――結婚前の若者たちが集まる宿みたいなものは?

「やっぱ夜遅くまで友達の家に遊びにいきよったね。そして、あの、俺がこまかときは、そこの橋(猿懸橋)のとこに全部(集まっていた)」

――青年クラブとかありましたか?

「青年団がありよった」

――それは男の人だけでしたか?

んにゃ男女一緒」

――そこでは何をしていたですか?

「まぁ話したりなんかしてねぇ」

――規律は厳しかったですか?

「そげんことなか。規律も何もあろうかい(笑)」

――じゃあ上級生から制裁されたりとかもなかったですね。

「なかなか。一緒。(年齢は)関係ない」

――力石…力比べみたいなことはしていましたか?

「力比べは大概がしよったねぇ」

――昔のことですから、干し柿とかスイカをとったりとかはありましたか?

「(笑)そりゃある。そらもぉいっつもや。晩に寄ったらもごうか、千切り行こか、言うて。で、俺よか下のもんが告訴されたことがくさ

――告訴ですか?それはどうなったですか?

「そのーまぁ、今度は区長がことわり言って、それで終わり」

「罰金とかそういうことはないけど、謝らせるとですよね。『もうしません』っていって」

 

――戦後は食糧難だったと思うですが、犬を捕まえて食べていましたか?

「そりゃあ食べよったよ」

「それも赤犬やったやろ

「赤犬じゃなきゃもうかけんね。赤犬」

――犬はおねしょの薬だっていうのは本当なんですか?

「そりゃ、温もっていうしかね。そやけんそこの採石場でも、なんか、『おい、犬のおるとぞっちか捕まえてきてから食べた』って言いなった」

――犬はどうやって捕まえたですか?

「そーら、よそん方の家の犬(笑)」

「騙して餌やってね」

「飼い主が『おげんと(犬)が帰ってこん』って言わしたときはもう鍋んなか入っとうときたい(笑)」

――山犬とか野良犬を捕まえてたわけじゃなかったですね。

「野良犬はぁ、捕まらんけん

「飼い犬たいなぁ」

――夜這いの話は聞いたことがありますか?

「そらある。」

――そのことで、他所の村から来る人と喧嘩になったとかいうことは?

「夜這いで喧嘩したっちゅうの聞かん。夜這いてね、戸の開からん時はね、そこの敷居にね、小便まくとね、音もなしにすらーっと開かっとて」

「昔はおしっこ溜めてからまきよったって話もありなったですよ(笑)」

――そうしたら戸が軋んだりしないで開くということですか?

そうそう。昔話ですてね。んなことしとらす人のおっただでな」

「おった。ばあちゃんのしとらした」

「今は車があるけん、昔は歩いてばっかりやたけん、若か娘さんのとこにやっぱ行きよったでしょうね」

――じゃあ、じょうもんさん、みちわけざけ、まつぼりなどは聞いたことがありますか?

「じょうもんさんというのはお嬢様のこと?」

――みちわけざけは?

「きわみざけ?なんのこっちゃろか」

――では、ないですね。

「まつぼりごなぁ、ないなぁ」

 

――もやい風呂ってありました?

「共同風呂?」

「あった?私たちはなかった」

「ようオオサキさんが入りんきよったがね」

「そらもらい風呂たいね

「もらい風呂な」

「入らせてもらうこっでしたね。結局はね」

――じゃあ共同というわけじゃなくて?

「共同風呂はなかったとって。全部個人風呂」

「もう殆ど家にあったでもんね。五右衛門風呂っていってカネのとがですね」

――盆踊りやお祭りは楽しみでしたか?

「そうだろなぁ、ごちそう食べれるけんね、お祭りとかはねぇ。今日みたいなごちそう(二頁写真参照)ですけど(笑)。普段は麦が七割でお米が三割ぐらいんとがお祭りとかいうときにはお米ばっかりたいたりね

――そのお祭りは、きょうみたいに田植えの後以外にいつありましたか?

「秋の祭りね」

――それは収穫祭ですか?

「うん…収穫祭たいね。十一月の二十三日やったかね。こっちの十二月一日。今でもそがんなっとる

――恋愛結婚は多かったですか?

「すごかった(笑)」

「恋愛結婚は多かった。この辺は」

「近か人たちは恋愛だろうなぁ。部落から部落に行とんのは。」

――親の反対とかは?

「そら結構あったみたいですよ」

――農地改革前の小作制度はどのようなものでしたか?

「今は一反作って、地主さんには二表とかしかやらんでしょう?昔はそれが反対で、自分が二俵くらいしかもらえんで、地主さんが八割くらいもらいよったでしょ。改革前ていうのは

――小作農は自分たちの農作業のほかに、地主さんから手伝いをしろと言われたりすることはなかったのですか?

「そこまでは聴かんなぁ、この辺ではなぁ」

――村に格差みたいなものはありましたか?

「あ〜、金持ちさんとあれね」

「そらあったはあったがね」

やっぱようけ作る人の頭が高かったですね」

「『ぶげんしゃ』もんって言いよったがね」

――今日やっているような神社のお祭りみたいなものは皆平等に参加していたですか?

