志摩町を訪ねて

志摩町引津地区船越区長 小金丸さんを訪ねて

 

火曜4限 歴史の認識 服部教官

 

 

 

 

理学部化学科

中村 貴志

吉田 太一

 

 

調査した日・・・12月28日午後1時〜

調査した場所・・・福岡県志摩町引津地区船越

話しをしてくださった方・・・小金丸 智さん

 

僕達はバスでは行かずに自主行動でいきました。12月28日の午前10時過ぎに集まり志摩町へと向かった。もちろん10日前に手紙を出した後に、電話をして約束を取ってある状態であった。しかし、自分達が事前に調べた地図や情報だけで訪問先がわかるのかが不安であった。志摩町に着いてから、まずは周辺の地形などを調べてみると海の近くであったので漁業が盛んだったのではないかと大方予想して、付近の人に聞き込みを行うとすぐに訪問先の方の場所がわかったので安心しました。予定の5分前に着いた僕達は、緊張しながら午後1時になるのを待ち、小金丸さんのお宅を訪ねた。ドアを開けていただき、中からとてもいい人そうな方が出てきた。お宅の中にあげてもらい、僕達は緊張しつつ、正座で座った。すると小金丸さんは「どうぞ足を楽にしてください。」とやさしく言ってくださった。心の中で、いい人でよかったなぁと思いました。緊張が少し和らぎました。さっそく聞き込みを開始しました。

 

まずは、しこなについて聞いてみた。

小金丸さんが言うには、船越には、しこなと呼ばれるものはないということだった。ただ、屋号というものがあるそうだ。

 

   屋号

オオサゴ

マルサ

フロヤ

ニシガタ

 

 

 

 

 

 

しかし、屋号はあまり使われていなく、小金丸さんもあまり解られていない様だった。

よって、深く聞いていくことはできなかった。また、名前をあげていただいたが、その場所正確にはわからないようだった。服部教官のプリントに「しこなという呼び方は平野部のもの」と書いてあったので、海に囲まれた船越には、しこなは反映してはいないんだなと僕達は思った。

 

 次に、船越という地名の由来について聞いてみた。

まず、船越が船の停泊地に適しているから。そして次に、これはとても納得のいった答えをいただいた。それは、船越というのは、元は島だったということだ。よって、本土に海を越えて、船で行くというところから、船越という地名がきているということであった。これを聞いたときには、僕たちは2人で「おお〜」と驚いた。でも、あとで友達に聞いた話だが、船越という地名のところは、ほとんどが同じような由来だそうだ。

 

 船越の昔について聞いてみた。

江戸時代には、船越の周りの海には、海賊が多かったそうだ。船越はよく海賊の被害を受けていたそうだが、それを救ったのが、ゲンゾウという人だそうだ。近くの善応山という山から海賊がくるのを見張り、海賊が来たら皆に知らせ、非難させていたということだ。海賊は抜け殻になった村を見て仕方なく帰っていったそうだ。ゲンゾウの供養をちなんで今でも2月に供養の式があるということだ。今では、善応山は別荘地となっており、船越に住む住民と同じくらいの人の別荘があるということだった。

 

 戦争中の話

船越には戦時中、基地があったそうだ。いたる家で兵隊が泊まったりしていたそうだ。また、軍港を佐世保に置くか、船越に置くかの議論もあったそうだ。この話には驚かされた。もし、船越に軍港が置かれていたら、船越はとても大きな被害を受けていただろう。また、山は防空壕とイモ畑ばかりだったそうだ。

 

 行事について

今でもある行事として、

211日 建国祭・・・宮参りや集会をするらしく、小金丸さんがいうには、1つの部落で建国祭をやっているのはここぐらいではないかということであった。

429日 厄神祭

715日 夏祭り

などをあげていただいた。

また、昔あった行事として、船越に嫁が来たら、「石打ち」というものをやっていたそうだ。石打ちというのは、その家の庭先にみんなでお祝いとして石を投げ込むというものである。すごいことをするんだなと思った。

 

 漁業について

船越で獲れるものは、鯛・いかなどだそうだ。鯛は去年多いときには、1日で700箱獲れたことがあったそうだ。昔は、真珠の養殖も行われていたそうだ。今では、小規模だが、鯛やハマチ、カキの養殖をしているところがあるということだった。

 出荷先としては、福岡はもちろんのこと、下関や広島、京都までにも出荷しているということだった。

 

 君が代について

 これは、船越にある「若宮様」に「こけのむすの姫の尊(みこと)」というものがあり、これが、君が代の中にある「こけのむすまで」の所以であるというのだ。小金丸さんがいうには、君が代は福岡県で作られたものだということだ。小金丸さんは、君が代は福岡県で作られたものだという本を読んだことがあるという。「ちよにやちよに」は、県庁がある、千代のことだそうだ。また、「さざれいしの」は、どこにあるかわからないが、県内に「さざれいし神社」があるということだ。この話は非常に感動した。福岡ってすごいと思った。ほんとに福岡が君が代発祥の地であるなら、福岡県民として少しは誇れることかもしれない。小金丸さんが読んだというその本はどこにいったかわからないということであるが、1度読んでみたいと思った。

 

 自然災害

あまり自然災害はなく、昭和27年に台風で山が崩れたぐらいだという。海沿いなので津波などはないのかなと思いましたが、潮の流れはあまり速くなくそうです。

 

 生き物

イノシシやタヌキなどがいて、農家に被害を与えているということだ。

 

船越の魅力

 付近にエメラルドパークという別荘がたくさんあるところがあり、その付近に行ってみたところ家がたくさんあり空気はおいしく、とても良いところでした。

 今後について

 今、船越を含めた引津地区では、地域づくりということで、月に1回、会合を行っているということだ。地区のいいところ、住みよい町にするにはなどのアンケートをとり、地域の活性について、そのアンケートをもとに話し合っているそうだ。志摩町は都会に近いので電車に乗って会社に通勤する人や、農業、漁業、その他の職業に就いている人がいるので、みんなの価値観の違いが大きいのではないのかなと思いました。なので、その話し合いは想像するだけで大変なものだと思うので、小金丸さん頑張ってください。

 

 小金丸さんには本当にお世話になりました。やはり初めは、知らない人に話しをして緊張、恥ずかしさなどがあり、失礼のないようにと話しが少しぎこちないようになっていましたが、話せば話すほど楽しくなりとてもよかったです。このような調査という形でその地域の歴史を聞くのは、勉強になることはもちろんのこと自分達の田舎の昔の暮らしや歴史も知ってみたくなるという衝動を生みました。今の僕達は現代の暮らしを重視して未来の事ばかりをみていますが、少し立ち止まり昔の暮らしや出来事をみつめてみるのも大事な事だと思います。今回の訪問をこころ良く迎えて、僕達の質問に丁寧に受け答えしていただいた小金丸さんには本当に感謝しています。ありがとうございました。