富士町杉山レポート

02.12.21

話者:岡本清次

調査者:服部英雄 武田康隆

 

小字小菅のうち

オオヌカリ ウーウド ナガハザコ センベイダノウチ カミマツノオ

マノイ

マツノオダ ヤシキ 

ショウブダ→湧き水がある。

だいたいが小菅は湧き水の湿地帯ばかり。鍬だけもっとったら農業はできる。牛馬も入らない。あいなかに床があって、牛が入る田もある。長い松、生のママ入れれば何百年、何千年とくさらない。「まつだい」というくらい。2本の松を足でさぐって田植えをする。山野草がでる。虫を捕るもうせんごけ。ここでもやっぱりもうせんごけといった。

ウネバタケ アシワラ ナガノ ツカダ トコロンモト(所の本) ササンモト(笹ん本) クズノモト(葛の本) 

スクノモト スクノモトトウゲ

スギヤマフジ(杉山富士)→比高50メートルの山。大型の塚みたいなもの

小字山の下のうち

コムギダ(小麦田)→寒いので水稲いっぽん(やり)、小麦はとてもできよらん。 

ハタケダ(畑田) ウネバタケ 

イケノモト(池の本)→池はない

アシワラ タキノモト タケイデ(たけ井手)

 

小字本村のうち

シモノウラ ミョウゴイシ(名号石) イデンクチ(デにアクセント) ミヤノマエ(宮ノ前) ブンゴノウエ(豊後の上) トビノス ウバンタニ タイラ ナカダニ シタンタニ ヤマグチ フカフチ ババ(馬場) ケイド キシタカ(岸高) ナガタニ ヨコミチ(横道) サクノウダ ヒノクチ(樋の口)

 

小字川原のうち

 イシワラ タヌキワラ サッバヤマ セキノモト ヤコダノクチ オオイシノモト(大石の本) コウラ(川原)

 ミョウバオ 

タチアライ カイゴノイシ

 

 

ブンゴノウエ(豊後の上)→むかし豊後ヤシキ。豊後から馬賊か匪賊か盗賊か。うち一軒が士族。小城の殿様に仕えた。表札に士族。ほかは表札に平民と書いた家が何軒かあって、村ではあそこの家というぐらいの格式がある、あとは名前だけ。水飲みに近いようなものじゃなかったでしょうかねぇ。ここは杉山姓が多い。杉山だから杉山にした。上無津呂姓とか大串姓とか市川姓とか土地の名前を苗字にしている人はそれまで姓をもたん人。明治の戸籍調査の時、はじめて所の名前を苗字にした。*格差があって、平民ではあっても公然と平民と名乗れない家があった。

オトコシとかいうことですか?そういうことが七山ではひどい。ナゴはしらん。

 

何斗蒔→むらによっては何斗蒔、大串あたりはそういう。苗代に何斗蒔いたかではないか。

苗代は今は四月、以前は五月の一〇日。六月に植えた。六月中旬。七月に入ることもあった。ここは標高五〇〇メートル。寒い。霜がおりやんなってからせんと。六月の六日、七日ぐらいが節、節田(せつだ)。せつだ植えたら鎌の刃が折れるぐらいでくる。豊作になるということ。理想的だが牛で耕してからやる。せつだに植えることはむずかしい。ちゅういは六月二〇日。チュウの前、後ろに植えたら上等。ながせ(梅雨)の一番遅い。梅雨の終わり。それまでに植えんば。七月の一〇日ぐらいでもあるし、二〇日ぐらいもある。稲をねぐる。苗が伸びているから植えるときあんまり長い。上は切る。遅くなると反収が減る。秋が遅くなって米に霜。一一月か一二月になっても稲刈りをした。

いまは人工植林で山ばっかし。むかしは三月とか四月に山焼きをした。肥料の草を取るため。草を入れたのができもいい。やけのくさと、ふっこくさがあった。ふっこくさは焼いてない草。古い草の意味でしょうかねぇ。

