――竈のお経を上げるお坊さん等はいましたか?
「竈…お払いはしよらすばってんねぇ」
――座頭とか、山伏とか、薬売り…
「薬はー、薬売りさんがここは通んらすとって。富山の。越中ハンゴンタンっていいよったけん。ハンゴンタンから来たて言いよった。越中富山のハンゴンタンって言いよった」
――病気になったときはどうしましたか??
「そこにお医者さんのおいなったですよ」
「そのお医者さんがそこのタテダ町からこっちさ連れ来た」
「皆で頼んで着てくださいって言ってから座ってもろうとった」
「そして、一年間、薪と、お米も少しずつ出し合わせてですね、やったりしてですね、部落に来てもらったお医者様がおんなったですよね」
――お米は麦と混ぜたりしましたか?何対何でしたか?
「ひどかときは七対三で七が麦じゃろ」
「半々なはよか家庭だったですよ、きっとね」
「で、米が三ぐらいで、今度はそれに唐芋(薩摩芋)いれて」
――自給できると自給できないおかずはありましたか?
「こっちは殆ど自給もんばっか」
「自給できないものは、魚とかでしょ」
――それは魚売りから買って?
「そうそう。肉とかほとんど食べよらんなったもんね」
「肉は、鶏潰してね」
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▲お宅訪問の前に見つけた石碑。「竈」の文字が気になるところ。 お尋ねしたが、因果関係は得られなかった。 |