現地レポート 阿翁浦

長崎県松浦市鷹島町

阿翁浦

九州大学

文学部人文学科1年 1LT13109   中村 晃也

工学部建築学科1年 1TE13042   長尾 謙登

 

※今回の調査で分かった地名については前半部分に記載する

 

,今回の現地調査に協力してくださった方々

・宮本 秀雄さん

・山岡 和英さん

・山下 和一郎さん

 

ありがとうございました。

 

,今回の現地調査の行動記録

 最初に我々は阿翁浦漁港でバスを降りた。そして服部先生や他の班と一緒にそこにいらっしゃった宮本さんと山岡さんに阿翁浦についてのインタビューを行った。インタビューが終わり、昼食をとった後は金井田修さんに阿翁についてのインタビューを行った。そして4時15分に集合場所である阿翁浦漁港に行き、4時30分に帰路に着いた。

 

,主な会話内容

〈学校について〉

学生「ここの子供たちとかはどこに通っているんですか?」

山岡さん「中通の方よ。」

宮本さん「前はそこにあったんだけどね。」

服部先生「分校があった?」

宮本さん「あったんですよ。」

服部先生「阿翁分校があったんですね?」

 

〈夜這いについて〉

服部先生「昔西南部に夜這いへ行ったりしたことないんですか?」

宮本さん「いやあ、無かもんですか。」

山岡さん(宮本さんの方を指差して)「先輩。」

服部先生(宮本さんの方へ)「大先輩?」

山岡さん「夜這いは行きよったね。おいも3回ぐらい行った。追われた追われた。」

学生「追われたっていうのは?」

服部先生「向こうの親に追われるんでしょ?」

山岡さん「そうそう、親から。」

服部先生「来るって知ってた?」

山岡さん「いやなんかやっぱ話し声がするんでしょうよ。」

服部先生「外で?」

山岡さん「一人一人待っとってこそって入るんとですよ。」

服部先生「一人一人入るわけですか?」

宮本さん「入り方教えようか?正面回ってさ、雨戸に、そいで中をうかがうわけよね。」

服部先生「でも娘さんはいやだって言わないんですか?」

山岡さん「嫌っていうようなところには行かない。ものになるとかならんとかじゃなくてた

    だ単にスリル」

学生「スリル!?」

山岡さん「きれいかお姉ちゃんがいるって行けって言われて行ったら赤ちゃんがいたこと

     があった。」

服部先生「お母さんになってたんですか?じゃあ。」

山岡さん「ああそうそう。あの頃はそんないやらしかあれで行っきょられんかったね。ただ

     の肝試しみたいな感じで」

宮本さん「そこの人もあんまやかましくは言わん。」

山岡さん「ウォッホンって咳してたもんね。」

服部先生「その赤ちゃんのいる家に忍び込んでどうなったんですか?」

山岡さん「お茶ば出さして帰った。」

服部先生「お茶を?」

宮本さん「あの頃は冷蔵庫なんて無かったもんね。」

山岡さん「まだ早かったもん。8時くらいだった。」

服部先生「8時くらい?よく覚えてますね。」

山岡さん「大将に子供がおったっていったら笑いおった。」

服部先生「大将があそこへ行けって言うわけですね?」

山岡さん「私はそれが1番始めやった。」

学生「驚きましたか?」

山岡さん「たまがった。きれーかお姉さんだと思ったら子供がおったったいもん。よそに行

     ってらしたのが赤ちゃんを産みに帰ってたんだと。」

服部先生「お産に実家に帰ってきてたんですね。それは村の中にいくんですか?阿翁の中

     に。」

山岡さん「いや、よその集落。」

宮本さん「ここは行かれん。」

服部先生「そういうのに優しいところもあるんですね?」

山岡さん「いややっぱ百姓さんはですね、案外、なんか、だってうちの娘はかたわじゃなか

     ろかい、来んげねって心配しちょるところもあったりしたですよ。」

宮本さん「そがんとこは行ったこと無か。」

山岡さん「今行きよんなら家宅侵入罪で」(手を前に出しながら)

一同笑い

 

〈苗字について〉

学生「地名に多いのはどんな苗字ですか?」

宮本さん「多いのは宮本。お宮の本っていうのでついたらしいね。そいでそこの奥の方の何

     軒かが昔の宮本が。」

 

〈昔の漁港の賑わいについて〉

学生「この漁港は四国との交流が?」

宮本さん「昔はどっからでも入ってきよった。島原あたりからでもここに来よった。」

学生「漁港同士で交流があったってことなんですか?」

宮本さん「交流というより避難港だよね。避難港として入ってきよった。」

服部先生「鷹島で避難港として1番いいのはどこなんですか?」

宮本さん「ここが一番良かですね。」

山岡さん「風待ちにも良いしね。」

 

