佐賀県唐津市肥前町納所レポート
木曜5限 文系コア科目 歴史の認識 担当教員 服部英雄
大宮晋平
川畑翔太
○目的
納所の昔の地名、田圃、夜遊びなどの調査。
現地のお宅を訪問し、話を聞くことができた。
○調査結果
1.話を聞けた地名の読み方を下に記す。
・馬渡(モウタシ)、苗代田(ナエシロダ)、原(ハル)、神田代(カンダシロ)、下場(シタバ)、太良(ジャーラ)、山頭(ヤマガシラ)、曲辻(マガリツジ)、平田(ヒラタ)、黒河原(クロコウラ)、馬籠(マゴメ)、番所(バンドコロ)、笹山(ササヤマ)、浦ノ田(ウランダ)、横山(ヨコヤマ)、岩添(イワゾエ)、須枕(スマクラ)、通山(トオリヤマ)、入口(イリグチ)、山浦(ヤマウラ)、稗田(ヒエダ)、乳母田(ウバタ)、御堂(ミド)、山ノ上(ヤマノウエ)、花ノ木(ハナノキ)、芝生(シバオ)、南目里(ナメリ)、佐久目(サグメ)、小田(コダ)、山口(ヤマグチ)、七ツ江(ナナツエ)、中(ナカ)、ガーランドー
・東にある山頭(ヤマガシラ)はあまり使わなかった。
・慈恩寺付近を御堂(ミド)という。
・馬渡(モウタシ)、苗代田(ナエシロダ)、原(ハル)、袖田代(カンダシロ)、下場(シタバ)の5地区を納所西と言い、通山(トオリヤマ)、入口(イリグチ)、御堂(ミド)、山口(ヤマグチ)、中(ナカ)の5地区を納所東と言う。
・番所(バンドコロ)にある遠見岳(トオミダケ)は、戦のとき旗を掲げたり、狼煙をあげたりする場所であった。
2.住吉神社は、由緒あるお宮さんで、納所くんちがおこなわれている。納所東と納所西とでは引っ張る山が違う。納所くんちのポスターを写真に撮った。
↓左は納所西の山、右は納所東の山
3.宗教
慈恩寺は曹洞宗でこの辺の人はみんな曹洞宗である。
4.トッキンドンは納所の土地をもらってきた人でその人の記念碑がある。年に一回10月頃トッキンドンへの感謝を表すトッキン祭がある。
↓トッキンドン記念碑
5.納所小学校のまわりには観音様と呼ばれる寄り合い所があり、ゴゼさんが寝泊りしていた。ゴゼさんというのは物乞いをする人のこと。その観音様にあった内の地蔵2体が代表として小学校近くの御堂に奉られている。この御堂の前には狛犬ではなく牛である。右の牛はなぜか後ろを向いている。なぜかはわからないらしい。
↓牛には「明治二八年旧八月吉日 奉納 願主 長田崎 井上兼 造」と書いてある。
左の牛はソウジジ右の牛はエイヘイジという。牛を飼っていたひとがお参りに来ていた。
↓御堂の中 右の2体がたくさんあった観音様の代表
6.フロロという水攻めの牢がかつてあり、その死者を供養するゴリンドさんがある。
↓ゴリンドさん
7.納所農漁民センターにあった住吉神社系列の鳥居 狛犬が逆立ちしているものと普通のものがあった。
↓左は逆立ちしている狛犬 右は普通の狛犬
7.田んぼ
・水路の生き物 昔はタエビ、メダカ、ドジョウ、タニシがいてタニシは食用としていた。しかし、農薬であるホリドールの導入により一時期はいなくなった。最近になってドジョウが出てきだした。また、タニシにかわってジャンボタニシが棲むようになった。
・田植え歌 田植え歌はなく、黙々と植えていた。
「さあ〜 そんなのどかのことは聞いたことない(笑)。夫婦喧嘩はききましたけどね(笑)」
・雨乞い 家の代表者が村の全ての御堂を回ってお祈りしていた。雨が降らなくなったため早期栽培になった。
・家畜 ほとんどが牛を飼っていた。大人の牛を歩かせるにはハナグリで操る。コハナというものを複数つけていた。昭和30年代後半に出稼ぎに行くようになってから牛は使わないようになった。
・稲の害虫駆除 鯨の油を田んぼに流していた。その後ホリドールを使用していた。最近は消毒の回数が減ったため生き物が増えてきた。
・田植え後 ヤマバヤシでやる笛や太鼓の練習をしていた。
・深田(フケタ)は開発により普通の田んぼになった。
・ため池から棚田に水を引いていた。今はダムから水を引いている。
8.夜遊び
青年宿に男が集まり、どこに行くか決めた。複数の男性で結婚前の女性のとこに行った。 遊び目的ではあったができちゃった婚もあった。女性の家では戸に内側からツン張り棒をして入れさせないようにした。外側からもツン張り棒をして閉じ込めたりという残酷なこともした。鍵をかけないから簡単に入ることができ、菜種油を流して戸を簡単にはずして入りやすくしたなど、知恵を働かせて行っていた。
9.カタキャという貝をいただいた。さっと湯に通し冷凍させたもの。
↓カタキャ