平成15年 6月28日 土井 四郎宅で
高松 良亘
田中 隆志
#)自分たちの言葉 土)土井さんの言葉 池)池上さんの言葉 奥)土井さんの奥さん
土井さんの家に到着後あいさつをし、家に来るまでの課程で迷い土井さんの息子さんの奥さんに助けてもらったこと話ながら録音をはじめた。
#)町長をなさってたんですか?すごい!会長さんで一番偉い方だから最初、手紙をだせば大丈夫かなって手紙を出させてもらったんですよ。
奥)今の町長さんの前にね、町長をしよったとですよ。
土)ところが昔のことはだいぶ分かりません(笑)
再び家まで迷った話にもどる。
#)バスが全く違うところで下ろされたんですよ。
奥)このへんは分かりにくいもんね。
土)向こうからきたんか?
#)最初、中学校ぐらいで下ろしてもらおうと思っていたんだけど・・・、中学校だったら分かり易いから・・・、だけど
奥)あっちから来る三人はおたくの友達じゃないと?
歴史の認識の人で、東六府方区の担当の三人だったらしいがなぜか土井さんの家に手紙を
だしていてやってきた。
#)全く違うと思うんですが・・・他の大学からも手紙がまだきてたんですか?
奥)田中さんってのがきていましたけど。
#)ハイ、ぼくです。・・・・そしてぼくが高松です。
土)あんたが田中さんで、あんたが高松さんね。中野さんっていう人があのひとやろか?
#)あっ!じゃあもう一人?かぶってる。どうしよう。知りませんでした、本当に!
土)これね。
#)同じ紙ですね。こっちがうちでおくらせてもらったものですね。二人だけじゃなかった?あの人も九州大学ですか?
土)知らない。(笑)
#) 違う地区?だけど
奥)三人きよるよ、しらんかったね?(自分たちがうなずく) あら、そうね!
土)全員がうちに来るようになっとんたんか?
#)いっぱいリストをもらったんですけど、自分たちはやっぱり一番偉い方で、詳しそうな方にと思って・・・手紙をださせてもらったんですよ。
土)向こうの人は?
奥)今あがりんしゃい。どうぞあがりください。
人数が多くなったために奥の座敷に移動し、三人も九大生で東六府方だったけど土井さん
に手紙をだし、きたことを聞いた。
土)もう一人、近くの私の先輩がきて(一緒に)話をしてくれます。お昼どきやろうが、午後にきてくれます。すぐ、勉強にはならんやろうが!あんたたちの勉強はなかなか難しいものばかりやろうから。
人数が多くなったために再び名前を確認する。
土)分からんとよね。あんまり多くて・・・じゃあ、ちょっと足でもくずして。
#)すいません。
土)あなた達は九州大学の大学院ですか?
#)違います。学生です。
土)たぶんこういうことかと思って(調べていてくれた)・・・どうぞお食べなさい。
#)すいません、いただきます。
食べている途中に突然戦争の話に突入
土)戦争もせんで帰ってきた。飛行場にいたが死ぬ機会も得んで、生きながらえた。そして百姓になった。なんもしたことはなかったけれども、この地域にね1ちょう6尺の田畑があった。そして人に貸してあった。そしてしばらく百姓をしてみて別の仕事もやってみた。ところが農家っていうのは、みんなご存じか分からんが、種をまいてtくって、そしてそれを取るころには次の準備をせんといかん。
奥)おいしかったね?
#)ありがとうございます。
その後奥さんにたくさんの食べ物をだしていただいた。
土)そしてとうとう百姓をやめんで、まあよかったか・・・悪かったか分かりません。自分の好きな道を・・・・今日の話は干拓の話なんとかじゃないかと思う。
#)ハイ!
そこで福富の本をみせてくれる。
土)よそと違ってここは・・いま
昼飯の休憩にはいる。ここでもいろいろな食べ物をだしてもらう。
土)室町から戦国時代に入ってね、1560年ごろ、年号はね永禄3年、今から数えてね、やっぱり450年前やね。そのころ、あの川のあたり・・干潟ができたと。
#)六角川ですか?
