1EC01098T 早瀬由美 1EC01101T 中村美緒 1. 調査地 佐賀県鳥栖市山浦新町 2. 話者 才田重夫さん(76),才田ムツ子さん(74)夫妻 3. 調査年月日 2002.7.6 4.調査内容 調査者は鳥栖市立麓小学校前でバスから降ろされた。二人とも鳥栖は初めてであり、まさに右も左もわからない状態。事前にコピーをしていたゼンリンの地図を片手に、地元の区長さんたちとの待ち合わせ場所である東橋を目指すも、指定の時間にたどり着けるかどうか、一抹の不安を抱えたままのスタートとなった。 しかし、予想を覆すように、道程の目印となる公民館、八幡宮を続けざまに発見し、気をよくしたところで山浦公園で昼食を取る。そこでは、福岡では見ることのできないカワトンボやアキアカネの大群を見、山浦の自然の豊かさを感じた。 そして一路、東橋を目指すも、今度は意外な距離に驚くこととなった。九州自動車道の下を抜け坂を超えたあたりで、彼方に区長さんたちとおぼしき方々を発見し、一目散にそちらへ走っていると、向こうの方々にも気づいていただけたらしく、こちらに歩いて来られた。 区長さん:「あなた方が市役所の方からやってきたひとたちかね。」 調査者:「はい、九州大学から来ました、本日お話を聞かせていただけるということで・・・。」 石橋さん:「私はここを十数年調査しているのですが、今日はちょっと違うところにも行かなくちゃいけないので・・・。何時まで話を聞く予定ですか?」 調査者:「はい、麓小学校前に三時五十五分までに行かなければならないので・・・。こちらを三時過ぎに出れば間に合うと思うのですが。」 石橋さん:「そうですか。それまでにはもう一度くることができると思います。田出島・不動島にも行かなくちゃいけないんですよ、本当はこちらの方の話のほうが興味があるんですけどね。」 調査者:「そうなんですか。」 区長さん:「私も今日は用事があって・・・。今から話を聞かせていただける地元の古老の方々のところに案内しますね。こちらです。」 石橋さんと調査者は区長さんの後に続き、才田さんのお宅に案内していただいた。 区長さん:「こちらです。」(といってそのまま勝手口とおぼしきところへ近寄る。) 区長さん:「(なにやら掛け声をかけ)勝手口からはあんまりかね、玄関に案内しようかね。」 石橋さん:「そうですね。」 そのまま、調査者は玄関に案内され、中からはやさしい表情を浮かべられた、感じのよい老夫婦が現れる。 話者:「いらっしゃい。」 調査者:「はじめまして。本日はお世話になります。」 話者:「よう来なすったね。石橋先生、ご無沙汰しています。」 石橋さん:「ご無沙汰してます。今日はこの子達が地名の調査をするそうで、私が聞かせていただいたことを話していただけたら・・・。」 話者:「こんな年寄りの話なんか、何の勉強にもならんよ。」 区長さん:「いえいえ、このご夫婦は地元の生き字引でね。何でも聞くとよかよ。」 話者:「今日は区長さんな、どげんさすとね。」 区長さん:「私はちょっと講習が・・・。だけん、よろしくお願いします。」 石橋さん:「私もちょっと違うところに行って、後でまた顔出します。」 話者:「そうね。じゃあ上がらんね上がらんね。」 調査者:「はい、お邪魔します。」 奥の仏間に通される。玄関先に立派な工芸品が数多く並べてあるのを見ながら勧められる まま出された座布団の上に座る。 調査者:「今日はよろしくお願いします。申し遅れましたが、私たちは九州大学経済学部二 年の中村と早瀬といいます。」 話者:「そうね、よう来なすったね。ほら、足ば崩してよかとよ。」 調査者:「はい、ありがとうございます。」 お茶まで出され、恐縮しつつ、目の前のテーブルに地図を広げる。」 話者:「ほー、これは山浦ん地図ね。」 調査者:「はい。今日はこの地域の昔の様子、暮らしをお伺いに来ました。まずは地域の範 囲を教えていただけますか?」 話者:「(地図を指しつつ)ここから・・・・ここまでが山浦よね。」 話者:「ここん川がヤスラ川てゆうとよ。」 調査者:「やす・・・らですか?。」 話者:「そう、ヤスラ。さっき東橋ん方から来んしゃったとでしょ?あん橋かかかっとった川がヤスラ川。