【三養基郡基山町基山11区】
平成15年6月21日に行った佐賀県基山町11区の調査に関するレポート
調査員 理学部 児玉賢二
工学部 妹尾昌尚
教育学部 小原保之
調査に協力していただいた方々
松隈嵩さん(昭和2年2月生まれ)
白水保市さん(大正11年6月生まれ)
平山久俊さん(昭和11年2月生まれ)
天本雅巳さん(昭和12年4月生まれ)
村山英雄さん(昭和18年12月生まれ)
(質問と回答)
Q. 牛や馬のえさは何でしたか?
A. 田んぼの草(米ぬかと干草を混ぜたもの)を使っていた。
Q. 牛が暴れた時はどのようにしておとなしくさせていましたか?
A. 牛の鼻に紐のついた鼻輪を付けて、その紐を引っ張った。
Q. 何処で馬の体を洗っていましたか?
A. 川の中で洗っていた。
Q. 薪はどのようにして手に入れていましたか?
A. 11区には山(雑木林)がなかったので、他所から購入した。年毎に育ったら切っていた。(10〜20年で元に戻った)割り木にして1年分を何処かに蓄えていた。薪は飯炊きや風呂焚きに使った。薪は冬の間に買っていた。山に住む人たちにとっては貴重な収入源だった。
Q. 基山町では炭は取れましたか?
A. 山がないので取れなかった。
Q. 基山町の自然の幸といえば何ですか?
A. 山がないので口」菜はなかった。うなぎ、こい、はや、なまず、カニ、どじょうの養殖といった海のものが専ら盛んだった。
Q. 米の保存法は?
A. 玄米をかめに入れ、それを半分以上地下に埋めていた。保存するための小屋があり、ねずみ対策もきちんと行われていた。
Q. 米作りの苦しみはありましたか?
A. 田植えはキツイだけだった。草刈とか。収穫は楽しかった。草刈機も発明されたが、最初の草刈機では根っこまで取ることが出来なかった。
Q. 昔はどんな暖房を使っていましたか?
A. 基山町には囲炉裏が少なく、代わりに火鉢を使っていた。
Q.他所から何か売りに来る人はいましたか?
A,基山町は馬薬の中心地で、専業もいるほどだった。玄米パン、牡蠣、魚売りが来ていた。現金収入が少なくて生魚が買えなかったため、塩鰯をまとめて買っていた。
Q. 病気の時はどうしていましたか?
A. 医院へ行ったり、往診に来てもらったりしていた。
Q. 米と麦はどのくらいの比に混ぜて食べていましたか?
A. 7:3。白米のみは食べられなかった。小麦だけの飯は食えたものではなかった。
Q. 犬や猫を食べたりしていましたか?
A. おもしろ半分でやったことはあるが、よほど特別なことがない限りそんなことはしなかった。
Q. 夜這いは盛んでしたか?
A. 盛んではなかった。
Q. 他所から来た人とケンカをしたりしましたか?
A. 他所から来た同い年の人間とケンカした。石投げ合戦など。
Q. 祭りの時はどんな感じでしたか?
A. 一般に盆、正月、祭りのときは住み込みで出稼ぎに出ていた下男・下女(小4から30歳くらいまで)が帰ってきて手伝った。帰ってこないと出不足ということで非難された。
Q. 会社に勤める入は多かったのですか?
A. 会社が少なかったため、勤務する人は少なかった。
Q. 自宅で干し柿を作っていましたか?
A. 食用に作っていた。この辺りでは柿を2つ連ねて軒先に干すのが主流。
Q. いなごを食べたりしていましたか?
A. 共同風呂に入れて食べていた。
Q. スイカ泥棒はいましたか?
A. いた。
Q. 田植えに関して何かお祈りをしましたか?
A. 田植え後、神仕に行って願成就を行った。悪い病気が入ってこないことを祈り、幣を竹に挟んで集落の端に立てた。その後、9月1日には田褒めといって田に酒をまいた。田褒めは現在も行っている。
Q. 稲の病気にはどのようなものがありましたか?
A. 1か螟虫、3か螟虫。卵を取り除かないと増えた。小学生に午後学校を休んでもらって卵取りをしてもらっていた。殺虫剤が出たのは戦後のことだった。昭和29年から共同で農薬をまいた。この農薬は強力な殺虫剤で、人間にも効いた。(酒を飲むと余計に)田に油を張って竹棒で落として歩いたりもした。
Q. 田植えはどのようにして行っていたのですか?
A. 昔は共同で行っていた。灌概用水を山間から引くときは下の人が加勢し、田植えの時は山間の人が加勢した。田植えの打ち上げではさんば苗をかまどの上に置いた。かまどには神様がいると言われ、神聖視されていた。
Q. 肥料には何を使っていましたか?
A. 牛や馬のたい肥を使った。それより以前は草を踏み込んでいた。化学肥料は高額なために使わなかった。現在は使うようになったので収穫量は増えた。
Q. 台風予防に何をしていましたか?
A. 荒尾神社の記録によると、風祭をしていたらしい。特別には何もしていなかった。
Q. 水争いはありましたか?
A. 昔はあった。水まわりさんを雇って、その人が順番に水をかけるというルールを設けた。
Q. 基山町はこれからどのようになると思いますか?
A. ずっと昔は、基山町は8区までしかなく、11区が出来たのは30年ほど前。11区ははじめ何も無い所だったが、いろんなところから人が集まって来た。若者が多かった。これから人口は増えると思われる。