○八が岳
68/4(縦走・川瀬啓造先輩と) 北八・横岳から赤岳
快晴の山頂
下山してひなたぼっこ
69/12(阿弥陀南稜<冬山単独>
夜行で着いてしばらく富士見駅の待合室にいた。富士見の駅からバ スに乗ったのだろうか。サナトリウムに行きたかったが、たしか遠かった。暗いうちから 歩きだしたような気もする。 途中まで他のパーテイ先行、ラッセル泥棒。悪天にて彼らが引き返してから一人でラッセル。 めちゃめちゃにきつかった。 1カ所ルンゼになって登り口が凍り付いているところで、かなり苦労した(P3)。 ザックを上に押しあげたか、ザイルでひきあげたかした。いったん空身になってピッケル とアイゼンで、がむしゃらに隘路を上がった。頂上は降雪で全く視界がきかなかった。
71/3(春山<単独>縦走)阿弥陀岳/赤岳
権現岳
(その1)82頃の秋 (家族;妻、義父、義母)
(その2)定年登山、2015,4,11 晴れそうな日が少なかったので、急遽登山することにしたら、翌日天狗尾根登攀の予定が あるにもかかわらず、丸山さんが同行してくれた。一人だったら三ツ頭で引き返していた だろう。頂上直下に鎖場があって、雪に埋もれていたから、そこはちょっと怖かった。 アイゼンピッケルで登下降。
2012、10、15 錦繍の阿弥陀南稜から中央稜下山
(丸山和夫氏) 40年ぶりの南稜となった。登山口(舟山十字路・林道ゲート)はむかしとちがっていた。 昔は立沢から旭小屋を経て上がったように思う。鹿の鳴き声が頻繁に聞こえる。立場山ま では猛烈な急坂。稜線に出てからは、まったけ採取か入山禁止の札が乱立。『徒然草』の柑 子の周りにあった柵にて興ざめの記事を思い出した。ここで穴山とか四区とはどこなのか という話題になった。穴山は原村ではなく茅野市側になる。山梨県の中央線駅のある穴山 とは別。四区は広河原四区(財産区)とのこと。 20歳の時は無謀にも積雪期の単独行。悪天だった。今回はすばらしい眺望に恵まれた。立 場山の先で南稜の全容が見えた。初めての景観である。青薙、次いで無名峰からのながめ はすばらしい。足は疲れても心は疲れない。コースタイムもほぼ順調で、頂上までいけそ うな確信が得られた。右から南稜P3、P4、頂上、中央稜
そこから岩峯が続く。P3は岩溝上り口にロープのようなものがあった。記憶とはかなり ちがっている。そこから急峻な上りが続き、息が上がってしまう。 3点確保で慎重に
草ツキが終わってP3で休む。上ってきた稜線がみえ、反対うしろ側には赤岳からの縦走 者がよく見える。P4もそこそこに急峻。丸山さんはコケモモ取りに熱中。ジャムにすると か。11時。40年ぶりの山頂で阿弥陀仏に般若心経読誦。そこから岩峯の下りが始まる が、例によってこむら返りが始まる。御小屋尾根道との分岐で昼食。さっそくツムラ芍薬 甘草湯を1包飲む。効いた。信じられなかったが、このあと発作は出なかった。 急な下りが続く。おおきな岩峯の下で大文字草の紅葉を撮影。さらに降ると展望のよい草 原に出て昼寝をしたい気分。さらに降ると振り返って阿弥陀の全容が見える地点に出た。 入中山か?飯場があったらしくワイヤー残骸がある。
右から南稜P3、P4、頂上、中央稜
展望を堪能してさらに急な下りで沢にでる。ここも飯場のあと。いろいろな山仕事があっ たらしい。神社のような石の屋根があった。 そこからは長いが快適な林道歩きを経て下山。葉が真っ白になった木はしなのきか? ともかくも日帰りで1200Mの高度差を往復できた。山はしばらく大丈夫である。
横岳・大同心稜
2016・07・12踏み分け道を稜線まで。 天まで貫け 大同心 こだま返る コマクサの 大群落が 前 ふさぐ
羅漢寺山・昇仙峡
2023年3月28日 M氏と。
○白山
加賀中宮道
86/10/9〜10山頂小屋に泊まって中宮へ。 紅葉がすばらしかった。 途中人とほとんど会わず、たった一組会ったパーティは出会い頭に、 互いに熊だと思いこんで後ずさりして逃げ始めた。
○富士山
68/12(冬富士御殿場口
駅から歩く。 新二合目の小屋の前にて何合目かの雲海
岳友 大磯ユタカくん<現在名古屋大学医学部・最先端医療の権威>
NHKの年末取材の車に便乗させてもらった。 ゲバのまっ盛り、NHKの人に大学はどうなっているのだと聞かれて、 クリスマス停戦だといったら笑われた。大磯ユタカくんと。 大磯はどういうわけか体調が悪かった。結果的に単独登山になってしまった。 山頂の測候所の写真、富士山ドームの写真もあったが、 アルバムからはがれ落ちて見あたらない。 頂上にあんな現代的な人工物があるというのも富士山ならではのこと。 新幹線から見てもドームの形ははっきりわかったが、今は取り壊されている。