服部英雄のホームページ

中国

○三朝温泉(鳥取県)

 泊まるのはいつも安宿ばかりだったが、共同湯や高級ホテルの湯のはしごをし て歩いた。ポンプアップしていない自然の湯はみな地下におりる。風情もある。 河原の露天風呂が一番人気があり、よく入った。たまに女性も入りに来る。

○湯田温泉(山口県)

 ここも共済の宿ばかりに泊まっていた。おとなしい感じの泉質だと思う。県庁 所在地なのに蛍が出る。用水路を伝わって湯田あたりの汚い水路にも飛んで来る。 飲み屋に入ろうとして、暗い道に入ったら、蛍が一匹ついてきた。

四国

◎道後温泉(愛媛県)

 坊ちゃん風呂。ライオンの口からお湯が出る。説明の必要はないほど有名。建 物も重要文化財に指定されたはず。「バッタぞなもし」と松山中学の生徒はいっ たというが、いまそんな古典的な言葉を使う人はいない。松山の宿との行き来は 市電に限る。

成川温泉(愛媛県)

 広見町・成川渓谷にある。等妙寺調査の時によくいった。まわりの雰囲気にな かなかあっている。

九州

◎法華院温泉(大分県))

(既述)

◎天ヶ瀬温泉(大分県))

 早稲田大学の先生になった海老澤さん(当時大分県風土記の丘学芸員)と一緒 に、真冬の川原の露天風呂に深夜はいりにいった。かぜよけのテントが張ってあっ た。そしたら子連れの若い夫婦がはいってきた。彫り物のあるようなこわそうな お兄さんだったが、エビチュウはあつかましいので、その若奥さんと「内のボウ ズと一緒の年ですなあ」などとやっていた。こっちは恥ずかしいのとこわいので 話しどころではなかった。

◎別府・竹瓦温泉(大分県)

 別府で一番風情がある。たぶん昔は竹瓦葺きの屋根だった。いまの建物もその うちに文化財の指定を受けるだろう。ここの砂風呂はよいがタオルだけで浴衣が ないので女性には不評。しかし砂かけばあさんに小さなタオルの上から砂をかけ てもらって、しばらく寝てみるのも気持ちがよい。浴衣もない方が簡単に洗って 出られてよい。ほかに田町の共同風呂も良かったような記憶がある。 (平成16年秋、このタオルかけが廃止されて浴衣になると新聞記事で読んだ)

◎別府・鉄輪かんなわ蒸し湯(大分県)

 一遍上人が作ったという蒸し風呂。最初に体を洗ってからはいる。 男女が暗い電灯だけの穴のなかにはいるので、裸では入れない。湯で洗った後に もう一度、パンツをつけろといわれる。そのパンツが汗でぐっしょりなるから必 ず換えがいる。しかしあんな息苦しいところで、変な気になるはずがない。2分 もたてば限界だったが、だんだんのびて10分ぐらいは入れるようになった。た いてい一人しかいない。下に敷く石菖(いししょうぶ、せきしょう)の香りがな んともいえずよい。温泉寺のお坊さんが毎朝読経するという話だった。  なかでおぼえたての般若心経をよんだら、蘇生した感があった。  湯のカマからでて、もういちど湯に入る。こちらの湯は循環になっていて、の めないそうだ。別府のような豊富な湯量でもいまは循環だ。

○由布院(湯布院)温泉

 観光化に努力し成功した。そうした気遣いは伝わってくる。なんでもない民家 の裏の小川が温かったりする。金鱗湖の周辺をもっと風情のあるように整備した ら、なおよくなる。別府大と提携している宿によく泊まった。金鱗湖からの川で ハヤがよく釣れるが、横を通る観光客に「えさはついているのか」など、必ずからかわれる。

◎筌ノ口温泉(大分県))

 06年、平治岳にミヤマキリシマを見に行った帰りに連れて行ってもらった。 町営の共同風呂は新旧二つあって、旧の方が川べりにあって、200円だったか、 新は300円だから旧の方が少し安い。 炭酸カルシウムが浴槽の縁や湯の出口に独特の模様を形作っていて、風情がある。 飲むと鉄分に加えて炭酸の味がした。あまりおいしかったので、3杯も飲んだ。 泉質は長湯と同じらしい。 入口に薬師如来がまつられていた。

