【武雄市橘町上野地区】
歩いて歴史を考える現地調査レポート
上野地区の農業と窯業について
文学部一年二組 1LT03059 篠田見菜子
1LT03067 杉本奈津子
1.逐語記録
2.解説
3.感想
1.逐語記録
2003年6月28日、私たちは佐賀県武雄市橘町の上野地区の調査をするために小田良博さんを訪ねました。当日は幸いにも区長さんにもきていただいて上野地区を案内していただきました。経路は下に示すとおりです、
小田宅→ロクンゾサン(玉江の地蔵堂)125→テンジンサン、サルダヒコ(玉江の天神社)124→サクラタンノボリグチ 134→タマエノツツミ(第一、第二、第三玉江堤)→ロクンソバシ→上見橋→ジャガミサマ(蛇神社)123→玉島古墳 147
次のページからは私たちが小田さんや区長さんに質問して聞き取ったことのそのままの記録です。
・玉江の天神様(134・玉江堤と約定碑)
区長さん(以下、K):ここは玉江の地蔵堂。
生徒(以下、S):玉江の約定碑ですか?
K:約定碑は水神さんのことやろ。天神さんは水神さんやなかもんね。
・玉江の天神社(124)
K:ここが玉江の天神社やね。
S:何の神様ですか?
K:土地神さま。サルダヒコ(猿田彦大神・124)ってかいてあるもんな。
S:サルダヒコも土地神ですか?
K:うん、そうやろね。(指差して)あそこに小屋ばつくったったいね。その中にかざっとったい。
・サクラタン登り口
O:ここがサクラタン登り口。で、これが第一、第二、第三玉江堤。
S:ここが登り口ですか?
O:うん。サクラタンまで(登り口から)2キロぐらい登らんばいかん。
S:2キロも登るんですか?
O:うん。ちょうど記念碑(約定碑・134)のとこから1.8キロ。
S:玉江堤は用水ですか?
O:うん。用水。
S:田んぼへの水はどこから引いていますか?池ですか?
O:ため池(玉江堤)から用水ばひいとったよ。
S:ため池から1700m行ったところにサクラタンがある。このため池から4部落水をひいとる。第一、第二、第三で4部落(に水を)やる。橘町13地区の中の4部落の田んぼにここから水をやるとよ。
S:水を分けるときのルールはありますか?
K:ちゃんと役員さんがやってくれるよ。
S:役員さんが話し合いとかでやるんですか?
O:そうそう。区長さんちゅうとがおらすけんが、区長さんの下に水役さんちゅうとがおおらすと。そいが区長さんと話しおうて「あの地区にはどんくらい(水を分ける)」ととか、「明日はあの地区に(水を分ける)」とかゆうてさ、(決める)
K:まっすぐ登って上にダムが作ったけんが、砂防ダムゆうてね、今年の3月31日に完成してね。
S:いま使ってるんですか?
K:水だめやなかね。砂をためとると。
S:旱魃とかありましたか?平成6年ごろ。そのときここの(玉江堤)の水はどうなりましたか?
O:旱魃やけん空たい。そいて今から行く潮見川の水をくみ上げた。
K:その潮見川の上にヤハズダムつていうのがあってそこを放流してもらって、潮見川と六角川にながしてもろうて危機をしのいだったいね。
(一同苦笑)
S:雨乞いはしましたか?
K:雨乞いは記録になかった。昔はだいたいふりゅうばしよった。
S:ふりゅうって何ですか?
K:ふりゅうっていうのはね、一番高い山とかに登ってね、鐘ば鳴らして雨が降るように神様にお願いすることたい、でもそれはただに気休めやね。雨はいつかは降るんやから。
S:へえ〜。(感心)
・殿様道について
K:昔はね、武雄の鍋島藩の殿様がここを来て(地図を参照)ここをずーっと登って‥
S:殿様道なんですね?
K:うん。殿様道。
S:塩田へ?
K:うん。塩田へ抜ける。ちょうどここを登った先に殿様の、なんていいよったかいね。殿様のねえ、休憩場所の‥
S:寵たて場?
