筑紫野市山口
文学部一年 白石芳枝 豊村尚子
≪田んぼについて≫
生徒:田んぼの水はどこから引いていますか?
:今は山神ダム。昔は近くの池やら川から引きよったですな。
生徒:水を分ける時のルールはありましたか?
:井手を勝手に引いたらいかん。下の承諾がいる。こっちが準備できたけんって水ひいても下がまだかもしれん。
生徒:旱魃はありましたか?
:旱魃はあんまりない。水はおおかけんですな、大きな川筋ではない、小さな谷なんかではあったかもしれんけど。
生徒:じゃあ、雨乞いなんかはしなかったんですね。
:うん、雨乞いはしとらんなあ、大宰府の方では今もやりようみたいやけどな。
生徒:台風の被害はありましたか?
台風はそこの基山のおかげであんま被害なかったですな。
生徒:用水路にはどんな生き物がいましたか?
鮠やらフナ、ウナギ。ウナギ釣って食べよりました。
生徒:田んぼはどうでしたか?
タガメ、ヤゴ、ゲンゴロウがおりましたな、戦後は薬使ったけんサワガニやら減ったけど、今はいーぱいおるよ。川もきれいになりましたけんなあ。
生徒:米だけじゃなくて麦も作ったんですか?
昔は少し作りよったけど。田植えが遅くなるし採算がとれんとですよ。昔は麦やら菜種やら作りよった。蕎麦は自家用くらいで。 昔は地下足袋やらなかもんですけん、麦藁が足に刺さって痛かった~。
生徒:田植えは直播ですか?
いんや、苗から。
生徒:村の一等田ってどういう所がありますか?
ニタンダ、ナカヤシキ、ナベクラ。
生徒:肥料はどんなのを使ってましたか?
たいがいウシのフンやら。蓮華草うえてチッソば増やしたりね。根粒菌をね。
生徒:ああ、生物で習いましたね。アゾトバクターとか。
あとは化学肥料。石灰チッソとか。
生徒:稲の病気にはどんなのがありましたか?
イモチとかモン枯れとか。虫のほうが大変やった。
生徒:害虫にはどんなのがいました?
ウンカですねえ、秋口に。石油ば点々とまくでしょ、それがさーっと広がる。
生徒:窒息死させるんですか?
そう。田んぼが虫で真っ黒かごとなる。
先生:米ができない年ってあったんですか?
そりゃあもうあっとりますたい。今のごと農薬やらないし。ウンカやら入ってきたらもう。
ウンカの大群って兵隊がずらーっときてね。穂がでるまではきれーにしとるとですよ、それでやっと今から実るって時に秋ウンカがね、集団で。畑は一枚ほとんどだめになる。真っ黒なるごと。 重油ば点々と落としていきまっしょが、それで油の皮膜ができとうけんそれに竹もってこーやって払い落とす。
先生:何割位落ちるんですか?
まあ気休めですたい。 水と油が一緒になっとうけん、それかけて。昔の百姓はおおごとやったですたいね。藁の液ば吸うもんで藁がしないでしまう。米を実らせる養分が上がってきましょうが、それを吸う訳です。もう気のついたときは終わり。気がついたときには手におえんのですな。それこそちょこっとでも黒くなったらくさ、油なんどいれなしょうがない。
先生:ウンカ退治は毎日やるんですか?