◎九大山の家・筋湯小松地獄

 目の前に地獄があって、温泉タマゴも作られている。川の方には茶色なヘドロがある。 硫黄泉というが、透明泉、無臭、飲んでみたが無味に近い。もっとも味覚に敏感な人なら 別のことをいうかも知れない。熱すぎて、加水しないと入れない。豊富な湯量。ぜいたく すぎる温泉だが、山の家宿泊者以外は入湯できない。いわばプライベートスプリングで、 入り口にその旨ことわりが書いてある。 0706にはじめていったが、こんないいところに、どうして前から行かなかったのか、悔や まれた。

補注:無味無臭である真相。地下水を地熱発電所で加熱をしているといううわさもある。 排水?むかしは本当に温泉らしい温泉だったそうだ。

○河原湯(九重町)

 豊後中村駅から長者原へのバスがある。天神から高速バスでいって、九重インター下車、 三〇分以上待ち合わせ時間があるから、歩いても余裕でまにあうと思っていた。ところが なんと、太宰府インター・筑紫野間工事のため、すでに都市高速から長蛇の渋滞。工事ヶ 所は四車線が二車線に変更になっていた。三〇分遅れ--とうてい、まにあわない。九重イ ンターについて、あきらめてとぼとぼ歩き始めたら、高速の橋を渡ったところに、九重登 山口行のミニバスがいた。発車時間まで木陰にて時間調整とのことだった。ラッキー。貸 し切りだから運転手と話した。湯坪・河原湯の話になって、都会の人からみれば汚いかも しれないが、川のなかでぶくぶくわいていて、いい温泉という話だった。わたしは河原に あるすてきなひみつの温泉にちがいないと信じてしまった。あれはどこの温泉の話だろう か。  法華院温泉から下山し、指山(ゆびやま)周遊というやたら山腹歩きの長いところを歩 いて長者原に出た。昼寝していたみやまタクシー井野運転手をつかまえる。河原湯を指名、 ちょと怪訝な顔をされた。ついたらふつうのアパートみたいな共同浴場だった。ひとり200 円。  外観は別として温泉はすてき。湯口の回りに石灰華、流入する湯は熱い。ペットボトル に入れたら、たちまち変形。ボコボコになった。しかも持っていたらやけどをするほどに 熱い。さましてのむ。すこし硫黄ぽくて温泉らしい。美味。 湯口があんなに熱いのに浴槽は適温だった。どういうしくみなのだろう。 写真の人は岩手医科大学のピエール博士。

○小国岳の湯・はげの湯温泉・豊礼の湯(熊本県)

 温泉の熱でジャガイモや野菜を蒸して調理できることがうり。山帰りで宿泊の予定はな かったので体験できず。温泉は飲めない。かなり努力してのもうとしたが、ちょっとのど を通らない感じであった。2010/6

◎二日市温泉 博多湯・御前湯(福岡県)

 以前には木造三階の温泉宿がたくさんあった。海玉館という古い建物の宿があ って、東京時代に一度泊まった。いまはもうない。  本来はまちなかに川があって、その川べりの崖下から湯が湧いていたそうだ。 次田(すきた)温泉には大宰帥大伴旅人も入湯している。温泉の歴史は近くにあ る筑紫野市歴史資料館に詳しい。  東京の友人荒川一郎さんと、宝満山に登山。下山した竈戸神社は花が満開、そ のあと、博多湯に行った。入湯料は100円。むかえの人気の御前湯は200円。 値段のせいか、昼なのに、博多湯は客が多い。常連が、向こう(御前湯)は循環、 余分な金がかかって、100円ではやっていけない、と解説。博多湯は単独湯だ が、地下60メートルほどから、ポンプアップしている。だから夜間は止まる。 加熱はしていないし、薄めてもいない。飲料・適で、胃によい。これだけでも値 打ちがある。日によって温度がちがい、この日はいくぶん熱めだった。よい泉質 で、温泉に入ったなという気持ちになる。 むかしの海玉館も独自の湯だったそうだ。ほか2,3の旅館が泉源をもっている。 *博多湯はその後に行ったときには改修されて、むかしの狭い風呂がなくなっていた。

