田口 博崇
田中健大郎
田中 宣裕
犬王袋
午後からは世間公民館から歩いてすぐの犬王袋(いぬおうぶくろ)公民館に向かい、ここでも7人もの方が忙しい時間を割いて集まってくださっていました。
まず森田角のしこ名があるかきいてみましたが、森田角一帯を「森田」と呼んでいるということでしこ名はありませんでした。次に堂篭の範囲を尋ねると、私達の持参した地図と昔との違いに少々戸惑われたようでした。そしてしこ名について尋ねると「これ(鹿島川)から下をテラシンガエといいよった。」と教えてくださいました。でも残念ながら「どういう意味でそういう名前のできたか知らんたい。」ということでした。それからも次々としこ名を教えてくださって、「この辺がミゾサキって・・・」と一人の方が言うと、他の方が「ミゾサキともいうし、ミズハカイともいいよったばってん。」とおっしゃって周りから「そうそう。」と声が漏れて、その由来を聞くと、「Tの字型の水路があって、両サイドに分けるとを量っていくために板をはめて計りに量ったこと。」ということでした。
犬王袋のしこ名については以下の通り
森田角のうちに…フウゾウ
村中角のうちに…ゴノカク、ウネウエ、ミチウエ
柏角のうちに…ハッタンツボ、セケンザキャ(世間境)、ガラエ、ミッデ
堂篭のうちに…テラシンガエ、ミズハカイ(水計)
千代丸角のうちに…イチノカク、カケイシサキ、セケンザキャ(世間境)
漢字はわからないものが多い、とのことでした。
犬王袋の村の名前
キタコガ(別名:シモコガ)、ミナミコガ(別名:ナカコガ)、ヒガシコガ
村の水利
水路の名前もしこ名と同様にいろんな名前を教えてくださいました。「トンノミゾ」は「トノノミゾ」がなまったということでした。また、ひとつだけ突飛な名前とも言える「ドンドン」の由来を聞くと”長老”紹介された林さんが「あのねー水を止めとっけんさ、その堰ばあくっけんドーンと落ちよったけんドンドンと言いよったもんね。」とおっしゃって、「お〜。」と感心する方や、そのユニークさに笑う方もいました。
犬王袋の水路については以下の通り
ホンミゾ、カンカンバシ、タテミゾ、ヨコミゾ、ドンドン、トンノミゾ、
旱魃の話を伺ったがものの、特にはないとのことでした。逆に堤防決壊などの水害は昭和24,37年にあったということでした。
漁業について尋ねてみると「昔は待ちあみっちゅうて、魚取りながらね、でも2件ぐらいしかなかったね〜。」ということでした。それも海までは行かず鹿島川で取っていたということで、世間の隣にもかかわらず漁業が盛んでないのは私たちにとってとても意外でした。
肥料
肥料は人糞を使っていて、麦と混ぜた物を「麦のやし」といっていたそうです。
村の耕地
ミチウエの田が一番出来がよかった、ということでした。
耕作に伴う慣行
「ゆい」の事を尋ねてみても、ピンとこない様子で、共同作業という言葉で話を伺いました。
部落全体でするというよりも、臨機応変に何人かでするという形だった、ということでした。農家全員の作業としては、種籾の消毒と、「春と秋の水路の清掃ですね、用水・排水を兼ねとったから、その作業は前からやっとた。」ぐらいで、その他の共同作業は記憶にないそうです。また、戦時中人手が足りないときには、やはり大人数で作業をしていたということでした。
世間では通じた「ゆい」という言葉が隣町の犬王袋では使われておらず、戸惑ったものの、後でテープを聞くと「もやい」という言葉が聞こえたので、そのような呼び方がされていたと思われます。
祭り
6月 ヒガ (中川から水が流れてくるように)(最初の部落行事)
サナボリ(田植えが終わった後)
7月 川上さん祭り 年2回・・・「マンジョゴモイ」と「カゼミノナビク(秋)」
7月25日 キンロウサン(キンロウ神社が犬王袋の氏神さん)
12月 ゴンゲンマツリ(権言祭り)
村の生活
ガス
「そりゃ〜もう早かった。」「昭和30年代は風呂とかは藁を炊いてみたり、麦わらたいてみたりして、あとは薪もたいて、半々ぐらいしてって、釜戸の方も薪炊いてみたり・・・」ということで、ガスがきたのは昭和40年の初めからということでした。主に、戦後は薪を使っていて、それ以前は麦わらや稲わらを使う、という形だったそうで、「30年代なったら風呂はもう薪やったけんが・・・。もう20年代の後半が薪やったけんね。あの〜藁を製紙会社に売ってそいで薪買って・・・」いたそうです。薪の利点としては、薪のほうが火力が強いだけでなく、「藁だったら灰がたまるとですよ。薪だったらその3分の1ぐらいしか灰がたまらんやった。」ということでした。その灰をためる小屋があって、暖かいのでそこに猫が入って、そのうちにやけどしたり死んでしまっていたらしく、その話で盛り上がっていました。そして「よ〜火事になりよった。」と笑われてもいました。
そして話は石油コンロの事に及んで、「石油コンロのほうが30年の頭ごろから・・・」使われていたとのことです。
電気
