浜﨑淳一郎
原 聖悟
バスを降りて、住宅地図を見ながら今回の訪問先である馬場富士雄さん（６８）のお宅に向かっていた。周囲にはきれいに区画された水田が広がっていた。7月7日、七夕の日にあいにくの曇り空。この日が晴れていればどんなに素敵だろうと思える風景が行成には広がっていた。道の途中で古墳らしきものを見つけた。「鬼塚」という古墳らしい。雑草が生い茂っていて、看板が立っていなければそれと気づかないほどだった。地図のおかげでほとんど迷うことなく馬場さんの家にむかっていると、バイクに乗っている馬場さんに会った。
馬場さんの話によると、馬場さんは行成に移ってきてまだ３０年程らしく、昔のことはご存知ないということで、馬場さんの先輩である谷口さん（７０）を紹介してくださった。話を公民館でしてくださることになり、私達はその足で公民館に向かった。どんよりと曇った今日の空に途中から晴れ間がさしてきた。道の脇をはしる水路には、シオカラトンボが飛びかっていた。福岡ではまず見ることはない。公民館に着くと、馬場さんが暖かく迎えてくださった。
行成の成り立ち
周辺に「分」が語尾につく地名が多いのに対して、行成という地名がひどく特殊なものに感じたため、その由来を尋ねてみた。すると驚くべき答えが返ってきた。
その昔誕生院の興教大師という法師の母方の親戚があの三蹟の一人藤原行成だったという逸話があり、それにちなんで行成という地名がつけられたそうだ。平安時代から続く由緒ある地名である。（ちなみに鬼塚はさらに古く、豪族のすみかだったらしい）
戦時中の事
戦時中を当時の人たちがどのように経験したのかということは、個人的に興味があった。「戦時中はやはりここも被害に遭われたのですか」と尋ねると、意外にもほとんど被害はなく、爆弾が1，2発（それも誤爆）落ちただけだったらしい。東京から親戚の子供が個人的に来ただけで、子供達が疎開に来る、といったこともなかったとか。
バクチの木（話：誕生院・藤川浩一さん）
村において大木や大岩、古木などは信仰の対象となりがちである。行成にもそのようなものがないか尋ねたところ、行成にはそのようなものがあまりないという。木の樹齢も比較的若く、また誕生院が近いこともあって、信仰の対象は寺が一身に集めていたようだ。しかし、行成には“バクチの木”と呼ばれる不思議な木があるという。樹齢やその他詳しいことについては後日誕生院の方に問い合わせたところ、たくさんのことを教えてもらった。“バクチの木”は決して大木ではなく、クスノキにべったりとくっついて生息しているそうだ。最近では一部枯れたりもしたそうだが、今は若葉をつけるほどまでに回復しているらしい。樹齢は３００年ほど。そして名前の由来というのがとても興味深いものだった。
この“バクチの木”は表面の皮がぽろぽろとはがれるそうである。そこで『バクチで身ぐるみをはがされる』とかけて“バクチの木”という名が付いているそうだ。思わず私は笑ってしまった。その木の皮を持ってギャンブルに行けば私の代わりに身ぐるみをはいでもらえそうな気がした。この“バクチの木は現在県指定の木となっている。
水について
田を維持するのに当然なくてはならないもの、それが「水」である。昔から水が豊かな所にひとは集まり、村を形成し、田を広げていった。行成にも水梨堤と中川が存在している。しかしこの豊かな水源を何の整備もなしに田に利用出来るほど自然はあまくない。鍋島藩統治の時代から水路の整備が行われ、多く農家の人々がその作業に使役された。こうして完成した水路は数十年来鍋島藩が管理してきた。しかし時代が移っていくに従い水路の管理権は次第に農家の人々の手に移り、現在では地方自治体が管理するに至っている。農民たちが水を管理していた時代、干ばつなどが起こると村同士の水の奪い合いにまで発展していたという。皆明日の生活がかかっているのであるから当然といえば当然である。だから、おのおのの村々で優秀な指導者をたてなければ、水に関する村同士の話合いのなかで優位にたてない。その意味において昔における村の人々の絆が確固たるものであったのはうなずけるのである。多くの仕事の引継ぎや指導者育成のためには人々の絆が何よりも不可欠であるからだ。