一回やりゃいい。そりゃあ、下に油にまみれとうとば田んぼ一面にこげーんも気持ちがわるなるごとおったが、もうほとんど99%ぐらいは死によったですよ。そんかわり1%ぐらい残るけど。そやけん、田んぼのミナクチの所、あの水が落ちる所、そこいったらこう固まって、それこそショウケ(一升桶?)で何杯もあるごと死によったですねえ。いっぺんやれば。ほっといたら全滅。早めにやれば米は取れる。それでも正常な米ツヅじゃあない。養分ば吸うとるけんね。悪いとこはここだけかと思ったら、この近辺はもう吸うとうとですけね。それこそ、ウンカの大群っていうごと。ものすごう。そしてあれは増えるのが速いですけんね。もう三日もしたら、大概の田んぼはもう。遠くから見て「あの田んぼは色が違うなあって、どうも黄金色しとらんなあ、ちょっと黒味がかっとうなあって」言うてそん時すぐしたっちゃあ、もう明けの日は。そのまましゃげてしまっとう。藁はやーおなってぐじゃぐじゃ。ほとんど枯れとう。当たり前の米ツヅ(つぶ?)はもうないです。くず米のごと。青米以下です。水管理よりもウンカの方が大変。 田んぼ田んぼで虫がつく。上の田んぼにできたけんって下のたんぼにつくってわけじゃない。
今年はうんととれようや、って地主さんが喜びようとそげんことになる。(笑)窒素が多いのが(虫が)つくわけですたい。そやけんウンカもやっぱし子孫を繁栄させないかんけん栄養のいい、おいしいとにくる。 石灰窒素がよう効きよったな。サンパチとかの三要素揃った。
ポリドールが流行ってきた時は危険防止のために共同防除したけど、共同防除やないと許可がおりんやったちゃけん。あの薬はひどいもんよ。ポリドール飲んで死んだ人が何人もおるけん。そうやって自殺するひとがおったけん薬の管理が厳重になったっちゃもん。
生徒:共同作業はありましたか?
手間がえっちゅうて、手伝いにはきよったけどな。親戚やら近所の人が手伝いにきよった。 あと若い女の人達が水に沿って手伝いにきよんなったな。あれは嫁入り道具が買える位稼ぎよったっちゃなかろうか。
生徒:さなぼりはありましたか?
田植えの後に、手伝ってもらった人やらよんで御馳走食べたりはしよった。
生徒:牛や馬は飼っていましたか?
牛はほとんど飼っとったけど馬はあんまりおらん。
生徒:牛の餌はどこから運びましたか?
近くの田んぼや原野の草たいね。そこらに生えとうとば。
生徒:どうやって牛を操るんですか?
一本の手綱で。右へは「せい」左へは「さし」
先生:牛の靴はかせるのは大人の仕事?子供の仕事?
糸島から牛引いてくる時は牛の靴を二足も三足も腰に下げて。足癖のわるいとはよこっちょにずれる。
先生:わらかなんかで作るんですか?
わらです。ぞうりと一緒です。
先生:一足作るとに時間はどんくらいかかりますか?
それはもう15分ぐらい。うちの親父やらちょろっとで作りよった。
先生:自分の牛には名前つけるんですか?
戦争中は登録せなんごとなって名前つけさせよったですな。なんて名前付けたらよかろうかいって畜生ってつけよった(笑)
先生:犬みたいにポチとかつけるんですか?
そういうふうにつけよった人もおったかも分からん。(にやり)もう‘ウシ’たい(笑) 私はうられていくわいなってな(笑) 牛のおらんなら百姓されんたい。運搬から耕すとから全部牛がやるけん。
先生:牛を持ってない人はいましたか?
百姓するなら全部もっとらな。牛のおらんなら百姓されんたい。運搬から耕すとから全部牛がやるけん。
先生:牛を農繁期に借りるということは?そういう人はいなかったんですか?
みんなやっぱ我がうちおいといたですよ。もうホンと使いよったですよ。農繁期につかうためにおいとったわけですから(笑) ちょっとよそから借りて来ようっていったっておらんですもん。
牛の年は歯でかぞえる。人間と同じで乳歯とあれとでほんな数えていって何歳かちゅうて。 むしゃむしゃ食うていきよってですな、毒草がはいっとったらぜったいくわんとですけな。牛は学校いっとうわけでもなんでもないんやけど(笑)
先生:毒草ってどんなのですか?
蛇イチゴってありまっしょうが、牛芹、毒草ですたい。芹の毒芹っていいますたい。
先生:トリカブトってありますか?
トリカブトはここらへんそうない。そこだけのこしとうですなあ。どげな教育うけとうでもなし、親から教えてもらうでもなし。ちゃーんと見わくる。
先生:うまい草とかは?
オクトオシは好いとるもんな、やおおして。
ここいらではオクトオシで通る罰点草、オコトオシやロ?