まむし温泉

◎あさくら温泉卑弥呼の湯・幸楽の湯

 異口同音にみながほめる。卑弥呼の湯は朝倉市ピートホール敷地横、幸楽の湯は甘木鉄 道甘木駅の近くのホテル付属湯。都会の温泉。  わたしは前者に入ったが、両方に入った人の話では泉質は同じでどちらもよいという。 前者の方が源泉の温度が高く(49℃)、後者は若干低いから(30、4℃)わかしているだろ う。前者はpH9.8、後者は10.0のアルカリ泉。二日市温泉よりも、もっとぬるぬる感が ある。透明感があって、少し湯の花がみえる。飲んでもうまい。  卑弥呼の湯の建物は真ん中、吹き抜けで、柱が上まで突き抜けている。卑弥呼・邪馬台 国をイメージしているつもりだろうが、ほかの柱はボルトで締めてある。 トドがいっぱいいるよ、という話だったが、夕方5時過ぎにはそういう景色はなかった。 古処山の帰りにでも入るとよいと思う。 湯に入ってから帰りの電車の中で缶ビール。天神までの量を確保してのった。最初はがら がら、だんだん電車が混んできて、盛り上がるにつれ、冷たい視線を浴び、湯冷めした。

◎武雄温泉(佐賀県)

 『肥前国風土記』に出てくるのだから、これほど古くて由緒ある温泉も珍しい。 卒業論文の現地調査で武雄で野宿していたときに入りにいった。竜宮城のような 変わった門だとは思ったが、これが後に県重要文化財の指定を受けた。東京駅に 同じく辰野金吾の設計になるという。風呂のある本館も立派で、湯はすべすべし て気持ちがよい。皮膚病にも効くのか、自分が入ったときには体にいっぱい疣い ぼのある人が入っていた。

◎温泉(ウンゼン・雲仙)

 雲仙は温泉と書くのが本当。昭和の初め、国立公園になるときに雲仙に字を変 えた。普賢岳の登山が解禁になって、正月に家族で登った。平成新山の迫力に圧 倒された。キリシタン弾圧なる地獄や温泉神社など、さすがに歴史を感じる。

○原城温泉

 原城跡の北側の海縁にある。もとからあったように思うのだが、改修工事をし てから人気が出た。大浴場の窓からみる雲仙とその裾野、湯島などは秀逸。夕、 夜、朝、ちがった風情がある。原城委員会のときは最近ではかならずここに泊ま る。平成一四、同級生の神田(千里、令子)夫妻と三人で同窓会をした。

○山鹿温泉(熊本県)

『和名類聚抄』に「温泉郷」としてみえるから、かなり古い。源親治(宇野氏・ 大和源氏)の再興ともいう。天正4年には島津家久の一行もここの湯に入った。 足の湯という足洗い用の湯が町中を流れている。犬がよく入浴するらしい。泊ま った富士屋というホテルには、屋上露天風呂があったが、入浴しているのは鳩だ け。湯の中に鳩の糞も入っている。足の湯といい、動物に優しいうえに、歴史的 にも古い、よい温泉。共同浴場桜湯もある。今はビルの地下で風情は感じない。 八千代座という古い演劇場が保存され、その開演時期、玉三郎がやってきて、温 泉はとても活気づく。冬の寒い日には町中の小川に湯気が立つ。 2016再訪、金剛乗寺、あふれ出ているからさわったらお湯だった。 桜湯が修復復原されていた。いい温泉だな。

○阿蘇内牧温泉(熊本県)

阿蘇はタケイワタツノミコト(健磐達命)の神話・伝説が豊富。往生岳(別称 ドンベン岳)の上でいつも矢を射て遊んでいたそうな。あれが健磐達命のドンベ ン(脱腸の睾丸)がずったあとや、立ってオシッコをしたあとだといわれると、 往生岳山頂の二つの山のへこみ(旧噴火口)や何本かの沢筋が本当にそれらしく みえる。タケイワタツは何という大男。タケイワタツの遊んだ的は的岩になり、 はずれた矢の落ちたところは沼地になっている。とにかく話しが雄大。家来のキ ハチの伝説もおもしろい。温泉自体は無味無臭でおとなしいが、入ると体がぬる ぬるした。

◎人吉温泉(熊本県)

球磨川の北側にも泉源があって、むかし新婚旅行のときに泊まった。 それなりに豪華な旅館で湯は地下に下りていったところにあった。 古城旅館という名前だったが、いまはない。 元湯はお城の中(麓という)にある。お城の中にわく温泉も珍しい。もっとも明治になっ てから掘られた温泉らしい。あぜち道山砲台場を調査に行って学生たちとも入った。とて もよい湯。 2016相良村の講演会のあとに翠嵐楼へ。地下に降りていく。明治時代に創業された姿がかなり残っている。