土)うん、六角川。上流にね干潟ができたと。その干潟に、ちょっと泥をもってあんまり潮がこんようにして、綿をつくったり、豆をつくったりしたのが始まり。そしてやっぱり寝泊まりもせんといかんから小屋を造って・・だからいつもそこにおるんじゃなくてもっと上の遠い所からこっちにでてきてやっていたと。そうしてだんだんとよくなってきて、通うよりもここに生活の拠点としたと。小さな小屋を建てた。それが福富のだいたいの始まり。1560年ごろ福富万平さんという人がいらっしゃった。この人はね、こっちに(すこ?)という場所がある。そこの城主の(竜蔵寺たかのお?)ていう人の家来であった。それでその殿様が干拓しろとお金をやって仕事をさせやった。この仕事をしおったのが、福富万平さんね。今でも福富万平さんがおったという家紋がお寺にまつってある。そうしてね、島原の乱とか戦争がおこったために竜蔵寺は謀反で滅びて、そういうことで散り散りになったけどね、福富万平さんはこっちにきて、長になって干拓をすすめたらしい。はっきりしたことは分かりません。よそと違ってここは、流れてきた人がここに住所を決めて、町民になってだんだん多くなってきたと。よそと違う、新しい、誰でも何かやろうという町民性があったので早く大きくしていった。そういうところです。今でもよその町に負けないほど農業など発展しております。
#)特産物はなんですか?途中で一杯玉ネギ小屋とかみたんですけど。
土)今おっしゃるように、米・・・今の米はあり余ったような状況ですが、米、園芸作物、イチゴ、メロン、レンコン、野菜、柿、そういった農作物がとれます。よその町には負けないくらい。漁業は海苔が一番大きな生産物やね。まあその他はね。・・・いろんな貝とか今はおりません。海苔だけやね。町の購買力は、他市町村にでていくのは約60%、町内の店から買うのは40%、60%はよそから買う。
土井さんの先輩である池上さんがいらっしゃる。
土)さっき申しあげとった私の先輩で、すぐ近い所に住んでいて、県でもいろいろな仕事をしてこられた。年齢を重ねれば仕事を辞めて町内の仕事を・・・私の前の老人会会長やっておられた。いろんな町の仕事をみられてきた方です。
池)だいたいの目的はどういうあれでやられているのかい?
#)福富の歴史とか地方の用語、干拓史など・・・まねきとか。
土井さんと池上さんが干拓、福富の本があるような会話をなされたが、新しいやつは県に
あり各町には配布していないらしい。そこで自分達で色塗りをした地図を開き、講義でも
らった資料の地名を聞くことにした。
池)だいたいでよかと?
#)ハイ!
東六府方の三人は関係ない地名のため、いったん休んでもらう。
池)だいたいここが・・・ここに書いてある十六人ガラミ。
#)ここですか?中学校のほうの・・・?
池)中学校まではいとったかどうか~?・・・ここがですね喜右衛門ガラミというとですよ。
カセットテープがきれ裏面へ。
池)ここが善右衛門ガラミですね。それからここが幸右衛門がらみというとですね。このへんまでですよ。・・・そしてここが喜太夫で、こっちが南喜太夫がらみ・・・南はこっちだったかな?・・こっちが北で、こっちが南。
#)こうですか?
池)う~ん、こっちのほう。だいたい干拓をした人の名前がつくとですよ。
#)こっちが北喜太夫ですか?
池)あ~ハイ!こっちが北喜太夫ガラミでこっちが南喜太夫。そいと、このへんがですが家内ガラミちゅうのがあるはずですよ。
#)家内がらみ?どちらのほうですか?
池)このへんになります。家の内ってかいてあるやつと思うばってんが・・このへんで、それからここが善蔵がらみ。そして中ガラミ。
#)中ガラミ?
池)ハイ!中ちゅう字ですよ。
#)こちらで?・・・中ガラミ?
池)そしてですね、ここがですね、三番ガラミ・・三番(大)ガラミ。
#)三番大ガラミ?
池)三番大がらみ、昔はさんば大ガラミって書いてありますね。ここが二番ガラミになるとですよ。
#)こちらで?
池)う~んと・・・二番ガラミ・・いかんとか、三番ガラミはこっち。
#)ハイ。このへんまでですか?
池)このへんまで。三番はこっちのほうまではいるとですよ、川のほうまで。それからここが一番ガラミですね。それからこっちではここまで壱万ガラミ。
#)壱万ですか?
池)壱万って書いてますよ。ここが佐太郎ガラミ。
#)これでいいですか?
池)ハイ、こっちが権和ガラミ。ここですね。ここにかいとるはずですよ。で、そっちが昭和ガラミ。
#)ここ全部ですか?
