佐賀県現地調査/南山


小字の一覧

 

小字

地名・しこ名

田畑(平野)

サンタク(三宅)のうちに

テラノマエ(寺の前)クルマンマエ(車前)

 

ウラ(裏)のうちに

ナカンヨリ

 

ヒクチ(樋口)にうちに

コガバタ

 

ナマル(名丸)のうちに

セトグチ(瀬戸口)

 

シキマチ(敷町)のうちに

カラト(唐戸)イシノマチ(昔あった)

ブショウデイ(武将土井)

 

ナカクミ(中組)のうちに

タマシマ(玉島)アサイ(浅井)

ウシロンサコ(後坂)

 

ナカナワテ(中縄手)

 

 

セリタ(芹田)

タンジリ(谷尻)

チワラ(千原)のうちに

ヤタロウ(矢太郎)

 

クギヤマ(釘山)のうちに

ウシキ

 

ヤマンタ(山田)のうちに

ゼンモンイシ(=非人石)

 

ハゴイタ(羽子板)

 

 

オヤマダ(小山田)のうちに

イタヤ(板谷)

 

クマモト(隈元)

 

 

ハナミネ(花峰)

 

 

ミネカド(峰門)のうちに

タケンシタ(竹下)

 

タカダ(高田)のうちに

トキナガ(時長)ネコイシ(猫石)

 

サカイダ(境田)のうちに

テラヤマ(寺山)ナマルダン(名丸谷)

イワランサコ(湯荒坂)イノサコ(猪木迫)

 

カミコバ(上木場)

チャエマ

 

ショウブザコ(菖蒲坂)のうちに

ミヤヂ(宮地)フカサコ

ゴンゲンダニ(権現谷)

 

ヒエンサコ(比恵坂)のうちに

ウシノミネ(牛峰)ノミタ(呑田)

 

オトコヤマ(男山)

 

 

ニシヤマ(西山)

 

 

メヌキ(目貫)

 

今回お話を伺った方々

  楢崎正秀さん 楢崎悟視さん 尾崎敏和さん

  三人とも南山の上地区の方(なので、下については曖昧な部分もあるとおっしゃっていた)

  明治時代の資料に基づいて、南山全体での地名を尋ねさせていただいた。

  以下、引用箇所では仮表記させて頂く。

 

<わからない・知らないもの>

  フナイシ(舟石)オイド(御井戸)ツツミタ(鼓田)シモクミ(下組)

トオリヤマ(通り山)アカツチトイ(赤土堤防)

 

<事前送付の地図との差異>

  事前送付の地図にはおかしな場所に地名が置かれているところがいくつかあった(牛峰など)

  楢崎正秀さんが地図に即しながら訂正箇所を教えてくださったので、地図に朱を入れた。

 

  岩乱迫→正しくは「湯荒坂」か

「ゆあらのさか」が「ゆあらんさこ」に音変化したもので、

 「ゆ」が「い」に聞こえて、当て字を作ってしまったか。

Aさん「イワラン…ゆあらんさこて言うよね」

Cさん「ゆあらんさこちゅうってぇ、ゆはらざかじゃねえ」

  小川端→「コガバタ」か?

  いわく、コガバタは小川のはたでコガバタ。

私「こがばた・・はだいたいこの橋のまわりですかね?」

Aさん「だいたいそこんにきのことば言いんしゃあね。"小川のはた"で」

私「橋の向こうも入るんですかね」

Aさん「橋のむこうはね、五反田」

弥太郎丸→「矢太郎」に変化か

唐尾戸→「唐戸」に変化か

白賀山→旧レポートに湯荒坂の別名とあるが、皆さん聞いたことはないそう

鼓田→南山下に属するのでなじみが無い

 

<上記地名以外の呼び名について>

  スベリヤマ、という呼称を確認。地名というより、しこ名に近いか。

                       Aさん「ナマル。スベリヤマ」

                       Bさん「谷の深かけん、スベリヤマと言うば」

                       Aさん「もう、ずるずるずるずる。花崗岩じゃけん」

                       Bさん「こう配がきつか、もう。」

由来など

 