ワラビ、ゼンマイは焼野よりも、ふっこの方が早くでる。寒い風がふかん、あったかい。

ここは杉山くり。野の栗がとれる。焼野ぐりで焼いても株は残る。株は太い。実は小さい。丹波ぐりの三分一ぐらい。親指ぐらい。秋にとって売る。女性の仕事。これが田よりも収入が多かった。昭和の戦前、三〇〇〇円。いまでいえば三〇〇万くらいかなぁ。一月売り歩いた。一〇月一日を境に山の口。それまでは入っちゃぁならん。夜を明けるのを待って、いや一時、二時かな。男が子守をした。手が不器用だから。焼野は共有地。共有地をもし個人個人に分けたら、地区外から入ってくる。共産党と同じで共有地のままにしておく。山の口があいて取り切れたら、一ヶ月かかる。買いにきたり売りに行ったり。売りに行くのは男の仕事。牛に背負わせて古湯まで。バスは川上まであった。川上から佐賀は馬鉄(馬車鉄道)。佐賀市場イチバはあんまり。やっぱり久留米の市へ。久留米の方が町が大きい。

若衆宿、わたしはそこ育ち、結婚するまで、上は30歳の人がいた。わたしは10何歳。チョンガーはみんな泊まる。泊まりにいかんとやかましかった。ハタチまでは拭き掃除。わたしは一人っ子。(大事に育てられ)家では何もしなかったから母親がおどろいた。16歳は初年兵。青年では殴られなかった。兵隊では殴られた。

十畳に敷き布団2枚。着布団は1枚。真ん中、むれて湯気が立ちおった。わらじ作りとか、それはまた別の所を借りて、そこではハーモニカとかギターとか好きなものがする。読み書きする。酒も飲みよった。中年がしら(頭)が兵隊がしら、それたちが「今日のむぞ」、みないる。

青年の田もあった。年中行事の資金用。それは普段は食べられない。稲刈り祝、田植祝。食事はいえでする。新聞も拡げて読める。早い(若い)もん順(上ほど偉い)、丁稚。布団の上げ下げは一番下のもん。「布団巻き」ってされよったです。これはわが死ぬぞって思う。みんな上に乗ってくる。布団から足引っ張り出してすっぺ(シッペ)するでしょう。あれはきくですよ。ふつうに叩くより痛い。制裁というかいたづらというか。年増のわっかももんの中年、足を冷めとうして尻に押しつける。

ヨバイはあったんですか。

うーん

ここはその、目上の人が厳しかったけん、だいたいが、よほど知った人がどっかからきとるとか、何とかいうときはあれですけど、お好みの器量であるとか。

(よほどに熱心に好きになった場合は若者組に頼む)。向こうの恋仲であるとか(すでに相手がいるとか)、そこへいったとなるとか、黙っていったとかなると

集会で話し合い。お前はあれ(Α男)のあれ(恋人のB子)になんで手出ししたかって、どういうことかいってみよ。会合のあるときは悪かことしたもんはふるえとる。親たちも今日は青年の提灯のでとる。今晩集会のある。うちの子がなにかしやせんかったか、と心配顔。

ボクが誰かとカップルになりたい。若者組に酒を持っていく。いとこかあるいは誰か仲のいい人。先輩であることが必要。その人に仲人になってもらう。年下のものに仲介を頼むわけにはいかんでしょう。相手(の女性)も承知したら、若者組の承認をうる。そうなったらふつうは結婚する。そうまでいって結婚せんかった人はきいとらん。しのびこんで一緒に寝たら夫婦と同じでしょう。

きびしかった。無断だったらリンチ。申し入れがあったあとに手を出したらもっとひどい。よそからきた隣の青年が入り込んだら、警察と同じ。

だけどいったらもう二人も三人もきていたというどこかの村の話は聞いた。おれも行った、おれも行ったって。