池)こっちが十六人ガラミ・・・うん!太原ガラミがこっちだったかな?中学校まで十六人ガラミだったかな?
#)ここはどっちか分かりますか?
池)ここを含めて十六人ガラミじゃなかったかと思いますがね。こっちの人も調べなさい
#)こっちは東六府方調べる人なんですよ。
東六府方の人も質問をはじめたので自分たちは土井さんといろいろな話(勲章の話など)をした。
#)えっと・・浜とか堤防、干門について教えてもらってもいいですか?
土)干門っていうのは、えっとここまではもともと海だったんですよ。ここに干門がありますね。???干門。
録音に東六府方の人の質問とかぶり判別がつかない。そして迷った時に見た展望台などの
話になっている。
#)なにか堤防がありましたか?
土)いまのはね、第二線堤防・・・第二線。
#)せんはこの線でいいですか?
土)そしたら、こっが第壱線堤防になるかな!
#)こっちが第一で、こっちが全部第二線堤防ですか?
土)あんた達は学士?
#)ハイ!・・・・・深さとかで特別な名前とかありましたか?あらことか・・わんどとか?
土)あらこや?あらこっちゅうのはね、水の流れがこうしたところ。(手振りなどを加えて教えてもらう。)
#)水が止まる所ですか?
池)いや、水井が当たるところがあらこですわ。そこに当たって・・・・(もっと詳しく手振りをまじえて)
#)わんどっていうのは?
土)わんどっていういのはなんかね?
池)わんど?
土)あらこっていうのは分かったね、岸の方のね、そこに船とかをつける。流されんようにね。わんどっていうのは聞いたことなかね・・・わかりません。
#)これは分かりませんか?
池)よどみのことじゃあかろうか?あらこと対照的な所なんやけれども、よどむところ。分からんけれども、あらこと対照的じゃけん、そういう感じがするけど・・。
#)井関には?
土)井関には聞いたことなか。
#)用水にはなにか名前はありましたか?普通ですか?
土)農業用水はですね・・・農業用水(笑)
#)橋の名前は?
池)地域の部の名前。
#)十六人ガラミ橋とかですか?
土)そう、そしてここは北新地方、南新地方ともいう。新地方は3つある。・・東もね。
#)東新地方はどちらになるんですか?
再び地図で確認後に記入
#)家には屋号はついていましたか?
土)家に屋号?屋号はなかろう。地番と一緒かな。
池)屋号はなかね。
#)この田んぼの水はあの川からひいているんですか?
池)いや、ここはほとんど地下水!今は地下水から川にいれたやつをつかっとる。または直接いれよったですね。
#)飲み水も全部地下水ですか?
池)飲み水は昔は雨水をつかいよった。
#)水道は?
池)水道はできたけれども、こっちはあまり使いものにならんかった。塩分が多すぎて。最終的には柏原ダムの水を使うようになっておる。普通の水は塩分が多すぎて飲料水としてはつかわれんかったとですよ。
#)ポンプはこういうのでだしていたんですか?(手振りをまじえながら)
池)昔はね井戸であるていどしたら、バケツでね。そしていずれはモーターで。
#)水とかはちゃんと一杯でるんですか?
池)水の量?量は使うぶんだけためるとか、イガワ(?)このぐらいのをずっと埋めて使いよったですよ。
土)水がね真水じゃなくて塩水なんですよ。
#)干拓地だから塩水なんですか?
池)いや、地下水そのものがね、ある程度のところは塩分なんですよね。それをずっと下にいったら塩分が少なくなるとですよ。このへんはまだ良かったけど、ちょっと上の方がひどかったとですよ。
#)それでなんか水の争いとかあったりしたんですか?
土)農業用水のね?あんまり聞いておりません。
#)あまりなかったんですか?
池)あ~でもこっちの方では用水路がなくて・・・・田んぼがあった約1割のため池をつくっといた。
#)それは自分たちの・・・?
池)あっ、そう。自分たちだけのじゃけん、争いはせんかった。よそから流れてきたやつを、どうするかで争いがなんかおきったとですよ。少なかったですがね。うちの場合、上のダムから流れてくるやつを、競争でくんだりしとったが、まあ・・争いは福富ではあっとらんとですよ。私は小さいときから、あのダムの水が流れてきたときにその途中で盗みとられるのを番にいきよったとですよ。争いにはならんかったけどね、水をコソッと取ったりしよった。
#)水をコソッと取ったりしてたんですか?