K:うん。(殿様の乗った)籠をやすめよんさった。
S:寵休み?
K:ううんとね、休憩ばしよんさった、ある程度そこは広場やった。庶民はカンクマ(上久間)越えして塩田へ抜けよんさった。
・ツリザキとロクンゾバシ
K:そいでここにちょうどツリザキってのがあったけど、改修で全然どこにあったかわからんくなった。
S:ツリザキつて何するところですか?
O:ピンピンピンつてわたりよったったい。浅瀬やけ。(川の中に)丸い石があってピーンピーンってわたりよった。改修になっとうけんもうあとも形もないけど。
K:そいでね、ここがロクンゾ。ロクンソ橋。ここは昔は幽霊が出るっちゅうて誰も通りよらんかった。
O:ここはなんちゅうたかね?
K:ハンノマエ!ここの田んぼはハンノマエっちゅうんよ。ここが一関ちゅうてね、ここで水ば調整しよった。これを下ったら蛇神川になるんよ。
・上見橋
K:浮き橋がここにある。
S:「上」に「見る」って橋を通ってきたんですけど。
K:ああ、そいが上見橋、昔はウキハシっていいよった。そいがもう改修で上見橋に、その言われがね、「上」っていうのは「上野」の「上」、「見」っていうのが「潮見」っていうもんで上見橋っていいます。
・市
O:そいでこのへんがウラ市場っちゅうてね、ウラ市場、マエ市場ってあってね。
S:市場があったんですか?
O:クンチ市っていってね、クンチつていまでいう10月19日に「橘クンチ」があるったい。このへんにも昔市が立ててあったけど、今は県道になって危険になって貝原道にたったけど、そこも危険になって今は公民館の前で開くようになった。金物屋さんとかそうき屋さんとか、そこに来て物ば出す。
・この地域について
K:こっからきれいに登り窯のあとが見えるんよ、
S:このへんは甕作りと農業をしてたんで十か?
K:大体は農業。昔はね。今はもう農業しよるもんは何人かしかおらん。
O:窯も二つくらいある。
・蛇神さま(123)について
O:次は蛇神さん。
S:ジャガミですか?
O:蛇の神様ったい。水害が出ないように。蛇に土手に穴ば掘るったいね。土手のやわらかくなって、水害が起こる。それで水害から守ってくださいって意味で。この部落の守り神。7月16日にお祭りがある。この地区の慣わしたい。
(境内にある小型の石祠を指して)
K:だれが持ってきたかわからんけど、いろいろいらっしゃあ。
S:昔からあったわけじやないんですか?
K:家庭の神様をね、持ってきておいてね。地の神様ちゅうんよ。
・甕について
K:甕焼きさんが三つあるね。一谷ごとに一人ずつおんさった。甕焼きさんが。家の裏庭に甕がある。橘の公民館にはまだ大きいとがあるとよ。
O:米ば入れてね、貯蔵用に。ため水とか。
K:長崎とか壱岐・対馬とか、五島とかああゆうとこは水不足ばすっけんね、この甕に雨水ばためて持ってっとった。
O:人間の背よりふとか(大きい)よ。
K:子供んときに(甕の中に)入れられて悪かことしたときに入れられよった。
(一同笑)
足がつるんつるんして出きらんとったい。そして死んでいくときにやりよったったい。昔は土葬であれに座らせてさ、こうして(手を合わせて)上にすり鉢ばかぼってかぶせて縄で穴ば掘ったところに入れて。そいでこのへんの墓は掘ったらみんな甕の中にはいっとう。
S:それ(土葬)はいつごろまで?
K:いまは火葬せないかんけんね。50年くらい前まではしよった。
・玉島古墳について
O:これ玉島古墳。(写真参照)
K:市の指定のあれだ。
S:カマドのお経をあげる人はいましたか?
O:お坊さんはカンヌイさん。
(隣の畑をみて)
S:麦は作っていますか?
O:麦はつくっとうけん二毛作、いや、三毛作(!?)
・鎌堤(棚田/写真参照)について
S:何を作ってるんですか?
