【脊振村政所】

しこな調査現地調査レポート

真壁愛子 1LA01211

松本 静 1LA01219

 水上徹朗 1LA01223

矢野貴子 1LA01237

矢野亮介 1LA01238

吉田弘美 1LA01254

 

 私たちが訪れたのは、緑がとても美しく、道の脇に思わず水遊びに下りたくなるような川の流れる穏やかな場所だった。ところどころに水車を見つけ、やはり水がきれいなのだなと感じながら、今日お話を伺うお宅を探した。きちんとご自宅の番地まで教えていただいてはいたものの、初めての場所でありよく分からなかったので、ここはだれかにきいた方が早いという判断で人を探した。公民館のような建物の入り口に座っている方を見つけたので、早速伺う方の名前を告げ、ご存じないですかと尋ねると、何とそのご本人だった。ご自分ひとりでは分からないからと、五人ほど他の方に声をかけていてくださっていて、大人数だからと公民館を開けて待っていてくださったのだ。早速公民館にお邪魔して、他の方がいらっしゃるのを待たせていただいた。数分経つうちに、みなさんいらっしゃってくださったので、今日伺った趣旨を説明させていただいた。「この政所んなかなら政所の中で、ほら、のんぼいみちてさ、そげなこまか名前のあっじゃかね、そいば聞きたかとさね」と松永さんが他の方に切り出すと、他の方も「うどんやまとかね、うらんやまとか…」とすぐに分かってくださった。とても期待できそうな雰囲気をうれしく思いながら、地図を使いながら教えていただいた。

まずはざっと呼び名だけを教えていただいた。「ここんへんをウドンヤマ、墓のあるっちゃんな」「うどんてただひらがなでよかろ、うどんて」「で、このへんにノボリミチてある」と、お互いに確認しながらも、すらすらと出てきた。呼び名をまず思い出していただくことから始まるこの作業も、この分ならスムーズに運びそうである。「そいからもうちょっと行ったらウランヤマになる」このヘんですか?と地図に記入する。「あさんたにのここらへんまであるとね、ああ、ここから水頭やね」と少々、政所から離れてしまったので、「あの、政所辺りで他にありませんか」と尋ねると、「こっちがオワンノウエね。あとミナミノサキ」と少し笑いながら答えてくださった。「えっと、ここがオワンノウエで、こっちがミナミノサキですね」「そう、南のほうやけんね」と笑って指してくれた。「こんおわんちゅうとは、ほらおわんがあったでしょ、おわんてね、お寺さんのこの部落の裏のほう」「うん、そいやっぱおわんのあるけんオワンノウエっちゃろうね」と言いながらお互いに納得していらっしゃった。「で、ここらへんばイノシダニとかね」「イノシダニは動物の猪、やっぱ今でもおっよ」今でもいるんですか?と開き返すと、「うん。こないだも二匹おった、もってかえっがよかね」と笑わせてもらった。「こまんかとの二匹おったもんね」とおっしゃったので、「小さいのがいたんですか?」と聞いてみると、「う−ん、猫ぐらいしかなかった。逃げていったもんね」と笑っていらっしゃった。こんなに自然の美しいところなら猪も住みやすいのだろうなとつくづく思った。「ここらへんがヤタベットウ」と話が本題に戻ったので慌てて記入し、場所を確認した。

「あと、この辺りで何かご存じないですか?」と地図の中の政所辺りを指して尋ねてみたところ、どうも、みなさん浅谷の辺りにもお詳しいらしく、浅谷のところのしこなをいくつか挙げていらっしゃったので、政所の範囲外ではあるものの、ここに記しておく。ちなみに先程のヤタベットウも浅谷である。「ここがコエンドウじゃね。あとチャノキダニ」と、聞き逃してしまいそうな言葉を、「えっと、ここがちゃえんどう?」とごちゃまぜに言ってしまい、「いやいや、コエンドウ」とみなさんに笑われてしまった。自分の慌てぶりが恥ずかしい限りである。「で、もうひとつがチャノキダニですよね」と冷静さを装いながら確認すると、「うん。ちゃはお茶の茶で、木て書いとけばよか」と教えてくれた。「と、この辺りはこのぐらいでいいですか?」と尋ねてみると、「ここばウシロヤマていうね」「ああ、ここんにき、ウービャーシてあるもんね」と、またまた二つ続けて答えていただいた上に、後に出てきた方がさっぱり分からず、「ウービャーシですか?」と開き返したところ、私があまりに不思議そうな顔をしていたのか、「ウーバヤシやね。オオバヤシ。大林て」と説明してくださった。「ああ、大林って書いてウービャーシ…」とまだ不思議そうな私を見て、「ウービャーシ、ウービャーシ」と笑って念押ししてくれた。