池)時間的に流すでしょうが。その流す途中で、足らんもんじゃけん、取るわけでしょうが。
#)あ~、ダムの放水の時にですか?
池)そうそう、取られんように番にいきよったですが・・正午とかね。
#)干ばつとかは?
土)干ばつの時の思いでは・・・干ばつの後に来る台風ね。それでよけいに干ばつの後はひどかった。
池)干ばつの思いでは昭和14年、大干ばつでね・・・水路が全部干上がってしまって、堀の底が子供が遊べるぐらい固まったとですよ。それでとくに私んとこの西の方がひどかったんですがね、それでここね(地図に指をさし)こっちの方、六府方から
#)それが原因となって、干ばつとなって、危ないから用水路をつくったんですか?
池)そうそうそう、そして地下水のために井戸を掘ってその前も何度かあったけど、やっぱそん時が一番ひどかったですよ。昭和9年とか?・・・・にもいっぺんあったとですよ。
#)最近では平成6年とか?干ばつはたいしたことはなかったんですか?
土)平成6年か・・・・・。まあたいしたことはなかった。もうこのへんの水をねここまで持ってこられるようになったの。
#)じゃあ今じゃそういう問題は比較的に少ないと?
土)前はね地区ごとに水路組合があったとね。その後、舗装整備をして一つにしてしもうたから・・・こっちが不足したら、こっちにやるとね。どうしても海岸線の方が水不足だった
#)雨乞いの経験はありますか?
池)雨乞いは、戦前はですね、何回かした経験があります。福富に三つお宮があっですもんね。三社参りで回って雨乞いをした記憶はあっですね。終戦後はもうなかろう、確か。
土)雨乞いをしたら大雨が降って。(笑)
#)ほんとに降ったんですか?
土)うん。
#)雨乞いって特別なことをしたんですか?
池)お宮に参って、周りながら。雨が降りますようにって。拝んで回った。日本人は拝むのがほんな好いとっけん。(笑)
#)台風予防の神事などはありましたか?
池)あんまりあっとらんね。
#)用水路の中にはどんな生き物がいましたか?
池)昔はフナとドジョウとナマズぐらいかな。あとウナギ。
#)今はいないんですか?
池)ドジョウは最近めっからんな。
土)ドジョウはおらんな
池)ナマズは増えたごたるですね。それから最近はコイがあっちこっちおるごたるです。やっぱ養殖したやつが出てきて。
#)用水路で釣りとかするんですか?
池)今のは用水路で釣りしよっとはおらんごたるね。家庭排水の問題かれこれで。
池)昔はウナギはとれよったとばってんな。最近はのぼってこん。
池)ドジョウはだいぶんとったばってんが。
土)もう今はドジョウは簡単にとれんばい。
池)おらんもんね。めっからんもん。
#)それは食べたりしたんですか?
池)そうそう。食べもするし、それから商売人がこうて、そこに持っていきよった。そして子供の小遣い銭稼ぎにしよった。ドジョウは妙なもんで、あぜ端を歩いて回る。真ん中をさるかんで。あぜのとこに仕掛けとって夕方取りに行きよった。
#)麦を作れる田と作れない田はありましたか?
土)今はありません。どっちでも作れます。
#)昔はあったんですか?
池)昔は高くして麦つくりよった。
#)一等田はどこでしたか?
池)うえが一等田やった。水のあるとこが一等田やった。
土)揚水のできるところ、それが一等田やった。
#)反当何俵でしたか?
土)むかしはねぇ。まあ八俵、七俵から八俵。
#)悪い田んぼの場合は?
土)悪い田というのは、水がなかなかこんとこたいね。三俵から四俵ぐらいかな。何もとれん時もある。麦も三俵ぐらい。
#)そばは?
土)してない
#)昔はどんな肥料を使いましたか?化学肥料の前とか
池)干鰯。それから大豆かす。
#)現在は肥料は何を使ってますか?
池)今はほとんど化学肥料たいね。
#)稲の病気とかはどんなのがありましたか?
池)昔はイモチとしらは枯れぐらいが、時々でよった
#)イモチ?
池)稲熱病とかいてイモチ。こっちはあまりでとらんですもんね。ただ、しらは枯れ病は水害が来たら出よった。それよりも虫がひどかった。
#)害虫はどうやって駆除しましたか?