K:もち米たい。いま作ってるのがもち米。
S:これが鎌堤ですか?
O:そう。この水は下の田にひいとう。あの水(棚田の水)は高いとこからずっと水をひっぱって行く。このため池の水はどことどこの地区の水利権ちゅうものがあって勝手に使われんけん区長さんのそこの町にお願いして、その町におらす役員さんにたのんで水を分けてもらう。それはもう昔から(の決まり)。百姓が喧嘩してらっしゃるゆうたら水(が原因)。
K:いまこの水はだいたい非常用水に使いよる。
S:どうやって引いてるんですか?
O:堰があると。木の栓(鎌堤の中に)があろうが。木のくいをあの川(鎌堤から出ている小川)に落とすと。(木の栓を)一段ずつ抜いてずーっと流す。いまはもう機械があぐるばってんさ。
・今の上野地区と農業について
K:上野が一番ひろかもんね。町では。
S:何人くらいいるんですか?
K:170世帯、667人。
S:屋号はついていますか?
O:屋号はないね。姓ばつけるだけやもんね。「野田のなんとか」とか。農家はほとんどおらんね。
S:お宅(小田さん)は農家じゃないんですか?
O:田んぼも少し持ってるけど、農業はしてない。
K:今はもう機械もって、大型農機で共同でやる。農薬もヘリコプターでまいとる。豆も麦も米もヘリコプター。
S:今の肥料っていうのは?
O:草が生えないような消毒をやる。今流行りのをタポンとほったって。
S:昔は違うんですか?
O:虫取りのとき油ばまいてやりよった。
S:油ですか!?害虫駆除に?
O:うん。害虫駆除。それから動力噴霧器になって今は空中散布。
S:牛や馬を使いましたか?
K:しよったしよった。もう5、60年前。
O:そのころは今で言うトラクターをもっとう人が牛とかもっとった、農業をたくさんしとんさ人が牛ばこうとった。馬でするのは一所帯しかなかった。
S:牛が大半?
O:うん。牛が大半。
K:今はトラクター。今は耕運機つこうて耕す。
S:一等田はありますか?
O:このへんは一等田は平野たいね。ずーっと山に上がっていくと地価も下がっていく。「チャーバル」っていうったいね。平らか原ね。山つき(山に近い)のは「ヤマダー」。「ヤマダーやけんものすご骨折る」ってね、ヤマダーっちゅうのはだいたい水持ちが悪かとね。水持ちの悪かけんよくするためにいまはこうビニールばこうすいてやるが、昔は藁ば立てて寄せ付けして土を盛って水が漏らないようにしとった。そいがするとに苦労しよったけん、お嫁さんがヤマダーがようけ作るところに来たくなかって。チャーバルは骨折らんけん嫁さん来てなって。
(一同感心)
農家の嫁さんに来る人もそれだけ考えてくる。
・昔の生活と農業
K:それから、‘さなぼり’ってある。
S:打ち上げのことですか?
K:そう。農繁期のうちあげ。区長さん達と役員さん達と長老さんが、「上野地区は何日・・・」って決めるんよ。
O:そして、昔は七月の蛇神様のときに『ぎおんまんじゅう』っていうてさ、各家庭でまんじゅうば作って食べる。
S:それは、伝統か何かですか?
O:うん。「あそこんとこのは美味かばい。」とかさ。(笑
S:家によって違うんですね。
O:今はやけん、名人は何人おるやろうね。おこわ炊いたり・・・。
K:さなぼりはね、昔はなんで、さなぼりかっちゆーと、農業のお手伝いをしにきんさった人たちがおって。
S:‘早乙女’ですか?
