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経歴(歩んできた道)と自己紹介
歩んできた道
1949年 名古屋市に生まれる
1976年 東京大学大学院人文科学研究科国史学専攻修士課程修了
同年 東京大学文学部助手
1978年 文化庁文化財保護部記念物課・史跡部門、文部技官・文化財調査官
1994年 九州大学大学院比較社会文化研究科助教授
1996年 博士(文学)、東京大学より取得
1997年 九州大学大学院比較社会文化研究科(改組後は研究院)教授
2011〜12年 九州大学大学院比較社会文化研究院長・同大学院比較社会文化学府長
2015年3月 九州大学を定年退職(九州大学名誉教授)
2016年4月 くまもと文学・歴史館々長 2021年3月退職
2019年4月 名古屋城調査研究センター所長(非常勤)〜2024年3月退職
2024年4月以降は無職
Born in Nagoya in 1949 1976 Completed the master's program at the Department of National History, Graduate School of Humanities, The University of Tokyo The same year, Assistant Professor, Faculty of Letters, University of Tokyo 1978 Cultural Properties Investigator:Agency for Cultural Affairs monument Division 1994 Associate Professor, Graduate School of Comparative Social Culture, Kyushu University 1996 Ph.D. (Literature), acquired from the University of Tokyo 1997 Professor, Graduate School of Social and Cultural Studies, Kyushu University 2011-13: Director of the Graduate School of Social and Cultural Studies, Kyushu University March 2015 Retired from Kyushu University (Professor Emeritus, Kyushu University) April 2016 Kumamoto Museum of Literature and History Director (March 2021 Retired Kumamoto Museum of Literature and History) April 2019 Director of Nagoya Castle Research Center:March 2024 Retired
自己紹介
あいさつ・名古屋城調査研究センターだより 2016.4.1くまもと文学・歴史館長に着任/2021.0331まで
毎日新聞の記事から 2013学士会広報誌U7(52号)の紹介記事
2010/05/九大新キャンパス・通称いときゃんの比文言文棟にて
その5
平成24年度(2011)4月日比文入学式祝辞
その4
平成23年度(2011)3月27日比文修了式祝辞
その3
農村、山村を歩き、人々の暮らしをみ、古老からの聞き取りを進める。歩きながら村の 生い立ちのイメージの骨格を作ってみる。一方で文献史料ともつきあわせて、それを確認 し、肉付けする。そして中世のムラの歴史像を作る。私がやってきたのはそんな仕事でし た。作業に役立ったのは地名です。角川の地名辞典に掲載の小字一覧はおおいに活用しま した。一方で文字化されたことのない、口頭のみで伝承されてきた通称地名の収集にも力 を注ぎました。私が勉強を始めた頃は、歴史資料として地名のような不確実なものを扱う ことは、まともな研究者のすることではないぞ、という雰囲気がありました。今でも多少 はあるかもしれません。村は急激に変わり、小地名も消えつつあります。このたびの受賞 で地名に対する皆さんの関心が深まれば、喜びは、二重、三重に広がります。(「角川源 義賞受賞時パンフレット」より 1996.12)07年・平治岳、左は李一清先生
その2
政治や法律が嫌いで文学部に進んだのに,16年に及ぶ役人生活(文化庁勤務)を経験した。 社会と大学の交流などとうたわれてはいるが,まわりを見てもこんなに長くより道をした 人間はいない。だがもし天寿を全うできるならば,この経験は有意義なものだった。文化 庁では史跡保存の仕事をしてきたが,土地所有者ら個人の権利等を規制する必要があった から,現実との摩擦の連続だった。だからトラブルを解決するさまざまな過程を体験した。 住民・市町村長・政治家・マスコミ・大蔵省・役所の上層部,そして暴力団まがいの連中 …。そんな中で味方を増やし,手持ちのカードを多くもって,遺跡の保存,史跡の整備を 進めていく。そんな仕事もおもしろかったが,やはりわが本籍は歴史学。第三の人生とし て福岡での学究生活を開始した。研究室には現実との葛藤はまるでない。やっと学問でき る時間が得られたから,土日も深夜までこもって勉強三昧だ。九州に来て一番うれしかっ たことは学生さんと一緒になっての小城郡条里のしこ名調査の成功。佐賀県では明治政府 が小字を決める際,機械的な新地名に変えてしまった。それまで日常生活で使用されてい た小字は俗称 (しこ名)になってしまい,今圃場整備が終わって全て忘れられようとしてい る。役所時代から気になっていたが,7月11日バス四台に分乗して,一気に70の村々をま わることができた。成果はあがり,学生たちも農村の古老と接してそれなりに得るところ があったようだ。今後も継続していきたい。(「RADIX」より 1994.10.5)
03年ころ
その1
長い間文化財行政に関わってきた。つまりお役人生活が長かったから教師としては新人で ある。ただ現地を歩くことは昔からずっとしてきた。現地に残るもの。風土、地名、慣行、 遺跡、地形−。そうしたものを歩き、み、きく中で歴史を考える。古老たちの話の中から 幾百年前にも遡りうる古い人間の行動様式を探る。問われれば専門は日本荘園史と一応答 えるが、やってきたことはそうしたことだった。古い日本が急速に消えつつある今、調べ ておくべきことがあまりに多くて、休む暇がない毎日である。(『比較社会文化研究科案 内』より 1994)
98年ころ