字は「安い」に「良い」て書くと。」 調査者:「安良川ですね。」 話者:「昔はこん辺りは鍋島と肥前の国境でな、こん川のこっちと向こうとでは全然 言葉ん違ったとよ。」 話者:「そうそう、通じんかったと。」 調査者:「へぇ、そうなんですか。」 話者:「今ん子たちはそげんことなかばってね、昔はね、言葉ば聞くだけでどこん子 かてすぐにわかったと。」 話者:「こっちは肥前やったけんね。鍋島ん方とは、たとえば、お父さんお母さんて いうのも違ったと。」 ここで話者のご夫婦に昔の鍋島の言葉、肥前の言葉をいろいろ教えてもらう。 話者:「・・・そげんともあったと。」 調査者:「なるほど。肥前は佐賀、長崎っぽい言葉であるのに対して、鍋島の言葉は 福岡っぽいことがうかがえますね。」 話者:「そうね。」 話者:「国境やけんな、カラホリちゅうて、筑紫城の下城だったつづら城のお堀が あったとよ。」 調査者:「お堀ですか。」 話者:「そう。そっで、(地図を指しつつ)ココ辺りば昔っからカマンホカって言い よったと。なんでこげん呼び方ばすっとかいな、て思っとったら、石橋先生に聞いたらココにあったお堀の外って意味で、カマエノホカっていうとがあって、それが正式名称ちゅうことやもんね。」 調査者:「それはこの辺り、で正しいのですか?」 調査者は確認を取りながら地図にその地名を書き込む。 調査者:「そしてこれは明治の頃の、この地域の字(あざな)を一覧にした物なので すが、この中に何かご存じの名前はありますか?」 話者:「ほー、こがんとのあっとね。山浦は?」 調査者:「多分この山浦村という項目中のかと・・・」 話者:「こん中でしっとるとば言えばよかんね。(そういってめいめい、めがねと虫 眼鏡を取り出す)」 話者:「聞いたことがあるとは・・・」 こう言ってすべての字に目を通していただいた結果、以下が使っていた、もしくは聞 いたことがある字名ということである。 字:今泉・宮下・真崎・一ノ坪・魚取・町畠・椿谷・四ノ坪・庵ノ前・西田・空口・ 谷頭本村・五本谷・中ノ坪・道庵・箒土居・中原・宮前・出目・新町・板橋・牛石・ 溝副・大日・岸田・桶渕・西ノ原・奥無石・地蔵山・牛ノ尾・道手・松山・丸山・寺 山 また、これらは日常的に会話の中で使っていたので、読みは知っていても漢字がどう いう風に当てはまるのかは正確にはわからない、とのことだった。 調査者:「ありがとうございました。」 話者:「使っとらんともこんなにあるとね。」 調査者:「後、ここに書いていない物で、家族や地域の方々の間で使う小さな地名は ありませんでしたか?」 話者:「ああ、あったあった。さっきも言うたけど、カマンホカとかね。」 調査者:「それは田圃のことを指すのですか?」 話者:「そうそう、あとね、田圃のことをいうとで、ハルバタケとかマチバタケ、マ エダとかもあった。」 調査者:「場所をこの地図で教えていただけますか?」 話者:「ここと・・・ここと・・・」 正確な位置をご夫婦がいろいろ論議なさりつつ、教えていただく。 話者:「あと、ハルバタケちゅうのは今は田圃やけど、昔はハゼノキ畑だったと よ。」 調査者:「ああ、あのお相撲さんの鬢付けにつかう・・・」 話者:「そうそう、よく知っとんね。」 調査者:「いえいえ、ちょっと聞いたことがあって・・・。ところで、田圃の他にも 何か小さな地名はなかったのですか?」 話者:「待って、今思い出すけん・・・ああ、モッタバル坂ちゅうとがここに(地図 を指しつつ)ある。」 調査者:「モッタバル、ですか。」 話者:「そうそう、九州自動車道の下辺りやけん、ここやね。」 調査者:「そうですか。」 調査者:「あと、橋にはどういう名前が付いていましたか?」 話者:「東橋・・・だけかね。」 調査者:「なるほど。では、池などはなかったですか?」 話者:「池?灌漑用にはいらんかったとよ。安良川があるけんね。他の所には一部落 に一カ所づつはだいたいため池があったとやけど、うちは川から水ばひいとった。」 調査者:「へえ、そうなんですか。便利だったのですね。」 調査者:「ところで、ここのお宅はずっとこちらなのですか?」 話者:「そう、ずっとここに建っとる。」 