<車前>

水車の前だからクルマンマエ

<ガブロ>

川の「ぼこっと下がほげちょる」ところ。

Aさんは昔そこでおぼれたことがある(笑いながら話して下さった)

Aさん「昔俺はおぼれたこつがあるもん、あそこで(笑)」

  皆、昔はそこまで泳ぎに行って潜水したりしていた。

  近くに滑る石があり、ジャンプしたり滑ったりして遊んだらしい。

Bさん「あれがあったったい…滑る石が。あぁれがよかったったい。ジャンプしてな」

Cさん「ちょーんと滑っていってからさ(笑)」

Bさん「そう、滑っていきよった」

  余談だが、野球チームに『ガブローズ』というものがあるそうだ。

<猫石>

「猫んごたる石」があるので、猫石。

  近くに「これより東に41軒 明治12年 卯年」という堤防の記念碑がある。

<浅井>

  「アサイ」の語源を教えていただいた。

Cさん「アサイっていうんはね、俺は爺さんが時に聞きよったけどね…

なんか井戸が浅かけんね、深う掘ると塩水が出てくるけんさ」

Aさん「ああ、浅う堀りよったやね(笑)」

Cさん「それき、井戸が浅かけんアサイっちいうって」

<武将土井>

  最初はなんのことか分からなかったが、Bさんが思い出してくれたおかげで判明。

Bさん「『ぶしょうでいが切れたらもうおおいえは流れてしまうぞ』って言いよらした」

<ゼンモンイシ>

  南向きの石で、雨風がしのげた(あたたかくて過ごしやすい)

  自分自身が見たことはないそうだが、

結構年のいった禅門さん(物乞いさん)がいたらしい。

大きさ等は不明。

あまりまっとうではない感じの人。おばあちゃんからAさんが聞いた。

健康体ではない感じの乞食っぽい人、そういう人がいた。

おばあちゃんは優しい人だったからわりに施しをしていた。

道路を造るときに爆破されていまない。

 

 

<随想>

  楢崎正秀さんが事前に町史等で確認をとっていてくださっており、

非常にわかりやすく説明していただいた。

  土地台帳に載っている字と実際の字は異なっていることもあり、

呼ぶことはわかっていても、その境が綺麗に線引きされていないところもあった。

Bさん「それけん普通…一般的な呼び名とね、そん字名はね、若干変わってくるもんね」

「その土地の普通呼ばれよったつとね、それが字(わざ)のね、登記簿にのっちょる字と違うけんね」

また、合間合間に昔話に花を咲かせる皆さんが生き生きとしてらっしゃって、

聞く側としても楽しかった。




<水車について>

  別途地図に示した場所に、昔水車があった。

  田んぼへ取水するためのものではなく、米・粉つきなど生活用途に使われた。

  流れる水量がそんなに多くなかったので、三連水車のように水の力だけでまわせず、

  高低を利用して水車を回していた。

  そのため、勾配の少ない下流側には水車がなかった。

Aさん「これはね、米をついたり素麺を作ったり……素麺屋さんとか」

私「こっちがわ(下流)にはなかったんですか」

Aさん「こっちがわはね、勾配がなかった。ここ下がってしもとろうが」

「やっぱ高かところから落とさんとさ、力がなかけんね」

ちなみに、玉島川へと流れる本流は昔水車のある側であったが、

ネコイシのあたりに堤防をつくったことで今ある流れへと本流が変わり、

山側の流れは水量が減って、用水路になった。

  堤防については、ネコイシのあたりに記念碑(先述)がある。

<井堰について>

  名前がついているのは「ネコイシ井堰」と「ガブロ井堰」程度で、

  他にもあるが土地改良の付して作られたものなので、それらは機械的な呼び名であるそうだ。

                   Cさん「ネコイシ井堰。ガブロも井堰だね」

                   Bさん「ガブロ井堰や?」

                   Aさん「そう、井堰や」




それぞれの小字にどんな記憶、思い出がありますか?という質問をしたところ、

Aさん「お祭り。お祭りね」とお返事いただき、

南山の神社とその祭事について教えていただきました。

 