いや、何とかヒグサ。畑やらわりと生えるもんね。その草の生命力っちゅうたら物凄いもんね。
そやけん私が聞いたとは、オクトオシはほんなことは、オコトオシっちゅうて、女がお腰を巻いとろ、そして長く座っとったら、お腰を通り抜けちゃあ、生えてくる様な生命力が強い草って言う事でオコトウシがオクトウシになったとは聞いた事あるねえ。女性にはあんま言えんねえ。(笑)あんまり座って長話ばしよったら。
お腰って言うたってこの人たち知んなめえもん。
先生:腰巻ってことですね。そう腰巻。
大学生やけん話してもよかろうもん。昔の女性はパンツなんてはいてなかったのよ、スカートみたいなのはいて紐で結んどったのよ。普段がそれやけねえ。草むらに座るでしょ、座った時にね、いつのまにかお腰を通してまで あまり長う座っとったら、お腰を通して生えてくる。それだけ草の生長が速いっちゅうこと。そやけん、草の名前をオコトオシって言う。それがここいらの方言でオコトオシ。年寄りの人が言いござった。昔は働け働けやたけんね、女がそこら辺でテレ-っとしていつまでも座っとくもんじゃないって意味もあるんじゃないの。農家の人は働け働けって、江戸時代の話だからさ。想像の話やけどね。(笑)(生徒に向かって)あんた調べてよ(笑)。
先生:猪はいましたか?
今あ猪やら。昔はそげんおらんとやったもしれんが。私共が子供の頃はおらんやった。見たことなかった。聞いた事もなかった。正月に久留米のコオラ山にのぼったら下の池のあろうが、そこの橋でリヤカーに積んで売りよう、毛の生えたとば。そやけん、親父になんであげん毛の生えたとば売りよるかいなって聞いたら、猪やって証拠にな、毛のついたまま持ってきて売りようって。
先生:馬はいますか?
馬はあんまりおらんやったなー。馬より牛が多かった。
先生:馬洗いの場所は決まってるんですか?
決まった場所は無かったですな。お宮の前にとめといてから飛び石があってですな、あそこではいられるごとなっとる。
先生:飛び石いまでもありますか?
ありますあります。ホノケの中に牛とか馬に関係あるのはありますか?もう今ヤマナカの途中にな、ウマノドンバラっちゅう渡るとに深いとこがあるとですな、深いとですたい。どんばらまでくるとこはめったにない。だいたい飛び石ば作りましょうが、横に、飛び石ば作ると平均的に流すごとしとりますもんな。
先生:そこで馬も洗うんですか?
洗うっちゅうか浸かる。(馬が)自分で洗う。(笑)
生徒:山を焼いたりしましたか?それは共有の山ですか?
うん、春先に(山を)焼いたら、いい草が生えて、害虫除けにもなる。
生徒:炭は焼きましたか?
炭は焼きません。炭にせんで薪のまま使いよった。消し炭にしてな。韓国から来た人達は作りよったみたいやけど。
生徒:どんな木でですか?
周りの山の雑木やらで作りよったんでしょうな。
生徒:かご(楮)は取りましたか?
昔はハギワラの辺りにたくさんあった。
生徒:カンネ(葛根)は取りました?
カズネやろ、私達は取りよらんやった。よその人が取りにきよった。
<恋愛について>
生徒:青年クラブって知ってますか?
古老:青年クラブっちゅうのは青年団っていいよった、昔は。青年団のこと?
生徒:なんか結婚前の若者たちが集まるとこ。
古老:ああ、あれですね、集会所のこと。寝泊りしよったよ。
生徒:青年クラブはありましたか?
古老:男はあったけど女性はなかった。私も戦時中泊まったたい。そしたら近所のじいちゃんが、起こしんきなった。山の向こうば見てん、福岡が燃えようぞって。そしたら山の向こうが真っ赤になって、B29がピラッピラって。そこの山から福岡が見えるとですよ、そやけん空が真っ赤になって、福岡市が燃えよう。
女性の人は若い人は札うちっちゅうてですね、20人くらい連れてまわりござったよ。あれは何経ですかね?なんかお歌いっちゅうか‥。なんか鈴ば鳴らして。あれは観音様をまわりよった。そうそう。女性の若い人はたいがいな。
生徒:若い人って私達ぐらいの?
