。海にちかい村の場 合も生活が及ぶ地域は持っていきたい。有明海の大潮の干潮線を示す地図が最低必要。 コピーは聞き取り調査用(書き込み用)と提出用(清書用)の2部必要です。 地図には川、水路、谷(以上青)、主な尾根(緑色)、道路(茶色)、高圧線(灰色)、墓地 (こげ茶色)を、それぞれ色分けしておく(現地用、清書用とも、この色塗りは地図の理解を容易 にするためのものです。色塗り個所は調査対象域のみでよい。地図全域を塗る必要はない)。 鹿島市の場合、配布する小字図を参考にして小字の境界を聞き取り用の基本地図(一番わかりやすい 地図)に赤で記入し、小字名を同じく赤で書いておく(以上は調査用地図、提出用地図とも)。 *地図の記号を解説した凡例が地図には付いています(ふつうは右の欄外)。それもコピーしてお いてください。これに高圧線、墓地、石垣などの記号が解説されています。 *道路と水路の区別の仕方。 道路は普通二本の線が平行線として書かれている。川や水路は太ったり、やせたりしていて平行 ではない。橋の記号に注目。橋の上を通るのが道、下を通っているのが水路(天井川は別)。 *尾根(緑)と谷(青)の区別の仕方 谷は川から続いている。尾根は山頂から続いている。尾根は心持ち丸く描かれ、谷は鋭角に描か れる。 イ,25000分の1地図 目的地にたどり着いたり、現在の様子を知る上で必要。大きな本屋(丸善、紀ノ国屋、三省堂な ど)や地図専門店、博多合同庁舎売店で売っている。一枚二九〇円ぐらい。本当は各自で購入して ほしいが、殺到すれば品切れになることもある。その場合はコピーで済ます。 2,住宅地図 六本松図書館のカウンター(受付)前に配架されているので、各自で訪問先の分と周辺をコピー する。ふつう市名か郡名が一冊の単位になっている。住宅地図には住所の番号(地番)も記入して あります。それを手がかりに目的の家を見つける(訪ねる本人の名前が出ているとは限らない。親 の名前、または子の名前が出ていることもある。番地も併記されているから見当をつける。 3,小字の位置の分かる地図 小字は手渡された資料を基に聞き取り用の地図に記入しておく(鳥栖市・志摩町は記載済み)。しこ 名が何という小字の範囲にあるのかが確認できる。今回の調査対象はあくまでしこ名であって、小字 ではないことに留意。なお地名に関して特別な資料がある場所(福岡県の場合は明治一五年の小字一 覧、鳥栖市の場合は明治一五年以前の小字一覧、)は事前に手渡しします。こうした資料は相手方も ほしがることがある。置いてこられるよう、余分にコピーしておく。 4,訪問先---嘱託員(区長)か生産組合長に窓口になってもらいます。原則は嘱託員(区長)、区長 がいないときは生産組合長。 その一覧を授業中に張り出します(鹿島市は昨年度の委員)。この役員から直接話を聞くか、または 村に詳しいお年寄りを紹介してもらいます。 5,事前の手紙 手紙を出してください。,相手先は原則として嘱託員(区長)。連絡がうまくとれないこともある。も しも連絡がうまくいかなかったとしても、過疎の村では人自体が少ないし、村の人たちもけっこう忙 しい。当日に、その村で情報を多くもつ人を探し当てるということも重要。 *手紙を出す場合は君たちがいつ、何の目的で訪問するか、つまり何月何日の何時頃に訪問し何を 聞くかを明記する。お昼時は避けたい。いちおう12時半過ぎに行くとしたい。そして必ず相手の 都合を聞く返信用はがき(発信者である君たちの住所が宛先になっているもの)を入れる。念のた め手紙が着いた頃に、確認の電話を入れた方がよい。はじめから電話を入れる旨明記してあれば、 返信用のはがきはいらないことにはなるが、はがきを入れておいたほうが無難。はがきには発信者 である君たちの連絡先・電話番号を書いておくこと。手紙が相手に届くまでは三日か四日ぐらいを 見ておくこと(速達なら翌日着くことがおおい)。 調査の一〇日ぐらい前に着くようにする。 なお鳥栖市を調査する班は12月18日(あるきみふれるの受講生は20日)の授業時に服部に渡してく ださい。切手は不要です。鳥栖市以外の担当になった人は切手を貼って自分で出してください。 *相手先住所の番地がわからない場合、行政区を書いてください。郵便配達さんはプロです。毎日配達し ている郵便の宛先・名前はたいてい知っている。郵便番号は掲示しますが、もしわからなければ、郵便局 のぽすたるガイドを見て下さい。 *手紙を出したあと、何という人に手紙を出したか忘れてしまったという学生もいたが、論外。必ずメモ を残しておく。 訪問を依頼する手紙のひな形 (以下は参考)-------------------------------------------------------------------------- 拝啓 突然お便りする失礼、お許しください。わたしたちは九州大学の 年生で、いま大学で歴史につ いて学んでいます。このたび授業の一環として、 地域の昔と今について調べるため、現地を 訪問し、以前の古いむらの姿について皆さん方からお話をおうかがいしようしようということにな りました。 そこで、もしできましたら 月 日の 時前後に,さんのお宅を訪問させていただきたいと思ってい ます。お聞きする内容は、圃場整備前の水田(タンナカ)に付けられていた通称地名や、あるいは屋 号、谷や川の名前、用水井堰の名前、また昔の水利のありかたや慣行、古道、また大正、昭和初期の 村の姿、生活についてなどです。小字名などは既に調べてあります。どうかよろしくお願いします。 もしご都合が悪いようでしたら、御近所の土地に詳しく、物知りの古老のかたをご紹介いただければ 幸いです。はがきを同封しましたので、ご都合の良し悪しをお教えください。 月 日 住所 名前 電話番号 ---------------------------------------------------------------------------------------- (「この手紙がついた頃こちらからお電話いたしますので、ご都合の良し悪しをお教えください。」) など文案は適宜工夫する。また次の服部の手紙を同封した方がよい。<君たちの手紙に同封する添 え書き> -------------(以下を参考に作り直すか、ホームページから引用して使用する)--------------- 拝啓 突然のお便り、申し訳ございません。私は九州大学の歴史学の教官をつとめるもので服部と申し ます。私どもは以前より各地の村の昔の姿を記録にとどめる作業を、学生の皆さんと一緒に行ってま いりました。今冬はこの作業を, 市町において実施する計画でおります。 そこでご多忙のところ恐縮ですが、 月 日の 頃に、学生 名がお訪ねいたしますので、 適宜、地名(とくに小字名以外の通称、私称地名)や水利などの慣行、また大正〜昭和初期の村の 姿、人々の生活などについて、お教え下さい。またもしご都合が悪ければ、そうしたことに詳しい方 を学生たちにご紹介いただけますれば、幸いです。お忙しい時期に、一方的なお願いでまことに申し 訳ありませんが、重ねてよろしくご協力のほど、お願いいたします。 なお嘱託員さん(区長さん、生産組合長さん)のお名前については、以前に貴市町教育委員会より 教えていただいたものです。教育委員会においても、この調査の意義を認めてくださり、ご協力いた だいております。どうかよろしくお願いいたします。 平成 年 月 日 〒810ー8560 福岡市中央区六本松4ー2ー1 九州大学大学院比較社会文化研究院教授 服部英雄 -----------------------------(切取線)--------------------------------------- 手紙を出した以上は必ず約束の日時に訪問しなければならない。手紙は相手を拘束すると同時に 自分を拘束する。なお都合が悪いから別の日に来てくれといわれる場合もある。自動車組は変更で きるが、バスは変更が利かないので、団体行動である旨説明し、別の人を紹介してもらう。 当日用意するもの 地図、資料、ノート、録音機とテープ(MDも可)、マニュアル、カメラ、雨具、弁当、財布、帽子、防 寒具など 携帯については電波が届かない地域の可能性もあるので、過信しない。 *九大から調査に来るということで、場合によってはかなり期待されることもある(その逆に無視 されることもあるが)。期待にこたえられるようにしてください。 *当日の服装については、お願いした家を訪問するのだから、常識の範囲できちんとした格好をし ていくこと。短パン・サンダル履きなどは、失礼になる。あまりに突飛なファッションも避けるべ き。その日は一日まじめな九大生でいてください。女子はいろいろなところを歩き回ることになる から、スカートよりはズボンの方がよい。虫さされ等にも注意。 *テープは持っていった方が、レポートを書くときに楽です。録音済みのテープ・MDには村名と 調査者の名前、調査の年月日を書いて提出して下さい。替わりに未使用のテープ・MDを渡します。 *ときどきバイトや深夜テレビで徹夜をしたあと参加する人がいる。相手の方の話を聞きながらコ ックリコックリすることは、たいへんな失礼になる。万全の体調で臨むこと。 バス利用の場合の当日の行動 12月22,23日(土、日)当日8時30分集合・六本松本館前,45分出発 1月6日(日)当日9時30分集合・六本松本館前,45分出発 (班のパートナーがこなければ電話で確認を取る。急な事態が発生してパートナーが来ないこともあ る。地図を一人だけが持っていて、当日あらわれないとなると、いつまでもバスが出発できなくなっ てしまう。地図は1班に2枚作るのだから、各自が持つようにしたい。なお定員六〇人のバスに学生 55人が乗る日もあります。空席は順に詰めて、後からの人は補助席に座る。 8時45分出発→都市高速・九州道(多久サービスエリアでのトイレ休憩を経て)→武雄北方インタ ー→鹿島市・太良町 9時45分出発→都市高速・九州道(基山サービスエリアを経て)→鳥栖インター→だいたい11時 頃現地に着く。目的地はかなり広いので最初の人がおりた後、最後の人がおりるまで1時間はかかる。 後の方の人はおくれて目的の村に着くかもしれない。どこでおりたらよいのか。地図を見ながら今車 がどこを走っているのか、常に確認しておく。下車時、道が狭いと、バスが停車している間、後続の 車を止めてしまう。最初に降りる人はサービスエリアの休憩時に交代し、補助席に入って、待機する。 席が空いたら補助席の人はどんどん普通席に移って補助席を空ける。 村に到着したら手紙を出してあった人を訪ねる。 ◎帰りは4時頃(予定)から来た道と逆のコースでバスが迎えにいく。来た道と同じコースを走 る。バスの通過時刻は地図に記入して渡します。多少の誤差は出る。最後にバスに乗る人は5時頃 になるだろう。必ず降りた場所で乗って下さい。ただし事前に服部の了解が得られた場合は、別場 所で乗ってもいいし、早く帰ってもよい(今までは当日は服部はバスの終点の山の中にいることが 多く、携帯は圏外で通じなかった)。連絡がないままに、乗車予定位置にいなければければ、バスは いつまでも発車できない。事故の可能性も考えて、無駄な行動を取らなければならないし、他のみん なの時間も無駄な時間、バスを待つことになる。 自主行動の場合 レポートの期日(自主組1/15)に間に合うように、調査にいく。調査期日は自由に決めてよい。 聞き取りをする相手 嘱託員(区長・自治会長)、生産組合長を訪ねる。最近は世代交代で若い人が区長などの役についていて あまり古いことを知らないこともある。区長の父親が出てきて調査が進んだという話も時おり聞く。もし 若い人だったり、農家でなかったりしたならば、嘱託員(区長)や生産組合長を経験した70歳ぐらいの 古老を訪ねる。 *聞き取りをしていて相手方から「そういうことは役場に行けばわかる」といわれて役場に行く人 がいるが、それは無意味で無駄。役場でわかることはすでに一応調べて渡してある。地元の人でな ければわからない「しこ名」や「慣行」を調べているのだ。役場に行けば余分な迷惑をかけること にもなる。特にバス組は休みの日にしかいけない。日曜や土曜に休みで閉まっている役場に行った 学生も過去にはいた。 *寺に行く人も結構多いが、まちがいのもと。寺は農家ではない。 *誰でもしこ名を知っているわけではない。男女を問わず農家の年配者。 *我々は忙しい人に無理に時間をさいていただいて、調査の相手をお願いしているのである。お願 いする立場にあることを忘れずに決して失礼のないように。人生の大先輩に対しては常に敬意を払 うこと。 あざな・しこ名のたずね方 (1)「ぼくたち(私たち)は大学の授業で歴史を勉強していますが、今日はこの村(具体的にそ の村の名を言う)の昔のことや、水田のことを調べにきました。圃場整備によって古い水田がなく なっているので、今の内に何とか記録を残しておかないと、分からなくなってしまうからです。そ れで田のしこ名、シュウジの名前、山や谷の呼び名を教えてください。橋や道の呼び方も教えてく ださい。」と頼む。 *佐賀弁になれること。参考までに先ほどの分を佐賀弁でやってみよう。もっとも堪能なようにみ られると、早口でしゃべられるからほどほどに。 ーーーそいぎ、田ん中(たんなか;佐賀では田圃のことをたんなかという)ん、しこ名ば教えてく んしゃい。役場や登記所で使っとう字名(小字)ん方ぎ、調べて分かっとうですもん。そがんとで はなか、こがんしこ名ばしりたかですもん。うちん中でんわかっとうごた、村ん中でん通じるごた、 そがんたんなかん呼び名、そいから、橋、ほい(ほり)、しーど(水路)、デー(土居・堤防)、 そがん名ば教えてくんしゃい。,」 なお佐賀では年寄りは「はいはい」というときに「ないない」というが、否定しているわけでは ないから、間違えないこと。語尾にはよく「--なた」が付く。 (2)田んなかのしこ名を順次聞く。よく知っている人に出会えれば、一つのむらで20くらいは 集めることができる。わかれば範囲も聞く。 (3)平野の場合 (ア)田が終わったら次には(イ)ほり(*クリークのことだが、今回調査地にはあまりないだろ う、普通「ほい」という。*佐賀のことばでは「り」のR音は弱い。吉野ヶ里は「よしのがい」。 「ひょうたんぼり」は「ひゅうたんぼい」) (ウ)しいど(水道の佐賀発音、水路のこと)(エ)橋,(オ)井樋(用水やあおの取り入れ口、 干拓地では塩止め井樋もある。樋門のこと・(カ)堤防 それぞれのしこ名を順次聞く。何という小字の中にあるのかも聞いておく。 (4)山にある村の場合 山や谷(沢の名前)、山道や岩や大きな木など目印になるものに付けられた名前を聞く。田の近く には草切り場(草を取って牛の餌にしたり肥料にした)があった。焼き畑もあった。名前があった はず。 (5)村の名前(コガ・シュウジ・班の名前) 村の中(家のある部分)をいくつかに分けて「古賀」とか「こうじ」「くうじ」「しゅうじ」 (小路、佐賀発音でシュウジとなる)といっている。名前が付いているはずなので、これも順次尋 ねてみる。 (6)海の村(海沿いの村)の場合、岬、磯、浜、浅瀬、洲、岩、島等の名前を聞く。潮の流れ、 海中の瀬や根についてもその名前を聞く。ふだんは海の中で、引き潮の時にだけ現れる岩などもあ る。ハジ(ハゼ・竹の列で魚を追い込み、捕る仕掛け)や、また浅瀬に石の輪を置き、干潮時に石 をどけて魚を捕る。有明海独特の干満の差を利用した仕掛漁法もある。その有無や名前を具体的に 聞いてください。船をつけやすいところ、つけにくいところ、海岸にもいろいろな特色がある。海 の地図は大潮の時の引き潮線まで入っているものが最低限必要。有明海に注ぐ川は、筑後川も沖ノ 端川も矢部川も嘉瀬川も六角川も塩田川も沖では一つの川になっているといわれている。 (7)窯業の町や宿場町、商業中心の町の場合は非農家になる。陶土を取る山の名前、町の名前、 屋号などを適宜聞きたい。非農家であれば、以下のような農業に関する質問はできない。 しこ名の地図への記入 集めたしこ名(あざな)は正確にその位置そして範囲を地図に落としていかなければ、資料とし ての価値はない。しかしこの作業は案外難しく、先輩たちにもできない人が多かった。その理由は 二つある。第一はお年寄りが地図を読めないこと。第二は調査者である学生諸君が地図を読めない 場合。しかしこれらは工夫の仕方によって克服できる。 事前に地図に道路や水路、高圧線、墓地などを色分けしたはず。まず自分がどこにいるのか、を 確認する。