歴史の認識 【駄竹】 実地調査レポート
福井 教文
田中 康介
7月11日、歴史の認識の授業の実地調査で、佐賀県唐津市駄竹の井上善清さんにお話を聞きに伺った。その際に、善清さんの紹介で、地元の漁師の井上半治さんから、駄竹地方の昔の歴史や地名などのお話を伺った。
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■行動記録
11:10頃 駄竹に到着。バスを降り、目的地へと向かう。
11:11頃 道が分からず、井上善清さん宅に電話。待ち合わせ場所を決める。
11:15頃 坂を下り、海岸に沿って歩き、待ち合わせ場所に向かう。
11:22頃 途中で幸運にも井上善清さんに遭遇。町のことを昔から知る方(井上半治さん)
を紹介するとのこと。井上半治さん宅へ向かう。
11:25頃 半治さん宅に到着。調査開始。
13:30頃 調査終了。話に挙がった大岩まで案内して下さるとのこと。外に出て、大岩へ
向かう。
13:40頃 大岩到着。撮影。帰り道の近道を教えて下さるとのこと。集落から出て、坂を
登り始める。
13:45頃 途中まで半治さんによる案内を受けた後、半治さんと別れる。周囲を散策。
15:35頃 調査を終え、バス待ち合わせ場所に向かう。
15:43頃 バス待ち合わせ場所に到着。雨が降ってきた。
15:45頃 バス到着。乗り込んで伊都へ向かう。
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■会話内容
<>:私たちが質問した内容
【】:相手が自発的に話してくれた内容
():動き、注釈
〜:聞き取れなかった箇所
<魚見(ウオミ)という地名にはどのような由来があるのでしょうか?>
魚見とかぁな、昔ぁたっか山からよお泳ぐとば見て漁ばしよらしたと。番所(バンドコロ)とかもそうたい。番所(バンショ)があって番所(バンドコロ)たい。
ここもボラん漁しよったったい。
かみのあじろ、かきのうらじゃけんね
下ば見るとな、魚の泳ぎよるとが見よるとたい。そして漁ばしよったったい。
<ミヤノアトという地名にはどのような由来があるのでしょうか?>
あそこに今ぁ、おみやがあるとたい、あすこは。それとな、ここは今ぁお稲荷様とか何じゃあ祀ってあっと。お宮はずっとあると。
【神社】
こまかぁ神社のあっと。
その山にゃあな、今もぉ祀ってあるお稲荷さんとかある〜
<クロセという地名にはどのような由来があるのでしょうか?>
クロセっていったらぁ…(海岸を指差して)あすくほらぁ…ほらぁ見えちょろう?ちょろっと見えちょろう?あれの潮の引いたら真っ黒か瀬。
あれぁ満潮じゃけぇみえちょらんと。あれが干潮になったらずぅ〜っと黒か瀬の映ると。っけん黒瀬っていうと。
<カミヤシキという地名にはどのような由来があるのでしょうか?>
広かっけんな、かみやしきってぇいゆうとは。土地のあざ名(めい)でな。
<海岸の名前を教えて下さいませんか?>
※ここでは聞いた名で、地図にない名を聞こえたまま記す。位置は地図に記す。
マツノシタ ショキ オノサ オオカイゼ ナカキャゼ ウラノキャゼ コノサ
モリコシ ウシガタニ マナイタ デザキ ヤラゼ マルセ カモノウラ ウトバナ
ゲンザイ ハザ ハエドマリ カミノアジロ シモノアジロ
【キンバタケ】
有名な砥石山ぁあると。金儲けさしよった山じゃなって「金ん畑」かと思っちょったら「近か畑」ってかいちょった、「近畑」って。
【マルセ】
業務関係の地図でマルセって言いけん。間違い無か。