「えっと、この辺りでは思い当たりませんか?」と、今屋敷の辺りを尋ねて、事前に記入してあったミヤノシロを例に挙げ、「ここをミヤノシロと言うらしいのですが間違いありませんか?」と聞いてみたところ、「ああ、ミヤンシロ、ミヤンシロ」「ミヤンシロはもう水田んにきやろ」とみなさん一斉に賛同してくださった。「ここらへんでいいんですか?」と確認すると、「うん、こらウドンヤマの下がミヤンシロたい」「ミヤンシロて、ほら、お宮さんのさ、水神さんがそこにあったけんさ、そこはミヤンシロ、ミヤンマエてね、水神さんは今はここに持ってきちょんけんど」とおっしゃったので、「あ、場所が動いたんですか?」と聞いてみると、「うん。そうそう、そいけん昔は、ほら、その水神さまがあったところがお祭りだ、て言うてお祭りばしよったけん」と教えてくださった。この話の間は、私の隣に座り、先程まで冷静にメモを取っていた水上が自分の名を連呼されるのが気になるらしく、苦笑していた。すると、「ここば、ヤシキノシタていうね」と思い出したように今屋敷の中を指しながら一人の方がつぶやいた。「ああ、やっぱ今屋敷の下やけんじゃろうな」「そうやろうと思うよ」「ここはカワムコやろ」とまた耳慣れない言葉が出てきたので、「かわむこ?」と聞き返した。「ヤシキンシタがあったら上の方にカワムコがあって」と川の辺りを指して説明してくださった。ああ、川の向こうということなのかなと少し納得がいった。「ズルメキてなかったかね、ああ、オワンウエがここじゃろ、ちょうどここらへん」「この線が谷じゃね、こう線が寄ったところが、線のこまかところが谷やもんね」「そうそう」と、地形図がさっぱり読めない私が感心する横で話が進んでいた。慌てて「この谷がズルメキですね」と地図に記入した。一人の方が、「ズルメキ、ズーメキ…、どがん書くとやろかなあ」とつぶやいていらっしゃると、松永さんが「昔の呼び名ば言うがよかっちゃろ。ねえ?」と助け舟を出されたので、「はい、字とかはあてはまってなくてもいいんです」と答えると、安心されたようにみなさん笑ってらっしゃった。

「もう、あまりありませんか?」と尋ねると、「うーん、呼び名はあっさね、名前のなからんぎ分からんもんね」と言って、浅谷の辺りを指して、「浅谷のうちにステワラていうとのあるね。このへんたいね」と教えてくださった。「こいはえらい政所と浅谷の離れとんね。もっと、こうなっとかんといかんもんね」と、地図に記してある浅谷の範囲が違うことを教えてくださった。「この線から浅谷と思うばってんね」とおっしゃっていたので、「あの、よかったら正しい線を教えていただけませんか」と言ってみると、少し困ったように笑いながら「いや、正しいて言われたら正確には…」とおっしゃるので、大体でいいんです、となかば強引に訂正していただいた。お話によると、このごろ国土調査があって、新しい区分けになり地図も新しくなっているとのことだった。

