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納戸神(いわゆる「かくれキリシタン」)の村の棚田 ―長崎県平戸島、国見岳(安満岳)山麓

春日の水田景観 * 文章がプリント体と多少ちがっています。  九州西端平戸島は四〇キロもの長さがある。安満岳(標高514メートル)はそ の最高峰である。山頂の断崖上からは眼下に開ける春日の水田をのぞむことができ る。  貧しい島で人々は特異な宗教を信仰した。納戸神である。研究者や外部の人たち は「隠れキリシタン」・「潜伏キリシタン」と命名し、呼んでいる。信仰した人たち が、みずから「隠れキリシタン」というわけではむろんない。自分たちの信仰がキ リスト教であると、明確に信じているわけではない。むしろかれらは檀那寺を持つ 明確な仏教徒だった。といえども、その信仰には明らかにキリスト教の影響が見ら れる。六齋念仏の冒頭に唱えられる神寄せは、みょうにオラショを思い起こさせる。 納戸神は聖体で、聖母観音はマリアであろう。弾圧を受けてから二世代三世代が過 ぎて、かれらは一神教たるキリストを信じていたわけではなく、多神教のひとつの 信仰対象としてキリストを象徴する神仏像、キリストに発生した意味の不明な像を 拝んできた。  山頂からは生月大橋の手前に見事な棚田がのぞまれた。安満岳山麓の村々の生活 を山麓の急峻地に作られた棚田が支えてきた。春日には明暦年間の水帳(検地帳) や村絵図がある。これの記述との対比によって江戸時代の耕地の様子がわかる。さ っさく聞き取りを開始してみよう。綾香一(あやかはじめ)氏に地名をたずねてみ た。 田の地名 くうらの田 うべんの(上ん野、うえぐの) しみずごうの川 しょうやがわ(庄 屋川) にしのふきあげ はまんだ(浜ん田) かとりやしきのうち まえだ(前 田ん川) なかだ むかえ うじかみやま いでばる かめしの田 しゃーはちだ  おこごや かぐめいし とどろきのた まきのじ  まーあらい(馬洗い川)  岩の名 えいがんちょう(そういう名前の魚に酷似する岩) 海の地名 よぶさき よぶさきの浜 堂の下(カトリックのみ堂・つまり教会があった。外か らは見えにくい奥まった入江、) ほかけ岩(船からみれば、まわりが黒かところ にまっしろの岩、生月瀬戸を通過する際の目標である、陸地からではわからない)  あまめごら(あまめごうら) はなれ つぶて(つぶて浦を「つーてんくら」とい う) からうす(かじかけがある) がめじ ひやみず(三人ガクラに隠れていた 信徒が水をくみに来た。水を利用して田が一枚、昭和三〇年代まであった) さん にんがくら(信徒三人が隠れていた、三人隠れ) みやはえ ほんかすがうら(本 春日浦) くうらのうら うのくそ(鵜が多くいて糞が白くなっていた、鳥がいな くなったので自分は知らない) * それぞれに生活に即したいわれがある。海岸地名は航海に必要で、舵かけと呼ば * れる水中岩礁(座礁危険地点)に関連する。  馬洗い川という地名があるが、この村には牛ばかりがいて、馬はいなかった。牛 はたづな一本、「とうとう」「さしさし」「せっせっ」「どうどう」、声の通りに動く。 基本は「前へ」と「左」だけで「右」はあまり使わなかった。馬を使ったのはたっ た一人の大地主で馬に乗って平戸の町まで女遊びにでかけていたが、身上をつぶし た。  江戸時代の棚田のようすがわかる例は珍しい。春日は明暦以前に現状の水田が形 成されていたことを史料(水帳)で裏付けうる貴重な例である。 しごとへ戻る