池)ひかゆにゅう剤。一種の油に除馳駆の粉とか溶かしたやつを入れて、水田の水の上にまいて、そして払い落としよった。朝でないといかんやった。
#)共同作業はありましたか。
土)共同作業もありました。
#)ゆいといいましたか。
土)うん。ゆいもあった。
#)かせいといいましたか。
土)うん。かせいもあった。
土)今日はここで仕事をし、明日は私のとこで仕事をするのをゆいといいます。
#)麦は作っていましたか?
土)今は作ってない。昔は作いよった。
#)田植えはいつでしたか?
土)六月の中旬。
#)最近終わったばっかりなんですか?
池)今はですよ。まえはですね、六月の早くて十五日ぐらいからですかね。そして、一番遅いときが七月の十五日にさなぼりっていいよったけん。今は機械で植えっけんですね、遅かつと早かつといろいろ
#)田植えもゆいでしたんですか
土)する場合もある。時と場合によっては。
池)田植えはあんまりそういうのは少なかったごたるね。
#)お手伝いの早乙女は来ましたか
土)若い娘サンね、お手伝いに行ったり来たりしよった。最近は若い娘サンは田んぼに入ったりは
#)さなぼりはありましたか。どう行った思い出がありますか
土)さなぼりはあった。体休めやけんな。
池)さなぼりは餅つき。
土)餅とか饅頭とか御馳走が出よった。各家庭で。
#)田植え歌とかもみすりの歌はありましたか?
池)そがんとはこっちはなかったね。
土)歌どん歌って田を植えよったら、叱られよった。笑い
#)馬とか牛はどっちを飼ってたんですか?
土)牛。
池)こっちは湿田で、牛馬を使うことはあんま無かったとですよ。
#)飼っていてもあんまり使っている家とかは少なかったんですか?
池)牛をこっちで出したのが、私が百姓しだした頃やけん昭和十年くらい。それからぼつぼつ。特にこの昭和ガラミっちゅうところが。馬は使ってない。
#)牛のえさはどうしてましたか?
土)自分の家にあるもん。わら。かやとかを切ってきて。それに、米ぬかかな。
池)それでもこっちは少なかったとよ、農家の数にしては、牛の数は。
土)このへんでは、この人んとこに牛のおった。
#)かりにいくんですか?
土)うん、大事な牛と思たばってん、ちょっと貸してって言ってから使ったことがあった。その頃牛はこのへんで二件やったね。
池)終戦後はだいぶ増えたね。
土)耕運機がはいってから牛が減った。
池)耕運機がはじめて福富にはいったのが二十七年じゃったかな。
#)牛を歩かせたり、鋤をひかせるときの掛け声とかあったんですか?
土)うん。あるある。左はトウ、右はケシ。
池)引っ張るときと叩くときと。
池)小さいときから教育ばしよった。
#)馬洗いはあるのに牛洗いがないのはなぜですか?
池)脱毛すっでしょうでしょうが、そんときにはげる。そして爪切り、年に二回くらい切らんといかんやったろ。
#)草きり場はありましたか?
池)堤防。堤防の草が生えとるとこ。今はもう堤防がなくなってしもたですけど。こっちもずうっとあったと
#)薪とかはどうやって手に入れたんですか?
池)こっちは稲わらと麦わら。あと台風の流木とか。風呂は石炭を買ってきて沸かしよった。
#)おかしは?干し柿や勝ちぐりは?
土)家庭でやっていた
池)あんまなかったよ、軒そのものが少なかったけん
#)ではどんなものが?
池)握り飯。
池)あとは、はったい粉。知らんか。米ば煎って。砂糖を混ぜて。それからご飯粒、今と違って悪くなるとがあった、保存がきかんけん、それを水で洗って干して、それを煎って混ぜて。
#)食べられる野草や食べられない野草は?
土)あった。食べられる野草はヨモギね。セリ、スズナ、スズシロ・・
#)七草ですか?
土)うん、七草
池)新芽、新しい芽のなかを取って食べよった。コモとか。ツバネとか言いよったのはなんやったかね?カヤ、カヤの一種。
土)よう、あがんとまで取って食いよったもんの。
#)食べられない草は?
池)食べられんとって言うたっちゃ食べられよったけんが
土)妙に匂いの強かのがあるでしょうが、そげんとは手をつけんけん。
#)米はどういう風に保存しましたか?兵糧米は?