調査者:「なら、何か屋号とか・・・ありませんでしたか?」 話者;「屋号・・・はうちにはなかったね。隣ん方、ちょっと向こうっ側に久保田っ ていう屋号のうちがある。」 調査者:「そうですか。」 話者:「後は紙屋とかもあったね。」 調査者:「それはもう、その名前を出すとどのお宅のことだってすぐにわかるよう な。」 話者:「そう、郵便屋にいえば葉書がすぐに届くとよ。」 調査者:「へえ。」 調査者:「では、安良川についてですが、なにか渕に名前が付いていたりとかしませ んでしたか?」 話者:「渕?・・・うーん。なかごたったね。」 調査者:「そうなんですか。なら、山に大木や巨大な岩などは・・・。」 話者:「山浦じゃなかばってん、牛石ちゅうのがあるとよ。」 話者:「牛が寝たごたる格好の岩でね。雨乞いにも使った。」 調査者:「雨乞いですか?どのようにするのですか?」 話者:「牛石に酒ばかけっと。そうすれば雨が降るっちゅう言い伝えがあると。」 調査者:「なるほど。」 調査者:「では、これまでのご職業について聞かせていただけますか?」 調査者:「農業を営んでらっしゃるのですか?」 話者:「そう、田圃ばしとる。でも最近な、おばあさんばっかりで・・・。」 話者:「昔はこの人、国鉄に勤めとったと。でも19の時に満州に兵隊で行ってから、 台湾に行って、その後日本に帰ってきたとやけどね。」 話者:「海軍の特攻部隊のカイテンに入ってな、危うく死ぬところじゃったと。」 調査者:「もし帰ってこれなかったら、お二人が会うこともなかったのですね。」 調査者の言葉に対して、はにかんだように、壁に掛けてあった'祝・金婚式'の賞状 の数々を見やっていた話者。 話者:「帰ってきてからずっと田圃ばしとったけど、頼まれてから国有林の管理も やっとったとよ。」 調査者:「管理というと、木々の世話などですか?」 話者:「そう、植林から草引きから・・・。でも目ば悪うしてからは山ば歩ききらん ごとなったけん、全然行けんと。斜面の多かけんね、目は必要とよ。」 調査者:「そうなんですか。」 話者:「行きたか行きたか言わすとやけどね・・・。」 話者:「今周りの山にはえとる木は全部自分で植えたけんね、子供みたいなもんた い。あと、田圃と兼業で炭焼きもしとったよ。」 調査者:「炭焼きですか?木炭ですか?」 話者:「そう、向こうに窯んあるよ。こないだん三月にな、久しぶりに炭ば焼いた。 息子たちがずっと、『親父ん炭焼きの技術はもうみんな知らんけん、教えてくれ』っちゅう風に言いよったとやけどね。」 話者:「玄関先に大きな炭ん置いてあったでしょ。あれがそれたい。」 調査者:「ええっ、そうなんですか?すごいですね。」 ここで、調査者はトイレを借りに席を立つ。ちょうどその間に田出島・不動島に出かけていた石橋さんが戻ってきていた。そのまま三人で話を伺う。 調査者:「用水路の中にはどのような生き物がいましたか。」 話者:「用水路というものはなかったのですが、さっきも言いましたように、安良川にはメダカ、ドジョウ、アブラメ、ハヤ、カワエビ、ギギョ、これはなまずに似た小さい魚ですが、そしてヤマタロガニやヤマメがいました。よくとっては食べていました。あなたたちから見たら原始人じゃなかろうかって思うやね。川の水も飲めよったとよ。」 石橋さん:「そうですね、ほんとにここは昔はきれいな川だったとですよ、そこらへんに売っている水よりぜんぜんおいしかったとですよ。」 話は水の話に変わり、石橋さんの故郷である天草の水が非常においしいという話で盛り 上がり、調査者の一人も天草出身ということや話者の人たちがよく天草の旅行に行くこ とも重なって、話は永遠と続く・・・。 調査者:「ヤマメがいたんですか、中学校の教科書で見たことがあります。清流にしかいないんですよね、すごいきれいなんですね。先ほどわさびが川の上流に昔あったといってましたけど。それでは、今も昔も川にいる生き物は変わりませんか。」 話者:「今はもうぜんぜんおらんとじゃなかろうかね、ヤマメとかはおるけど、」 調査者:「ヤマメがまだいるんですか。川はまだきれいなんですね・・・、」 話者:「いや、もう自然にはおらんとよ、みんな川に放流しとる。