〈元寇について〉

服部先生「元寇の船が沈んでたところは避難港としてどうなんですか?」

宮本さん「避難港にはならんでしょ。」

山岡さん「ならんでしょうね。」

服部先生「じゃああんまりよくないところにつないでて沈んだんですか?」

宮本さん「話じゃ4500隻沈んだといわれていますね。」

服部先生「あまりいいところじゃないんですね、暴風を避けるには。だから沈んだ。ここに

     いた船は助かった?」

山岡さん「いや、昔の人の話じゃこの辺も大分沈んでるって言っちょったど。上の沖あたり

     に。」

服部先生「ここにも沈んでいると」

山下さん「地名にもついてますよ。チウラ(血浦)とかクビザキ(首崎)、ドウシロ(胴

     代)とかジゴクダニ(地獄谷)とか。」

服部先生「向こうみたいに壺が出てきたりすることはあるんですか?」

宮本さん「前はあったかもしれんね。」

山岡さん「昔は鷹島で鎧とか刀が出ちょったのを博多とかどっかで売ったっちはなしじゃ

     ったあいね?」

山下さん「今あそこに三軒屋ってあるでしょ?そこは(元寇の時に)三軒家が残ったので、

     ほいで昔は地名が三軒屋っていったの。後の2軒は知らんけど1軒は今でも3

     軒屋ってあるよ。」

 

〈木製の舟について〉

服部先生「木の舟の時代のことをご存知ですか?」

宮本さん「私たちは木の舟に乗ってたですよ。」

山下さん「二十歳になる位。」

宮本さん「そうそうそう、プラスチックになったとがね。」

服部先生「二十歳まで木だった?」

宮本さん「26の時に(木の舟を)造って32まで乗ってた。」

服部先生「木船って水が漏ってくるもんなんですか?」

宮本さん「手入れ次第では10年でも20年でも持つとですよ。」

山岡さん「昔はほら、麦わらで燃やしよったですよ。」

山下さん「虫を殺したり、水分を取るったったいね。」

服部先生「海から揚げたら緩むんですかね?」

山岡さん「いや、そういうことは無かです。」

山下さん「浜辺に丸太ば敷いて。」

山岡さん「船首と船尾に、そんで下から燃やして。」

服部先生「それはその間は(潮が)低くなってるんですか?どうやって載せるんですか?」

宮本さん「(満潮で)浮いとる時に。」

山下さん「浮いとる時に載せて、そんでその下を(干潮の時に)みんなで燃やしてな。」

服部先生「じゃあ12時間の間に燃やすんですね?」

山下さん「そうそう、大潮、満潮の時に(丸太を)敷いて、そんで引いてから麦わらで燃や

     したり松葉で燃やしたりしとったったいね。」

山岡さん「そいでその名残で5月に和船競争っていうのがあっとですよ。」

服部先生「今でも艪船があるんですか?」

山下さん「あそこの倉庫に3隻置いとっですよ。昔は良うけ来よったですな。」

宮本さん「漕ぎ手も今は素人ばかりでな。昔はプロばかりで漁師も(出てた)」

服部先生「漁師が?」

宮本さん「プロのうえに20日前から稽古しよってなあ。今はあんたもう、あなたたちみた

     いな学生さんがしとる。素人のうえに稽古が足りないのか艪を押し切らん。」

服部先生「それはみんな艪で漕ぐんですか?何丁艪ですか?」

山岡さん・山下さん「四丁艪。」

山岡さん「ベイロンの方がやさしかですもんね。」

服部先生「でも長続きしないでしょ?ベイロンは。1時間も漕げないでしょ?」

山下さん「昔から伝統行事の時は艪を使っとったね。」

服部先生「艪は何時間でも漕げるんですか?」

山岡さん「いやあ、きつかですよ。競争のときはきつか。」

服部先生「競争の時はきつい?」

山岡さん「マラソンはきつかったら自分一人でやめられるでしょ?でも艪を(漕ぐのを)辞めたら離れてしまうとじゃ、みんな漕いでるのに。」

 

※これ以外の取材の録音データに関しては雑音が多く、打ち出しが困難なため、整理した文章でのまとめに代えさせていただきます。

 

,まとめ

〈青年宿について〉

 戦時中は青年が大事にもてなされており、青年宿として個人の家が貸し出された。そこで毎晩泊まり込んでいた。

〈警察官について〉

 昔の警察官は軍隊のように怖かったが、青年のやることは男女のことに関しては(夜這いについても)大目に見た。

〈戦時中について〉

 油を使うことができなかったため、艪を使った船で移動していた(帆も使用)。戦争が激しくなり、アメリカによる空襲が始まると、機銃掃射のため沖合へは行けなくなった。

〈学校について〉

 以前は阿翁にも分校があったが、現在は中通まで子供たちは通っている。

〈夜這いについて〉

 若者の間に肝試し感覚で流行っていたようである。ただし、この付近の集落ではなく、よその集落にまで出かけて行っておこなっていたようである。

〈苗字について〉

 地名に多い苗字は宮本でお宮の本という意味からだそうである。

〈昔の漁港の賑わいについて〉

 阿翁浦漁港は海が荒れた際の避難港として優れており、昔は各地の船が出入りしていた。風待ちにも適していたという。

〈元寇について〉

 元寇の沈没船が発見された場所は避難港には向いていないということをうかがった。また、阿翁浦だけでなく、鷹島全体に元寇での出来事に地名や謂れが残っていることが分かった。(チウラ、クビザキ、ドウシロ、ジゴクダニなど)

〈木製の舟について〉

 昔は船底につく虫の駆除のために干潮の時に下から麦わらなどを燃やすなどの手入れをしていたようである。和船競争も昔は本職の方々が出場していたという。艪は四丁艪を使用しておりインタビューに協力していただいた方々は皆小さい頃から艪を使って舟に乗っていらっしゃった方ばかりだった。

 

※地名の調査結果は柏木班の地図に記載されている。


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