佐賀県佐賀郡富士町鎌原地区

2002年12月21日調査

調査者  都甲薫 中園浩司 二矢川和也

協力者  山口明(昭和3年生まれ)

 

 

僕達は鎌原地区の昔の姿を調査するため、鎌原地区老人会会長である山口明さんのお宅に訪問させていただいた。山口さんは鎌原周辺の地理、歴史に大変詳しい方で、たくさんのしこ名を聞くことができた。

 

 

@鎌原の歴史地名

 

  小字           しこ名

  牟田(ムタ)       セイワラ セイダラ 下の下 竹の口 

サッポ

  八久保(ヤクボ)     梨の木 柚木の上 大正山 赤石 大瀧

               小瀧 スノザコロビ 高年 柳の元

               ヨケノベ

  桜(サクラ)       シタノ マカド キタムキ ヤシキンダイラ

               小畠 浦の谷 坂口 木キンモト 黒ギン元

               銭無い 八郎様の森 ゴイシ

  かも原(カモハラ)    下岳 中岳 上岳 向岳 大山地 小山地 

               スゲゴノチ アキアゲ 上瀬川 下瀬川

               ミノノツジ イケン年 鹿畑

  立石(タテイシ)     小城道 大谷 宮の浦 セノラ小畠 岸高

               山平 石原 タンダ

  山頭(ヤマガシラ)    ゴンゲンドウ 六有田 カマントウ 

トリゴエ 大迫 タクボ 山中 小野上

チョウ辻 平 ソノベエ モリノモド 馬渡

赤グエ

 

  古賀の名前:上古賀 下古賀 村古賀 津々良古賀

 

これらのしこ名はすべて山口さんが紙に書いてくださったため、とても助かった。ただし達筆すぎて解読できない文字もあったため、推測で補った部分もある。

   

 

A部落の水利

 

 Q.田んぼへの水はさっきの池から引いてるんですよね?

    水は谷からくさ、谷。

 Q.じゃ、川からですか?

    うーん、川ちゅうか‥あのねぇ、昔はこういうところは、川ていうか‥今はね、杉の造林しとっけんさ、水があんまりなかわけたいね。で昔は造林してなかったけん水が多かったわけ。だけんちょっとした水でも役に立たせよったわけたいね。例えば、雨が降ろうが。そしたらねぇ、田んぼのあぜばしっかりぬってねぇ、水のあんまもらんごとしとったい。少なか水を有効に使いよると。 

 Q.水争いはありましたか?

    あったあった。鍬ばもって戦った。

 Q.雨乞いは?

    する。

 Q.台風予防の神事はありますか?

    この部落はねぇ、神崎の中原町の、アヤベさんてしっとるね。風の神様。そこにまわりばんこでいっとると。

 Q.用水路の中にはどんな生き物がいましたか?タニシとか?

    山椒魚、カエル、おたまじゃくしね。それからイモリ、ヤモリ、そがんと今もおるよ。

 Q.田のなかにはどんな生き物がいましたか?あと川とか。

    カニにばい、それからカエル、タニシもおるよ、それからタビラクチていうと。

 Q.え、なんですかそれ。

    しぃろくて、足ばさすと。足が真っ赤にはれると。他には足をはさむやつ‥

 Q.ザリガニみたいなのですかね?

    うんうんうん、あれもおるよ。でも今ねぇ、もう少なくなった。農薬とか使うけんね。

 

 

ここでいったんお昼休憩をはさむこととなり、山口さんが僕達に昼食をごちそうして下さることとなった。いただいた昼食には、普段僕達が口にすることの無い食材がたくさんはいっており、なかでも混ぜご飯にはいっていたウサギの肉は、なんと山口さんが昨日狩りに行って取ってきたというばかりのものだった。味はというと鶏肉に似たような味でとてもおいしかった。

 鎌原部落は深刻なイノシシ害に悩まされているらしい。夜になるとイノシシが田んぼを荒らしていくそうだ。イノシシは夜行性なので、捕らえるのも難しいらしい。「あんたたちの先生に『鎌原はイノシシ害で困ってます』て言うとって」とのことだった。

 

 

B部落の耕地

 

 

 Q.麦を作れる田と作れない田はありますか?

