歩いて歴史を考える in七山村中原 レポート

                 研究班村上大祐、宮本和弥、宮下幸輝

 

 中原は5年前に合併されて、訪れた地域は池原とよぶそうである。大変のどかで、美しい場所である。初夏というのに涼しい。桃源郷とはまさにこのこと。

夏草に 青を分けよと あまがえる 詠み人 村上大祐

思わず一句ひねりたくなる景色であった。辺りは田んぼ一面であり、小川も流れていた。水際には青々と草が茂り、その草に雨蛙が何かを求めるように飛びつこうとしていた。(写真@)

 

(以下、写真データなし。レポートの原本は佐賀県立図書館所蔵)

 

写真@ この小川のせいか大変涼しく感じた。

 

 まずはこの辺りの地理についてお尋ねすることにした。現在位置を確認していると池原小学校の近くということが分かった。池原小学校は現在、廃校となっており、キャンプができる憩いの空間として一般に開放されている。(写真A)区長の中島さんはかつてこの小学校に通っていたそうで、お昼は家で食べていたそうだ。(お話のあとで実際に小学校まで歩いたが、3分もかからない距離であった。写真B)ストーブでお弁当を暖めていたなどの逸話もお話ししていただいた。家の前にある道はとてもきれいに舗装されていて、車さえあれば交通には苦労しないようである。(写真C)我々が来た方向とは逆に坂を下っていくと七山村の中心地にたどり着く。村で唯一の信号があるところを中心に街ができている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真A 一泊300円。薪などは用意されているので、材料だけ持っていけばバーベキューもできる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真B 中島さん宅から撮った校舎。通学時間わずか3分。箱崎から六本松に通う私にはうらやましい話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真C この道路があるおかげであまり不自由はしないらしい。このまま行けば、鳴神の庄(野菜売り場)や鳴神温泉のある七山村中心部にたどり着く。

 

 次に一面田んぼなので、田んぼについてお尋ねすることにした。区画整理されたのかと尋ねると、そうだとおっしゃっていた。来る途中には三角形の棚田が見られたが、ここではきれいな四角形であった。機械化がほとんど浸透したのであろう。(写真D)共同作業については、地域単位では行われず、もっぱら家族・親戚単位で行われるということだそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真D 完全に機械化されているので、いびつな形の田んぼは見あたらなかった。

 

農作業といえば祭りがつきものである。そこでお祭りについてもお尋ねすることにした。田植えの時期には豊作を願って、「植え付け願立て」が行われるそうだ。もちろん収穫祭もおこなわれる。だいたい彼岸の頃に行われるそうだ。盆踊りは池原では行われておらず、七山村全体で行われるようになったようである。神楽は大屋敷では行われていたそうだが、今は行われていないそうだ。運動会などのイベントは去年池原で行われたそうであり、地域単位でのイベントはまだまだ行われているようだ。

青年団についてもお尋ねした。お話をしてくださった中島さん自身も所属していたそうだ。やはり上下関係は厳しかったらしい。公民館に寝泊まりをしたそうだが、先輩の布団は後輩が敷かなければならなかったようである。今ではそのようなことは行われていないそうだ。ただし今でも定例会は行われており、配管の点検などのために集まるようだ。昔は青年会にお酒を飲みに行ったようだ。青年会も時代と共に役割が替わっていったようである。

次に日常生活の移り変わりについてお尋ねした。昔は池原にも店舗があったそうだが、今では全くない。最後に残っていた酒屋も今では看板だけである。(写真E)昔は魚屋が売りにやってきたそうである。山の中であるので鯨や干物が主だそうである。我が故郷広島も、海に面していないところでは日持ちのする鮫をたべる習慣があった。ここでも同じ事情なのだろうか。どちらも冷凍技術が発達した今では新鮮な魚貝を食べることができるようだ。生活に必要な品は七山村の中心地で買い求めるようだ。鳴神の庄では野菜が売られているそうである。(地図参照)食べ物に関しては、農家であるのでだいたいは自分たちでそろえることができるようである。山の幸も豊富で松茸などが採れるらしい。(うらやましい・・・)秋には柿や栗などの果実もなるという。柿は干し柿にして冬には軒先に連ねられるらしい。ここは標高が少し高いのでミカンはできない。やはり冬も厳しく、雪が積もることもよくあるそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真E 玄関先に小さな鳥居と祠があった。このおうちの人は神主だった人で、お亡くなりになったからだそうだ。

 

 

 

 

 

次のページの地図は七山村森林計画図を一部切り取ったものである。区長さんのお話に出てきた場所を図示してある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地図@ 鳴神温泉は区長の中島さんのお母さんが行くのを楽しみにしているそうです。上の池原まで送迎バスがくるそうです。

 区長さんのお母様から昭和初期の村の様子についてお話ししていただいた。そのころはまだ機械化がされておらず、千歯扱や千石通しとうみなど、昔ながらの農具が使われていたようである。戦時中には疎開してきた人がこの村にもやってきたそうだ。婦人会で出征する兵隊のために武運長久のお守りである千人針も作っていたそうである。いわゆる「靖国の母」や戦争未亡人もいたようである。戦争というものは罪なき民の命が失われることを意味するのだ。その戦争がいかなる崇高な理念を掲げようともこの事実は変わらないので、決して正当化されるものではないということを理解しておかなければならない。ある日突然愛する人を失うことがいかなることか、人間が生きるとはどういうことかを常に考えなければならない。横井戸を防空壕にしていたらしいが、幸いそれが使われるような事態はなかったそうである。その防空壕は池原小学校にあり、現在は入れないようにしてある。(写真F)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真F 今でもこの横井戸から清水がわきでている。飲んでみたがなかなか。福岡市内の水道水はまずいからなぁ・・・。近くには日本名水100選に入る観音の滝があるそうだ。命の源である水が美味しく飲めることが今では珍しいものとなってしまった。豊かな自然を守ることも国家百年の計である。目先の開発ではなく、こうした自然を子孫に残すことも今を生きる私たちの義務である。

 

 最後にお食事をいただいた。自家製のお米で作ったおにぎりには一同大感激した。一人暮らしとなると米代をケチるあまり古米や古々米を食べることになるので新米を食べること自体久しぶりだった。タケノコの煮付けも非常に美味しかった。これも豊かな自然が育んだものである。タケノコがあまりに美味しいので、お土産としてもらってかえることにした。中島さんのお母様がタケノコの皮をはぐ作業をしていたのを撮影させていただいた。(写真G)キュウリも美味しかった。悪いキュウリは中身がやたら柔らかく皮がなかなか切れないのだが、よいキュウリは歯切れが良く、味わい深かった。ともかく大変なごちそうであった。改めて中島さんに御礼申し上げます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真G おみやげでいただいたタケノコを料理したが、ここで頂いた煮物の味と全く同じとは行かなかった。材料はさることながら、料理の腕も良かったから美味しかったのだろう。

 

まとめ

 現地で調査することは初めてであったので、いろいろと戸惑いはあった。しかし、順調に調査ができたのは何をおいても中島さんとそのご家族のご協力あればこそである。重ね重ね御礼申し上げたい。福岡という都会を離れて、のどかな自然に触れることで、癒され、多くのことを学ばされた。かけがえのない自然、水や木々の大切さ。携帯電話に縛られない生活がこんなにいいものかということ。本当に勉強になった。違う場所に住んでいる人がどのような暮らしをしてきたのかということを知り、改めて生きることとは何かという問題について考えるようになった。メディアを通じず他者の生活背景を知ることは初めてであったので新鮮であった。大変有意義な時間であった。

 

 

        2003年7月16日 エアコンの故障した自宅にて