大正生まれの林さんも「物心ついたときは電気やった。」ということでいつ電気がきたかはわかりませんでした。電球を「ホヤ」と呼んでいたそうです。
牛・馬
昔はどの家も牛(雌牛)を飼っていて、えさは屋根の吹き替え用の稲わらを食べさせていたそうです。
また、昔、中川にはもう1箇所下(下流)のほうに堰があって、中牟田の方から入ってそこで牛を洗っていたということなのですが、通称はないとのことでした。馬については「馬車引き用に馬が2,3軒あったかな。農耕馬はおらんやった。」ということです。
米の保存
農協ができる前は「商人が来て売りよった。」。青田売りはなかったそうです。
昔の若者
若者宿について尋ねると、「世間にはあったがこっちにはな」くて、その代わりに「米なんか保存する蔵の2階をクラブの代わりに買って寝泊りしとったと。」ということでした。先輩後輩の関係を尋ねると「ん〜ある程度厳しかったばい。」と言われたので「ある程度ですか?」ときくと、「んなん、兵隊のほうが厳しかった。」と言われ、笑いが起こりました。盗みの話を聞くと「どこじゃい、いろいろありよった。」「すいかちぎったりとか・・・。」と思い出話で盛り上がっていました。
男女の話に移るとよばいの話になって、「こっちはなかったねぇ。」「ねぇ。」「北鹿島の方はあった。」と会話があると、林さんが「いや〜派手にしよらんかっただけたい。」と言ってまたみんな笑いました。「はでにやっとこと、そうでなかとことあって、それなりにありはしよった。」と、若者の生活に関しても地域差があるようでした。
村のこれから
農業の後継者について尋ねると「今んとこどうなかばってん、先はちょっと・・・」「勤めもんが多か。」とここも例外でなく将来に不安を抱えているようでした。ちなみに、集まってくださった方の中で専業農家の方は二人でした。村おこしのような村の行事があるか尋ねてみると、「何年ぐらい前からだったかね、犬王袋の名前を売ろうっちゅうことで、村おこしまではいってないけど、村の水路を使って釣り大会を」していて、親子ずれが約300人参加するそうです。
犬王袋の名の由来
最後にここ犬王袋の名の由来をきいてみました。すると林さんが「『袋』だけはね、胃袋に似とっけん袋っていう名前らしいけど。」とおしゃると、藤家さんが「まだ昔はこう(丸く突出して胃袋のように)しとったもんね。」と、鹿島川が東のほうに曲がるところを指でなぞりながら説明してくださった。『犬王』については「いんの何とかいうてなんじゃ言いよったがもう覚えとらん。」ということでした。
午後の暑い中、貴重な時間を割いて多くの方に集まっていただいたおかげで、多くの情報を得ることができました。本当に有難うございました。
(犬王袋地域執筆担当:田中 宣裕)
今回の調査にご協力頂いた方々
犬王袋
森口和幸氏 昭和13年1月8日生
藤家重徳氏 昭和14年4月22日生
富永収一氏 昭和12年6月8日生
藤家清治氏 昭和12年1月2日生
吉原剛泰氏 昭和15年4月24日生
森田利春氏 昭和14年4月13日生
林貞雄氏 大正12年11月7日生 (順不同)
犬王袋公民館を後にした私たちは、帰りのバスに乗るために肥前鹿島駅へと向かった。公民館を出てすぐのところに中川にかかる犬王袋橋がある。そこで今日調査にあたった地域の方を振り返る。世間・犬王袋ののどかな農村の風景が自分達の位置より若干下のほうに見える。これは、この辺り一帯が堤防に囲まれ、その堤防の上に橋がかかっているからだ。改めて、この地が河川に囲まれていることを実感する。
さて、私たちは一日で2地域の調査を行ったわけだ。確かに、限られた時間内での調査は時間的に厳しいものであった。調査が行き届いていなかった部分もあるだろう。しかし、2地域を調査することにより得られるものも多かった。互いに隣り合った地域では確かに共通する事項も多かった。しかし、対照的な違いをみせる事項も多くあった。漁業についてや青年クラブの有無がまさにそれである。二つの地域を比較することにより歴史の奥深さや地域による多様性を感じ取ることができたと思う。一つの地域だけを訪れるよりも遥かに多くのことを学べたと思う。
のどかな農村には不似合いな高層マンションがふと目に入った。犬王袋公民館で調査が終わった後、お茶を頂いていたときのことを思い出した。その時、村の皆さんは地域の伝統芸能の継承方法について議論を交わしていた。犬王袋地域はマンションや新興住宅の建設により世帯数が増えた。伝統芸能の保存は地域全体として行っていくのか、それとも代々伝統芸能に携わってきた農家だけで行っていくのか、それが論点になっていると言う。農村も時代に合わせて変容している、そのようなことを考えながら橋を渡っていった。
最後になりましたが、こちらからの一方的なお願いにも関らず、快くご協力くださいました世間及び犬王袋の皆さんに心より感謝致します。この調査が、地域の皆さんが地域の歴史について語り合うきっかけとなれば幸いです。
(世間地域執筆担当 田口 博崇)