若木町本部山中 学生レポート 1999 服部研究室実施

九州大学工学部地球環境工学科1年 塩川 敦郎
                城下 潤
                                塩川 敦郎
                            城下 潤 
聞き取りしたおじいさんの名前
大古場 正幸さん、下田 泰男さん

調査日 平成11年12月26日

調査地 佐賀県武雄市若木町本部山中

調査目的 昔からの地名(字、しこな)が時間とともに忘れ去られているため、こ
れを残
すべく調査を行う。

調査方法 現地にバスで足を運び、昔の地名に詳しい方からじきじきに話を聞いて
記録し、
実際に現地の地形などを歩き、見、触れ、そのことをレポートに書いた。
村の水利と耕地
昔、井戸や溜め池が普及しているものの、渇水時には、その水は生活用水に回すのが精一杯で、農業用水不足に見舞われることが多々あった。
しかし、米作りの時期を2回に分けることによってかなり改善されたが、
特に、効果があったのは圃場整備である。
これによって、渇水の心配はなくなったと言って過言でないらしい。
また、この整備後、機械の導入が進み、農作業の時間が減り、
兼業農家が増え出した。
しかし、その圃場整備によって住民たちは多額の借金をしている。
私たちが聞いた人に関して、述べさせてもらうと、40万円の借金をしていて
あと10年もローンあるために、経済的に苦しくなり、この整備が
良かったのか、悪かったのか、いまだに分からないと言っていた。

村の発達
明治後期に電気、終戦後にガスが通った。
それらが来る前には、薪を近くの山に取りに行って、ご飯や風呂をたいていた。

電話に関しては、25年前ほどから通ったが、その前には、有線放送によって
村の連絡やお知らせを行っていた。

村に必要な土地
稲作を行える平地は、言うまでもなく必要だが、その他には、薪の取れる山は
この地域にとって大切な土地である。この薪は、ご飯や風呂をたく燃料にしていた
灰になった薪は、肥料としても使うことができた。
しかし、この薪の役割として大きいのは、焼き物のために多く必要としている
伊万里や有田に持っていっくことである。そこで、本部山中では手に入りにくい塩
や魚を仕入れて、帰ってくるのである。
魚は、保存のために塩漬けにしておくことが多かった。

米の保存
家族で食べる飯米は「ほゆう」と言う。
保存方法としては、籾倉に保存。ねずみの被害はほとんどない。
その後、とうみで米を精米していた。
時には、その米で「どぶろく」と言う米酒を作ることも多かった。



村の動物
農業をしている家庭においてに牛がいたが、商業として飼っている家畜と言えば、
「豚」と
言うことであった。
各家庭には、肉を取るために、鶏、山羊、兎などを飼っていた。

食事
魚は川でうなぎを取り、または米との物々交換、肉は家畜であり、ウサギは貴重な
食べ物であった。米は雑炊にしたり、いもご飯にしたりして、少しでも腹持ちが良くなるように工夫されている。


調査を終えての感想
歩き、見、ふれる歴史学の授業に関して、はじめは授業外で集まり
作業しなければならないことや、冬休み中に佐賀県まで出向いて
現地調査をしてレポート作成をしなければならないということに
対し面倒に感じていた。しかし、実際には友人たちとワイワイと
話し合いながら進めていく作業が楽しく感じた。
今回の授業で、私たちは若木町本部山中の現地調査を行うことになった。
最近は60歳ぐらいの方々とお話する機会がほとんどなかったために
どのようにお話をしていけばよいのか、また方言によって言葉が
聞き取れないのではないのかという不安を抱えたままの現地調査でしたが、
相手の方々が私たちの質問に対してゆっくり丁寧に、そして積極的に
答えてくださったために楽しく会話をし、質問することができた。
しかし、私たちが質問事項に対する準備が不十分だったために
相手に対して不手際が生じてしまったことがあったかもしれない。
また本部山中ではない地区での会合だったので、現地を直接目で
見ることができなかった。これらのことが心残りではあるが、
このような授業は「高校」ではなく「大学」っていう感じがして、
とても良い経験をしたと思う。(塩川)
まず初めに、調査にご協力くださった若木町本部山中の大古場さんと、
下田さんに感謝します。
調査の方ですが、一番大事なのは、小字を聞いてそれを地図に正確に
記していくことだと思ったので、本部山中の地形を聞きながら、
少しずつ地図をうめていった。でも、思っていたほど簡単ではなかった。
どうも、小字というのはあまりはっきりしていなくて大体の場所でしか
あらわすことができなかった。次に、若木町の人たちの昔から今までの
暮らしぶりの変化など、生活や農業に関する質問をたくさんしたけど、
一番やっぱり印象に残っているのは、昔の農家というのは、ほとんど
自分の家で賄えるものは自分の家で賄っていて、自給自足に近い生活
をしていたというのにおどろいた。あと、昔の祭りというのは
町全体で参加し、作り上げ、しかも農業の作付けや収穫など、
農業と結びついた祭りとなっていたらしい。今祭りというと、
出店が出て、踊ったり、御輿を担いだりして、最後に花火という
一種のイベントになっていて、そういう結びつきは感じられない。
僕は、地元熊本で18年間過ごして、今福岡で大学生生活を送って
いるけど、僕は農村で育ったので、若木町は結構僕のまちと似ているなあ
と思いました。だから、大古場さんと下田さんのこ人のおじいちゃんと
話していても生活習慣から農業、昔と今の農業の変化など、たくさん
似ていて、やっぱり同じ九州だからかなと思いました。
でも、現状は僕のまちといっしょで農業は厳しくどんどん
減っているということでした。やはり複雑な思いがします。
いろいろ、今まで書きましたが、思ってた以上に僕のまちと似ていて、
わりあいイメージしやすくて調査しやすかったです。
だから、いろんな話が身近に感じられて楽しかったです。(城下)


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