書評『歴史の道調査報告書・赤間関街道』

        (『山口県文化財』28) 44-45頁

                     服部英雄

 文化庁国庫補助事業として歴史の道の調査事業が開始されたのは、昭和五三年 のことだった。既に二十年近くが経過しているから、ずいぶん息の長い事業であ る。山口県では昭和五五年に萩往還、五六・五七年度に山陽道の調査を実施した。 その後しばらく間があったが、このたび平成七から八年度の調査のまとめとして、 赤間関街道の報告書が刊行された。実は私もこの調査期間中に古道の一部を歩か せてもらったことがある。この報告書にもカラーグラビアとしてとりあげられて いる美東町大久保台の石畳である。林の中に点在する秋吉台の石灰石の白さとと もに、そうした石を利用して作られた石畳が整然と残ることに、深い感銘を受け た。また下関市の小月地域も歩いたと記憶する。押し寄せる都市化の波の中で、 古道の周辺に古い雰囲気をもった世界が残っていたことも印象的だった。 赤間関街道とは赤間関(下関)と城下萩を結ぶ街道である。ひとくちに赤間関 街道といっても実は三本の道がある。北浦道筋、北道筋、中道筋である。今回の 調査はこれに肥中道さらに律令山陽道の支線(古代駅間道路)を加えたものであ る。肥中浦は大内時代の朝鮮への船の発着地。古代中世の幹道に近世の主要街道 を組み合わせたかたちになろう。 本書をひもとけば道筋をたどり、沿線の遺跡をたずねることによって、おのず から街道が繁栄した時代をしのぶことができるようになっており、編集上の苦心 が伝わってくる。肥中街道の場合、一里塚もあったというからかなりの通行量が あったものだろう。沿線には鎌倉地蔵、蒙古塚、宗祇遺跡など中世の遺跡、伝承 地が多く、実際に温石や渡来銭などが出土した景平遺跡もあり、中世以来の繁栄 を物語ってくれる。ほかにも石敢当のような特異な南方文化の遺品もある。沿線 の「こくが」という地名も気になる。肥中の誓念寺裏の石畳は見応えがあるが、 写真で見ると、側線がかなり整っているから近年の補修が加わっているものか。 本書に導かれつつ、一度現地をゆっくり歩いてみたいという気持ちになることは まちがいない。また多くの方に是非そうして歩いてもらいたいものだ。 近世の道である三つの赤間関街道はさらに遺跡の密度が濃い。未舗装のままに 残る古道や峠道、そして石畳、一里塚。吉田、田部、明木などに代表される町並 み。また道標、国境・郡境の碑。  狼煙台をとりあげていることも特色の一つである。主要街道に沿って狼煙場が 置かれたことはよく知られているが、とりわけ『注進案』の残る防長地域は関連 史料が豊富である。ただし遺構についての説明は少なかった。残っていなかった のだろうか。茶臼山には遺構が残っていると聞いたことがある。荒滝山に登った ときも、中世の城には直接つながらない不思議な遺構があって、狼煙に関連する ものかと思った。九州では長崎周辺の狼煙台は良好に遺構が残っている。長門の 場合はどうなのだろうか。  今回の充実した調査によって本書の記載は内容豊富である。今次の調査によっ て県内の主要道のうち山陽道、萩往還、赤間関街道の実態が明らかになった。も しできうれば、いまだ調査のない周防地方の古道なども調査していただけたらと も思う。さらにこれまでの調査済み古道については、たとえば「歩き・み・ふれ る歴史の道」事業などの中で、市民に歩かれ親しまれ、やがて整備されていくな らば、文字どおり文化財の保護活用につながろう。期待がされる。 『山口県文化財』28


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