古老:学校卒業して20くらいの、昔は高等科まででしょ。22・3くらいかなあ、その位の年配の人達が。お経みたいなのして、なんとかっちゅうて詠っていきよった。札番号のついた観音様。宿があってからそこに泊まって、どこの村のどこにどんな女性がおらっしゃあて顔ば見よった(笑)今と違ってですね、当時女の子はどこでもおらんし、他の部落にはいかんでしょ、そやけん、あ、あの人あの人って見よった。そして札所札所で接待で御馳走つくって出しよったですよ、んで男はあればってん、じいちゃんばあちゃんは、行ってあそこにあの人がってことを見てきとうでしょ、どこからきとんしゃった人にいい人がおったばいって。そやけん一応そういう意味をかねてでしょうねえ。大正15年生まれの人までは、札うち行ったけど、それ以後は戦争があって、ちょうど太平洋戦争があってからなくなったかなあ。
生徒:そこから恋愛が始まるんですか?(笑)
古老:恋愛はない。お見合いやけんねえ。
生徒:昔はお見合いなんですか?
古老:お見合いも親同士の、仲人さんのあれで。むかしは男と女とが一緒にあれすることはできんもんな。
生徒:そこ(青年クラブ)では何をしていたんですか?
古老:今でいうコミニケートですね。結局その我が家でて泊まるわけですから。もう男だけで。その集落の独身の男性が集落にある集会所に泊まるだけです。
生徒:普通に生活するんですか?
古老:いや泊まるだけ、食事までしてきて夜だけ。飲むとかそういうことはしよったですけどな。
生徒:規律とか厳しかったんですか?
古老:いや自由。自由やけ行くんよ。ほやなかったらいかんわいな。
生徒:上下関係はどうだったんですか?
古老:そりゃあった。あれ買って来いとかスイカとって来いとか。ありましたよ。
生徒:じゃあ、よその村から来る青年とのケンカとかってあったんですか?
古老:ありましたよ。
生徒:原因は何ですか?
古老:特にない。
生徒:えっ?じゃあ単に自分たちの町に入ってくることに対してですか?
古老:そうそう。よそ者扱いやな。犬みたいなもんや。
生徒:殴り合いですか?
古老:そうです。まあ持ち出しても棒までやな。今みたいナイフとか持ち出さん。
生徒:えっ、・・・よばいってあったんですか?
古老:(笑)よばいって何ですか?
生徒:えっ!?(突っ込みにたじたじ)
(一同爆笑)
古老:あったよそりゃ。でもまあお互いが納得しとーけん。
生徒:へぇ~
話は戻って・・・
古老:札うちの女の子がまわりようって言いよったろ、あれ御詠歌っていうって。結局札うちちゅうのは、今で言うたらですねえ、集団見合いみたいなの。顔見せたいな。
うん、かおみせやから。 札所が33あったげな、それをずっと巡って。 今流で言えば集団見合いや。あの人はいい、どこの娘さんかいなって、ほいてなら紹介してもらおうかって。それがひとつの昔の交際の場。自由に男と女としゃべりよったら、ひとのみらるるけん、昔はねえ。あれはばってん誰が引率しよったとかいな? 年寄りのじいちゃんたちやった。2,30くらい。太平洋戦争はじまってから、のうなっとうっちゃないかな。あたし達はしっとうもんなあ、終戦後もあっとうとよ。終戦後も1回か2回あっとうよ。そいである程度の人がまとまったら思い立って、年齢は、高等学校卒業した人から24,5までくらいの年齢の幅の。同じ服装するけんくさ顔のいい人は目立つ、へへへ、夜やらはそこらの青年がっていいよったが、よばいとかいうことはせん。ただ正式に自分で村の年寄りに断ってな、してお話しするぐらいやな。
<昔の生活について>
生徒: 豆腐とかも手作りですか?
そうですなあ、共同で作りよった。そやけん昔んとは苦汁で。今でも味はおぼえとうですなあ。蒟蒻も作りよった時がある。ばあさんが作りよった罰点なかなか固まらんやったり名あ(笑)昔は、あたしから言ってばばさんたちは灰のアクのごたあ使ってしよった。 豆腐は苦汁って塩の汁で。昔の塩は大きな塩がめっちゅうてたくさんこうてきて入れといたら、下に水のたまると。今の塩は精製しすぎてダメ。昔んとは苦汁ができよった。あれで豆腐作って、薄めたとばザーっと入れて。豆乳ができてね、豆乳ばよく飲みよった。
生徒:砂糖とかは買うんですか?
