『景観にさぐる中世』正誤表 ページ 誤 正 口絵 写真2 その上方(北側) → その下方(北側) 30 写真A3 下が清水 → 奥が清水 38下 3行 重有 → 重嗣 39上 上総宮内大輔は吉良貞経、その弟左馬介氏家は直冬方の周防守護 81上〜下 くすれ → くつれ 82 写真C2 崩しより → 崩レより 94下 4行 一般に → ふだん 98上 注(2) 冒頭2行削除 119下 10行 のちの → のちに 158 微収 → 徴収 188下 5行 アマグイサ → アマグオサ 189下 4行 (河口に)は → 「は」をトル 199下 11行 (ルビ)ホンガ → ホンハ 201下 1行 弘長元年---間で →正安二年以前に始まり、南北朝期まで 続く---間での 203下 13行 三瀦庄の → 三瀦庄や神崎庄の 297 写真Q1 (第2砂堆の矢印はもう少し手前を指す) 304 下 注(6) 前注(4) → 前注(5) 328下 18〜22行 屋根 → 尾根 349 八阪神社→八坂神社 343 地図R-1 和知庄全体図 → 和知庄(北部)と地田比庄(南部) 362下 15行 貞治三年十二月三日→貞治三年十二月二日 393下 1行 綸旨 → 令旨 394上5行 (三八七頁) → (三四〇頁) 415上 9行 家 → 家 461表U-1 助憲→助宗? 462下 8行 三十坪→三十三坪 535 写真 →(右上の写真と中央の写真を入れ替える) 536 (上)の説明 左遠方 → 中央遠方 545上 関目にかかわる記述→削除 *『江馬氏城館跡』3、1997,大平愛子「江馬氏下館周辺の近世村落の復元」、 小島道裕「江馬氏下館と古道」(113〜120頁)参照のこと、関目は人名 567下 15行 城である。 → 城という。 580下 13行 神崎郡 → 神埼郡 581上 6行 ルビいのきざき→おにきざき 581下6行 なお→トル 584上 写真X-2 弘前の → 弘前藩の キャプション(付加);北海道白神岬と本州竜飛岬が結ばれている。 584下写真X-3キャプション;シリヤントマリ、海岸の岩場の上に烽火台と明記 588下9行「春日山日記」二〇(『改訂史籍集覧』)→『史籍集覧』(旧版・雑纂類) 587 鎮西御教書 → 肥前守護遵行状 589 御崎の弘山 → 御崎の東福浦山(通称八方台) 同 目取り→目取り(「ハタ」ともいう) 巻末図版 G 小鹿:制礼→制札 Q-1- (右中央下) 八取日 → 八取目 末尾地図(武雄):クラタニ(倉谷)脱 ミチヤマ(道山・道仙に誤る) カマドマチ:竈町 ソウダマチ:宗田町脱 条別当は糸別当が正しい 371大田荘 328太田庄 260大田庄(不統一) 巻末 著者紹介 垰田庄 → 田庄 補遺 調査時に協力いただいた方(脱漏分) 382 庄原市市村:大竹智恵雄 宮原保春 本郷 三田政樹 久保敏市(則末池) 梶谷隆身(多穂市、江木池尻)、奥田智峰(宇根市) 武雄市:黒岩久雄(永島)峯松為市(釈迦寺)馬場吾一(釈迦寺)光武辰美 江口真一郎(楢崎) 真名子磯夫 七田忠志 原口静雄 口絵 芦原富永(手前畑のなかの茅葺屋根がハタチ、後ろ水田なかの茅葺屋根が八の坪) 558 旗竿石 越中増山城、肥前岸嶽城