 

 

<玉島神社と茅の輪くぐり>

  玉島神社は南山の神社。神主さんがいる。

  お祭りでは茅(かや)で作った輪である、茅の輪(ちのわ)をくぐって病気避けをし、

  その茅の輪を南山の上下の入り口へ付けて疫病が入らないようにする。

  置く場所は、上は記念碑のあたりで、下は一本橋のあたり。

Bさん「それはね、疫病のね、はいってこんごつて南の上下でね、それで防ぎよったていうようなこと」

Aさん「茅の輪をかけてね、大字南山にね『病気の入ってこんごた』ていうね、

まじないのごたることばしよらした」

南山だけでなく、横田地区も野田との境でやっていた。平原地区もやっていた。

Bさん「だいたいのところはしよる」

それぞれの地区の神社で茅の輪を作って、地区の入り口にかけて厄除けを願った。

 

<天神社>

  名丸(境田寄り)と裏にある。名丸側は農業神であり、裏側は大宰府の天神様らしい。

  が、どちらも大根を上納する。

  お祭りは12/18。こちらから玉島神社へお願いして、

神主さんにお参りに来てもらい、お払いをしてもらう。

裏天神は以前御神の鏡を盗まれてしまい太宰府まで貰いに行ったことがある。

名丸天神も御神の刀を盗まれたことがあった。

 

<薬師様>

  千原にある。

  Bさん曰く、先述の宮地嶽様のときのようにお米を持って行っていたらしい。

Bさん「俺どんがこまかときはね、米ばさ、ティッシュにこうくるんで…」

 

<宮地嶽様>

  宮地にある長く続く神社。大判地図には載っていないが、現在の各種地図で場所が確認できる。

相撲が行われていたり、地蔵市のときにはお米を持っていったりしていたそうだ。

Cさん「あそこで相撲しよらしたもんね」

Aさん「宮地嶽様の相撲て言いよらしたですもんね」

Cさん「昔はね、宮地様の地蔵市んときに米ばこのくらい(一握り強)包んでね、持って行きよった。俺が子供んときはね」

 

 

 

 

<大日如来>

  名丸にあり、元々は「ほうこうじ」というお寺だったもの。

  とても大きな大日如来像があり(写真参照のこと)

楢崎Cさんが腕はこのくらい、指はこのくらいと楽しそうに示してくれた。

疱瘡の神様ともされており、子供が生まれたときにお守りを貰いにいったりもしていた。

お祭りは旧暦の1/28

  昔はよそから人を呼んで(常駐する神主さんなどはいない)出店等もだしてやっていた。

  名丸地区の20軒ばかりの家が主体になってお祭りをやっていた。

  昔は、大日如来のお祭りのときは、役場や学校も休みになっていたらしい。


Cさん「学校も全部休み。学校も役場も休みやった」

Aさん「そりゃあ親父んときでしょう(笑)俺たちんときはちがう(笑)」

Cさん「役場職員が全部大日様のお参り、お供えに行きよったけんさ。

村長から全部さ、役場はがら空きでから全部いきよったけん(笑)」

Aさん「昔はそれでよかったけんね(笑)」

Cさん「学校も、校長先生も、先生だん皆大日様行きよらしたもん」

     「学校も大日様んときは半ドンやったもんね」

Aさん「俺たちんときはそやんことなかったけどね(笑)」

 


↑これがその写真。大きな木製で色は赤。
 ちなみに、一般的に赤は疱瘡よけの色らしい




<炭焼きについて>

炭焼きしていた人は少なかったそうだ。炭焼きをしていた場所を、地図へ記した。

         Bさん:炭焼きは知らん。

         Aさん:しよらす、そこ一人。

         Bさん:ああ、じゃ、しよるやろ。上の方はしてる。自分はしてない。

 

<田んぼについて>

Q山の中に田んぼはありましたか?

