柚の木原 学生レポート 1999 服部研究室実施
                                     柚ノ木原
 
                    製作者:櫻井 斉   
                          北内 一郎 
                          兼重 俊宏 
 
                     情報提供者:桑原真茂留
                                    (63歳/昭和11年生まれ)

   私たち3人は、佐賀県武雄市武内町の柚ノ木原について主にしこ名などを調べる為、そ
 こにお住まいになっている桑原真茂留さんの協力を得ることにし、桑原さんのお宅を訪ね
 ることになった。
   福岡市の六本松からバスで2時間程度で武雄市に着き、私たちは梅ノ原あたりでバスか
 ら降り、そこから3kmくらい歩いて桑原さんの家に行くことにした。バスから降りてど
 の方向へ行ったらいいかは目印になる小道もあったし、通った道は県道だったので、道も
 広く分かり易かった。桑原さんに、事前に届けた手紙で午後1時頃伺う旨を伝えておいた
 が、思ったより現地に着くのが早かったので、途中で昼食をとれて時間をつぶせる場所を
 探すことにした。最初に立ち寄ったのが柚ノ木運動場だった。そこは、小高い丘の上にあ
 り、登り途中では見晴らしも良く、遠くまで見渡せ、地図と景色とを照合することができ
 た。200mほど歩くと、運動場が見えてきたが、そこでは5〜6人位の年配の方たちが
 ゲートボールをしており、他に座って休めるようなところもない案外狭いところだったの
 で、引き返すことにした。下りるとき、軽トラックで竹を運動場へ運んでいるのを見た。
 そのたけは何かに使いそうだったが、何に使うのかは分からなかった。(桑原さんにこの
 事についても尋ねてみればよかったのだが、忘れていた。)その後2km程歩いたのだが
 適当な場所もなく、遂に桑原さんの家が見えるところまで来てしまった。ここに来るまで
 に下柚ノ木原、上柚ノ木原の2つのバス停を見かけた。バス停の間隔はだいたい1kmく
 らいだったように思える。ちなみに一日に5、6本ほどだった。また、幼稚園のポスター
 を見かけたのだが、それには「園児募集」と書いてあり、地域の小子化の事情が見て取れ
 た。ここに来る時点でまだ時間は1時間以上あった。ここで地図を見ると八幡神社が桑原
 さんの家から県道をはさんで向かい側にあったので、そこで昼食をとり休憩することにし
 た。ちょうどよく時間をつぶし、いよいよ桑原さんの家を訪れることとなった。表札には
 家族の名前が9名程書いてあった。どうやら大家族のようだと思ったのだが、後で聞くと
 もう家を出て独り立ちし、よその土地で暮らしている人の名前も書いてあるからだという
 ことだった。「すみません」と大きな声で家の人を呼んでみた。しかし何回呼んでも返事
 がなく、ひょっとして留守なのかと思ったので一応電話を入れることにした。「もうお待
 ちしてますよ」との返事が返ってきた。どうやら家が広くて私たちの呼び声が聞こえなか
 ったようだ。玄関は普通の家より高く、靴を脱ぐところから床までだいたい80cm位あっ
 たようだった。どうやら夏の湿気対策の為らしい。ここは山間の村でへこんだようなとこ
 ろなので湿度が高くなり易いのだろう。
   家に入るとこたつのある広い部屋に案内され、そこでお話を伺うことになった。家の中
 のムードは子供たちがたくさんおり、にぎやかな感じだった。私たちに配慮してくれたの
 か、桑原さんの娘さんが子供たちを連れて外に出て行かれた。「今日は、柚ノ木原の昔の
 ことやしこ名を調べに来なさったんですよね」と桑原さんが話をきり出してくれた。なか
 なか話をきり出せなかった私たちは桑原さんのその言葉に大変助けられた。まず、私たち
 は地図を広げて桑原さんに見ていただき、柚ノ木原の範囲を確認した。どうやら東は稗田
 橋の手前から西は原頭溜池のあたりまでがそうなのだそうだ。次に、昔のメインストリー
 トについてだが、今でこそ県道が通っているが、以前は違う道が常用されていたらしい。
 今の県道の北側を通っている山際の道がそうらしい。その後小字を尋ねることにした。小
 字図は持っていたのだが、私たちでは小字を正確に地図上におとすことは難しかったので、
 周辺の土地に詳しい桑原さんに力を借りることにした。また、小字や山のところの辺りの
 名前にはいろいろな別称があるらしく(しこ名も混ざっていると思う。)それについても
 伺うことができた。中山谷については、ハランクビ(原首)、ナガソサコ、ウメサコ(梅
 佐古)、メクラオトシ<滝のようになったところ>、ナガタンヤマ(長谷山)、マツオト
 ウゲ(松尾峠)、ウシロテ、ウマステヅカ(馬捨て塚)。若林については、マーオ、イン
 ヤボ(犬やぼ)、サンノウ(山王)、ヤクシ(薬師)<下流で神様を祭っていた>、ヒロ
 ハタ(広畑)、スギタケ(杉岳)、イワンウエ、ミットヒラ(水道平)、ユダ(湯田)<
 水温が高かったことから>。小谷については、コタニンタニ(小谷谷)、シラタケ(白岳)、
 エギノオ、クラノウシロ(蔵ノ後)<鍋島氏の蔵があったことによる>、シイケゴンタニ、
 タヤンタニ(田炭谷)、キッチャヤシキ。大谷については、グズガマ、ネゴレ(根ごれ)、
 ホントウゲ(本峠)、カザハイ(風春)、イットマキ。今古場については、シミズ(清水)、
 カシヤマ、ヨチダ、オコシバ(起場)。松ノ尾については、ハカンツジ(墓んつじ)、ナ
 ガバタケ(長畑)。山ノ上については、ナコウヤマ、カンビャーシ(神林)、ヤマンシタ
 (山下)、マゴソ(孫祖)、サンノヒャーシ(山林)、門野。稗田については、トウゴシ
 ダ、ヒエダンクボ(稗田くぼ)<湿田で、水はけが悪い>、カワビラキ(川開)<排水が
 悪い>。そして、地図上に小字名が載ったところで、こんかいの調査の主要目的であるし
 こ名について伺うことにした。
 