放流以外ではおらんとじゃなかろうかね。」 調査者:「そうなんですか、・・・もう川はあんまりきれいじゃないんですね・・・。ところでそれでは、田の中にはやっぱり生き物とかいたんですよね。」 話者:「田んぼの中にはタガメとか、お玉じゃくし、タニシとか、トンボ、・・・ 調査者:「トンボの幼虫・・ヤゴですかね。」 話者:「ヤゴやね、そんなんがおったとよ。」 調査者:「農業をしてらしたんですよね、それはお米ですよね、」 話者:「そうですよ。」 調査者:「稲の病気とかは何があったんですか。」 話者:「一番ひどいんはいもち病。あれにやられたらじぇんぶかれる。」 調査者:「やられたことがあるんですか。」 話者:「あるある。後もう少しで収穫っちゅうときにじぇんぶもってかれる。あと、しらは枯れ病・・」 調査者:「しわがれ??」 話者:「しらは枯れ病、葉が全部白く枯れてしまうと。あと、・・・なんやったかいね、・・・年取ると全部忘れてしまうばい。なんやったっけばあさん・・・」 話者:「なんやったかいね・・・」 話者:「茎かの、根っこの黒うなるのん・・・」 話者:「(しばしの沈黙のあと)そうや、モンガレ病たい。」 そこで、年をとると何でも忘れるね、というような会話が続く。 話者:「あと何やったけかいな・・・ウンカの害もあったよ。真っ白にかれるんよ。」 調査者:「そうですかー、本当に大変ですね。収穫間じかでやられるとは。ところで、害虫とかは昔どのようにして駆除をしていましたか。」 話者:「小学生がとりよったたい。」 調査者:「何をですか?」 話者:「卵よ。卵をいっこいっこ手で取りよった。農繁期になったら、小学校は休みになりよったったい。」 話者:「やすみやったかいな、、、。」 話者:「半日よ、学校が午前中で終わりよった。」 話者:「そうそう午前中。」 調査者:「卵は何の虫の卵でしたか?」 話者:「ニカメイ虫の卵やったよ。あと、さんかめい虫の卵。」 調査者の一人は、ニカメイ虫やサンカメイ虫があるならヨンカメイ虫もあるのではないかと思ったが、あえて触れなかった。 話者:「ニカメイ虫は時期が早いで、サンカメイ虫は時期が遅いんよ。」 調査者:「はーそうなんですか・・・(一同納得)。」 調査者:「今はどのようにして、稲の病気を防いでいますか?」 話者:「今はじぇんぶ予防薬ったい。だけ、残って被害とかはなかよ、中国のほうとかは、できた、米のできたあと、農薬とか・・・、残留農薬とか・・・あって、(聞き取り不可)。」 調査者は話者の方たちが自分たちの作るお米に自信を持っているのだなと思った。 調査者:「それでは、えっとですね、あの、牛を歩かせたり、(鋤の読み方に自信がなかったので、あえて読まず)するときの掛け声は・・なんかありましたか?」 話者:「あったよ。言うの?」 調査者:「はい、お願いします。」 話者:「ははは・・・へしぇへしぇ、っていいよったよ。」 調査者:「右左とかはあったのですか?」 話者:「へしぇへしぇが右で、さしさしが左。右に行くときは右の綱をくってこっち側に引っ張りよった。左に行くときは右を・・・(聞き取り不可)」 調査者:「え、右に行くときは右に・・?」 話者:「右に行くときは左を引っ張って、左に行くときは右のほうをぴしゃっとうちよったい。」 調査者:「あ、手綱は、、一本?二本?」 話者:「牛は1本で、馬は2本やったとよ。」 調査者:「そうなんですかー。」 調査者:「あ・・えーとですね、私はよく知らないんですけど、馬洗いがあるのに牛洗いがないのはなぜですか?」 話者:「あー、馬も夏だけ洗いよったとよ。」 調査者も、いくら馬といえども夏ぐらいは洗ってもらいたいだろうなっと思った。 調査者:「米とかはどのように保存したんですかね?」 話者:「もみのままもみ倉に入れたり、それは・・・」 話者:「それはうちたっちの親のころやったとよ、うちたちのころは大きなブリキの缶に入れて保存しよったとよ。」 調査者:「そうなんですか・・・。」 話者:「ブリキの缶には、10俵はいるとよ。1俵が、60キロやけ、600キロ。」 調査者:「600キロもですか??すごいですね。」 話者:「それは自家用よ。」 