地図の訂正も済み、話を戻した。「あそこん土地はステワラやったか?」と一人の方が思い出されたように隣の方に聞くと、「いや、あすこはササオ」「ほら、また違うとの出てきたね」と松永さんが笑われた。つられて笑いながら、「ササオっていうのはどこらへんなんですか?」と尋ね返すと、「浅谷のうちやけどね、こんステワラの右手やね」と地図を指してくれた。「ここがササオ…」と記入した。「昔、ガッコウヤシキて言いっよったね」「あそこんにき学校の、小学校のあったとこじゃね。あん橋の向こうやったかいね」「あの橋は何て言いよったかね、橋のあったろ」「ワクビキバシかね、ワクビキバシ、今流されてしもうた」「木の橋やった、水害で落としてしまった」と続々と出てくる名前に遅れを取りながら、一つ一つ場所を確認させていただいた。「ガッコウヤシキは、じゃあここでいいですか?」と聞き、なるべく正確に記入した。橋の位置から、北西。「ワクビキバシは、木へんの枠」と字も教えていただいた。「橋はもうないんですか?」と開いてみたところ、今はコンクリートの橋があるとのことだった。名前はそのままだそうだ。中原の辺りにご存知の名前はありませんかと尋ねてみると、「ビシャモンサンは」と返ってきたので、「それはどの辺りですか?」と尋ねてみた。「こん集落の一番先ね。岩屋の先」「川はどこかね、この横にフルミチのあったもんね。川ばずーっといったとこにクリノシタ」と言い、「こんくらいやろうね、岩屋のほうはあんまり知らんもんね。人の縄張りはね」と笑っていらっしゃった。

大体しこなは出尽くしたようなので、「すみませんが、分かる範囲でいいので、今までお聞きした呼び名の由来を伺いたいのですが」と切り出してみた。すると、「よくはわからんねえ」と一人の方が、困ったような顔を向けられた。「大体、ほら、オワンノウエちゅうとは、そこにほら、オワンがあるけんとかね」と、別の方が助け舟を出してくれた。「はい、そういうことをお聞きしたいんです!」と答えてみたところ、それならばと、「ウドンヤマはね、何でじゃろかね…」「ウドンヤマ、ウドンヤマで昔から言いよったもんね」「やっぱ昔からやろけんね」と、みなさん一斉に話し出してしまい、記入が追いつかなそうになったので、伺った順に聞いていくことにした。

まず、ウドンヤマについて聞いてみると、「そこに、ウドンのあったろ、ウドンの。お墓のね」と、どうやらお墓のことをウドンと言うらしいことが分かった。「あそこ、大体ひょろーってながーかもんね、そいけんかもしれんね。ウドンのごて長かけん」「そいもあるかもしれんね、ウドンのごとしとるけん」と、いかにも愛称らしい由来もありそうな話も聞くことができた。

次に、ノボリミチは、「あれは、登り道やけん。あれはそうよ、急に坂になっとるけん」「昔はあれば何べんも行きよったけん、頭にこびりついてしまっちょ」「ほんなごて、ようねえ、登っていきよったもんねえ」と懐かしそうに談笑が。

ウランヤマは、「あいは裏やけんね、集落の」とのことだ。ミナミノサキも同様に、集落から見て南の方の先にあるからとのこと。「じやあ、大体、集落を中心に考えて名前がついてるんですね」と聞いてみると、「そうそう、そいけん岩屋の人にミナミノサキて言うてもわからんもんね」と、いかにもその土地独特の呼び名であることを実感した。

イノシダニは、「やっぱ猪がおったけん」「そうそう、あそけおった猪のふとかったもん、びっくいした」と楽しそうに話してくださった。この話の途中にも、思い出したように、フネコギという名前が出てきた。「あそこんねフネコギちゅうもんね」という言葉に慌てる私達を見て、みなさん笑いながら場所を教えてくれた。ヤタベットウは、カタカナでよいらしく、由来ははっきりしないらしい。コエンドウは、「越える道て書いてあんもんな」と、どうやら漢字で書ける名前がなまったもののようだ。チャノキダニは、お茶の取れる谷だったからで、現在もお茶が取れるとのことだった。ウシロヤマは、集落の反対側にある山。ウービャーシは先に記した通り、大林が呼ぶうちに変化したものである。ヤシキノシタは、今屋敷という集落の下の方だからとのことだ。カワムコというのは、川の向こうだからであり、「根本的なもんはなかごたっもんね」と笑ってらっしゃった。

ズーメキ(ズルメキ)は、由来らしきものはないようなので、「ズーメキという言葉は、生活の中で使う言葉ではないんですか?もうこの土地を呼ぶときにしか使わないということですか」と聞いてみたところ、「そこがさ、持つ人が限られたとこやったけんさ、その人だけがズルメキに仕事に行かんばいけんて言うだけで、ほかの人はそこ行かんけん、その呼び名はあんま言わんやないね」とのことで、「じゃあ、そこまでみんなが呼ぶわけじゃあなかったということですね」と聞くと、「そう、やけん、どこ行きよんねて言うたら、ズルメキに行きよて言うて、そうねーて言うぐらいのもんでな。あんまり印象がないわけよ」と、聞き覚えはあるけど、あまり使わないそうだ。