池)兵糧米の貯蔵はカマスに入れて、そしてもみぬかの中に入れよったですね。そのあと流行ったのがトタンで作ったカンカン、貯蔵缶。
土)貯蔵缶も10俵と5俵があった。
#)ねずみの対策は?
土)猫ばしこうとかんと。
池)ねずみの籠があったもんね。
#)ねずみ取り?
池)うん。籠のあってエサを付けとって、エサをついたら、ふたがパッとしまる
#)米作りの楽しみと苦しみは?
池)米作りの苦しみは、夏の暑かとき。楽しみはやっぱ、米が取れるとき。稲刈るときに雨が降るのが一番怖い。
土)せっかく刈ったのばなんべんでん、かやして。
#)昔の暖房器具は?
土)昔は暖房っちゅうのはなかったろ
池)木炭だけやったね。コタツもあんまりこっちはしとらんかったね。
土)コタツもほんなこつ少なかったね。
池)堀ゴタツなんちゅうもんは終戦過ぎてから。それまではこっちはなかった。山のほうに行けばあったけどね。
#)最近の車社会になる前の道はどのような道だったのですか?
池)砂利道。雨のときはぬかるみよったもん。石が入ってないけん。
#)村にはどのような物資がはいり、外からはどんな人が来ましたか?行商人は?
土)越中富山の薬屋さん。
池)あとは行商人は、魚屋さんなんかが時々回って来よんしゃったね。
#)どこから回ってきてたんですか?
土)それは近くの人がですね。今とは違うけど、そういう行商する何人かおって、農家の人でも行商しよった人がおったですもんね。農繁期は農業しながら農閑期には行商するという
#)カマドのお経を上げる目の見えないお坊さんは?
土)聞かんね、こっちは
池)昔は、そういう話はありよったけど、あんまり聞かんですね。
土)昔はあったかも分からんよ。我々の小さい頃ね。
#)むかしは病気になったときはどこで見てもらいましたか?
土)病院。お医者さんのところで。
#)昔も病院みたいなのはあったのですか?
池)今の大きな病院じゃなくて、小さい個人的な
土)個人病院ね。
#)川原やお宮の境内に野宿しながら箕のをなおしたり、箕のを売りに来る人を見たことはありますか?
池)それは、おんさったですよ。
#)その人たちはどこから来たと考えられていましたか?
池)ここでは武雄ですかね。
土)それからね、はがまとか鍋をね、修繕をする、職人さんが一年にいっぺんくらい回って来よった。
池)職人さんもおんさったばってん、回ってきて修繕するひともおった。
#)米は麦と混ぜたりしましたか。何対何ぐらいで。
土)しました。
池)昔は麦飯は当たり前やった。
#)じゃあ何対何とかじゃなくて麦がほとんどなんですか?
池)いやいや、こっちは麦が少なかった。
土)四、六。か三、七。で米が多いほう。
池)こっちは麦が少のとれよったけん、米と違って。
#)自給できるおかずと自給できないおかずは?
土)自給できないおかずは肉ぐらいやったろか。
池)肉と魚。魚も半分は取りに行きよったけんね。このへんは肉くらい。
土)正月とかなんでも肉は、わが家で鶏ば三羽でもしめて
池)鶏は自分のうちで食べよったな
#)じゃあ牛とかは食べなかったってことですか?
土)普通は?普通もやっぱり、ちょっとお客さんがあったり、さなぼりのときとか食べよったろうな。
#)結婚前の若者たちの集まる宿、青年クラブはありましたか
池)クラブはあんま無かったね。
#)男だけですか
土)男だけやろ
#)何をしてたんですか?規律は厳しかったんですか
土)知らん。想像すれば厳しいことも楽しいこともあったと思う。
池)それよもこっちはですね、若い人達はよその家に泊まりよったとですよ。何人かずつ。で時々仲間全部どっさり寄ってきて泊まる場合もありよったです。
#)宿っていうか、どっかに集まったりすることがあったということですね。
池)お店なんかに集まりよった。こっちはそれしかなかったけんが。
土)お菓子屋さんの店にみなんが寄ってね、そしてお菓子を取ってどんどん食べよんしゃった。よかな、青年になったらと。お金を払いよるのを知らんもん。うまかろうごたるねって。
奥)ああいうのは年に一回、米で払いよんしゃったろ。
池)若いもんが米で払うもんか。
奥)お金もっとんしゃっとね。私はそげん思いよったもん。
#)では力石は?干し柿を盗んだり、すいかをとったりは?