昔は田んぼがあったそうだが、みかんブームを受けてほぼ果樹園になってしまったそう。

         Bさん:あったよ。

         Aさん:隠し田というよりは・・・

         Bさん:ちゃんと水の出るところがあったけん。それがみかんブームでな・・・。

Q山ではどんな作物をつくっていましたか?

         Bさん:ネーブル、あまなつ、きよみ(種類)が5年くらいの間でできたけんね

 Qむらの一等田はどこで、むかし米は反当何俵でしたか。

         Aさん:そこ、ヒグチたい。ヒグチはタマシマで一等田やと。

         Cさん:昔ね、12俵。60キロばいば。

 Qむかしはどんな肥料を使いましたか

         Bさん:まあ昔もね、俺たちが知っところは化成肥料じゃったけんな。

         Aさん:化成肥料とたい肥。

         Bさん:3年に一回レンゲばまきよったよ。

それともうひとつはね、そのレンゲっちゅうもんはね、

当時ハマタマの町の中で、観光的なあれもあったったい。

それとナタネ、あのナノハナね。それは町が奨励しよったと。

若干の種代ぐらいは町がやりおっと。

Q稲の病気にはどんなものがありましたか。

         Cさん:イネチビョウてね。稲の熱病。

         Aさん:虫とかね。

Q害虫はどうやって駆除しましたか。

         Aさん:ホリドウルといいよらしたけんね。

         Cさん:ホリドウルかね。

         Bさん:それは水田ばい。

         Cさん:もうできよらんも。

   Bさん:できもよらんし、使用禁止じゃ、もう。

         Aさん:むかしは誘蛾灯てあった。

         Bさん:誘蛾灯はねずうっとむかしもあったばってんさ。

近頃の誘蛾灯っちゃ蛍光灯ポーンとやったっちゃもうな。

         Bさん:それが前はね、電気ないわね。ランプやったとよ。タライ置いてな、下に、水入れてそこ上に・・・

         Cさん:石油ランプ、石油ランプ。

         Bさん:おれ知っとるけんね、石油ランプ。

Q「ゆい」ということばを聞いたことがありますか。

         Aさん:ユイは、テマガイじゃろ。親類はテマガイ。

         Bさん:近親者でな・・・

         Aさん:ふとか(=大きい)とこは、やっぱ雇いよらした。

         Bさん:おれも雇いよったばい。

Q「かせい」ということばは聞いたことがありますか。

         Aさん:カセイがテマガイじゃ。手伝いばっかやのうして、お互いが手伝いし合うことが・・・

         Cさん:テマガイね。

Q田植えは何月何日頃でしたか。

         Aさん:6月20日かな。ねえ。

         Bさん:だいたい6月の20日から25日くらいまでやったな。

         Aさん:よう憶えとるな。

Qお手伝いの早乙女はどこから来ましたか。

         Bさん:うちは七山が多かった。だけど、スナグニからも来よったけね。

Qもみすり歌はありましたか?

         Bさん:うーん、知らんな。

         Aさん:腰のいたか〜、腰のいたか〜、ちいいよらしたね(笑)

Q水の量は潤沢ですか。水争いはありますか。

  水の量は争うほど少なくはなかったそうだな、小競り合いはあり、

田んぼへためた水を夜中に抜いてしまうことがあったそうだ。

  南山上が川上だったので、水が少ないと南山下が困っていた。

  今は玉島〜中縄手方面に、玉島川からパイプを通じて水を引き込んでいる。

         Aさん:じいさん達は言いらしたね。

         Bさん:夜中にね・・・。

         Aさん:うちのじいさんも言いらした。

         Bさん:夜中に取る訳よ。そないして取られよったな。懐中電灯もって番しよったよ。

タマシマ井関からくる水、あれもけんかの元ば。

おれが田んぼの準備をするころになると取られよった。

取り決めまではなかったけど、まあ口喧嘩くらいは。

         Cさん:干ばつのときはやっぱ水は大変だった。

<裏作について>

Q麦作はできましたか。

         Bさん:うん、作りよったよ。それから、ナタネ。

ちょっと湿田やったらナタネば作りよったたい。二毛作でやった。

  Qソバは作りましたか?

