服部英雄のホームページ

原城に関する服部の研究に関して、兼平賢治「江戸幕府証人制度の運用にみる幕藩関係の展開」『歴史』112、2009,4で指摘のあった幕府・東北大名とキリシタンの関係史料 菅野義之助『奥羽切支丹史』1974 天草島原一揆発生直後、寛永十四年十一月十三日山形藩主保科正之に在所への暇 寛永十四年十一月十三日『江戸幕府日記』6ー199〜200頁 「山形之城地有古来より奥筋押之所故、御懇之上意ニ而御暇被仰出候」(『会津藩家世実紀』1−78頁) 鎮圧翌年 幕府より盛岡・秋田両藩にキリシタン捜索のための山狩りが命じられる(塩谷順耳『秋田県の歴史』170頁。 盛岡藩主南部重直は一揆前年寛永十三年(1636)参勤遅々により蟄居『江戸幕府日記』6ー233頁) 領内のキリシタン問題ほか仕置の悪さが原因 公国史(盛岡市中央公民館蔵)


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