ステワラは、由来ははっきりしなかった。ここで、また「ここにフダマツて言いよったね」と新しい名前も出た。ササオは、「竹ばっかある」とのことで、現在も笹やぶの場所だそうだ。ガッコウヤシキは昔、学校があったところ。ワクビキバシは、枠の引いてある橋があったそうで、なぜ枠が引いてあったのか尋ねたが、そこまでははっきり分からなかった。ビシャモンサンは、毘沙門天がまつってあったとのこと。

フルミチは、旧県道で、「もう使わんごとなってからねえ」と言われていたので、「今はないんですか?」と尋ねてみると、「残っとっとこもある」「あれやもんね、川沿いのとやろもん、ずーっとねえ」「あるとこまではね、車で行きよる」「うん、軽で行かる」とのこと。クリノシタは、栗の木があったのだろうとのことだ。トウゲンマエは、峠があり、その手前だからとのこと。フネコギは、舟と言う字をあてるらしいが、水辺というわけでもなく、なぜ舟なのかは分からないとのことだった。フダマツも、札という字とのことだったが、あて字かもしれないとのことだ。ここで一通りしこなの聞き取りは終えることができた。

政所の下のほうに、一の橋というところがあるのだが、ここに関しても興味深いお話が伺えた。「昔はここにね、市場があったらしか。薪、炭てね、それから干し柿とかね。かすかに知っとっさね」「そうね、知らんねえ」とご存知の方、そうでない方はあったものの、市場があったとのことだ。「とにかくね、人がいっぱい寄ってきよった、市場やけんね」と、一の橋の「いち」という字は「市」も表わしているとのことだ。

最後に、政所の今後について尋ねてみた。みなさんがおっしゃるには、政所は冬に雪が積もってもここまではバスも通り、神埼町にも10キロほどで行ける、地理的状況にはとてもいいところとのことである。政所から上に行くと、急に高くなり、雪の積もり方もひどくなるらしい。「桜が一番わかっとんね。下からずーっと桜が咲いてくる。二十日ぐらいかかる。一番上まで咲くとに」「やっぱ、車で行きよってもね、窓開けて行きよろ、下から、こう来よったら、すーっとね、上さ行くほどね、冷えてくるわけ」とのことだ。ここで、一人の方が「ここでずーっと往みついとったら、ここしか見えんじやないですか。やけん、あんたたちが一番分かるじゃなかね、よそから、ぽっと山入って、わあこんなとこで生活したらて思うじゃなかですか。で、そういうところをこうしたらいいじゃないですか、ああしたらいいじゃないですか、て言うてほしかね」と言われた。また、お話によると、のんきに往むにはいいとこであるが、経済的なことや老後のことを考えると、病院なども充実した都会がいいのかもしれないとのことだった。また、この集落にダムを作るという問題が約40年前から挙がっているということたった。ダムを作るとなると、この辺りの集落が水没することになるという。

お話を伺い終わって、みなさんのお名前と、お年を伺い、私達のために集まってくださったこと、貴重なお話を伺わせていただいたことにお礼を言って、公民館を後にした。公民館を出る際に、矢野が「俺はこういうところに往みたいよ。人もあったかい」とぽつりと言った。私もこの調査に行くたびに人の温かさを感じる。この場を借りて、再度、お話を聞かせていただいたみなさんにお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。

以上で、調査記録を終える。

 

【調査で得た名称】

 ウドンヤマ、ノボリミチ、ウランヤマ、オワンノウエ、ミナミノサキ、イノシダニ、ヤタベットウ、コエンドウ、・チャノキダニ、ウシロヤマ、ウービャーシ(ウーバヤシ)、ヤシキノシタ、カワムコ、ステワラ、ズーメキ(ズルメキ)、ササオ、ガッコウヤシキ、ワクビキバシ、ビシャモンサン、フルミチ、クリノシタ、トウゲンマエ、フネコギ、フダマツ

 

【お話を伺った方】

 実松伊八さん(85)、松永琢成さん(73)、松永 進さん(70)、松永哲至さん(65)、実松英治さん(60