神田山口調査記録

奥村、高野、古賀

 

崖の上の記憶

〜神田山口河野さんの話〜

記憶の主:奥村武史

「ちくしょう、なーんも見あたらねえ。」

もう何時間たつだろう。何もない農村に放り出されてから三人はどこにあるかもわからない団地を目指して歩いていた。お土産にと近くの店で買ったすいかを入れた袋が手のひらに食い込んで、手の感覚がなかった。

「お好み焼き屋のおばちゃんの地図だとこのあたりだけど・・・。」

古賀はもう何回も同じことを言っている。

「とにかくこの近くなのは間違いねえ。あの人に聞いてみよう。」

そういうと俺は近くで洗濯物を干していた女性のそばまで行って声をかけた。

「すみません、この辺に団地があるはずなんですけど、ご存知ですか。」

女性は一瞬不意を突かれたような顔をしたが、すぐに

「ああ、それならほら、あそこ。すし屋が見えるだろう。あのあたりだよ。」

と答えてくれた。三人はその女性にお礼を言って、歩きだした。大変なのはここからだった。何度も道を間違え、その度に同じ道を行ったり来たりした。近くで草刈をしていたご老人にもう一度道を聞き、ようやく近くまで来たのはよかったが、そこには気も遠くなるような長くて急な坂が待ち受けていた。

 ようやく団地にたどり着いた。あらかじめ約束していた下尾駐在員さんのお宅を訪れたが、あいにく留守のようだった。公民館にも訪れたが、中には誰もいないようだった。公民館をあとにして近くの家で水撒きをしていたご老人に聞いてみることにした。

「すみません」

2回声をかけると、気づいてくれた。

「このあたりで神田山口の歴史について詳しい人はいませんか?」

と尋ねたが、うまく伝わらなかった。もう一度聞こうとしたとき、家の中から人のよさそうなご婦人が現れた。事情を説明すると、

「そうねぇ、このへんだったら、河野さんがいいんじゃないかしら。あの人確かここへ来たの、もうずいぶん前だったはずだから」

三人はお礼を言うとたくさんの鉢植えが置いてある大きな家の前にやってきた。どの鉢植えにもマジックでおおきく「進」と書いてあった。

「ごめんください、九州大学から来たものですけど。」

そう声をかけると、中で物音がして扉が少しだけ開いた。

「はい、なんでしょう。」

扉のすきまから六十か七十くらいのご老人がこちらの様子を窺うように顔をのぞかせた。

「九州大学から来たもので、神田山口の歴史についてお話を伺おうと思ってやってきたのですが、事前に連絡をしていた下尾さんがいらっしゃらなかったもので・・・。」

そう事情を説明すると扉の内側から出てきてくれた。扉越しにはわからなかったが、丸顔の優しそうな人だ。

「なんじゃ、わしゃまた息子の大学の同窓会の集金かと思ったわい。最近多いんでの。それで、何を聞きたいんじゃ。」

「神田山口での五十年前の生活についてなんですが・・・。」

今まで黙っていた高野がたまりかねたように話し始めた。台本も見ずにすらすらと質問が出てくる。土壇場の大分県民はすごい。河野さんはその質問一つ一つに嫌な顔一つせず丁寧に答えてくれた。

「まず何から話そうかの。ここに上ってくる間に祠を見んかったか。。昔その近くで悪さなんかするとたたりがあるぞぉちゅうて。しかし、その祠をのこさにゃいかんちゅうてお祓いなんかして今でも残しているそうじゃ。しかし、それ以上のことは知らんのう」

 

 