K:うん。早乙女のような人達に賃金を払って、それから親戚とか、手伝いに来んさった人達に、お礼っちってお魚を持ってったり・・でも今はもう賃金払う為のものってゆうより、いつもお世話になってる人に、お祝いにっちゅーて、まんじゅうやったりお赤飯やったりする行事やけどね。私なんか、農業してないけど、「区長さん食べんねー。」っち、もってきてくれる。(笑)昔はね、うちのおふくろとかは、腰巻とか、シャツとかば買ってお礼に行きよんさった。それがさなぼり。だから、さなぼりの日が近づくとお金ば用意しとかないかんったいね、‘さなぼり勘定’っていって、勘定の日。今でも残っとうけど。さなぼりでお金の金額を決めて、小作の人に全部はらわないけん。
S:今は違うんですか?
K:今もやってますよ。必ず毎年やっていますよ。ただ賃金のやりとりっていうのは農協が操作するから、今は飲んだり苦労話をするだけ。休憩。農業の休憩の日よ。
S:早乙女さんはどこからくるんですか?
K:今はもうやりません。昔は近所の人とかフキ農家の人とか。こっちからも行きよったもんね。白石方面に泊りがけで‥こっちのが(田植えの時期が)早かったもんね。こっちは山つきやけん。白石は平野やけん遅かった。こっちの田植えを済ませて白石ヘ一週間から二週間いきよった。
S:田植えの共同作業は何と言いましたか?
K:「いい」対等にするっちゅう、お互いにって意味で。多少多く作る人がその分物品を持ってったりね。対等にするんよね。
S:格差はなかったんですね。
K:なかったね。
S:戦前はでも小作制があったから‥
K:ああ、小作制ね。農地解放になっとうけん、そのころあれしよった人たちはもうかっとろうやろうね。小作をようけしよった人たちはもうかりよった。
O:農業しかできん人たちが小作ばしかーっとしよったけん「へこ兄弟」っちって土地ばわけよった。
S:へこっていうのは?
O:ふんどしのこと。「ふんどし兄弟」乳兄弟とにたようなもの。
S:土地を分けてもらうことですか?
K:土地とかものを分けてもらうこと。そいから土地台帳見たら前の人ばってん実際はこの人が作ってる。なんでったら昔金ばまわしよったったいね。金を持たんもんが土地ばやったりとったりしとった。今の人は知らないから帳簿にはうちの(土地に)なってるっていうけど、なんでか昔「こう」つて言う賭けで負けても金はらえんけん土地ばとれって登記をせずにうけわたしてたから。
○:ああ、賭けね。
S:ねずみ講で損した人が?
O:ねずみ講じゃなしに、同じかけ金ばここで5人するでしよ、1人34円、34円で月すっでしよ、そんで今度物入りすんじゃってわが思うでしよ。そしたら4人のなかから金を全部もらうわけ。
K:あずかるっちゅうか。
O:そいでぱったり借金ができたりしたら、土地をやりよったったいね。
S:それなんていうんですか?「たのもしこう」ですか?みんなで共同で積み立ててるわけですね。で、あるときお金がたくさん必要になって借りてその代わりに上地をあげたってことですね。
K:うん。やったり。だから登記もなんもしてなかった。だから今現状に私たちがいろんな金の賭けをしてあんたのとこには田んぼがいくらあるからって言ってもない。
(一同笑)
K:帳簿は私が昔のを持ってるから実際はそういうことだったら法務局へ行ってきてくださいって言うの。
O:けっこう最近まであったもんね。道とかなんとか。
S:それはお金を貸したからですか?