【定置網】
昔ぁこの辺でずうっと張りよったけんな、まき網ときゃあも。定置網もありぁしとったと。今は(地図の海洋部を指差し)ココとココとマルゼと今張ってあると。昔ぁいっぱいはっちょったと。
<船はどれくらいここにはあるのですか?>
船ぁ一人で3つも4つも持っちょるけんが・・・いわしの仲間が30杯ずつあるけんが、4つで40杯ぐらいおるたい…いわしゃんだけでいっちゃあ・・・ちょっと・・・あれじゃんね、(40ぱいおるぅ)そんくらいおったい・・・6・・・5,60はおるたい。まあゆうにおろう・・・。
商売のでけんげなぁ、一人で4はい5はい持っちょうもんな。許可がな、じゅうごぉわりまえじゃながだら鯛とか何とか引いちゃいけんとたい。
そいと、じゅうごぉわりげなぁ今度ぁ、ちりめんなぁひかれんけぇ、今度はふとかやつば別に持っちょっとばい。ほんけんややこしかっばい。
そんけんうちあたりんとん、去年のハツカぁいわしまちこちか、後はずっとやすいやつ・・・1杯だけか
釣りやったらな、1杯でよかったい。
<船が今は鉄でできていたようでしたが、昔は何で造っていたのでしょうか?>
木。ここなぁ・・・20年ぐらいからプラスチックになったったい。今ぁプラスチックばっかり。
<水漏れ防止の工夫はどのようにしてらしたのですか?>
昔んとぁな、「マキハダ」ってぇモミの木の皮ばな、もうじ、そしてそいば板・・・目の間とかに打ち込んでな、そして止めよったったい。
キアダはねぇ・・・普通ぁ「マキハダ」っていうとぅマキのしてあっけんな、マキアダっていうと。だけん、ふとか船ぁこぎゃん太ぅ打ち込みらしとう。漏らんごとう。
<そのマキはどこから入手していたのですか?>
モミの多かとこに商売人のおると。もうじな、縄にして、打ち込むばっかにして売ってあっと。
ふとか船のあったら、打つ職人もホウコンヤってゆうてな、それだけを打つ職人の別におったと。船大工とは別に。
ちいさかふねはな、船大工さんの仕上げにつかうっちゃらした。
<船はどれだけの期間保っていたのですか?>
昔はぁな、8年ぐらいだったな。軽量して。
そっけんここぁなんばいっちゃあおるけん4年に1ぺんは造りよった。
<今は船大工さんはいらっしゃるのですか?>
今はプラスチックになって今はやめちょらす。こん(家の)前が船大工さんとこじゃったと。
<集落はここら辺だけだったのですか?>
ああ、ここだけ。
今がちょっとおおくなったとん、また減ってしまいよる。漁のなかけんな。
【ゴンブ】
潮ぉしたったけでてな、潮の満たときゃあ、はいっとたい。 「ごんぎばたいて」っていいよる。岩ん見えんごと沈むけぇ、あしをみたとのみゆるごとゴンゲっていいよったい。
灯台もしちょったねぇ。船ん衝突せんごとたい。
今はな、海岸の傍を通らんたい。船んふとぉなったけぇ。沖ば通るけんあんまり…。
昔はよぉやられよった、近くばとおりよったけぇ。
<どうして長崎鼻という名になったのですか?>
そこぁキョウドマリじゃんな。ナガサキバナっておおかもんね、大概ある。鹿児島にもあるし・・・。
<どうしてヤマノカミという地名なのですか?>
ヤマノカミてのぁ、しとあざ、なんちょうふでな、あざめい。
<他の集落とかとの船の交流はあるのですか?>
終戦後は貨物船のいっぱいおったばってな、もうしかさん移転さしたけん。
<村から大分離れた管轄領域までいちいち行くのは大変そうな気がするのですが、そこらへんには集落は無かったのですか?>
むかしはココばっかで引きよったとに、今はおらんけん、もういきのまえさん行ったい。
