服部ゼミ 地名調査(2007年1月14日)についてのレポート

 

修士二年 山部 木の実

 

1、調査場所

佐賀県藤津郡塩田町・嬉野町

 

 

2、調査内容

小字名に関する調査・土地での呼ばれ方(しこ名)など

現地に赴き、手分けをして調査

 

(聞いた内容)・・・・・聞いた順番どおり

 

・橋口輝義さん(S13)のお話

 ひゅーたん

 よしだん・ひらき(田)―――――水は十分

 じゅっくん(十九谷)(1)―――――畑・入り口

やんだちごち

あなだん(ひゅーたんの上)

めくらだん

つーひらだん(通年山のこと)

ひらく(ひらき)

きよい川

せいじゅう(清十)峠

のぞえ(2)

ながたん(3)

はったら(本谷)(4)

いずむの

いずむの堤(のぞえ堤)

こくんぞう(山)(5)―――――石の記念碑・ほんこうぼう(金ふりうをもって雨乞い)

なんぼう・かんぼう

いで・いぜき

   ―――――やごうち・いったら(吉田より下)・かおがわ(二件上)

まがいこいで(尾形厚さんの家の前)

いでんひら

床浪(6)

かまぎ(かまず)・・・・・丸木橋を牛が渡る時のせて、その上に泥をのせる。そして作業が終われば、はずす。

ばとう観音

 

・尾形厚さんのお話

 永谷は広い。その中にうらんたんの上が、せいじゅう峠、左のやんだちごちを上ったところが鳥居上(右)―――――区切りがよくわからない。

 

 とりうえとひらきは地図では隣(左右)―――――左がやんだちごち、右がひらき

 

 ほんだん(7)の中にいずむの・はったら

 ためいけの右手にくすんだん

 永谷(水は出水)―――――小さい谷(もぐら谷)・とうげ前(峠の南の谷)

 のぞえのいずむの

 

 しんこべたん―――――うらんたんより50〜100m先、十九谷の方。きおい川のとなり。田は少しある。イノシシが出る。永谷のきおいがわより山を越える

 

 うらんたんの上がせいじゅう峠

 せいじゅう峠を越えてきおいがわ(堤が二つ)

 

上北山(8)―――――つーひら山

とんたん(殿谷)

用水・いで(いたら・とりごえ(9)・まるやま(10))

ながざといぜき・しんたくいで・つたやまいぜき・ごうぞういで

はったらの上―――――てんぐろ岩(とりごえ峠(11))、左はこくむぞーさん(12)

よしだん(13)(上まで田んぼがあった・茶・梅・たけやぶ)の150〜200m上がよいだん(堤・たけやぶ)

はったらはよしだんの先(谷ではなく、水たまり)

こうしん谷(14)―――――百姓開墾のところ

 

 

・小森貞夫さん宅で(S13)―――――山口区の中の北山

 いぜんひら遺跡

 さんぼんまつ(15)(頂上)

 とこなみ山(16)(床浪の中にある山)

 やんぼし(大山谷)(17)―――――少し高い。よしだ境より手前。よしだ境のみきとののこばちの入り口からのぼったところ

 

 てんぐいわ

 かつらお(18)(ため池の上)

 つーひら山(丸山の中にある)

 とののごば(19)(おがたますみさん・耕運機で耕しておられる)

 わくぼく

 いちのたに

 

(途中で出会った、おにはしさんのお話)

 きりのたけ(堤の上、みかん畑)

 やんぶし山

 

(バスで移動した後のお家でお聞きした話)

 しょうず(先だなの中)

 ほりきりいで

 牛のあし形(20)

 つがに石(21)

 かつらお谷(22)

 ふんたん(楓の木)(23)

 まるやまの上があなんたん、ながたん

 だくせき(岩の下)

 ちしゃのき

 のうて

 なくさこ(一本松より上)

 たろうせ

 むくだん

 たけのさか

 はじのこうち

 くまやけ(じゅうべえの上)

 あさのたけの下がぶしょう谷

 あめのさか

 

*   番号は地図上で見つけられたものです。

3、感想

 

 地名調査は1月13・14日に行われましたが、14日に参加しました。参加してみてやはり、地図による地域の事前調査が必要なことがわかりました。現在の地図をあらかじめ把握しておくほうが効率がよいことがわかりました。聞き取れても、その場所が地図上のどこを表すのか、また、その地域での呼ばれ方などいろいろあり、対応させるのが大変であるとわかりました。それから谷や尾根、山、川、田など全体の地形を把握しておくのも重要です。今回は初めての地域だったので、最初どこを歩いているのかわかりませんでしたが、だんだん歩いていると、実際に歩いてみないとわからないものがあることがわかり、勉強になりました。

 地名に関しては、その歴史を表すものもあり、やはり残しておく事は重要であると思います。服部先生の『地名のたのしみ』にもありましたが、最近は合併その他でただ数字だけで表す場所が増えていますが、その地域が昔どんな場所であったかを知るためには、昔の地名を現在の地名のどこかに残しておくのは大切であると思います。年の瀬になるとよくテレビ番組などで、福岡の柳橋連合市場と小倉の旦過市場が取り上げられますが、どちらもその地域を連想させる地名です。特に旦過は最初聞いた時、変わった音のように感じ、その音から何か荷物に関係があるのだろうかなどと勝手に考えたりしましたが、それも前述の『地名のたのしみ』の中にあってその意味を知ることができました。また、旦過という場所は日本の他の場所にもあるのだとわかりました。それぞれの地名には何か意味があるのだと知ることは興味深いものだと思います。いつかの授業で発表された薬院などの福岡の地名もそうでしたし、地名から当時の様子を連想することも楽しいことです。それに、古文書や古い物語の中に知っている地域や場所が、現在と同じ名前(字が多少違っていることもあるが)で出てくると、その物語や文献がずっと親しみやすく感じるようになるものです。そういう意味でもその地方でよばれている言い方を残しておくのは重要なことであると思います。

 今回の調査は、地名調査としては二度目でしたが、前回一つの場所でいろいろな話を聞いたのとは違って、何箇所かで、違う話を聞きました。様々な調査のやり方があるのだとわかりました。そしてその地域に関する調査ということで、多くの方々がご親切にいろいろと知っていることを話して協力してくださっていることに感激しました。このような方々の協力があって研究がすすめられていくことを知りました。

 

 

 

 

 

 

 

*レポートにはお見せした様に、このほか地図が三枚あります。はじめはどうしてよいかわからず、最初の森さんのお話と、一番後にお伺いした方のお名前をメモしていませんでした。途中でメモしたものが多少前後していることがあるかもしれませんが、できるところは先生からコピーさせていただいた地図と照合しています。地図と照合しているうちにだんだん確認できるようになりました。