鶴牧の認識
メンバー:石田淳悟・出田一史・瓜生浩二
調査日 7月11日(土)
調査地 佐賀県唐津市肥前町鶴牧
行動記録
8:15 九大学研都市駅集合
8:45 バス出発
11:30 現地到着(公民館)
11:40 聞き取り調査開始
13:00 聞き取り調査終了
13:40 昼食
14:00 現地調査
15:30 バス到着
18:30 九大学研都市駅到着
解散
私たちは7月11日、佐賀県唐津市肥前町鶴牧にいってきました。当日、11時30頃に公民館に到着しました。公民館では、吉田英司さんの他に3人の方からお話を伺うことができました。
鶴牧 緑色の建物が公民館 お世話になった方々
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村・地名関係
○ヤシキ…部落で個人の家を指していたが今は地名となっている。
○里(サト)[アザ名]付近で一番多く、古い。どこの村でもある。
○旧道(青色)…今は通れない村道(合併前)[県道]
○井の頭(イノガシラ)…地名
○川はため池から―県の河川
○唐津から――――マツラ川 道路沿いにあり、畑や田の用水。(今はあまり使われなくにごりがある。)
○700の缶…ノウサの方まで続いている。
○オズ炭鉱がある(鶴牧の近く) 陥没していて水漏れしたら家に居られない(1度漏れたことがある。)
○シンコウ…炭鉱の入り口
伊万里湾←海底200m下(無煙炭だったため全部掘れなかった)
○クボンリン…地名
○神社の裏…ヤマンタ川(←水遊びや洗濯)川が整備されてU字坑に整備された。昔の面影はない。位置は少し変わっている。
○開発で地形が変わっている。(地図に載っていない)
○供養土を祭っている(住宅地図参照)
○ 鎮守神社…菖津神社
→〜山は地名
○谷坂(タンザコ)
○竹の子島は鶴牧の漁場 今は権利がない。
○大串新田…マムシ(ヒラクチ)に噛まれないように(マムシはイノシシで減っている。)
○昔の地名が思った以上に載っていた。
○ツルのイワヤ…鶴牧の土地
肥前町の観光案内にも載っている
コヤンチャンの記念碑
岩をくり抜いて仏像を祭っている
色が塗ってある→記念として自然ではなくてよくない
洞窟になっている
お祭り年に2回 春と秋 4月/10月
○鶴牧の「鶴」→弓のツルだった
○鶴田…地区の庄屋の人の名
○羽黒神社…タブの木を祭っている(ツバキの木を植えて2本のうち1本を切った) 神社の前
5月23日 秋への祈願祭 手料理を持ち寄って村人で騒ぐ
若い人がいたころは相撲や盆踊りもしていた。
A農業等
○ 現金を得るため、百姓が野菜などを炭鉱へ売りに行く。
○ 税金を滞納している人がいた。
○農業が中心(時代によっていろいろ)
→タバコ・玉ネギ・かぼちゃ・水田・高菜(契約 ありたの前田 売れる)
○石倉のあたりの棚田は荒れている←イノシシの被害
○白菜を作って集会所に送って出荷→白菜がキャベツにかわる→今へ
福岡・大阪に送る 4トントラックに乗せて
○スイカ(シイカ)も作っていた
○タバコは戦前から 肥前全体 収入が多い 一家で2・3反 今は機械で300町
○乾燥させる―縄に挟んでしていた マキがいる 今は乾燥室を使う
○タバコの収穫は5月〜6月で、一番儲かる
○タバコはJTへ 熊本の方にも持っていく
○田は棚田で地形が悪い
○昔の若い人は勤めに行く
○田の面積が少なく現金収入がない
○冬は作物の下準備
○道具は鍬、マガ→牛で引っ張る
○牛は1家に1頭いた 5〜6軒の家は乳牛を
持っていた
○肥料は牛の堆肥(1反4ひょうできた 出来が悪かった)
タバコは油粕とか 今は化学肥料
○牛には野草を食べさせていた
○堆肥…発酵していたからにおいはひどくなかった
○麦を作っていてそれを牛の小屋に入れてふませていた 麦は堆肥へ
○牛の移動の掛け声…左(サーン)右(キセ)
○鞭で叩く 牛縄は1本
○馬も農業や瓦を運ぶのに使っていた
○洗ったりするのは湧水や田の濁り水を引っ掛けていたぐらい
○エサはあぜ草を各自で山へ取りに行く
運ぶ際、木の棒に引っ掛けて肩にかけて運ぶ
○牛のエサはダ桶(皿のようなもの)に入れる
○害虫は今ほどいなかった
○駆除法…田に油(廃油)を流す→笹の葉でふるう→ウンカを落とす→飛びあがれない
○ウンカで真っ白になって枯れる
○田の水は権利のある人から取る(川の権利は厳しかった)
○昔はなかなか作物が取れなかったが、自分で食べる分は取れた
○棚田は水が入れにくい
B生活関係
○飲料水…イワシ水
湧水(井戸ではない)がたくさんあって、出水や川と呼んでいた。今は使ってない。公民館の前にもあったが道が出来て無くなった。鮒を釣っていた。
○昔の暖炉は囲炉裏・火鉢
○集会所で温まる
○雪はあまり降らない 昔はたくさん降っていた
○ため池に10cmくらい氷がはっていた
→落ちた人を干し大根をかけている竹で助けた。
○昔は病気になってもあまり医者に行かなかった 病院がない
○戸板に2人がかりで乗せて運ぶ(歩き)
○30〜40年前は、唐津から商品(下着・衣服・肉・魚)を売りに来ていた
○車に積んでマイクで呼びかけた 今はAコープ
○野菜はあまり買ってない
○ガスはプロパンガス
○80年前に電気が通る 1か所ずつしか電球をつけられなかった
○以前はランプ・油を使う ろうそくは高かった
○まっくらやみを真っ暗隅という
○薪 気が立ったまま枯れている立ち枯れを使用
○瓦を焼いていた 船で長崎の壱岐まで運ぶ
Cその他
○ウマワタシ→マウタン→モウタシ川
○吉田性の一部は血がつながっていない
○ヤシキは井上の元祖
○南風…ハエ風 西←東…コチ風
○吉田元昭博士…牧出身で九大医学部 28歳で博士号を取得 その後結核の先生に 玄海町 公民館の裏に家がある。
公民館にて
D感想
<石田淳悟>
初めてこのように現地を訪問し、調査を行いました。現地の方々には、大変歓迎していただきました。地元の方々と直に接することによって、文献やインターネットでは感じることのできない、その土地に根付いた人の営みを感じることができ、有意義な体験となりました。
<出田一史>
地図には載っていない貴重なお話を吉田さん方にしていただきました。今はなくなってしまった泉や川、今は使われていない道の話を聞き、時代の流れを感じることができました。普段の机上での勉強では身につけることのできない様々なことを学ぶことができ、すばらしい体験となりました。
<瓜生浩二>
印象深かったのは、地元の話をしているときの吉田さん方の楽しそうな表情でした。やはり、地元のこととなると思い出も数多くあり、こちらが質問する暇がないほど、楽しそうに話されていました。また、鶴牧のことにおいても多くのことを教えていただき、その中で自分自身の地元との違いや意外な接点も発見することができ、貴重な体験となりました。