今はもうここん湾にゃあほとんど漁はなか。
【波止場】
波止は昭和6年ごろに出来たっちゃな。古波止は明治より前に出来ちょると。いや明治か。明治たい。チョウシュウ戦争のときね、秋に設けらした。
個人でさしたっちゅうけんね。
ちょうど明治維新のとき船いっぱい、殿様に荷ば積んで関門までいったとな。そして戦争になったもんじゃけぇ、がれっじ。
そいで明治維新になって、するともう船一艘、捕り手んなかけぇ、それで儲けとぉ。(微笑)
んでそこに大きな家のあろうばい。今年つぶれた。去年ねぇ、大地主で、こん町内の三大成金じゃった。(笑)
<昔からその人は金持ちだったのですか?>
いやそん人はな、そん頃はヨコオんとこのコドモん人だった。こっちゃんきて儲けた。それがさっきいうた「キンバタケ」でな、砥石山さしたったい。
やけん二代ぐらいしかおらっさんとたい。そのこが3代目かね。
そんでその人がイシんごたっとばさしたったい、こんあそこで。イシやあいば。
<伊都にも船で行ったりするのですか?>
壱岐の周りには毎日いきよるとたい。いっぱいいきよらすとん。ユウツリにいきよらすとん壱岐さ。
今タイ引きは、もぅ壱岐の周りばっかりたい。
定置網ごたんとんそぎゃんしてあげよったかてしゃん(知らん)かつむたるとん、ああってしてあるごたったもんね。
あまんいろいろこみゃあちかしよっとなったし、いるうんねでじゃんかふうにあげよったかしとっと。
6とうも7とうもたつもんな。
繁盛にならんてあんた。
養殖もやっとったとばい。なんでも失敗した。(笑)養殖はみんないっぱい借金つくった。養殖はいつごろじゃったじゃろうかな。
もう養殖は20何年前…
<養殖はどのようなものをなさっていたのですか?>
はまち、かい、な。みんな借金つくったとばい。(笑)
30年くらい前じゃった。
止めてから20年ぐらい。始まったときからなら30年。10年ぐらいしちょるけぇ。
(地図を見る)
<このあたりのカミジョウリンとかミズドウシとかの地名は…>
これはキョウドマリじゃろ。キョウドマリにきじゃろ。だいたいおうちょるばい。
ホシカイありかじゃかあさ。
ホシカで呼び名あるかもしれんばってぇ、だいたいおいどがしっちょるなまえじゃあんな。
ここんほうもうちが漁にいくとたい。ヒガシヤマにな。
はしのしたもひきよったとばい。ばってん、はしのしたにひっかかっとたい。はしげたひっこぬくわけにはいかんけん。(笑)
そっけんはしのしたばひいてこれさんひきとじゃんな。
やけんもおここは長崎じゃけん長崎の人ばかりして。(笑)
<他の地域からの漁船とかは来たりしませんか?>
いやぁ、ほとんどこん。そっけんユウギョ船がな、何杯かおるたい。10杯ぐらいおろう。
ユウギョセンなぁキュウリョウドウリとかなんかにな、つないどって、日曜に遊びいく。商売用はおらん。
<個人的に遊びに来る、といった感じですか?>
そうそう。
<先ほど養殖でハマチなど失敗したとおっしゃっていましたが、ここら辺ではどんな魚が獲れるんですか?>
魚ばとるとや。今はタイたい。昔は…なんでんあってぇ、今はタイ。
<一本釣りですか?>
いや、網。昨日ぎょうさん来とんらしとった。
そいと、ここん主な商売はチリメンひいとる。
そんけんここはみんな…ほら、(部屋の壁にある機械の方を指差し)乾燥機たいほら、こっちも。(部屋の奥の機械を指差した。)
すてんであけぇな、とらるぅけん、かけちょるとたい。
もうあっちでな、船にホースばつこぉたらあがってぇ、もう自動でこれさん…、ずっとぉ。
