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修了式祝辞

みなさん修了おめでとうございます。  今日のよき日を迎え、学府長としてひとことお祝いのことばを述 べさせていただきます。  この場にいるみなさんは、まずこの10月以降の半年間に博士の学 位を取得した人、つまり本日学位・博士号が授与された人です。論 文(甲)が14名でその内、8名が在学生、6名が単位修得退学者で す。論文(乙)取得者は3名です。国籍は中国6名、韓国2名、バン グラデシュ1名、日本人は甲が5名、乙が3名、計8名です。これで 比文学府にて博士の学位を取得したものは論文甲が186名、論文乙が 30名となりました。  つぎに3月修士課程修了者は56名、修士の学位を取得した人のう ちわけをいえば中国33名、韓国1名、ネパール1名、日本人は21 名です。比文学府にて修士号を取得した院生はこれまでをあわせ 834名となりました。  さてみなさんはこの比較社会文化学府にて2年間あるいは後期課 程の場合は5年間ないしはそれ以上を過ごされました。この学府で 学ばれたこと、学問研究に従事されたことは、みなさんの今後の人 生に大きな財産になると思います。いうまでもなく学府は学問の場 であり、そこであなたがたは真理・真実を求めてきました。みなさ んは大学院において真実、新事実の発見に努力され、それを論文と いう形で、また実験という方法で示されました。 この真理・真実を求める姿勢を今後も強く維持していってほしいと 考えます。  4月からは多くの方が社会に出られます。社会に出られても、何が 真実なのかを問いかけ続けてほしい。大学院を出られたみなさんは、 他の方たちよりもより鋭敏にその姿勢を意識できるはずです。社会 における真実は大学院での真実とはまた異なっているかもしれませ ん。そしてじつは真実が常に受け入れられるわけではないかもしれ ません。むしろ受け入れられないことが多い。それでもあなた方に は真理・真実に従った生き方をしてほしいと願います。  1年前、3月11日の東北大震災は未曾有といわれたが、地震その ものはいまだかつてなかった、つまり未曾有のことではけっしてな く、千年に一度は遭遇しなければならない周期的な地震でありまし た。千年前にも同じことが起きていることを地震学者や歴史学者は 知っていた。平安時代に起きた貞観地震・津波つまり貞観11年、西 暦869年に起きた大津波のデータがそれです。学問はどうこの経験 知を生かすことができたのか。経験知を生かすことができたところ と生かせなかったところがありました。  宮城県女川原子力発電所は1968年に建設されましたが、標高14, 8メートルに立地しています。いっぽう東京電力の福島第一原発はそ の一年前、1967年に建設されています。標高35メートルもあった台 地を標高10メートルにまで掘り下げています。高さは女川原発の3 分の2しか確保していません。 女川原発では貞観地震・大津波のデータが強く意識されたといわれ ています。多くの人が標高12メートルの高さがあれば十分と考えた が、関係者の発言と説得によって、14,8メートルの高さが維持され たということです。3月11日に襲った津波は13メートルとも、ある いは14,8メートルともいわれます。まさしくぎりぎりで辛うじて、 女川原発は破壊されたり爆発することはなかったのです。建設当時、 東北電力幹部であった平井弥之助はすでに25年前になくなっていま すが、「自分の判断で結果責任を負う」強い使命感を持つ人物であ ったといわれています。平井は貞観津波を意識していたと後継者が 語っています。その当時、いまのわれわれが願うような原発の安全 性への完全な配慮は望めなかったとしても、彼は知識の限りの完全 なる安全性、法的基準よりもより厳しい安全性を求めたのであり、 その意味で科学者であったと評価できます。  過去の経験知が生かされた場合と生かされなかった場合があった ことになります。同じく国の施策として、ほとんど同時並行的に建 設されていったにもかかわらず、地震津波対策において2ヶ所の原 発にて、このように顕著な差異が生じたのはなぜでしょうか。もし 女川が先にできていたら福島第1はどういう選択をしたのだろうか。 東京電力は目先のわずかな経済効果を優先させた。人間のコントロ ールが難しい、はじめての危険な分野に挑むことへの恐れ、畏怖(い ふ)を感じることができなかったのではないか。自覚と謙虚さが欠 如していたとしか思われません。  宮城県と福島県には、この5メートルの標高差があり、判断を誤 って削ってしまった行為によって、日本はまさしく未曾有の大きな 危機に陥りました。東京電力に対して、研究者の中には真剣に危険 の迫っていることを訴えた人もいて、その議事録も残されています。 しかし千年のうち999年間は安全なのだという思い込みの前に、 ただちに緊急の対策が取られることはなかった。現実に国民を救う 力にはなりませんでした。その結果、周知のように10万人の人々が 故郷を喪失し、二つの郡に及ぶ広域の町や村が数千年の歴史を閉じ ようとしています。