服部英雄のホームページ

科研費の成果

福岡市梅津太鼓店さんのご協力で調査できた唐津市水主町太鼓胴内銘文が佐賀新聞に紹介されました。

唐津くんちの太鼓に慶安3年の記述見つかる

 唐津くんちの13番 曳山(やま)「鯱(しゃち)」(水主町)で使われている太鼓の内部に、 皮を張り替えた年月や職人名などが記載されていることが分かった。最も古い記述は慶安3(1 650)年。九州最古とされる福岡藩の「御時太鼓(おんときのたいこ)」(1664年製) よりも古く、関ケ原の戦い(1600年)に持っていったと伝わる唐津藩の御座船の太鼓と同 時期に作られた可能性もある。  鯱の太鼓は2001年に福岡市の太鼓店が皮を張り替えており、その際に内部を写真で記録。 張り替えた年とみられる慶安3、宝永4(1707)、享保7(1722)、明治9(187 6)、昭和60(1985)年の記述や職人名などが書かれていた。   佐賀部落解放研究所事務局長の中村久子さん(58)が唐津藩の大船頭だった松下得平衛の 日記を調べる過程で、別の古い太鼓に関する記述を発見。日記によると、藩の御座船「正中丸」 に載せていた太鼓が破れ、中をのぞくと、皮を張り替えた年月や職人名が書かれていた。初代 藩主寺沢氏が関ケ原の戦いに持って行っ た太鼓と伝えられているという趣旨の記述もあった。  中村さんは、九大大学院比較社会文化研究院の服部英雄教授(日本中世史)を通じて関連 資 料を調べ、福岡市の太鼓店が鯱の太鼓を張り替えた際の記録写真にたどりついた。鯱の太鼓と 日記の記述は享保7年まではほぼ一致しており、中村さんは二つの太鼓の関連性を指摘、「同 時期に作られ、鯱の太鼓も藩の旗艦で使われていたのでは」と類推する。  太鼓が張り替えられた明治9年は鯱が造られた年で、太鼓が何らかのルートをたどって水主 町に渡ったとも考えられる。水主町は江戸時代、船手たちが暮らした地域で、得平衛の子孫の 松下麗さん (68)=唐津市東町=は「明治になり、船手たちが不用になった太鼓などの備品 を分け合ったのでは」と推測する。  今も太鼓は囃子(はやし)の練習時に使われている。水主町町内会長の上田紀幸さん(69) は「まさかそんなに古い太鼓とは。これまでも大切に使ってきたが、一層、町の宝として守り 継いでいきたい」と話している。 佐賀新聞 / 2012年10月25日 【写真】九州最古とされる「御時太鼓」よりも古いとみられる唐津くんちの13番曳山「鯱」 で使われている太鼓と町内会長の上田紀幸さん=唐津市水主町

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