調査者は自家用で600キロとはいったいどういうことなのかと思ったが、たくさん食 べるんですねとも言えず、ただただ600キロということばに呆然とした。 調査者:「それでは、自給できるおかずと自給できないおかずはありましたか?」 話者:「自給できるっちゃ、野菜やね。自分ちでつくっとったんよ。」 調査者:「家庭菜園ですか。じゃ、自給できないのは・・・」 話者:「魚じゃね。」 調査者:「生魚とかは?」 話者:「魚は干すか、塩もんやったとよ。」 調査者:「肉とかは食べなかったんですか?」 話者:「肉はじぇんじぇん。鶏ぐらいかね、おくんちのときとか、正月のときに家でかっとる鶏をさばいて食べよった。」 調査者:「牛肉とかは?」 話者:「いや、鶏だけやね。」 調査者:「そうなんですか。それでは、他の質問ですが、食べられる野草はありましたか?」 話者:「せり、つわ、つくし、ふき、たらのめ、わさびとか、よもぎ・・・」 調査者:「ヨモギは薬にもなるんですよね。」 話者:「そうそう、血止め。あと、わらび、ぜんまい、やまぐみ、今はほとんど無いがね。そして、野いちご。」 調査者:「野いちごは食べたことがあります。」 話者:「あと・・・、桑のみ、あれみたい・・・えっと・・・」 調査者:「ブルーベリー。」 話者:「そうそう、口が真っ黒になるとよ。帰りにいっぱいとって食べよった。」 調査者:「口を真っ黒にしながら!ははは!」 話者:「ははは!そう口を真っ黒にしてね。それと、なんていう、本当の名前、学術名とかは知らんけど、ミソッチョ、私たちはそう言いよった、それを食べよったとよ。」 調査者:「口を真っ黒にしながら?」 話者:「そうそう。ははは。」 調査者はテーブルに広げてあるこの山浦の一帯の地図に桑畑マークがあるのを見て 調査者:「あ、本当だ。桑畑マークだらけ。」 調査者:「はじめて本物の地図で桑畑マークを見たね。」 調査者:「それでは反対に食べられない野草は?」 話者:「やまごぼう。あれはガンの薬ってやけど、なんかの、食べ方があるんやろうね、 食べたらひどいって。」 調査者:「じゃあ、食べたらガンが治るか、死ぬかってことですか。すごいですね。」 話者:「そうそう、何かね。」 調査者:「もやい風呂はありましたか?」 話者:「班に一つ。竹で山の上の川からずっと引いて。」 調査者:「はー、そうなんですか・・・。えっと次の質問なんですが、これは一体何なんですか、書いてあるんですけど、恋愛は普通でしたか?」 話者:「普通?あはは・・・」 調査者:「お二人は結婚はどうやって?」 話者:「うちたっち?あはは。この人とは親が決めたん。」 調査者:「お見合いですか?」 話者:「いやいや、いとこ同士ったい。小さい時は一緒に遊びよった。」 調査者:「いとこ同士・・・。」 話者:「昔は、親がおらんと生活できんかったでしょ、今の人は自由に、自分で稼げるからね、でも昔はね。」 調査者:「そうですね。盆踊りとか、祭りとかは楽しみでしたか?」 話者:「昔は盆踊りはなかとよ。今は子供たちが町内でありよっとけど。祭りは、おくんち、氏神様の。ししまいとかね出して。各町内で。」 調査者:「いつごろあったんですか?」 話者:「夏、盆前。あと、4月1日東や。5月の第一巳の日に弁財天祭。」 調査者:「べざいてん?私の家のまん前のバス停の名前がべざいてんですが何か関係あるんですかね?」 話者:「弁財天は農業の神様よ。七福神の。」 調査者は自分の家の前には洞海湾が広がっていて、全く農業とは関係ないなと思った。 そろそろ時間もなくなってきた。 調査者:「すみません、お名前を聞くのを忘れていました。お名前はなんとおっしゃいますか?」 話者:「才田重夫です。」 調査者:「漢字は何、どういうふうに書きますか?」 話者:「何才の才に田んぼの田、で重い夫です。」 調査者:「今日は本当にありがとうございました。」 話者:「いえいえ、こんなんで役に立つっとやっか。」 調査者:「いえいえ、本当によい話が聞けてよかったです。ありがとうございます。」 そして調査者は話者の息子さんの奥さんに山浦の駅まで送ってもらうことになる。奥さんは非常に面白い人で、車中もとても面白い話を聞くことができた。 (終了) |