    昔は麦を作りよったけど、今は麦を作りよるものはおらん。この辺は気候が寒かけんが麦はぜんぜんだめ。それに安かろうが。そしてもう今は建設作業員とかにいったほうがましやね。この部落もね、もう若いものはほとんどがよそに仕事にでよう。

 Q.むかし米は反当何俵でしたか?

    さあー‥五俵か六俵やろね。一等田でよ。

 Q.そばは作りましたか?

    つくっとらん。

 Q.直播きはしましたか?

    直播きはしとらん、むかしは。直播きは今の時代のことでね、むかしは苗から育てよったけん、直播きはなか。

 Q.ところで、『何斗蒔き』ってなんですか?

    たとえば田んぼがあるたい、この田んぼに何斗蒔くかってことたい。

 Q.何回蒔くかってことですか?

    ちがうちがう、一升の十倍が一斗、一合の百倍が一斗。

 Q.なるほど。むかしはどんな肥料を使いましたか?

    硫安(リュウアン)。こやしたい。

 Q.稲の病気にはどんなものが?

    これは稲熱病(イモチビョウ)。稲がくさると。葉の裏に黒いのが点々て。

 Q.害虫駆除は?

    油で殺すくさ、油。

 Q.油で殺せるんですか?

    田んぼに水がはっとろうが。これに油をひたひたとおとすたい。これが水にぱーっと広がろ。そしてほうきではいたら虫が下におちるわけ。それで羽が油に浸かって死ぬ。

 Q.じゃ、今は?

    そりゃ今は農薬でばーっと。

 Q.共同作業はありましたか?

    うちはなか。田植えの早乙女はあったよ。

 Q.さなぶりは?

    あった。部落人みんなよって酒飲みよった。さなぶりっちゅうのは『早く苗掘れ(早苗掘)』って書く。

 Q.田植え歌はありましたか?

    田植え歌は、なし!

Q.飼っていたのは牛ですか、馬ですか?

    牛。えさはねぇ、山の草。それから、田のあぜの草。牛を引かせるときの掛け声は、右がマイ、左がトウ、止めがワー。これは部落によって違うところもある。手綱の操作は一本。

 Q.ごって牛はどうやっておとなしくさせましたか?

    こりゃ『ごって』じゃなくて『こって』。コッテちゅうのは男のことたい。女のことはメンチョウて言いよった。ウノ牛とも言いよったね。牛をおとなしくさせるにはって‥主人には服従するけんね。他人にはひっかかるけん、これは主人がこんとおとなしくならん。ワー、ワーゆってね。

 Q.牛は洗いますか?

    牛は洗わん。馬は絶対洗わんといかん。牛はねぇ、人間で言うと鈍感たい。そういうふうに体ができとるけん、馬んごと洗わんでいいと。

 

 

C部落の山

 

Q.草切山はありましたか?

    あった。草切山ちゅうんは牛の食料。

 Q.どこにあったんですか?

    そりゃここらへん全部くさ。部落有山ゆうて、春に野焼して肥料やら牛のえさやらつくるたい。入り会い山はあった。近くの山。昭和三十年くらいから杉を植えだしたけんが、それまでは全部村の共有の山。

Q.薪はどこから入手しましたか?

薪はほとんど自分の山から。

 Q.どんな作業をしましたか?

    これは草切り。

 Q.炭は焼きましたか?収入は?

    炭はねぇ、焼いたよ。収入はまあまあじゃろね。やっぱ売りよったよ。自家生産。

 Q.山を焼くことは?