○湯山元湯

高山彦九郎の「筑紫日記」に湯山村が登場するそうで、繁盛していたらしい。その村の中 心は市房ダムの湖底になっている。湯山という地名がついているわけだから、温泉は古い。 ただし温度が37度ないくらいで、一時期は営業されていなかったものを村おこしで復活。 加温しているから煙突が二本あった。アルカリ系でぬるぬるする。軽く硫黄の臭いがした。 掛け流しというのだが、お湯の出てくる口がわからない。お湯を飲む蛇口もなかった。足湯もあ って、こちらは加熱していないからいくぶん暖かめのお湯という感じ。 民宿いろりも、元の家は湖底になった。西郷戦争の時、村人は協力的で、西郷軍からあく まき(灰汁を使った保存食、西郷軍の携帯食だった)の作り方を教えてもらって、今に伝 わっている。湖底になった家には西郷軍兵士の壁の落書きもあったそうだ。 またご主人からサンカの話が聞ける。決まった季節に内大臣の方からやってきて、河原で バイラ小屋をかけたり、軒先に泊まったり。川をせき止めて焼いた石を投げ込んで風呂に したり、肉を焼いて食べていた。ご飯は竹の筒で炊く。サンカは全ての竹細工が得意とい うわけではなく、豆をより分けるようなざる(名前失念)を作っていた。

○霧島温泉

その1保養村 ロッジや貸しテントがある。露天風呂からの十三夜月がすてきだった。 ただし湯質検査で飲用不適とあった。お湯排出口の切り込みもなかったから循環? その2 新湯 川のなかにお湯が沸いているところが見える。川は硫黄で黄色くなっている。 お湯は霧島にしては珍しく白濁。 日本百名山を書いた深田久弥もここに宿泊したと書いている。お湯を1リットル50円でわけると書いてあったが、飲用は不適とのこと。

鹿児島温泉(鹿児島県)

 県庁所在地の町中にお湯が出るところは鳥取、山口、そしてこの鹿児島など。 桜島のカルデラの中だから当たり前ではあるが。

◎坂本温泉(鹿児島県三島村)

硫黄島。日宋貿易の主輸出品イオウと俊寛の島。この島に食堂とかコンビニはない。お店 は2軒ある。夏の日に宿で借りた自転車で島内を回る。坂が多く、熱中症でふらふらにな った。この島の東半分は硫黄岳。水はない。川はあるがカラカラ。海岸近くにも流水はな い。人家もなく電気もなく、自動販売機もあるわけはない。俊寛堂、俊寛投筆岩を過ぎて 峠に自転車を置いて坂を歩いて下る。 途中で車に抜かれた。彼らが先客。段差のある浴槽。引き潮で最高位の源泉は熱くて入れ ない。それで泳いだ。ちょっぴり塩水が口に入ったら元気になったような気がした。そう こうしているうちに潮が満ちてきて、温くなった。熱い湯には入らずじまい。やがて魚の 群れが源泉に泳ぎにきた。

◎東温泉(鹿児島県三島村)

硫黄島。2日目、西端大浦港、南端(近く)岬橋。つぎに東北端平家の城。急坂を自転車で まわる。大浦と岬橋の分岐点に公衆便所があって、外に水道蛇口があった。唯一の水場だ った。飛行場を作ったときに水道も布設したのだろうか。島の西は牧場もあって牛が飼わ れている。水道があるからだろう。後半またもや熱中症でふらふらになった。平家の城(へ いけのじょう)の近くウータン(大谷)にも温泉があるそうだが、場所はわからず。干潮 時に自分で掘るのだそうだ。下ったら硫黄のニオイがした。東温泉に着いたら11時。船は 11時50分に出る。まにあうか心配だったが、あとからきた若者が軽トラで送ってくれる ということになり、20分ぐらいは堪能できた。感謝。岩はタテガミ岩。 酸味が強く口に含むだけ。飲めない。

紹介・穴の浜温泉。平家城から穴の浜(ケツノハマ、ケンノハマ)をみると海が白濁して いる。温泉のせいだろう。中日新聞20130802夕刊より。 “秘湯中の秘湯”があると教えてくれた安永さんたちと、硫黄岳の反対側にある穴之浜(け つのはま)海岸を歩いた。干潮時だけ現れるというその温泉は、砂浜を掘ると湧き出すら しい。この日は2時間ほど海岸線を散策したが、目的の砂浜が見つからなかった。トボト ボと肩を落として引き返す途中、磯に熱々の温泉が湧いている場所があった。湯量が多い のか、打ち寄せる波もちょうどいい湯加減に温まっていて、期せずして名もなき海中温泉 を発見できた。 (未完)


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