「うちはもう全部。自由。参加。そして、来たもんだけその経費貰うわけ」

「来たもんだけやなか?」

「来たもんだけやなかった。一応、年男なんか、もう自分の家の仕事もできんととか、入院しとるもん、そういうのはのかす。外して。そして、まぁ、強くて来とらんもんは、一緒に全部からうんよ

「結局酒代ですね。酒代は来てなくてももらうですよ」

――太平洋戦争はこの村にどのような影響をあたえましたか?働き手を取られて苦しかったですか?

「そりゃだいぶんあんね」

「未だに戦死者の未亡人でお金をもらいよう人もおんなるわけですね」

――昔に比べてだいぶ様変わりしましたか?

「そらぁね」

「なんかむかぁしのようにですね、親しみが薄くなったみたいですね。助け合いも。部落、隣近所の助け合いとか親しみはやっぱ、薄らいだたですね。加勢とか殆どないですもん」

――加勢ですか?

「ほら、不幸のあったけん手伝い行ってやろう、とかですね。ああいうのが殆どないですね、今は」

 

 

 

 

―感想―

 

[吉川実芳]

今回の上十町における調査で考えさせられたことは、人々の歴史はどのようにして残されるのかということだ。しこ名についてお話を伺っていくと、大部分の方々が“今はもう使われてないから、忘れてしまった。”という風にお答えになった。使わなくなってしまえば忘れてしまう、当然のことだと思う。言葉は、使わなければ死んでしまう。しかし、使われなくなったからこそ、それを調査し、集め、保存しなければならない。“死んでしまって”初めてその意味が評価される、そう考えるとなんだかやりきれない気分になった。

だが、本当にしこ名は忘れ去られてしまったのだろうか?インタビューに協力していただいた、山下さんがこんなことを仰っていた。“話し相手がいれば、思い出すだろうになぁ。一人ではだめだ。”この言葉を聞いた時、私は、何か引っかかるものを感じた。また、地名に詳しい方に話を伺った時、その方は“小さい頃、こんな話を近所のじいさん、ばあさんから聞いたよなぁ。”と仰っていた。つまり、しこ名を思い出すことは、一人ではできない。しこ名を思い出すためには、話し相手やしこ名に関する人々との記憶が必要なのではないだろうか。“歴史は人々の関係の中でしか存在しない”そんな言葉を聞いたことがある。そう考えると、一人一人にしこ名について伺ったら、“分からない”という答えしか出ないというのも納得できる。しこ名は、“死んでしまっている”のではなく、人々の記憶の片隅で“眠っている”だけなのかもしれない。誰かが、呼び起こし、そのしこ名をみんなで話し合えた時、しこ名は蘇るのではないだろうか。そして、それとともに、たくさんの思い出も蘇る。忘れかけていた人と人との関係も蘇る。その呼び起こす作業が今回の調査であったなら、私たちはとても意味ある時間を過ごすことができたと思う。歴史を残していくこと、そして、歴史を人々の間で生かしていくこと、両方そろって初めて私たちは歴史の恩恵を受けられるのではないか、つまり人々との関係の中で豊かに暮らしていくことができるのではないかと今回の調査を通して感じた。

最後になりましたが、今回お忙しい中、調査に協力して下さった山下さんご一家、上十町のみなさん、教育委員会のみなさん本当にありがとうございました。

 

[浅田えり佳]

 今回の調査によって、普段なら聞くことのない、昔の人々の暮らしを詳しく聞くことができた。また、運よく生活と根強い結びつきを持っていたあろう神事にも参加させていただき、実り多い調査になったと思う。

 祖母と同居している私は、岡山の農村の話をよく聞く。

 やはり地方が違えば異なる点も多いが、雄牛を「ゴッテ牛」と呼ぶところが共通していたりするから面白い。地方差かどうかはわからないが、祖母の故郷では、旅芸人などは、呼び寄せるものではなく、定期的にまわってきて、地主の家に寝泊りさせてもらうのが常だったという。

 同じ話をくりかえし聞いているだけなのに、それを祖母が喜ぶように、今回お話を伺わせていただいた山下さんたちにも喜んでいただけたら、私としてもとても喜ばしい。

 こういう日々の生活に関することなどは、文献で読むよりも、実際その暮らしを体験した人から話を聞いたほうが、より身近に感じ、考えることが出来るものなのだと思う。

 絵が好きな私にとって、阿蘇神社の絵の数々を見ることが出来たのは大変嬉しいことだった。なかなか修復できないということだったが、是非とも何らかの処置をして末永く保存していただきたい。

 また、私は宗教的なものにも興味があったため、阿蘇神社・熊野権現などの神社をめぐれたことは非常に楽しかった。機会があれば、これらの由来を調べてもみたい。

 今回の体験は、ただ授業の一環であっただけでなく、私の進路に「歴史学」という選択肢を加えるものになった。

 ここで、貴重な体験をさせてくださった上十町の方々に、厚くお礼を申し上げます。

 いろいろと親切にしていただき、本当にありがとうございました。