もう半分乾燥してな、そこさん(機械の先のほうを指差し)出てくると。
そいとこんくらいまでしかされんけんな、こっちではぁな、そっけんここからふとぉなったらこっちん、向こうの乾燥機でやる。
それがここん主。
三千万ぐらいあげたっちゃ、そいもん赤字じゃっけんなぁ。
去年の油のたっかけぇな、1日にぃ…油が20万のぉいる。
<一日に何回ぐらい漁に出るんですか?>
出たらぁ…もぉ帰ってこんと。1日。
<朝出たら夜遅くまで帰ってこないといった感じですか?>
そう。あいぼぉの魚のおる間やけん、そっけん家におるのは晩になると。
<漁獲方法は網だけですか?>
うちは網だけ。ほとんど網だけな。釣りはここにはぁ、商売は1杯しかおらん。
<神社がたくさんあるようですが、金比羅(コンピラ)神社というのは何なのでしょうか?>
金比羅神社は…もぅ、うちのウジガミさんたい。そいも明治初め頃きちょらすとばい。むこうからなおけぇして。
前んウジガミサマにゃぁ、シオガマサマってぇなぁ、そいでゴウシャしたったい。いくらか前なんだけども。
さいぜんいいよったぁナルトミってそぉ大金持ちが、山脈のコンピラさんからけぇして、そこにつくらしたったい。
<駄竹(ダジク)、というわりに竹は見当たらないのですが、何かこの名に由来があるんですか?>
竹はなか。そっけぇな、間違わすとたい、読み方ばぁな。「だちく」ですか「だたけ」ですかってぇな。
そっけぇもぉ、今は道のできたぞな、道の狭かったときはみんなまちごぉしてさ、ホシカさんいきよぉらしとった。(大笑)
誰さんそぉ聞かすばってん、わからん、そこは。
うちはおいで8代かな。うちもカシワギさんほうかいせんぞいいらしたってぇ。
そいとここにヤマガシラってぇあろぅ。そこが古かっちゃんな。
そこがほんのぉ昔っからのぉあんな。そっけぇ、ヤマガシラっちゅうあざはな、何っちゃあついちょるよ。
そっから漁も前はぁな、下りよらしとったらしか。
【ヤマガシラ】
(ヤマガシラを指差して)ここが一番古かあざんごたんな。なにっちゃのっちゃる。
こんな昔な、ここは今んごと港なかけさ、船ひきやうらや、こっから下りよらしたってん。んでだんだん上さ来ちょっと。
そっけんなんか弥生時代米作ったのぉ何のってぇゆうとがここにあるもんな。そこさ。ナナツユってなぁそこも米ば作りよったったい。
それとヤマガシラが一番古かったい。んでヤマガシラから初め何年か魚ば続けよったっていう。(微笑)
<それからみんな駄竹のほうに移ってきた、ということですか?>
そうそう、だんだん港になっていった。そっけん私のがしてから港になったとたい。私のこまか時分にゃあな、みんな砂浜、海岸、じゃなかっさ。
そっけん泳ぐとももぅ家の下で泳ぐと。はっは(笑)、砂浜じゃあなくて。
<ここら辺には「ハエ」という単語がよく地名にのっているようですが、どうしてこのようになっているのか教えて下さいませんか?>
んんん…わからんなぁ。ほどぉんが知ってっからぁ変わっちょらんもんな。昔からぁ親父さんのそがんいいよらしっとったけぇ、もぉかわっちゃよっぽぞかざあ。
おらぁハチジじゃあハチジちゅうやけぇ。へへっ(笑)
<このあたりには「井上(イノウエ)」を名字にもつ方が多いようですが何かそれには理由があるんですか?>
「井上」な。もう90%「井上」ばい。「フルワカ」が3,4軒あるだけな。あとは「カジワラ」ってぇそこが1軒。あとはみんな「井上」。
ふるぅか言いらしたっちゃろうな、ふるかもんが。そっけん、お寺まで違うもん。
