吉岡  聡

                      富田 倫史

                                            牛島  久

 

 2009年度前期 歴史の認識(歩き、み、きく歴史学) 服部英雄教員

   佐賀県伊万里市黒川町塩屋における調査

 

【はじめに】

 僕達三人は、伊万里市どころか佐賀県のことについて全く知らなかった。そのため黒川町塩屋に割り振られたときも一体どのようなところか全く想像できなかった。地図で調べてみると、海沿いの小さな集落であるとわかった。自治会長の岩下さんに調査協力をお願いする手紙をお出しすると、この辺りのことに詳しい老人会長でいらっしゃる森戸さんを紹介して頂いた。

 平成21年7月11日の11時に黒川町公民館で待ち合わせ、その中でお二人からお話を伺うことになった。

 

【ご協力して頂いた方】

森戸吉昭さん  昭和11年生まれ(72歳)

岩下勝實さん  昭和18月生まれ(66歳)

 

【調査して判明した地名】

縦土居(たてでい)

浦分(うらぶん)

金剛島(こうごうじま)

城平(じょうびら)

牧ノ地(まきのち)

前田(まえだ)

 

 

【お話して頂いた内容】[自分達の発言と行動を()内に示す]

(お返事して頂きありがとうございました。九州大学の吉岡、富田、牛島です。今日は、黒川町塩屋の地名調査に来ました。どうぞ、よろしくお願いします。)

 

はい、よろしくお願いします。今日は、どんな事を聞きたいんかな?

 

(この地区の皆さんだけで、使われている地名やその由来についてお聞きしたいと思います。このボイスレコーダーで録音させて頂いてもいいですか?)

 

全然構わんよ。

 

(地図を広げる)

 

この辺りも、工業団地ができて、だいぶ様子が変わったね。浦潟のあたりにもいっぱいレジャーボートがとまるようになったね。浦潟という名前からも、昔は海岸だったことが分かりますね。

 

(ページをめくる)

 

高いところに干潟というところがありますね。かなり高いところにあるけれども、昔はココが海だったと推測できるね。

 

(ああ、この部分ですね。なるほど。)

 

干潟の名前は面白いね。そのそばにある骨蓬岳という高い山がありましてね。それが地滑りを起こしまして、中ノ坂が全部埋まりまして、結局、住民たちは、高台にある網ノ頭に移ったんじゃないかと思いますね。

この川沿いのあたりも慶長の頃、唐津のお殿様が、埋め立てをして、新田を作ったんですね。この田んぼになっているところずっとが新田ですね。寺沢志摩守が横土居をつくったんですね。その先にある土居頭というのは、昔波打ち際だったんですね。

 

(へぇ〜、そうなんですか。)

 

縦土居というのも、堤防からきた名前なんですね。この堤防沿いの道は散歩道になってますね。この堤防が大事なんですね。とても苦労した工事だったんでしょうね。

それとむかしはこのあたりで塩をつくってまして、それを作ってたのが塩屋三軒あたりの人達だったんですね。

この塩屋の小田さんの家から最近古い絵地図が見つかりまして、それがこれですね。

 

(地図を見せてもらう)

 

               塩屋村   

 

(そうですね。海に沿っています。)

 

よく書かれたと思います。これあげますよ。

 

(ありがとうございます。)

 

 

 

 

 

この小田さんの家は、江戸時代は庄屋、明治時代のはじめに黒川村の初代村長だったんですね。庄屋だったからまっすぐね。

 

          初代黒川村村長 小田治吉

 

小田さんの家は浪人から取り立てられたんですね。

結局、この埋め立てにちなんだ名前が多くつけられたんですね。

 

(ほかにはどうですか?)

 

飛太郎岩はここに載っていますか?

 

(はい、載っています。)

 

その由来は、姥ヶ城の城主だった黒川左源大夫が攻められて、この岩から飛び降りたんですね。だから、飛太郎岩と呼ばれるんですね。

で、その城のあとに旧黒川小学校ができたんです。

このあたりの集落の小学校が合併して今の黒川小ができたんですね。

あとは、工業団地を作るときに城平というところから土を持ってきましたね。この城平は、高い場所で、海を見張っていたとも言われていますね。

 

 

 

(この龍宮社という地名は、独特と思うのですが、由来などはわかりますか?)

 

由来はわかりませんが、この龍宮社は、南にある若宮神社と関係があるようですね。

お祭りのときは、神輿を担いで行き来するんです。またこの場所は、塩屋の人たちの広場となっていて、集まってイベントがありますね。そうそうお祭りといえば、お盆のお祭りでは、「もっこ踊り」をしますね。この「もっこ」は新田を開拓するときの土を運ぶ「もっこ」に由来するようだね。

 

(ここでも、さっきの埋め立てが関連しているんですね。)

 

 

 

(話は変わるんですけど、若い頃は、どのようなことが楽しみだったんですか?)