池)そげなんともあったくさ。
#)力石は?
池)力石はこっちはなかったばってんが、自分達んところで米なんかを力試しに
土)力比べやろ
池)力比べはしよった。米を担ぐ稽古。
#)戦後の食糧難。若者や消防団が犬をつかまえてすき焼きやナベにしたことは?
池)犬は無かばってんが、あれヤギじゃったかなぁ。
土)犬ば食うたとやらあんま聞かんね。しかし犬はね、食うてよかっていう、ぬくもるっていう。
#)おねしょの薬?
土)そうそう、そがん聞いたことはある。しかし犬を食うたことはなか。
池)昔は犬でも猫でも殺して食べよったっていう話は聞いたことあるばってんね
#)じゃあ犬はどうやって捕まえたってのは分かりませんよね?
土)犬を捕まえる、ゆうたっちゃ適当にこうエサで騙すか罠をかけるか
#)よばいは盛んでしたか?よその村からくる青年とけんかをしたことはありますか
池)この辺はよばいはそげん流行って無かですよ。ぜんぜん無かったわけじゃなかけども。しかし、同じ町内はしとらんけれども、町外の隣の部落のもんと喧嘩はようしよった。それけん、この辺の人はあんま喧嘩しとらんとですよ。
#)共同風呂はありましたか?もやい風呂?
池)福富にはあんま無かったね。
土)無かったね。
池)かみにいっちょあっただけで、まひとつ上の町にはだいぶあったですけどね。こっちはかみのほかにあったかね。かみのほかに
土)いや知らん
#)盆踊りや祭りはたのしみでしたか?いつでしたか?
池)福富神社の祭りが七月と十月ですね。それとリュウジンさんがいつじゃったかな。あぁ九月じゃったかな。それからスミノエの金毘羅さん。それとあとは各小さな祠のあるでしょうが、そこに子供達で、お祭りの格好をして。
#)それは時期は決まってはないのですか?
池)大体決まっとる。大体夏が多かったです。七月から八月。いわゆる夏休み時期。
#)盆踊りは?
土)盆踊りは今やってます。
池)盆踊りは今はしよっけど前は全然なかったですね
#)新しい祭りなんですか
土)うん。新しい祭り。ここ十年ばかり。
#)恋愛は普通でしたか?
池)普通じゃろうな。特別にどうこうってことはなかけんが
#)農地改革前の小作制度はどのようなものでしたか?そして格差のようなものはありましたか?
池)土地の条件によって。上のほうは一反いくらって数字が決まっていて、ここらへんは柵わけっていって、出来たやつを半分分けするとです。それで肥料とかなんとかば半分出すとです。地主が。というのはこっちが水がようこんで、ようとれんもんですけんが。
#)むかしの神社の祭りの参加、運営は平等でしたか
土)平等じゃったろうね
#)戦争はこの村に与えた影響は?戦争未亡人や靖国の母は?
池)戦争未亡人はみなさん全部大切にしてござっしゃるね
#)戦争がこの村に与えた影響は?
土)ここには大きな軍事の施設が無かったけんが、特別な被害というのは無いけれどもね、漁船が、船が港におった。それあたりが空襲でちょっと攻撃を受けたくらいで。一般の人の被害っていうのはあんま無かったろ。やっぱり、あのような戦争はせんほうが一番よかな。
#)村は変わってきましたか。これかっらはどうなっていくのでしょうか
土)すっかり若い人もがんばっておりますよ。村をおこしていくために。
#)これからもそれは続いていく
土)そうです。若い人たちががんばっております。
#)ありがとうございました。お生まれは何年ですが?
土)私が大正十二年。それから池上さんが大正、
池)十年
#)この地区にガスがきたのはいつですか。
池)二十九年か三十年
土)二十九年、そんくらいやろ
#)電気はいつきましたか
土)電気は、ここは、二十六年くらい
#)淵や瀬や滝には名前は?
土)特にはなかったろう
#)樋門、ドトロ、マネキは?
土)あった
池)排水するとこにあった。
質問が終わったあとは軽い雑談をして、お世話になったお礼を申し上げて帰った。
帰りは池上さんの家まで一緒に歩いて帰った。歩きながらここまで海だったなど聞いた。
普段聞けない話を聞くことが出来て、大変いい経験になった。