わが回想の百名山 大韓民国 徳裕山(トギュサン)1614M

 釜慶大学山岳部OBOG会山行に特別参加 (2011年10月23〜24日)

農心ホテルはトンネ温泉に連絡している。地下からのくみ上げ。むかしは湧出していたよ うだ。温水プールがあった。今年今津湾はクラゲが多く海では泳げなかった。久しぶりだ ったから、というよりはむしろ年のせいで、からだが重かった。  翌朝ソウソンポ(MRチョモランマ)さん、キンミジャ(金美子)さん、ナンさんが迎え にきてくれた。懐かしい面々である。途中のSAにてキムパップ、うどんで朝食。スプーン で汁をすくうのはむずかしい。しかしみなやさしい。紅葉シーズンで行楽バスがSAに満員 だった。多くのバスは慶尚道ではない紅葉の名所に行くという話しだった。晋州を過ぎた 当たりでなつかしき智異山らしき山並みが見えた。そこから眠る。目覚めたら紅葉の世界 だった。  徳裕山は国立公園。リゾート地でもある。整備されている。まさかとも思っていたが、 事前にネットで見ていたとおりになる。谷川岳にかかっているようなゴンドラであがる。 だが1時間待ち。その切符の番号が4100番台だった。買った切符が往復券だったと気 づき、ジョンミンさんが交換にいったら、番号が6000番台になっていた。1時間で2000 人。手書きの書き込みで本来は4000番であると認めてもらって、やっと乗ることがで きた。一万人近くの人が利用しているとわかる。  ゴンドラからの紅葉はきれいだったが山頂は落葉。そこも人がいっぱい。下山のための 長蛇の列。30分ほど歩くと最高峰、香積峰。ここも人がいっぱい、シャッターを押してくれ といわれる。すぐに押したら早すぎるという。ハナ・ツル・セッツといってから押すべき だった。韓国人と思われたことはまちがいない。日本人とは気づかれなかったかもしれな い。カヤサン(ヘインサ・海印寺、ことしは特別の開帳があるらしい)、智異山を遠望。少 し降ると山小屋。山小屋の主人が日本人と知って「オハヨウゴザイマス」と笑っていう。 日本人登山者が多いのだろうか。4時がチェックインだが入れてくれた。そこでみなで昼 食。中峰まで行って下山する日帰り組と分かれる。われわれはその先まで少し歩いた。南 徳裕山はとてつもなく遠くに見えた。ソウソンポさんがカラスがとても頭がよいという話 し、雪渓に埋めておいた食料が数日間の登頂中に解けて、たくさん食料を食われたらしい。 韓国隊がアンナプルナで遭難した話も聞いた。消息を絶って四日目とか。(この遭難はあと でネットにも出ていた) ジュボックは日本のイチイ(長野)、オンコ(北海道)、同じようにおいしかった。  夕食でソジュを飲む。サラミのようなものは智異山でも食べたといわれた。心配した無 呼吸はさほど出なかったらしいが、たしかに二階の人のいびきと歯ぎしりがうるさかった。 この小屋はオンドルで快適。 みょうに暖かかったがやはり雨になった。

徳裕山香積峰山小屋にて わたしの向かって左(実際は右)横にいる人はヒマラヤ8000メートル峰をすでに12 登った有名な登山家で、ソウソンポ(徐)さんといいます。あと2つ残すのみ。 今回のわたしたちの登山中にアンナプルナ北峯で韓国隊3名が新ルート開拓中に雪崩にあ って遭難したそうです。 冒険家はどこかで冒険を辞めないといつかは死んでしまいます。 韓国は長幼の序を重んじるので、彼は休憩の時、いつも両手でわたしに水筒を差し出してくれます。 そのさらに横、左端の人はマッキンリーに登ったそうです。 わたしの右の人は3年前、智異山にいっしょに登ったとき、山小屋での宴会で、おまえは トクトヌンハングックーーー(竹島は韓国――)といったと錯覚しているみたいです。険悪 になったら殺されないよう、そう唱えなさいと事前レクを受けていたような気がします。 翌朝は雨。最初は気にならなかったが、藪が出てくると下がぬれる。ズボンをはいたりし ていたが、下に行ったら小降りになった。途中から落葉そして紅葉の世界に。大きな洞窟 があった。そこからは渓谷沿い。なかなか紅葉と渓谷のよいアングルがみつからない。と ちゅうリスがいた。トゥランジーとジョンミンが叫ぶ。やがて白蓮寺についた。ここでか なりの雨。トゥランジーもいっぱい出てきた。というか一匹が何度も目の前に出てきた。 雨宿りしていてもやみそうになく、車道歩きに。渓谷沿いの紅葉はとてもすばらしかった。 ガイド(説明看板)の写真とちがうような景色もあった。説明板を見ると、韓国の渓流魚は 日本の渓流魚に余り似ていないようだ。思ったより道のりが長かった。 最初のお店(下からいえば一番奥の店)が前日ミジャさんが入った店らしく、そこに入っ て食事。約束どおり駐車場(スキー場)まで送ってもらった。 帰りはまた車中寝てしまった。そのあと渋滞を体験。 市内でみなさんに付き合ってもらって、ソウソンポさん後輩の登山用品店へ。ザックと登 山靴を購入。 そのあとサムゲタンを食べ、今回の徳裕山登山は無事終了。 2013年5月28日 訃報 韓国の趙正民さんから、ソ・ソンポさんがエベレスト下山中に亡くなった という連絡をもらった。5月20日無酸素で登頂をはたしたが 、21日朝、 C4(8050m)のテントの中で死亡が確認されたとある。下山を開 始してからは不調だったようだ。キャンプでも体力が回復せず、い るだけでおとろえてしまう。あらためてデスゾーンの恐ろしさ、無 酸素のきびしさを知る。かれの事故は日本でもネットに紹介されて いた。金昌浩(キム・チャンホ・44歳)さんを隊長とする韓国隊5 人は全てを人力による登山をめざし、海抜0メートルのインド洋か らカヌーで出発し、川を160km、サイクリングで1000km、そして BCへの150kmのトレッキングを経て頂上に登頂した。 三浦雄一郎 氏の登頂が23日だからその2日前、同じ場所でのできごとだった。 ソ(徐)さんは34歳、釜慶大学校山岳部の出身で、8000m峰12座に登 頂した韓国気鋭の登山家だった。わたしが2008初冬の智異山と20 11秋の徳裕山に登ったとき、二度とも同行してくださった。わたしはミス ターチョモランマと呼んでいた。山小屋で「雪岳山(ソラクサン)の歌」を歌 った。山で遭難した友を偲ぶ歌だった。徳裕山ではアンナプルナ韓国隊 の遭難のニュースを携帯電話でうけていた。かれも誘われていたらしい。 漢拏山(ハルラ山・済州島)は冬が一番いい。合宿をしているから遊びに 来たら、一番高くて暖かいシュラフを貸す。そういわれたのに行けなかっ た。釜山の町でかれが奨めた靴とザックを買った。いまも使っている。チリ山

ではわたしの右二人目(右端)に、この頁ではわたしの左横に、かれがいる 。 徳裕山の写真で山の実(サルナシの一種)をみせる手はかれの手なの だ。アンナプルナ隊の遭難の話を聞いて、冒険家は冒険家である限りい つかは山で死ぬ。彼だけはそうではないことを願ったが、現実にはそう なってしまった。残念の極み、ただ冥福を祈るしかない。 左端

彼の手


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