若木町菅牟田学生レポート 2000.夏 服部研究室実施 調査レポート 海部男 尾形雅史 安藤雄太 1:行動記録 12月28日午前8時45分、班のメンバー7人は全員時間どお りに集合した。バスに乗り込み、とりあえず無事に出黄。バスは音 速から都市満速を経由して、太宰府ICから九州自動車道へ。途中 多久西パーキングェリアで休憩を取りつつ、武堆へとむかった。 2:しこ名、地元だけの呼び名 田:タロペエ=太郎鼻衝 →20アールくらいの水田。いまはなくなっている。当時は、 牛が使われていた。 岩:オツケゴウ=尾漬郷 一今はイワノモトと呼ばれている. 漣蕗:オオクボドウ=大久保道 . カネアテドウ=金当道 ノウメンドウロ農面道路 これは新道で昭和47年にできた.旧正は菅牟田川沿い にある道路である。 地名:ムカヘ=向かへ ドウノツツミ=堂の堤 山:イワノモトヤマ=岩元山またはヨッカグラ 棚:シモノコパパシ=下ノ台場橋 ・ →現在の菅牟田浦。お話を調いた江越さんの祖父が建殺に関 わったそうだ。 川:イシモトガワ・・・石本川 一現在の菅牟田川。 3:菅牟田について く生活、土地がらなど) ’ 管牟田周辺には、もともと水道がひかれてなかった。そのため井 戸や、溜め池などから生活用水を得ていたが、昭和13年になり水 道がひかれたそうだ。水道料金がかからず、使い放題だそうだ。かって水源であった郷土山溜め池は周りに水田があったが、昭和5年ごろに頼れてしまった.また、 川内にある本部ダムは昭和47年につくられたそうで、もともと谷 があったそうだ。この辺一帯は地すべり地帯だそうで、昭和28年 に大水事が起こりそれにより、田畑がつぶされるという大きな披事 があったそうだ。 眉山教育キャンプ場は昭和47年につくられた。村の活性化のた めに作られたもので、当時は来る人も多かったが今ではボーイスカ ウトなどしか来ないらしい。 昔は70戸ほどあった家も今では40戸に減ってしまったという。 今では近代的な普通の家ばかりであるが、昔は屋根はわらぷきで、 春にはわらのふきかえをおこなっていたそうだ。 菅牟田の氏神さまは、菅原道真だそうである。氏神様を舞ったお 生もある。菅牟田という名前はきっと菅原道真にちなんだものであ ろう。 4:「龍王さん祭り」 毎年12月7日には「龍王さんまつり」というものが行われてい る。これは菅牟田だけではなく、若木町をあげて行われている。午 前5時ぐらいから始められ、まず火がたかれて「龍王さん」に酒が 供えられ、それから盛大な酒盛りが始まる。ちなみに話をきいた江 越さんはまったくお酒を飲まれないそうだ。そして最後に、水を持 つて帰るそうだ。というのも「龍王さん」とは水の神様であり、昔 干ばつが起こったときは、菅牟田だけでなく周りの村の人たもあつまり、 雨乞いをしたそうだ。
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