昔からのもんはノウサンテラぁでな、ふるかぁはイゾンデラや。イヌん寺ぁ新かけん。っけんふるかぁ…50年100年じゃなかとばい。まだ前からぁしちょっとばい。
うちは「井上」ばってん、かぁちゃんところもぉ、がんそぉ(元祖)はふるかわじゃあけん。っけん昔の仲間はぁ…こぉ…駄竹があんな、こぉ…はしのきわまで固まってしもうちゃったもんな。
うちんのはそうとして、うちはね、失敗してこっちにいらしたっとぅ。あんたらぁ橋わたって来たろ。あそこに固まっちょったと。
そっけんうちらのあたりでぁ「ホッカイドウ」っていいよらしたもん。はっは、風ん当たるけんな。(笑)
わたしどもの来てからぁあそこぁ家の増えたったい。うちはむこうじゃ。こっちにまんなきゃ(真ん中)おらしたぞな。
じいちゃんのじも失敗して、っけんしっかりしてきとぉ…
そっけぇ「井上」がぁ、ここぉ…湾のここぉ固まってしもうてな、「フルカワ」がこけぇ2,3軒。そんでここはぁシンマチたい。
<駄竹地域特有の風習とかありますか?>
風習ってのはぁ…
<しきたりなどですね。>
前はぁここは海の中で、つなひきもしよったったい、毎年。
そうきまえでぇ、いねぇばぁな、はやがつごろぉってなったったい。そったら昔の旧盆と一緒ぉなってぇ、急がしかけぇやめよってぇなんもかんもやめたったい。
ってぇ盆踊りだけはなんとかセイネングミでやりよんごたぁ。
そのときゃあ毎年海に入ってぇ、今はど(波止)が1か所あいやろう。こいうかったとばい。
っけぇたんすとかつなばな、藁じゃあけぇ、きゃんすとつくったとば2本してぇ、そうしていきよった。
んで勝ち負けで学校にいきよったっちゃケンカしよったとたい、果てには。ふふ(笑)
<セイネングミは他にはどのような活動をなさっていたのですか?>
芝居ばよぉしよったとたい。どこも行かれんけぇさ。興行師に頼んでな、旅役者たい。あいばつれてもぅしょっちゅう。娯楽たい。
<旅役者の人を呼んだりしていたのですか?>
そうそう。道はなかけぇな、道具は船に積みぃいったっさ。そいでかにのぶたいかけぇって、おみゃあしてやりよった。
ここはぁ歌舞伎役者まで来たばい。オノエキクザエモンと…そっから中村なんか…キクザエモンがはよぉきて、かぐきやくしゃにいかした。
今は道のあるばってんな、車もおらんだったったい、昔は。
<昔はどこの道も通れなかったのですか?>
っけん、うちやったらぁ、あまごして、キョウドマリっていうところから渡し船で玄海町さ行ったぁ。そしてから行きよった。
ってぇ、昔の出征兵士を送るともみんなそうだった。っとぉ海軍にいくときはぁな、こっから船でぇ今津さぁ行った。佐世保じゃあ。
陸軍はみんなぁ渡し船。送ったぁ。わだしも海軍にいたけぇこっちゃんにくるときゃぁ送ってもらった。
<その時陸路で行くときの道の本数は限られていたのですか?>
そう、1本しかなかったぁ。今は通られんごとしとる。
ここさんのうさんちほうさんいくとたい。そして、今度ぁ向こうさん越して下って、そして渡しで行きよった。玄海町にな。
そこまでバスの来よったけん、おくった。
そっけん今ぁ車の通るばってんな、近道ってこぉ真っ直ぐ細ぁか今は人間だけしか通らんごたん道のある。
ここは一緒。そってぇあいなかがな、近道たい。
やっけん学校まで2キロじゃんな、うちらは。
<2キロもあったんですか!>
中学校は4キロばい。今はあいもあんな。みんなぁ…うちの息子どもん時まで歩いた。
どもぉ、こどかいぬにだけねんだいみょうっとばい。弁当持って。普通たい。昔ぁ歩くとは。