渡した地図は何十年も前のもので田の形などは現況とは大きく異なっている。だが家の 並び方、神社の位置、主要な道路はあまり変わっていないだろうから、それが目印になる。そして 残念ながら圃場整備以前の耕地の様子は古老の脳裏にはあっても、現地にはない。話を聞く側と、 調査する側が双方ともに地図を正しく理解していないと調査は失敗する。つねに目印との位置関係 (道路の北か南か、水路の東か西か、橋からどっちの方角かなど)を反復しつつ、たずね確認して いくこと。またせっかく話が聞けても、用意した地図が、その範囲までカバーしていなければ地図 に落とせないということになってしまう。注意しよう。 *しこ名は収集するだけでなく、正しく地図に落として、記録できたか(成績評価の指標とする)。 しこ名調査の際の諸注意 しこ名という呼び方は主として平野部のもので、山間部では「あざな」と呼ぶところもある。あ ざなには二つの意味がある。土地台帳上の地名としての字と、通称としてのあざな(あだ名)の二 つである。後者の意味ならしこ名と同じものである。 実はこのしこ名についてなかなか理解してもらえない。たとえば 「しこ名(あざな・あだな)はない」「しこ名なんか勝手に付けた名前ぞ」 といわれることも多い。そういう場合、簡単に引き下がっては行けない。向こうは生まれて初めて しこ名のことを聞かれたのだ。 「今日はどの田(----)に水を入れる」とか、「どの田(-----)の草を刈る」とか そういう時に使う田の名前、家の人たちの間や、村の人たちの間では通用するような名前があれば、 とにかく教えてもらう。 最初は「しこなは、なか」といっていても、ひとつ事例が出せれば、芋づる式にしこ名が集まる こともある。きっかけが大事。小字を書き込んだ地図、あるいは現地をよく見て、ある一つの小字 のなかにいくつのも谷や離れた田や畑の記号、場所があったら、そこには地名がつけられていたは ず。そこをなんと呼んだのかを尋ねてみる。 先方はそんな名前に価値があるとは思っていない。特に訪ねていく区長さん(嘱託員)は、ふだ んは市役所、役場との窓口になっているので、あまりしこ名を使わない人が多い。何かのきっかけ をつかんで、前田(まえだ、めいだ)、大田(おおだ、うーだ*オ音はウ音に変化する)のような 特段には特色のない地名でも良いのだから、知っておられるだけの地名すべてを教えてもらおう。 また最近の傾向として、しこ名の蒐集に失敗したチームがあると、携帯で連絡を取り合って、お 互いに失敗に満足してしまうことがある。しこ名はないといわれても簡単にはあきらめないこと。 しこ名は必ずあるという前提のもと調査する。→後掲学生レポートを参照して下さい。 ◎もし最初に訪ねた家でうまく調査が進まなかったなら,「この村で田のことに詳しいお年寄り、 こういうことをよく知っておられる方はどなたですか」と尋ねてみよう。,*もし田のどこどこにい る、とかビニールハウスにいるといわれたら、そこにいってみること。*もしゲートボールにいっ ているといわれたら、普通はゲーム中は聞き取りにならないので、様子を見てダメそうだったら他 の人のところをまわる。 ◎ある古老と別の古老とでしこ名の位置が異なっていることがある。どちらが正確なのか、よく考 えること。概していえば、たくさんしこ名を知っている人の方が正確。25のしこ名を知っている 人が示した位置と5つしか知らない人が示した位置では、当然あとの方がアバウト。しかし違う場 所を同じしこ名で呼んでいることもある。実際に人によってしこ名の位置が違う場合があるのだ。 こういう時はその旨記録しておこう。 ◎しこ名は元来音でのみ伝わったもの。文字(漢字)表記されることは普通はない。音をカタカナ で記録しておくこと。自分で勝手に漢字に置き換えないこと。後でなんと読んだのか分からなくな る。しかし向こうの人がこういう漢字を書くんだよと教えてくれることもある。そういう時は、カ タカナのあとに(,)のなかに漢字を示しておく。できたらアクセントは記録しておきたい。いち んつぼ→いちんつぼ、のように<°′″のように分かるように記号を付けて置いてください>。