そこで三人は五十年前の生活についても聞いてみることにした。

「わしが唐津に来た当時は徴兵やらなんかがもうなくのうてきたころじゃった。こん頃になると地名も昔のもんからずいぶんと変わってきとって、東唐津の方には『カワグチマス』とか『シンチクマス』とか、んでその唐津駅の近くには金谷、結局鍛冶屋さんみたいなんがあったんじゃが。あの辺で武士と町人のあらそいがあったんじゃな。ほんで三日四日は無礼講ちゅうて上がり込んでいくわけじゃ。ちょっと前にこの辺にきたバスガイドさんがその日は無礼講とさえ言えば誰の家にでも上がり込めると勘違いしたらしいが、もともと無礼講っちゅうのはそういういみじゃあないんじゃな。もともとそれは武士と町人が知恵比べをしようっちゅうことになって、町人は誰が長だかわからんように丸い笠に署名をして山をひきまわして普段は入ることを許されていない城内に無礼講っちゅうて入っていったわけじゃ。その日は話し合いで解決しようとしたわけじゃな。そこに『幽霊坂』っちゅうのがあるが昔は町民たちが殺されたんでそう呼ばれてたそうなんじゃが最近では礼を正して城内に入るっちゅうことで『有礼坂』と呼ばれとる。昔は一揆の発起人がわからんようにその名前を山笠の中に塗り込んでいたそうじゃ。

いやぁ、当時は怖かったのう。昔は山と山とで競い合いをしたわけじゃ。もうみんな酒飲んどるから前を行く山を邪魔しようとするわけじゃな。そうなりゃもう喧嘩じゃな。ほんでそれに便乗してある店に恨みをもった人たちなんかはそんときに行って店ん中ひっくり返したりなんかして。今はもうそういうあれはないがの。

その昔、洪水なんかの被害を防ぐために堤防を作ったそうなんじゃが、その堤防の中に人を埋めて人柱ちゅうのを作ったそうな。しかしまぁ人を一人埋めるわけじゃからそれをせんために塚っちゅう人形を埋めたわけじゃな。一揆にしてもそこら数年間の洪水やら干ばつやらで町民の怒りがたまって起こったもんじゃからのう。それにさらに年貢米の取立てなんかするもんじゃから。しかしまぁそれをけが人を出さずに話し合いで解決したちゅうのは松原一揆の本当にすばらしいところじゃろうな。」

河野さんは遠くを見つめるような目でそう言った。

 

「五十年前ここに来られた時、お仕事は何をされてたんですか。」

と高野。

「小さな店をやっとった。」

河野さんが言った。

「その当時ってこの辺りは田んぼだったんですか。」

高野がきくと、

「うんにゃ、山じゃった。」

と河野さんは言った。

「ここにゃ三つの山があっての、だからここができたのがいっちゃん早かったのはこの山を切り開いたのがいっちゃん早かったちゅうわけじゃな。わしが八番目にここにきたんじゃが。切り開くのがいっちゃん遅かったのは上の方かのう。ここら三つの山は岩山じゃった。」

 

「五十年前ここらの人はみんな農家をやっていたんですか。」

古賀のエンジンが入った。まだ何も質問をしていないのは俺だけだ。バスの中で台本を覚えておけばよかった。

「ん。ここらはみんな農家じゃな。」

河野さんは続ける。

「もとは農家じゃったんでの。昔は農作業も牛を使ってやっとった。耕運機みたいなんも入らんかったからのう。区画整理もされてなかったばってん。バブルの景気のころに百姓じゃ食っていけんようなるんじゃな。大型の機械がないとのう。ほんで区画整理をして、大型の機械を入れて、余った労働力を都会の方に吸い上げるっちゅう計画がここらで進められた。農家におった人らはお金なんかをもろうてほんで車の免許なんか取ったりして、他へ働きに出たりしとったのう。そん頃はもうみんな重労働で、稲刈りはまだあれなんじゃが、田植えなんかはもう腰かけられんのじゃよ。ほしたらもう腰が痛うて痛うてもうとてもじゃなかった。

河野さんは当時のことを思い出したのかわずかに顔をゆがめながらそう言った。

「わしらが卒業したらすぐ追いかけられるんじゃな。『早よあんた、早よ行かんにゃ後ろがつかえよるよ』っての。ほしたら休む暇がなかったんじゃな。ほらぁたまらんじゃった。だから百姓は嫌じゃったんじゃ。わしは百姓がでけんから出てきたんじゃ。」