         Bさん:ソバはうちん土地じゃできんかろ。上の方ではできる。

         Cさん:ソバ出来る。

         Aさん:ソバはやせ地ででくるけんつくらさんね。

         Bさん:おれはソバは見たことはなかとですよ。

         Aさん:おれも見たことない。

         Bさん:たださ、上さ行たら見るさ。

 

<生き物>

Qマムシに噛まれた人はいますか?

         Bさん:(川の)毒流しのときに噛まれた。

         Cさん:長靴の上をかまれた。むちゃくちゃに腫れた。血栓は打たん。

         Aさん:死んだ人もいる。

Qマムシ温泉に行った人はいましたか?

        Aさん:ああ、そうね、あるある。福岡の二条。

Q用水路の中にはどんな生き物がいましたか。

         Aさん:六尺ほどのアオダイショウ。へびだけは好かんけんね、もう・・・。

         Bさん:ここ何年てへびは見たことない。

         Aさん:ヒルだけはよう見る。

         Cさん:トカゲはおるね。

         Bさん:ムカデも昔に比べたら少なくなった。

Q田の中にはどんな生き物がいましたか。

         Bさん:オタマジャクシはそりゃおった。あとカエル。

         Cさん:イモリもいた。

         Bさん:それとね、あれもおったったい。

トンボの幼虫、あれはなんと言ったったい・・・そうそうヤゴか、あれも多かったな。

         Aさん:タニシもおった。それとあれなんちゅったかな・・・

         Bさん:ゴミナ(=カワニナ)。ゴミナゆがいてみそ汁入れて食いよったよ。

         Aさん:そう、ゴミナ。蛍の幼虫が食べるやつ。うちに蛍、飛ぶば。うちの前。

Q川の中にもたくさん生き物がいたんですか?

         Bさん:おったねぇ、あん頃は。

         Aさん:毒流しの話じゃなかばってんね。

<牛と馬>

Q飼っていたのは牛ですか、馬ですか。

         Aさん:それはおれたちの年代じゃないぜ。ここにいる年代よりはまだ前。おれたちの親父の・・・

         Bさん:いや、しよっとよ。

うちは馬だった。この人(Cさん)も馬やった。馬は5人ほど。

後はほとんど牛ばっかやった。

Qこの辺で牛を飼っている人はいますか。

        Aさん:今ハマタマで牛飼いよらしてるのは、おらん。

Q牛が入れない深田はありましたか。

         Bさん:なかった。この辺はなかった。田の中に入れん湿田はなかった。

Q馬を洗う場所はきまっていましたか?

         Bさん:馬?それは川たい。そうか(=それか)自分の家で。

Q馬のえさはどこから運んだのですか?

         Aさん:えさきりや。うしきり。

         Bさん:あれはね、やっぱそのけはいの草。

         Cさん:ジョウヤマ。

Q牛を歩かせたり、鋤をひかせる時のかけ声はどんなでしたか?

         Bさん:その人その人。人それぞれ

Qどうやって手綱は操作しましたか。

         Bさん:農耕する場合は手綱は2本たい、馬は。普通は1本。

         Cさん:田なか鋤く時は一本。

         Bさん:牛はね一丁でよかったばってんね。馬が馬鹿じゃったちゃろうね(笑)

Qばくりゅうはいましたか?

         Aさん:おらしたねぇ。

         Bさん:たいそうおらしたたぁ。「マクイ(馬喰)」ってかいて「バクロウ」って。

         Aさん:なかもうけしてね。

Qご飯を炊いたり、お風呂を沸かしたりはどうやって?