干ばつについては近年にもしばしば起こっていて、97年の水不足の時は堤の水をまわしてもらってしのいだという。しかしさらにひどかったのは昭和54、57年の干ばつである。この時は堤の水だけでは足りず、田から田へと水を使いまわしてしのいだという。
このように稲を育てるための水を得るということがいかに大変かということが谷口さんや馬場さんから語られることばひとつひとつからもよくわかった。水の貴重さに私たちはふだん気づく事なくそれこそ垂れ流しにして毎日を過ごしていることに反省の念を覚えた。
若者の遊び
最初どう切り出せばよいかわからない話題だった。しかし話を切り出してみると馬場さんと谷口さんは意外に楽しそうに話してくださった。
当時、テレビゲームなどがなかった時代は若者たちは『青年の宿』と呼ばれる集会所に集まり、いろんな話をしたり遊びに熱中したという。柿などの作物を畑に盗りにいったりなかには“夜這い”をするものもいたらしい。夜になると、娘たちの部屋を男たちは訪ねていったのだ。もちろん相手（娘）側との合意の上であるから、その交際の積み重ねが結婚へとつながるケースは少なくなかったらしい。特に東北地方の夜這いはひどく、むすめたちをそれこそ人攫いのように肩に担いでいってしまったらしい。その後「青年の宿」は「青年倶楽部」へと変わり、やがて公民館となった。このような変遷を経たのち、現在のセンターに至っている。近年、農業従事者の減少やテレビなどの娯楽品の増加に伴い「青年の宿」のような若者の集まる場所は消えつつある。昔、「青年の宿」は農家の先輩たちがまだ駆け出しの後輩を指導する場として機能してきた。そのなかで若者たちは先人の知恵を学び、村の仕事をしっかりと引き継いできたのだ。また「青年の宿」のなかで若者たちは友を見つけ語らう場としても機能してきた。
近年、「青年の宿」のような場が失われつつある状況をみて、私は残念に思った。人とのつながりのなかから自分という存在を見出しにくい現代の風は確実に日本全体に浸透しつつあると私は感じた。
共同作業（ゆい）、農薬
行成は戦前は小作地がほとんどなく、地主が使用人を一年契約で雇い、農作物を自作していたそうだ。仕事のできる使用人は引き続き雇われ、中にはこの土地に居着く人もいたらしい。
昔は農作業のほとんどが共同作業だった。牛や馬をもたない家に牛や馬を貸し、貸してもらった家の人はそのお返しに田植えを手伝うなどお互いに協力し合っていた。
畦道には大豆や小豆を栽培していた。最近では草刈機が他の植物と一緒に切ってしまうためもう植える習慣はなくなってしまっている。
農薬の代わりとして、ブリキ屋さんからわけてもらった石油を使っていた。田に数滴垂らし、蹴って広げ、稲についたウンカやツマグロヨコバエなどの害虫を払い落として油の浮いた水に落とす。すると落ちた虫たちは這い上がることができなくなり、そのまま田の水と一緒に流されてしまう。石油は稲に影響をほとんど与えないので、まさに理想的な害虫の駆除の仕方だといえる。
肥料は当時日本の占領下にあった満州から輸入した大豆の油をしぼった大豆粕や干鰯（日干しした鰯）を使っていた。あめ玉のようなお菓子を買う余裕のなかった子供たちは干してある鰯をとってかじっていたという。またフジツボや、有明海から取ってきたガタ土など独特の肥料も使われていた。