広範な国土と海の一部が危険な地域となりまし た。  学問を尊重する心こそが日本の、国土保全と生命の安全、多数の 人々の幸せをもたらし、学問を無視する試みが国民の不幸に直結し ます。 学問を学んだ人々は学ぶ姿勢を生涯貫いてほしいと思います。そし て正しいと思ったこと、あなたが信じる真実は、たとえたったひと りになっても主張し続けなければならないと思います。じっさいに はこれからの長い人生において、じぶんが正しいと思ったことが受 け入れられない場面にしばしば遭遇することでしょう。ひじょうに くやしい思いも味わうことでしょう。あなたたちはなぜ受け入れら れないのかを歎く場面があるかもしれません。  だがあなたがまちがっていないのでれば、たとえ一度は引き下が らざるをえなくとも、再び主張していってほしいと思います。あな たが大学院で学んだことはそのことです。もしあなたが真理である と、真実であると信じることを捨てたのなら、あなたのそれからの 人生はひどく弱々しいものになると推量します。もしあなたが、が んばって真実を主張しつづけるのなら、あなたの生き方はとても強 いものになる。そう確信します。 わたしは 田舎の鈍才たれ ということばが好きです。都会の鈍才、田舎の秀才は学問には向か ない。都会の秀才はそこそこであるが理想ではない。学問を志すの なら田舎の鈍才になりなさい。これは、宇野浩蔵という経済学者の ことばです。学生に向けられたことばのようですが、しかし必ずし も学問、学者の世界のみに通ずる言葉でもなかったようです。  アップル社を協同創業したスティーブ・ジョブズは昨年亡くなり ました。かれは一人で何人分もの発見をし、何人分ものしごとをし た人です。実業界の成功者です。けれどもその人生は常に順風満帆 であったわけではありませんでした。そのジョブズが好んだことば は、いまではあまりに有名であります。それは「ハングリーであれ、 愚かであれ」でした。 Stay hungry, Stay foolish どん欲であれ、愚直であれ。 ハングリーはわかります。あくなき探求心です。満足してはなりま せん。ではなぜ愚かでなければならないのか。 ここに「田舎の鈍才」との共通があると考えます。ジョブスはこう もいっています。ほかの誰かが考えた結果に従って生きる必要など はない。最も重要なことは自分自身の心と直感である。じぶんに素 直に従うこと、勇気を持って行動することだと。  愚かではない人間は、利口であり続けなければなりません。他人 のいうことはすぐに理解できるでしょう。ほかからは優秀な人物と 見てもらえるでしょう。しかしそれは、もしかしたら自分の心と直 感を二の次にしていることかもしれないのです。  利口な人間は孤立はしないでしょう。愚直な人間は孤立しがちで す。しかしその孤立は貴重なものです。あなたが正しいと信じたこ とは、真に正しい限りは、なにがあっても主張をやめてはいけませ ん。それこそがこの学府で学んできたあなたが得たものです。孤立 を恐れることはありません。  あなたたちが学んだ比文、わたしたちの比文はじつはまだまだ生 まれてから18年目の新しい学府でした。学際・国際融合を標語とす る学府は、みなさんにとって、ある意味ではファジーなようにみえ たでしょう。しかしまちがいなく新しい学問分野だったのです。東 北大震災で価値観は大きく変わり、日本が将来を委ねていたはずの 未来の原子力社会は、全く虚像であったことがわかりました。しか し比文の学問はそれ以前から原子力の危険性を説くことが可能であ った。そのことはみなさんがご承知の通りです。いま比文の先生方 のうち何人かの著作が社会から歓迎されています。3月11日以前に、 すでに3月11日以後の事態を予言していたことが高く評価されても います。マスコミからの要請もずば抜けて多いのです。誇ってよい ことと思います。既存概念にとらわれない比文こそが、こうした学 問を可能にしてきたとわたしは思っています。 みなさん、比文も18年を経過して、ここで学んだ人々はあなたがた を送り出すことによって1200人になります。先輩たちはとても多く います。先輩たちは世界のどこかで活躍しています。みなさんも続 いてください。そして比文の学問が世界に根付くように、今後もが んばってほしいと思います。愚直の心を持ってくじけずに、あなた の信じるところを突き進んでほしいと思います。みなさんはここに 残る人も若干はいるかもしれないが、多くの方は、あすからはあた らしい場に旅立たれるでしょう。みなさん方の「比文」を、どうか 忘れず、見守ってほしい。比文での成果を育(はぐく)んでいって ほしい。そしていつか、どこかで再会できたときに、わたしは九大 比文の卒業生ですと、そう誇らしげに語ってください。 これをもってわたしからのみなさんへの餞(はなむけ)のことばと いたします。おめでとうございます。これからも祖国のために、地 球のためにがんばってください。 あなたがたの未来に幸多かれと祈ります。 平成24年(2012)3月27日    九州大学大学院・比較社会文化学府長・服部英雄

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