         Bさん:薪たい。

<山>

Q薪はどこから入手しましたか?

         Cさん:自分ちの庭。

         Bさん:自家製。あったけんね。

         Aさん:買いよった時もあったっと言うよらした。枯れ木松原らへん買いよった。

Q入り会い山はありましたか。

         Aさん:ジョウ山。植林する前。

Q焼き畑はやりましたか。

         Aさん:焼き畑はしてない。そげん田舎やない。

         Bさん:1回、大騒動やったことがある。

Q「わちぎり」という言葉を聞いたことがありますか。

         Bさん:それはなか。

         Cさん:むかしは防火線きりにいっぺん行ったことあるね。トオヤマのところへ。

Qかごはとりましたか?

         Aさん:うちはつくりよらした。

Qどんぐりを食べるとどもりになるというのは聞いたことがありますか?

         Aさん:聞かんね

Q山の木の実にはどんなものがありましたか。

         オザキさん:ひわ。あけび。ぐみ

         Aさん:ぐみはちょっと渋かったけんね。

Qドングリはたべましたか。

         Aさん:ドングリは食べない。にがかろもん。椎のみなら食う。

         Bさん:どんぐりは食べたことはなかばってんね、飼料してだしたことはあると。

         Cさん:むかしは戦時中ドングリば拾いしよったで、子共んときは。

         Bさん:ドングリと、ラミイが子供のアルバイト賃なりよったな。

Q山で取れて商品価値のあるものは?

         Aさん:ひわ。それかみかんね、戦争前は。

Qおかしはどんなものを食べてましたか。

         Aさん:おかしはあんま食うたこと憶えちょえらん。

Q山や谷ではどんな遊びをしましたか?

         Aさん:ホンゲンキョ。

<生活>

Q川の毒流しは?

         Aさん:この溝にね、やった。魚にウナギにいっせいに浮いてきよった。

うなぎバケツ2杯くらい入れよった人もいた。青酸カリを使った。

         Bさん:おれはねぇ、ゲラン。

         Cさん:あれ、死なんとやけん、なんでか知らんけどすごい浮き上がるでも。

         Bさん:ゲランでウナギば取れよったばい。

Q椿はつかいましたか?

         Aさん:知らん。

         オザキさん:椿の実で魚をとるって? 知らんな、それ。

Q行商人や魚売りはどこから来ましたか?

         Aさん:ハマサキかいね。

         Bさん:30〜40年くらい前はね。おれが区長の頃。リアカー引っ張って来よらしたと。

Q薬売りはどこから来ましたか?

         Aさん:むかしはトヤマ(=富山の薬売り)。

         Bさん:ほとんどが置き薬たい。基山んとこがうちに一番多ちょか。

Qむかしは病気になったときどこでみてもらいましたか。

         Cさん:病院に行ったよ。

         Aさん:ハマサキ、唐津。

         Cさん:おれは唐津。

         Bさん:これこそあちこちだねぇ。

好きずきじゃけぇ。普通、町内の病院とか唐津くらいまでは普通一般的に行く。

Q川原やお宮の境内に野宿しながら箕を直したり、箕を売りにくる人をみたことはありますか?

         Aさん:おりゃせんわ。ない。

         Bさん:おれんころは手作りが多かったとばい、あれがよかとね。

Q若者の集まる宿はありましたか。

         Bさん:青年クラブって言いよったね、おれ達ん時代はね。

その前はね、青年宿って言いよらしたね。若者宿とか。

Q男だけでしたか。

         Bさん:もちろん

Q規則は厳しかったですか。

         Bさん:うん、多少はね。ようするにね、若もんが小遣い。(=年功序列)