O:うんにゃ、結局今の契約書もなんもかわさんで口約束でその土地ば買うとうわけでしょ。領収書もかわさんで。そいで今度は例えば区長さんが『今度道がでくっけん買収票もらわないかんのー』って言って調べらすとき元のままの土地主になっとうけんまだ法律上はその人のもんたいね。
S:あーもめますよね。登記をしてないから。
O:してなかった。でも売買はできとったんですよ。金はやったりなんかはできとった。でも家ば自分の土地に建てようとしたらよその人の土地になっとった、とか。そやけん今度は買わないけんごてなる。その2代目か3代目の人は。
K:ものすごい金がいっとですよ。
O:もう今は国土調査があって田んぼとか何とかあのへんの開発されたとことかで少し田んぼを削ろうとしたとき、『いつもあの人がここの畑で作りようけん』って言ってその人んとこに『分けてもらえませんか』って行ってその人も『よかよー』って言って市役所に行って登録しようとしたら『いや、その田んぼはとなりのOOさんの田んぼになってます』『いんにゃ、これはうちがもらっとったの』とかもめるわけ。金になっけさ、もめるわけ。んで、いまは田んぼも整備されてるでしよ。される前は一晩あけたらあぜ道がずれとったとか。
(一同感心)
K:やけん、じいさんと若者が隣同士の田んぼやったら足で固めてあぜ道ばつくりよったが力つよかもんが(足であぜ道を押して)ずーっとじいさんとこまで行くわけさ。やけえ、若いもんのが面積広くなってじいさんのはこれっぽっちになったりとかね。
O:今はピシャッとくいばうってなっとうけどね。そいでいまはため池の水の順番もきまっとっちゃろが。水を落とすときには順番なわけたい。こっちがたまってから次にいれて。ホンプたいなんたいばもんをもっとうもんがですよ、先ずーっと上に置いていくわけたい。そしてもう喧嘩たいなんたいあるとって。
K:水喧嘩っちゅうのは命がけやね。
S:命がけですか!?(驚き)
K:だって食うかくわれんかのさかいやもん。。
S:え、でもそれは水役人さんが解決するんですよね?
K:今でも‥‥‥水を入れてくださいいって‥‥‥水役さんがいないんで私のとこにきて、水ばきてないと金はらわんって。
S:うわづつみは請け負う権利があるんですか?
K:上野と南楢崎とホオバルと南片白の4部落。
S:南片白?
K:うん。南片白。
S:荒地とタンマデンのどっちですか?全部?
K:全部。
・コクンソサン
K:昔は1月1日にコクンゾサンに必ずお参りにいきよった。今はもう行きません。初日の出見るちゅうてね、昔はですね。こっちから登りよった。
S:道はないんですか?
K:道はありません。こちらからは。あちら(塩田町)からは一番上まで行けます。車で一番上まで行きます。
O:何年じゃろ。大水害のとき、うちんとこの道がつぶれてしまってね。土砂崩れで。ふさがってしまって。だからなんもかんもわからん。
K:私の山がそこでたちばんしよるときで上の崩れがながれくさってもう後から残ったうちの山全部なーんもざばーとなってて。
S:たちばんってなんですか?
K:橘町で警戒しとったけん。(テレ笑い)水害の警戒。
S:へえ〜水害の警戒‥
K:で、そこをもう改修してずーっとダムつくって、砂防ダム。
S:台風予防の神事とかってありますか?かぜきりとか。
K・O:かぜ‥きり‥?
S:おまじないみたいなもので‥(自信なさげ)
K・O:ああ、おまじない(笑)しませんしません。
S:雨乞いのほうは?
K:雨乞いもしません。
S:昔もしてなかったですか?
K:ふりゅう(浮立)を。
S:ふりゅう?
K:ほとんど浮立で。浮立知ってる?
S:えっ‥(戸惑う)踊るやつですか?
K:鐘をたたいたりカンカンカンっち。あの真鍮の大鐘で。蛇神さんにあったろ?あそこに奉納すんの。
S:上野にはまだ残ってるんですね?
K:はい。あります。
O:7月の16日にですね、その蛇神さまのお祭りにかならず浮立ば奉納すっとですよ。
S:それは雨乞いの神様じゃないんですか?
O:いや、それは水害の神様です。さっき見たとこ。お賽銭も見たけどまた盗まれとった(笑
K:で、旱魃のひどかったけん、昔の人はね、山の高かとこ、潮見神社の観音院の山の中腹ば行ってたたきよった。天にでくっだけ近いとこで大きい音を立ててなんかね、雷をよぶっち。
S:ああ〜。
O:鐘は光をよぶっちいうようなことでね。呼び鐘っちゅうのを鳴らしよった。
S:効果はあったんですか?