 

わしが若い頃は、水泳をしていましたよ。今でも水泳協会の会長をやってますよ。(笑)

昔は、七ツ島まで泳いでいきましたよ。その頃の海はきれいでねぇ、カキなんかがたくさんいて、それを踏んで足の裏をよくけがしていましたよ。でも、本当に海がきれいで、傷が化膿することもなかったんですよ。

 

(僕らなんか25メートルプールで少し泳ぐだけでも大変なのに、そんな長い距離をしょっちゅう泳いでたなんて信じられませんよ。なんか、尊敬しちゃいます。)

 

昔は、光をともして、イイダコやテナガエビ、ワタリガニを捕まえて食べたりなんかしていましたよ。

 

(すごいワイルドですね。)

 

あと、このあたりは相撲が盛んですね。子供相撲大会も開かれたりして、大人は結構強いですよ。

 

(何か山で獲ったりしなかったですか?)

 

ウサギを獲ってましたよ。畑の麦を荒らすんですよ。

 

(どうやって捕まえていたんですか?)

                                                              

針金の罠を使ったよ。でも、家に帰って誉められると思っていたら、信心深いばあちゃんにばちがあたるって怒られたんですよ。だから、せっかく初めて獲ってきたウサギを捨てちゃったんです。

 

(なんか漫画みたいですね)

 

あと、「他の家の熟した柿は勝手にとってもいい」なんてのもあったなぁ。

 

(一同大笑い)

 

(でも、それだけ食糧不足だったんですよね。)

 

そうだなぁ、若かったしね。

 

(とても聞きづらいことなんですが、「よばい」はありましたか?)

 

あぁ〜、わしはやっていないけど昔はあったらしいな。

 

(本当ですか!?)

 

わしらの4〜5年先輩は、やっていたらしいよ。鍵は開けてあったそうだよ。

 

(なんかすごい話ですね。)

 

来てもらえない娘の家は、肩身が狭いんよ。青年クラブで聞いたもんだな。

 

 

 

(青年クラブについてもっと詳しく説明してもらえますか?)

 

集落の若い衆はそこで社会のルールを学んだんだ。年功序列とかね。入るときは酒を持って行ったよ。

 

(今で言う「部活動」みたいなものですね。)

 

まぁ、そんなものかな。

 

(どれくらいの人が、入っていたんですか?)

 

進学しなかった奴らばかりだから9割くらいだね。

 

 

 

(行商の人とかは来ましたか?)

 

富山の薬はどこでも有名だね。綿の打ち直しなんかも来たね。

 

(食品の行商などは来ましたか?)

 

来なかったけど、伊万里の町のほうへ海産物の行商は行っていたね。「いりこ」とか「しらす」を売っていたよ。あと、アジ、ヒラメ、カレイとかもあったよ。結構売れていたみたいだよ。

 

(この辺りは魚がおいしいのですか?)

 

波戸鼻の辺りに市場があって、せりをしていたね。でも、今はなぁ•••。

 

(どうなったんですか?)

 

だんだん魚が減って、その上工業団地ができちゃったから、もう漁業は廃れちゃったんだ。

 

 

 

(漁師の人はどうなったんですか?)

 

工場と約束したんだ。漁業権を棄てる代わりに工場に就職させるってね。

 

(じゃあ工業団地の建設は、この集落にとても大きな影響があったんですね。)

 

そうそう、もともと半漁半農の村だったんだから。

 

(大変だったんですね•••。)

 

その建設の時に使ったダイナマイトの揺れのせいで、公害も発生しましたよ。白壁に亀裂が入ったり、大きな問題になりました。

七ツ島をつぶしたのももったいなかったなぁ。松島と比べても引けを取らなかったなぁ。

 

(写真で示してもらう)

 

(確かにきれいですね、実物をぜひ見たかったです。)

 

まぁ、そんなところかな。おっと、もうこんな時間だ。

 

(長い時間ありがとうございました。)

 

はい、ありがとうございました。

 

(最後に、この辺で、おいしい店を紹介してもらえませんか?)

 

ファミリーマートの向こうの松ノ屋でちゃんぽんを食べるといいよ。

 

(本当にありがとうございました。)

 

また聞きたいことがあったら電話してね。

 

 

【おわりに】

 初めのうちは、私達は緊張してなかなか上手に質問することができなかった。そんな僕達に気を使って、森戸さんや岩下さんがどんどんお話して下さり、とてもありがたかった。お二人のおかげで、こちらの緊張がとけてくると、こちらからも積極的に質問することができ、会話も盛り上がった。

 地名だけでなく、昔の習慣についてもお話をうかがうことができ、貴重な体験になった。特にものが少ない時代の食料調達の方法についてのお話は、とても興味深かった。改めて地域文化のおもしろさとこれらを後世まで残すことの大切さを実感した。

 最後に、ご協力して頂いた森戸さんと岩戸さんに心から感謝したい。本当にありがとうございました。

 

【地図について】

ペンの色がなかったので、道路→桃色、川・海→水色、高圧電線→黄色、学校→緑色、墓地→橙色で示してあります。

 


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