牛や馬の役割は、主に農業が中心であった。そのため、雌が多く、粗食に耐えることの出来る牛や馬を飼っていた。秋になると神に収穫を感謝する新嘗祭が行われ、たくさんの馬の行列が並んでいたという。その数はあまりにも多くて後列の馬たちは最終目的地である神社にたどり着くことができずそのままUターンしてしまうほどだったらしい。
家畜は昔の人々にとって身近な存在であった。しかし現在における犬や猫と同じ感覚ではないことは確かである。家畜は明日の糧を得るためになくてはならない存在であったのだから。もちろん子供たちにとってはいい悪戯相手だったにちがいない。大人の中にも酔っ払うと棒切れで馬をたたくなどする人もいたのだと谷口さんと馬場さんは楽しそうに話してくださった。
現在行成には牛や馬はいない。機械化が進みその必要性がなくなったからだ。私達も牛や馬を目にするのは祭りなどの特別行事のときだけである。その事を考えるとなぜかむしょうにさびしくなってしまった。
資料でもわかるように、行成の全世帯数に対する農家数の割合は、確実に減りつつある。
農業人口の高齢化の波がここまで押し寄せて来ている。別に昔に戻れと主張しているわけではないのだが、田園の風景が日に日に失われていく現在の農業事情にある種の寂しさを感じてしまう。
番田道
横田・井出分線―土器橋を通って行成を縦に走る道―を通称番田道（ばんだみち）と呼ぶ。
当時からの主要な道路で、流通の中心であった。地図を見て気付いたことだが、行成の道路はあまり複雑なものではなく、碁盤の目状になっている。どうしてこうなっているかは不明だが、おそらくはお寺の影響によるものだろう、というのが谷口さんの推論だ。
行成は昔から栄えていたようだ。それは到底近畿地方の繁栄に及ぶものではないが行成からは甕棺や円筒埴輪が出土していることからかなり力を持った豪族がこの地方を支配していた可能性がある。
しかし現在その遺跡跡はほとんど住宅の下に埋もれてしまっていてそのあとをしのぶことはできない。誰にも知られることなくひっそりと古代の秘密が行成の地下には眠っている。
終わりに
すべてのインタビューが終わり、私達は調査に協力してくださった馬場さん、谷口さんにお礼を言った。「役にたったろか。」と、馬場さんは苦笑いで答えてくださった。結局しこ名について知る事はできなかったが、村の生活、風習など興味深い話を聞くことができた。地図を見てもわかるように、行成はきれいに区画されていて、いわゆる小京都のような概観を呈している。藤原行成ゆかりの地だというのもなんとなくうなずける場所である。馬場さんや谷口さんも田を呼ぶ時は『～さんの…』で通じ合っているそうなので、わざわざしこ名を使う必要はない、というのが一応出た結論である。
ここで行成の小字について少し補足をしておきたい。まず小字一覧に載っている宮ノ下、江戸行は行成に含まれず、また重ノ木、的場、地蔵はいわゆる飛地であり、もう存在しないらしい。小字の区画は図に示した通りだが、ここで説明を加えておくと、今出川、石橋はそれぞれ園構、柿ノ木の内部にあり、天神（地元ではタチバナと呼ぶらしい）と鬼塚は重なる部分があり、そこでは天神、鬼塚の両方の呼び名で呼ばれているそうだ。
公民館に向かう途中で、小さな古墳を見つけた。一切の調査を許可しないのか、立ち入り禁止の看板が掲げられており、荒れるに任せている、といった感じだった。せっかくの貴重な遺産なのだから調査してもいいではないか、と思うのだが、遺跡調査に関する制約には疑問を感じる。遺跡といえば、誕生院周辺では矢じり、貝塚などが発掘されるらしい。
話は変わるが私たちの調査の参考になるようにと谷口さんと馬場さんが持ってきてくださった地図は相当古いものであった。製作年号がその地図には記していなかったが、公の調査の必要があるとわたしはおもう。