 しこ名一覧
   柚ノ木原      小字           しこ名
           柚ノ木原         ゲンザブイ
                        カンショイデ
                        ナカゴウ
 
           藤谷           ズイネキ
                        ババ(馬場)
                        ビクントシ
 
           大久保          ウマステバ(馬捨場)
                                               テンジンビラ(天神平)
                                               イノキリタニ(猪切谷)
                           ヘイジャヤマ
                        オクボンタニ(大久保谷)
 
           東平越	              ヒライシゴエ(平石越)
                                               ウシロクボ
                                               オニガマ
                        ハシンタニ(橋ノ谷)
                                               タカオ(高尾)
                        スケヤマンタニ(助山谷)
                        ヒゲンゴエ
                        クイチヤシキ
                        ゴエモンヤシキ
 
                  西平越           ナカシマンタニ
                                               ジュトクイシ
                        テイシンタニ
                        マゴチャ
                        トウゲ
                        ヒョウジロンタニ
 
                     若林                      ハタケビラキ
                                               ソンバタケ
 
           四反田          ユイノバラ(百合ノ原)
                        ジャボンタニ
 
           稗田           アイノキ
                                               キジバラ
                                               ササンモト
                                               ノダ(野田)
                                               ホドケンタニ(仏ノ谷)
 
           市射場          ヤシキンハラ
                        ミャービラ
                        カメジョウ
                        クダイタ
                        ミツカミ(水上)
 
 水利
  しこ名について話していただいた後で今度は柚ノ木原の水利について伺うことにした。
 まず、この村の水はおおかた溜め池からひかれているらしい。若林溜池は,大正年間。堤
 谷溜池は、昭和42、3年にできたという。そして、水は山の高低差を利用して溜め池から
 流しているのだろう。また、この村の溜め池の中にはわずかだが個人名義のものもあるら
 しい。次に水利争いの有無についてだが、特に目立ったことはないが、原則としてポンプ
 を使ってはならないという取り決めがあるらしい。また、溜め池には堤蕃という見張り番
 が配置されている。水路についてだが、村中に張り巡らされているわけではなく、今古場、
 小谷の辺りはまだ水路の整備がされていない。現在計画が実行されているところらしい。
 さらに5年前の旱魃の際の話を伺った。「やけたですよ」と桑原さんはおっしゃった。つ
 まり、干上がったという意味だ。若林、今古場では天水(わき水)頼っていることもあり、
 天水がかれ、旱魃による被害は大きかったらしい。一方、溜め池が近くにある西平越では
 被害はそれほどでもなかったそうだ。
 
  柚ノ木原村の一帯は地形が山に囲まれた大きな谷であるために場所によっては日照時
 間が短い。一方、谷の入り口付近にあたる梅ノ原などの地域は入り口のあたりなので日照
 時間は柚ノ木原より長い。そのためにどちらかというと柚ノ木原村は収穫がそんなにいい
 ほうではないらしい。化学肥料が入ってからは、もちろん収穫はいくらか上昇したという。
 また、柚ノ木原においては、ここ最近、畑に対する猪の被害が大きくなっていると言う。
 9月から合計60頭もの猪が県道(私たちの通ってきた道)を横断して畑に押し寄せてき
 て、作物を踏み散らかすそうだ。また、猪が来ることによる害として、匂いがつくことも
 上げられる。さて、現在の農家の状況はやはり兼業農家が多い。耕作面積は5,6反くら
 いだそうである。畑は今はあまりお金にならず、荒れた状態のまま放置されているそうで
 ある。
 
  次に柚ノ木原の発達について述べたいと思う。柚ノ木原に電気が来たのは、大正年間だ
 そうである。ガスは昭和30年代ごろに使われるようになったらしい。ガスが使われる以
 前はもちろん薪が使われていたと言うことである。
 
  次に祭りについて。祭りは、以前は村の青年団によって催されていたという。最近では、
 青年団が統制が取れなくなってきているという。以前は青年団により、八幡神社で田祈?
 が行われていた。そこで収穫を氏神様にお祈りすることにしていた。この八幡神社につい
 ては、80年程前は武内神社までみこしをしていて、そこで、近くに氏神様がおったほう
 が良かろうということで、できたらしい。
 
  桑原さんは、最後に村の昔の若者について生き生きと話してくださった。特に、若者の
 遊び(特に夜)について伺ったことを述べたいと思う。当時は青年クラブ(夜学校)とい
 うものが存在した。そこは青年のたまり場で中学校卒業から25歳までの青年で構成され
 ていた。そこで上級生が「よかことわるかこと(いいこと、悪いこと)」を教えてくれた
 と桑原さんはおっしゃった。そして、朝になり帰るときには、「こわっか(若い)」人が
 布団をたたみ、はきそうじまですることになっていたそうだ。
 
  内容は以上とする。とにかく、細かく丁寧に話してくださった桑原さんには心から感謝
 している。今回は、なかなか経験することができないようなことをすることができました。
 


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