話者:小笠原原正(大正13年)
奥さん(昭和6年)
調査者:藤本維佐武
地名:ウメダニ トリヅキヤマ ミヤンゴエ イボジゾウ シマヤマ スイジンサン ハッタダ(春日田) ミヤダボリ ナガミダ ショウガンジ オンガミサン イチノカク ニノカク サンノカク ヨンノカク ゴノカク ロクノカク ナナノカク ハチノカク キュウノカク ジュウノカク ジュウイチノカク ジュウニノカク ジュウサンノカク ジュウシノカク ジュウゴノカク
この日の調査は、
さて、この時期はちょうど大豆の収穫時期であり、またあちこちで麦蒔きの準備のためトラクターが見られた。農繁期である。田んぼに人影を見つけお話を伺おうとするが、ろくに話も聞けなかった。偶然にも一人の方が、以前服部氏の授業で調査に来た生徒をお世話したことがあったとのことだった。たまたま下童で通りがかった家の方とお話をしていたら、この方も4年前に生徒のお世話をしたとおっしゃっていた。この方は森光栄さんという方で、当時区長さんをされていた。それにしても10年に及ぶ服部氏の佐賀県地名調査が実に広い範囲で行われていたことを実感した。
鹿島川が南から東に折れた所から、鹿島川と黒川とが合流する地点にかけての川の南側一帯が下童である。鹿島川の土手に立って、北の
小笠原さんのお宅は下童堤の上の方、萱葺きの屋根が目に入りお訪ねした。この辺りの平野部には萱葺き屋根の家がよく残っていると思う。いくつか見たが、全て「コ」の字をした屋根で「コ」の開いた部分を北に向けて建っていた。
地名について。イチノカクからジュウゴノカクがあったことを聞いた。鹿島川流域、三十六(さんじゅうろく、位置については、地図に載せてある字の位置をそう呼んでいたとのこと。川の北川にある三十六地名については地区が違うため確認がとれなかった)から下童堤に至る迄の間にイチノカクからゴノカクがあった。黒川沿いの田がジュウシノカク、ジュウゴノカクなどと呼んでいたこと、黒木地区との境目までにこの地名が分布していたことから大体の位置については推測できた。
スイジンサンは上、下の下童堤の間の小道にある。春と秋にお祭りがあるとおっしゃっていたが、森光さんの奥さんはそういった祭りは聞かないと言われていた。昔はあったのだろうが、現在では行われなくなったのだろう。ミヤダボリは十月一日に行われた宮座に縁がある。ナガミダには川があり、昔そこの魚を捕って食べたのだそうだ。この下童には面白い歌がある。地名を歌った歌で、どこの調査だったか忘れたか他の地区にも同じような歌があったことを覚えている。この歌を断片的に歌って頂いた。
下童で名所はーミョウトヅツミカンノンサンボサツ・・・寺もないのにショウガンジー・・・東はマルヤマー・・・ウージョニゴジョウ・・・
といったものである。
昔は一軒一軒に牛が飼われていて、肥育牛として出荷していたのだそうだ。
小字にある十郎丸はあまり聞いたことがないそうだ。また、味島神社のアジ(鰺)や、島山の地名から昔はこの辺りまで海の水が来ていたのではないかとおっしゃっていた。この日はちょうど味島神社でお祭りが行われていたのだが、時間の都合上行くことは出来なかった。
オンガミサンについてだが、この地名はちょうど黒川と鹿島川が合流する地点にある。御神松という立派な松があったが、圃場整備の時に松はなくなったそうだ。今は小さな松が何本かと石碑がいくつか立っている。また、平成10年に新しくできた西牟田虹の大橋に交通の比重は移ったものの、そこには御神松橋が今も健在である。