    焼畑はあったよ。そばをつくってみたり、からしをつくってみたりしよった。そば反当一俵くらい。野稲はつくりよらん。

 Q.キイノはなんという地名ですか?というか、キイノってなんですか?

    キイノっちゅうたらね、野焼をした後に作物をつくると。たとえばそば、からし。こらもう共有地。

 Q.かごは取りましたか?

    かごは取ったよ。

 Q.山の木の実にはどんなものが?

    地蔵菓子、山ボウシの実、それからグミイチゴ、クワの実、アケビ、柿、栗。

 Q.干し柿の作り方を教えてください。

    干し柿は皮むいて、干して、そしてから、一連が30〜50ぐらい干して、市場に出す。でもこれはもう個人ではやらん。業者がやると。他の部落にはそんなんがおるよ。

 Q.食べられる野草は?

    これはもう七草。それからよもぎ、イタドリ、アサミ‥

 Q.食べられないものは?

    そんなん食べたことないけんねぇ。あぁ、馬芹。これは牛も食べんよ。あとゼンモンブキ。

 

 

D部落の生活

 

Q.米はどういう風に保存しましたか?

    十俵管ていうカンカンに保存。他にはモミグラ。虫、ねずみ対策にもなるよ。

 Q.米作りの楽しみは?

    やっぱ自分の家で食うけんね、自家用として作りよったわけ。楽しみなんかあんまり‥楽しみは、ない!

 Q.苦しみは?

    苦しみは、多い!

 Q.むかしの暖房は?

    たきぎ、いろり、湯たんぽ。

 Q.車社会になる前の道はどの道ですか?

    こりゃわからんばい。どんな道ならよかってん、どの道やったらわからんよ。

 Q.村にはどんな人が来ましたか?

        行商人来たよ。魚売りも。アミツケ、ガニツケ、塩鯨、塩鯖とかね。

 Q.ザトウさんは来ましたか?

 ザトウさんはねぇ、砥川の人よ。砥川ちゅうのは佐賀県くさ。フクチ            さんていう人たいね。

 Q.薬売りは?

    薬売りはね、富山県の人。家ばまわって、それで薬をかえさすわけよ。

 Q.むかしは病気になったときはどこでみてもらいましたか?

    村のお医者さん。病気のときは。

 Q.米は麦と混ぜたりしましたか?

    混ぜる。これは7:3くらい。米のないときは5:5くらい。

 Q.自給できるおかずは?

    おかずや。おかずはねぇ、大根の漬物、それに梅干、塩物、ニワトリとか。あと山の獲物ね。ウサギ、山鳥、キジ、ハト。

 Q.青年クラブはありましたか?

    あったよ青年クラブは。泊まってねえ、村の監視とか。規律は厳しかった。上級生からの制裁はあった。力石もあった。柿も盗った。

 Q.犬を捕まえて、すき焼きやナベにしたことは?

    ある。犬は棒でたたきよったくさね。猫もあったよ。

 Q.よばいはさかんでしたか?よその村の青年とけんかをしたりは?

    これはあったやろうねえ。

 Q.もやい風呂はありましたか?

    あった。

 Q.恋愛は普通でしたか?

    ふつう。

 Q.盆踊りや祭りは楽しみでしたか?

    そりゃあ楽しかったろう。これは十二月の祭り。それから盆踊りのあと。盆の休日。

 Q.小作制度はどのようなものでしたか?

    小作料はねぇ、地主と決めて、反当、二俵くらい。格差はあったくさ。

 Q.神社の祭りの参加、運営は平等でしたか?

    これは平等やった。

 Q.戦争はこの村にどのような影響を与えましたか?

    こりゃあ‥あんたたちの先生はしっとるんかのう。お前しっとるかってかいとこうか。二度と、戦争はしない。

 Q.むらはこれからどうなっていくのでしょうか?

    こりゃあわからんばい。先のことは。過疎におわれて減る一方でしょう。

 

 

むすびにかえて

 ウサギ肉の味は、きっと忘れません。