佐賀市三瀬村藤原井手野での聞き取り調査レポート

2006年12月3日

                                  平山 孔亮

 今回は庄島春吉さん(大正3年生まれ)と長生さん(昭和17年生まれ)がご親切にも地名調査にご協力してくださったおかげで、このようなレポートを書くことができた。庄島さんは以前炭焼きをなさっていたということで、とても地名に詳しい方だった。

 

↑自然に囲まれたのどかで美しい村

 

  地名を尋ねた際にお聞きできたお話

ふるやしきには昔やしきがあったことが由来で、他の場所にもいくつかやしきがあった場所があったという。(例:いっちゃんやしき)

地名はわからないが、小学生か中学生のときにてらだにの少し北のほうへ炭焼きに行かれたことがあるそうだ。私はそのような小さなころから体力のいる仕事を手伝っていたことに驚かされた。

せんぼうわらでは個人によってわさびが栽培されていたらしい。

まがえの由来は、川が曲がっているところということから。

じゃふちは38年前の災害で埋まってしまった。

ひだりえびらの名前の由来は、「えびら」という体の部位(おしりのあたりの部分)であり、「ひだり」とはひだりえびらを村から見た方向が左だったからだそうだ。

 

  炭焼きに関するお話

炭焼き窯作り

一般的に、土用には土を動かさないほうが良いという。良い赤土でないと割れたり、土自体が有機物を含んでいると有機物が燃えてしまったりして、炭焼き窯は作れないそうだ。具体的には、粘っこい赤土は不適とのこと。きつい赤土には石灰を混ぜるらしい。昔の窯を使うこともあり、その際は悪いところだけ修復して使うという。

木材から炭へ

木材としては、樫の木が一番良いらしく、特に良いのは「うばめ樫」だそうだ。木はかついで運んでおり、大きいものは切って運んだ。それを炭にすると、木炭は牛で運んだという。道の平坦な場所では牛にすらを引かせて運んだが、急な斜面では牛にかつがせて運んだらしい。牛のエサとする草は、井出野の西のじょうのひらこやまおけだ付近の村有林から。

 

  長生さんの若い頃に関するお話

長生さんが若いころ(昭和34年頃)には、現在公民館の場所に青年宿があったそうだ。酒を飲んで酔っ払い、わいわいやりながらたまに喧嘩もするようなことが多かったという。夜這いは、主に現在70歳になるような方までがやっていたらしいが、チョウセイさんも下駄持ちをやったことがあるそうだ。下駄持ちとは文字通り下駄を持つ係で、夜這い先の娘さんの父親の目を逃れるために必要な係だったようだが、夜這いはたいていの場合は親父さんに見つかって逃げる(失敗する)ことが多かったという。夜這いによる結婚のケースは少なく、青年会での踊りがきっかけとなって結婚する人が多かったそうだ。仲良くなった男女の場合の夜這いは成功するとのこと。今では考えられないようなことに、ただただ驚いた。

 

  その他のお話

昭和28年頃にも電気は通っていたが、今のようにいたるところに灯りがあるわけではなく、家の要所要所に電灯がある程度だったそうだ。

テレビは東京オリンピック(昭和39年)前後の年に普及しだしたらしい。

春吉さんは兵隊として入隊時は満州に派遣され、その後台湾で終戦を迎えたそうだ。しかし、終戦後半年くらいしないと帰国はできなかったという。それでもシベリアに比べれば早く帰国できたほうらしい。僕はほとんどの兵隊は終戦後すぐに帰国していたと思っていた。

 

実際に地元の方のお話を聞くことができて、地元の方がこれまでこの土地と共に生きてきた歴史を感じ、自分の人生経験の少なさをつくづくと思い知らされた。お話を伺う前と後では景色が違って見えたといっても過言ではないほど、この土地の自然に壮大さを感じるようになった。人と自然が上手に共生しているかたちは、これから手本としていかなければならない部分も多くあるのではないかと思う。

 

 

 

番外

井手野ではないが、田中の商店のおばあさん(大正8年生まれ)から戦時中のお話を少し聞くことができたので、書きたいと思う。

 この方はもともと東京に住んでいたが、戦争がもっともはげしかったときは大連にいたそうだ。大連は治安も良く、中国人も良い人ばかりでとても良くしてくれたという。日本が負けて何もない状態だったときは、「日本には帰るな。あそこには塩も砂糖もない。」と言ってくれたらしい。しかし、中国の他の場所では戦闘などが厳しく、窓をすべて覆った列車で移動させられていたりもしたようだ。この方の従兄弟は中国に行ったが、後に遺骨で見つかったとのことだった。この方は最後に「戦争はするもんじゃない」とおっしゃっていた。これまでも当然のように平和が一番だと思ってきたが、改めて平和の大切さと戦争の悲惨さについて考えさせられた。

 

 

 

 

地名(新たに変更点が確認された場所)の一括表記

栗原:南から、ドロヤマ川、コヤマ、ウランダイラ、ウランダイラ川

井手野:南から、マガノエ、カナシバヤマ、センボウワラ、フルヤシキ、イエガマ

ゾーメキ:南から、マッタゴウラ、フジオ、ムギノウド

吉野山:南から、ヤカタ、イチコクダ、ゴウツ、イッチャンヤシキ、ジュズガケ、ヨシヤマ、カケアナ、リュウガイバシ()、リュウガミ、ヨシノヤマ、イワガマ、イシネドコ、ビアラギガワ()、ジャフチ、ハシラノタニ、コムギノタニ、ウーヒラ、テラダニ、コヤノタニ

吉野山の東:カンベイガマ、イチコクガマ

栗原の北:ヒダリエビラ