甘いとはない(笑)、自家で作られんけん買いよった。塩、砂糖はなかった。
≪地名について≫
生徒:今でも残ってる地名とかありますか?
地図そのものは200年くらい前のですよ。地名そのものは、ハッタンダなんてあるでしょうが、こういうのはあるんですよ。それとかわからないのがですね、地名ですよね、地名。原田はハッタンダってあるんかいな。-知らん。原田はなかろう。ここは山口。これは現在の地図に合わしてかいとらんけえな。これが
コヤドコロって書いてあるでしょう、今はコヤマチっつうとに今かわっとうでしょう。だけど今その人の説明ではこの人が(地図)おこしてある時には昔の漢字の東洋漢字で書いてある。だから、今の人は読みきらんわけですね。だから、全部カタカナで書いてあるだから読みづらい。
生徒:コヤマチはどんな漢字ですか?
古老:木屋町。これには小屋所って書いてある。それとかやっぱり地名にしてもですね、あの、 あのひとの言いようなったかな、トラックの運転手がいいようなったかな、ここいらにヒラト寺ってありますかいな。
これは現在は中屋敷って。 おおかもんな屋敷とか、古屋敷とか。いまここのおるとこは、もともとは,堂仲ですよ。地名はやっぱり変わってないですね、固有名詞ですからね、ただ解釈が。角にあったらカドとかですね、上にあったら井の頭って言ったり、新しい家のあるとこは新家って言ったり.名字じゃなくて通称でよんだり、昔からずーっと。
生徒:大木とか岩がついた名前とか、あと古い道とか峠とかに名前ついていますか?
あー、昔はありましたけどねえ、今でもあるんかなあ、部落でイワナガとかですねえ、いろいろそういう固有名詞はありますけどね、こっち辺りにある大きな桑の木名称はなかったみたいですねえ。一本松はあったけど。前は2本あったってやけど。 私が学校行く時はそれこそ木がおいしげっとってですなあ、怖かったですな、雨の日やら。子供んときは一本松って言ったらそれで通用しよったなあ。
<町のこれからについて>
生徒:町は変化していきましたか?
そりゃあ変わったろうなあ。まず行政区のなかで、私たちが学生時代の頃は170くらいやったでしょ、所帯数が。だけどいまじゃあもう5倍ちかいです。これだけ新人類が入ってきたから。自ずと変わらざるをえんですよ。そりゃあ生活様式も変わるし、色んな環境変化もあるしですねえ。昔から見たら もう天と地ちゅうたら大袈裟になるけどねえ。
生徒:この町は過疎化なんかの問題はないんですか?
今んとこないごたあ、ぎゃくやから。
生徒:これからもどんどん増えていく‥?
その可能性はありますね。まず、増える要因って言うのが、水がありますね。それから環境的にもいいですし。市街地からある程度距離があるから。変わりすぎてこっちの方が戸惑うことはある。やっぱりこういう集会にしても日常の生活にしても。
生徒:昔と今ではどちらが好きですか?
どうでしょう、昔のほうがいい面もあるし、どっちがいいって言われりゃやっぱり今の方が確かにいい。物資は豊富にあるし、自由ではあるし、どっちかって言ったら現代のほうがよかろうけど。昔が良かった点もある。どっちがいいってことは一概には言えん。昔は能天気ばされよったもんなー。そりゃいえる。小学校の頃現金をとにかく持ったことないですよ、よそのスイカ盗ってみたりミカンとってみたりは、泥棒意識はないけど、買うとこもないし金もない。今の子供ちゅうとお金もってますね、自分で買えるもん。その頃は我々はお祭りの時にいくらか親からもらうくらいで。だからちゅうてアルバイトとかとんでもないすねえ、ないから。まず現金は持たない。お年玉やらもろうたことないもん。とんでもない。(笑)正月がきたら下駄くらい買ってもらいよった。それぐらいですよ。昔は正月が楽しみやったもんな、下駄こうてもらうとが。それが今で言うプレゼント。農繁期なんちゅうたらこき使われよった。アルバイトのだんじゃない、我がうちのこと。
原野忠俊さん(S14)荒瀬朴夫さん(T15)坪内善五郎さん(T9)
帆足幸満さん(T15)高野典一さん(S3)末次豊さん(S10)
松下孝さん(S13)