嗚呼天之降災何其 属也鹿島之東有新
地曰重木籠鹿島藩 主鍋島直朝公之所
領也天保十四年九 月三日朝大風雨堤
防決壊満潮裏陵越 大正三年八月二五
日午前?時東南暴 風?海強雨助之怒
潮越堤防?浸屋田 潰?天灰一大五?
掃?稲?地無十毛 荒??至翌年即宮
民協?疏水修堤三 年而成?自古高潮
多在小潮時而?時 寡在大潮時故受害
最惨天且自書而如 比若天入夜而至十
惨状寧可測哉書曰 浸水警余則前後之
水害焉知非天之誠 居民乎哉区民相謀
新紀海神鎮護比土 記事於石以示子孫
来請余六万作銘曰 重木之邑良農修宅
蕨土沃饒宜稲宜唆 天災再降安可逆知
百世之後鑑之警
大正六年三月 久布白?武撰?書
訳:ああ天の災害は何に属するのか。鹿島の東に重の木という新しく開発された土地があった。鹿島藩主鍋島直朝の所領であった。天保14年9月3日朝に激しく雨が降り、風が吹き、堤防が決壊し、水は裏の丘を越えた。大正3年8月25日、午前?時東南からの暴風雨が怒れる潮(高潮?)を引き起こし、堤防が決壊し、家は水浸しになり、田は潰され、稲は使い物にならなくなった。無事な土地はなかった。翌年になって、宮と民は協力して堤防を修復し、水を引かせ、3年で?を作った。
しかし、大小の災害が度々起こったので、天が夜に入ったような過去の災害の凄惨さを記すことにした。天災は予測のしようがない。災害によって民は天に誠がないことを知った。そこで新しく海の神を祀り海を鎮めて土を守ってもらうようにした。そしてこのことを石に刻むことで子孫に示す。(1行理解不能)重の木の村は農業が栄え、立派な家が建ち、土は肥えていて、稲は健やかである。天災が再び起こるかどうかは分からないが、100世後にこれを顧みることで警告とする。
漢文に詳しいわけではないので多少間違いがあるかもしれませんが、ご了承ください。