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第2回 塩買峠(大峠)
2008年1月12日 7時30分西鉄大橋駅集合 7時36分発市の瀬着8時15分登山開始、参加者学生6名、院生1名 中島公園→下代久事川(湯のような煙)→旧道に入って万事(まんじ、 水田景観開ける、あさげの煙)→黒木(上野芳喬氏・S13生まれ・より聞き取り、 4月になるとワサビ売りに毎日鳥栖まで行った。朝3時に出て午後の3時には戻っ て、また明日のわさびとり。葉っぱを束にしておく。 国有林内の沢を入札した。5月になると葉が堅くなっ てだめ。炭は供出の時もあった。そういうときは炭窯の残りをヤミ。朝早く暗いう ちに出て鳥栖まで売りに行った。天秤棒にいのうて。1俵15キロ。帰りは暗くなる。 下は道が見えない。上は林が道の幅だけ切れている。上を向いて歩いた。あとになると木炭車が入った。 *聞き取った地名、ノウジロ、ホリタ、ザグザグ、ウチマワリ、アマガシ、オオタンタン、クロ ギ井手、マンジ井手、オウラ(大浦)井手、ただし塩買峠は聞いたことがないとの こと)大谷 →大谷の水田開ける→旧道に入る(真鍋省吾氏宅をたずねるも不在、途中で見た水田 で作業中だった方らしい、おくさんもやはり塩買峠とは聞いたことがないとのこと) →旧道を行くと突然川に行く手を阻まれる。
橋台のみが残る。 橋台のあとの石垣明瞭、いったん川に降りて反対側をよじ登る→「敷地弁護士」研修所 (別荘)に出る。さらにあがって旧水田の下、石垣ぞいの旧道をたどると、ふたたび川。 橋台のみになった橋跡に出る。
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沢を渡る。渕の碧は美しい。続く道も一部沢の橋崩落有り。
道はさらに良好な状態で延 びる→旧道入り口に閉鎖柵有り。乗り越えられる。おそらく不法投棄 を阻止するためのもの。地図上のカーブにゴミの散乱有り。道が途切れて車道に上がる。 すぐに 右への道有り。橋に4本の丸太。すきまがかなり空いている。牛には渡れない。という より牛が 乗ったら重みで橋が落ちる。瀬戸口君が先導、続いて小生渡る。木は4本、コケが生え 中心の木 は一部劣化。真ん中の弱った木を避けると、ほかの木は節が多く、すり足はできない。 つづいて 学生渡る。2名が中途で恐怖の余りに、四つんばいになっておどろいた。一名は迂回。 その迂回 した学生が手のひらにケガをしたらしい。バンドエイドがないかというからそんなもの はないと 答えた。少し行くとまた同じような橋。こちらは短い。橋台の石垣はどれもりっぱ。
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このみちは実は塩買峠への道ではなかった。ただしまぁば(丸葉)山をへて 九千部山に登る道である。手島美津子さんのお宅の前に出るから、結果的に話が聞けて良かった (11時)。 手島さんのお話 正月の九千部山初日の出はちょうちんをもった人が続々とこの前を登った。 この前の道は九千部に上る道。何年か前の台風で杉檜が倒れて通れなくなった。 峠の名前はなんていうんですか? 塩買峠。それで塩買峠にイッショウモリがあるって。塩を一升盛った形の山。 わたしが嫁に来たとき、母が塩買いに行くといったの で、「えっ、塩を買いに?」そういったって。 母が笑っていた。塩を買う人が通ったんだろうけど、知らない。 長尾から小峠を越えて塩買いに行けるけど、今の車道とそうは変わらない。 崩(く)えてもいるから、むりせず車道を行った方がよい。 前は古い道が下に見えていたが今は通れない。小峠は どこかに越える峠ではなく、村の中の小さな峠。大峠は平等寺にはある。かなり下の方。わたしは 平等寺から嫁にきた。 手島さんは塩買いという名前を知っていた。今回は一人だけだった。
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塩買峠(大峠)周辺地名地図
峠について昼食(12時15分) 峠から下の沢には砂防堰堤。しばらく茨の中で道筋をさがしたが見つけられず。 万歳寺 山神社(大山祇神)の前から急な坂を登って万歳寺へ。中国人僧である見心来復、 中国から帰国した以亨得謙の頂相・袈裟があり、文化財に指定されている。塩買峠 (大峠)を越えた山中のこの寺こそが中国の宗教界・臨済禅に直結していた。
河内で聞き取り ワサビをからった女性が峠を越えてきた。20人くらいはいた。このお宅でもたくさん注文していた。 会社に持っていくと喜ばれたという。峠の道筋について聞いたら、災害で埋も れて復旧できなかったようだ。桜谷橋の脇にはわずかに道筋が残っているが、 この道をたどることは至難のようだった。河内まで下ると峠の名前はウウトウゲ (大峠)に変わる。
河内小学校のあとは自然塾になっていた。
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ダム湖畔・鳥越荘にて入浴。ここまで来るとバスの本数が多い。バスにて鳥栖駅へ。