 

遠くからひぐらしの鳴く声が聞こえてきた。古賀が尋ねる。

「昔は農業って何軒かで協力してやってたんですか。うんにゃ、最近はそうじゃが昔は違う。」

河野さんは小さく首を横に振りながら言った。

「だけど自分とこが早よ済んだ人は補完床を他んとこを手伝いに行きよった。そういう部分での助け合いはあったの。」

 

「ルールってありましたか。あの、水引のルールとかって。」

やっと俺も質問できた。

「あ、そりゃあもうあった。しかしそれを、水を盗み取るのがいるんじゃよ。結局水は低い方にしか流れんから、いっちゃん高いところの人が溜めてやるわけなんじゃが、ほして溜まった水を下さんへやるわけなんじゃが、ところが干ばつの年なんかは、ほれ、自分とこへ引こうとして夜なんか自分とこに引こうとするんじゃよ。」

「それで、夜なんかに出かけていくとマムシにかまれたりとかはしなかったんですか。」

俺が聞いた。すると河野さんは、

「ほんなしてマムシにかまれたってのは聞いたことないのう。昔は村の人たちなんかは田周りちゅうて田んぼを見て回るんじゃが、山ガ二があぜに穴さほがすもんじゃから探しよったんじゃな。そん時ゃみんな必ず鎌を持っちょったのう。マムシにかまれんようにの。」

ちなみにマムシは栄養剤に使われたらしく、マムシ温泉は話には聞いたことがあるらしいがどこにあるかは知らなかったらしい。

 

「終戦直後は食べ物がなくてのう。うちは幸い農家じゃったから、そん時はイモかアワ、そいからヒエ、とうもろこし。そういったもんを食っちょった。弁当にはイモをふかしたもんを持って行っちょった。でも中には持ってこれんのもおって、そういうのは休み時間中に人の弁当を食いよったのう。ほんでわしらは連帯責任ちゅうて廊下に並べられてお尻をばこーんっち。痛かったのう。」

河野さんは笑いながらそう言った。

「牛肉だと思って食べたのが犬の肉だったこともあったのう。すいかどろぼうもおった。ただすいかどろぼうにしてもみかんどろぼうにしても今みたいにどれでもこれでも盗るってことはせなんだ。ルールがあったんじゃ。熟れたのしか盗らないっちゅう。暗黙の了解ってやつじゃな。それからけんか。けんかにもルールがあってのう。泣くか逃げるかしたらもう絶対追うていったらいかんていうことを上級生から言われとった。昔はそれで許されとったわけじゃ。

 

これは少し意外だった。

「よく上級生からあすこのみかん、熟れとるから襲撃して来いと言われよった。言われたら絶対服従じゃな。そん代わりつかまったりなんだりしたら、もう上級生の責任になってやっぱり守ってくれよったのう。集団登下校もそんころわしらはしとったのう。それと女の子なんかは他の村のやつがいたずらなんかすると村の上級生が守りよった。じゃから上級生の言ったことは絶対なんじゃな。そいから山笠にもルールがあったのう。親が今年は山引かせんぞ、なんちゅうと子供は悪さをやめよったのう。まぁでも親としても子供が山を引いちょった方が安心なんじゃな。いろんな人がその子を見とってくれるからの。山を引くときも上級生が先頭に立って下級生の面倒を見てくれよった。下級生が酔っぱらってたら上級生が『おい、もうやめろ』とな。オクンチの前になると男衆は倶楽部みたいなとこへ行き、女衆はそれを見送るんじゃ。」

 

三人はここで河野さんにお礼を言って別れ、河野さんに教えてもらった廣木さんの家へと向かうことにした。すいかはもらってくれなかった。すいかの袋を持つ古賀の手はもう悲鳴をあげていた。


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