K・O:効果は‥(苦笑)
K:雨がふっときになりゃ雨もふっし。
(一同笑)
S:いつかは絶対降りますからね。
K:気休めやんね。でも私たちの物心つくころにはもうしてなかったけどね。
O:今はもうダムができとうもんね。ダムダム。砂防ダム。緊急の場合は六角川に放流して。
K:市長の許可がなけりゃできんけど。
S:どうやってくみ上げるんですか?
K:潮見川から六角川、あれからの水を汲むには権利があって私の部落と南楢崎からはくんだらいけないんです。
O:やけん水利権っていうのはものすごく大事なんよね。
S:今もあるんですか?
O:今も流水を個人のポンプでくみ上げたらいけない。上のほうの地区にはため池があるけん間に合うだろうってことで。そいけんが水が渇水してないときは六角川のほうの水をわけてくださいって言ったらこっちのほうが上流でしょ。そしたらいろいろもめっけん。やけんもらうときはあっちの区長さんと口約束で、というような形。そやけ、私の役はちょっと水が足らんときに相談しに行ったりすると。あとは水利の役人さんおるけ。だからあそこの堤の水をおとすには責任者がおるけ。だからどのくらいの水位を一回でながさないかんとかあるったいね。いらん量流したらただで下の田にまでもらうことになるけん。
S:やっぱ上から流すんですか?3、2、1、の堤同時ですか?
K:いや、今は品種によって違う。昔は上からずーっと入れておったけど。
S:品種ってどんなのつくってらっしゃるんですか?
K:三種類作っててユメシズク、ヒノヒカリ、モチ。ヒノヒカリっちゅうのが6月8日、9日に植えなさいって決まっててね。
S:それは晩稲ですか?
K:いや、中稲です。中稲っちゅうか、もうそれしかここは作りませんからね。ユメシズクは早稲やけど作る面積が少ない。ヒノヒカリが多くて、もち米はここの土地が植えるのに適した土地で、いい米を作るのには一番適した時期があって農業指導員が指示する
S:農家にとっては早稲とか中稲とかどれが一番得なんですか?
K:いやもう米の値段なんて大体きまっとうからですね。
S:でも中稲のほうがたくさんとれるんですよね?
K:たくさんとれます。ただ台風とか水害とか害虫とかいろいろあるから。だからユメシズクってのは腰が弱いからすぐに倒れるんですよ。ヒノヒカリは佐賀県で橘が賞をもらいましたけど。
S:じゃあなんでユメシズク作ってるんですか?
K:やっぱりおいしいんですよ。東京とか福岡の問屋さんがおいしいのしかとらないから。
S:虫にも弱いんですか?
K:うん。
S:どんな虫ですか?
K:ウンカやタムシとかいろいろ。ヘリコプターでバーっと駆除するけど。
S:昔は油でっておっしゃってましたよね?
K:うん。昔はビール瓶に灯油ば入れてのう。何本おきかにかけていってそしたら水に油がはねるとばいね。そいで足でさ、パパッと蹴って根からうえのほうにかけて虫ばとりよった。
S:かけるだけで虫って駆除できるんですね。
K:水口少しあけたらいっぱい浮かんでばーって流れていきよった。
2.解説
●上野の窯業について
上野地区の窯業は文禄・慶長の役後、朝鮮の陶工によって始まった武雄市の窯業の変遷の中で、上野地区に根付き発展した。特に甕の製造では他の追随を許さず、全九州は勿論、西日本、大阪方面まで販路を広げた。甕の用途は家庭用では水がめ、米麦の貯蔵用、自家製味噌・醤油の醸造用、その他すり鉢・植木鉢、便甕、葬式用もどり甕など。販路は六角川や塩田川を利用して筑後川流域をはじめ全九州、西日本、大阪方面に売り出された。実際に私たちが訪ねた小田さんのお宅は家の前が上り坂になっていたが、昔そこには八つの登り窯があって甕を焼いていたということだ。上野地区では今でも庭などに大きな甕を置いているお宅が多数見られた。ところで、「上野」という地名の由来であるが、区長さんがおっしゃられるにはこの地区が昔から甕の生産が盛んだったことから、甕の→カメノ→カミノ→上野になったのではないかということだった。
●玉江の天神社(124)について