Q干し柿泥棒やスイカ泥棒を聞いたことがありますか。

         Aさん:スイカ泥棒はしたことあることばってんね、干し柿泥棒はしたことない。

干し柿っていったらね、もう軒の下につるしちょらすね、そりゃいかんもね。

         Cさん:スイカは畑にあるね。

         Bさん:おれは頭下げにいったばい(笑)スイカ泥棒してさ、そんで、ウシロンサコでしちょった。

         Aさん:おれは葡萄とりいったこともあるね。とってきたスリルと優越感でね、あれちゃんね。

         Bさん:おれやったら、売りよらした。

Q犬をつかまえてすき焼きやナベにしたことはありますか。

         Aさん:犬はない。

         Bさん:あっちゃったぞ、ウエにいきゃ。

         Cさん:猫はたべた。

         Bさん:いや、猫はしらん。

Q「よばい」のことを聞いたことはありますか。

         Cさん:行ったことあるよ。ふふふ(笑)

         Bさん:ああ、よばいや? おれも何回かあるよ(笑)岡口、谷口っていうところにね。

         Aさん:やっぱ村内じゃいかれんよね。

         Cさん:おんなじとこ(村内)には行かんもんね。

         Bさん:おれは捕まってね、学生服ねペンば挿しちょっと。万年筆ば。

そい落っちゃげよった。せれでばれてな。たまたまそこが男友達の家じゃった。

やけん次の日にそいつが『ほら、B』っちペン渡してきてな(笑)

Qよその村から来ることもありましたか?

         Cさん:きよったね。けんかとかはしたことなかば

Q「下駄持ち」、「雨戸に小便」、「じょうもんさん」、「障子の穴」という言葉を聞いたことがありますか。

         Cさん:いっちゃん若もんが下駄持ちたい。

         Bさん:俺たちが遊びいっきゃころは、田植え時期とかさ、

外から来た人、そんかところに行っきょよらしたい。

おれは2〜3回やって。ツツミミッチャンは夜ばいの先生やったけん。

Q共同風呂はありましたか。

         Aさん:おれはもう入っちょらばってんが。

         Bさん:おれも経験なか。

         Aさん:「ウラ」にあったとよね。

         Bさん:だいたい共同風呂なかたん「ナマル」だけやけんね。

おれ知っちょるかい「タニグチ」「ヨシオカ」とあそこいきゃあったと知っちょるばい。

         Cさん:メカド

         Aさん:おれはスナコにおふくろんがた行ってさ一回だけ入ったことある。

         Bさん:チバラんは遅うまでやっちょる。

Q恋愛はふつうでしたか?

         Bさん:おれはあった。

         Aさん:この人(Cさん)は間4軒(4軒隣の家の娘さんと)ね、一番手近なとこからとってった(笑)

Qこの地区にガスがきたのはいつ頃ですか。

        Aさん:プロパンは小学校のころやったね、おれ達が。昭和30年代。

Q電気が来たのはいつ頃ですか?

         Aさん:電気は戦前も戦前。電気はたいてい前にあったと言いよらした、じいちゃんの。

聞いちょかないかんよったね。

Q戦争はこの村にどのような影響をあたえましたか?

         Aさん:ハマタマ町に二つあるとて、特異な奴が。

一人は日清戦争で一番最初に戦死しよらした。

それと特攻隊いって死んじょらしたがハマタマ町で一人。戦争はたいそういっちょらしたよ。

         Cさん:志願したとはおれが最後。志願兵で合格したと、海軍に。海軍特攻隊。

それおれ日本最後の志願兵じゃなかと?

終戦のときに受かったちゃけん、合格のとき終戦やったちゃけん、行かんかった。

そげん死にそこなった。ふふふ(笑)

Q戦争未亡人や靖国の母はいましたか?

         Aさん:居らっさ、そりゃいた。たいそう。

         Cさん:おらすばい。

         Aさん:まだね、ハマタマ町でね、3人くらい生きちょる。

Qむらは変わってきましたか。これからどうなっていくのでしょうか?

         Aさん:山が荒れて、これだけ農家がへってきたらね(変わっていくのは仕方が無い)


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