玉江の天神さんは上野地区の土地神であり、菅原道真公の姿像である。石像に向かって右側に「文化十年酉正月二日(1813年)」、左側に「施主近右衛門・嘉左衛門・元助」の三名の名が刻まれている。
●猿田彦大神(124)について
天神さんの左側には猿田彦大神が祭られている。同じく土地神であり、猿田彦大神の文字の下に「慶応三年卯八月十一日」、右面に「松崎給百姓中庄屋卯兵衛」と刻まれている。
●玉江の地蔵堂(125)について
●ロクンゾさんについて
●蛇神社(123)について
水害を防ぐために蛇を祭った場所である。昔からこの地区では洪水は川の土手の中に住む蛇が穴を掘って士をやわらかくするから起きると考えられていた。それで蛇を祭ったのである。蛇神さんのお祭りは毎年七月十六日に開かれていて盛大なものである。
蛇神さんの境内には野田氏頌特碑・久保寅一氏頌徳碑・浮立鐘記念碑が建っている。
野田氏、久保寅一氏は上野地区へ田地を寄付した。
3.感想
“field work 苦労談とその結晶”
今回初めてfield workなるものを経験させて頂きました。私たちがいった上野地方はあらかじめ用意できる資料も少なく、地図もなく小田氏宅の場所すらわからない状況でしたので、当日までずっと不安でした。結局当日も案の定、よくわからない場所でバスを降ろされ、二人で雨の中道なき道を歩いてボロボロになりながら見知らぬ土地を歩きました。途中人に尋ねようとも人もおらず、犬にほえられ、バッタにおどかされ、field work初心者の私たちには早くもお先真っ暗な状況でしたが、一軒の親切な老夫婦の助けを受け、受験戦争で鍛え抜かれた根性と執念深さでなんとか小田邸へたどり着くことができました。小田さんと区長さんはお忙しいにもかかわらず、あらかじめ下調べをしてくださっており、期待以上のお話を聞かせていただきました。また、車で現物を見せていただいたのでわかりやすかったです。field workは机上の勉強と異なり、予想外のハプニングもあり大変でしたがそれ以上に収穫の多いものでした。このような機会を私たちに与えてくださった服部先生、またお忙しい中私たちに長時間お話してくださった小田さんと区長さんにこの場を借りてお札申し上げます。
杉本奈津子
実際に上野区に行ってみると、驚くことばかりでした。地図上で上野区を眺めるのと、自分の足で上野地区を歩いてみて回るのでは全然違っていました。まず、バスを降りて小田さんのお宅にたどり着くことからして大変なことでした。道には人っ子一人歩いておらず、道を尋ねることさえできませんでした。やっと見つけた村の商店でおばあさんに道を聞くことができたときは人と人とのつながりのすごさを改めて感じました。また、大学の教室では知ることのできないことをたくさん知ることができました。たとえば甕について。上野地区では江戸時代までは甕を登り窯で焼いていたそうです。今でも甕を庭先に置いてある家がたくさんあるのを自分の目で確認して、リアルさが伝わってきました。農業についてもいろいろなことを知ることができました。小田さんや区長さんの話から、昔の水を求めての争いは壮絶なものだったとうかがえました。地名についても調査に行く前は、たとえば「タケンタン」つてどういう由来の地名だろうと思っていましたが、それは「竹の谷」が変化したものだということがわかったりして面白いなあと思いました。今回上野地区へ調査に行って、「外へ出て現地の人から学ぶ」ということの有用性を改めて感じました。
現地の人からは思いがけないことが学べたりするものだと思いました、私の祖母は山口県美祢市の山奥に住んでいるのですが、今まで意識しなかったけれどもしかしたらそこにも特有の地名があるかもしれないと思って興味がわきました。つぎにたずねた時は祖母に聞いてみようと思います。このような興味をわかせるきっかけを与えてくださった服部先生と休日返上で私たちの調査に協力してくださった小田良博さんと上野地区区長さんに心からお礼を言いたいと思います。
篠田見菜子