んで終戦になってシナモンばアメリカ軍からもらうときゃあな、唐津までみんなでいきよったとばい。
終戦になったらすぐシラメグスリとリリピィ、って今は使わんリリィチ。
<リリィチ?>
もぉあんときぃのこどもはぁな、シラミのいっぱいできるけぇ、頭真っ白ふりかけてもらっとったとばい。あれにな。
それからぁ日本人なぁ、えいちたらぁ、すぐ油ばくいたんな。進駐軍が。そいでさ、車んなかけぇ、体でいなげる唐津まで。そんでもろしてわけぇち。
そがんして生活しとったとばい。
それも今夕方、(地図の道を指して)これば通って向こうさ行ってな、かねんでさんいった。かねんでから唐津さ歩いて…。
そっけん不便で一番良かっていいよらしたとは学校の先生だけやったったい。僻地んあって金の高かって。バスのきたら安ぅなって。ぶはははは(大笑)
<昔と地形が変わった場所とかあるのですか?>
んん、変わっちょらんな。海岸ば埋め立てただけでな、道のできただけで大体変わっちょらん。上ん方は山が開発でな、畑なってしもうたったい。ここは変わっちょらん。
ここはもぉいりこが専門じゃけぇ、いりこもかろうて(からって)のうさんさんたちぃおくりよったばい。牛で引き上げてな。リヤカーはやったらよかぁねぇって。
リヤカーに積んで牛にひかせてさ。そってぇ人間は人間でかろうてな。
いろいろやって失敗したと。真珠もやったとばい。一時してすぐやめた。共同でやるけぇな。
今ぁおうかんのあんもうあすけぇ。業者もおったとばい。今からもうついちゃっとらん。
で、やめちょってよかったとたい。今は真珠も不景気でうちもこぎゃんもつぶれるんごたぁ。
<養殖などしようと決めるのは、やはりみんなで集まって、組合などで決めたりするのですか?>
そうそう。
んでぇ養殖で長崎のそこん…今発電所のあろう。火力発電のふとかとの。あすこがぁはやかところじゃんな。そっけんあすこがよかったけぇやったったいな。
そったら人んよかったときゃあもう遅かっさ。餌は高ぉなって、売る方は安ぅなって。そしてあそこも失敗してしもうた。
そこばうまい具合にやらにゃあな。
すっと、魚ぁいちばぁやわかた。市場にあるとたい。市場にあったら仲買がせんでんのまえつくるじゃろ。そっけん餌がなかっていうたっちゃあむこうも顔覚えちゃる。
そっけん今ぁ建っていく業者はみんなぁ…直売たい。なぁ契約して。そうせんば成り立たんとたい。それまでいかんものはみんなやめた。
そっけん漁師もここ4,5年で半分になったばい。半分以下に。やめちもうた。
<やめた方々は、今は何をなさっているのですか?>
もぉ、百姓もしとるけぇ百姓ばしたりな、路肩たい。漁ばやめたったい。そっけん今は20人かしよる。20人残っちょる。
<他の漁港との交流とかはあるのですか?>
あるとぉ。今日もコウシンカイってぇな、隣の漁港の役員とコウシンカイ行った。ってぇ今ぁシキオミ行ったったい。高島ともコウシンカイしとっとばい。高島の漁協とな。
高島はぁな、違反するけん。(笑)
わたしどもの若っか時分なぁ、そこんイロハジマんいきのな、うらげきょとん毎年あげよった。そぎょうするところは一緒じゃけん。
<遠見山(トオミヤマ)と番所(バンドコロ)の違いはわかりますか?>
バンドコロってバンドコロヤマってぇ正式名称がトオミダケっていうと。バンドコロヤマってここんとこばいうと。そっけぇ正式がトオミダケって。
一緒、こりゃあ。バンドコロとぉ。そっけぇ昔の監視ししょたい。っけぇここも監視ししょあるもんな、まっかぁと。昔の陸軍のな。いしのあいがたっちょう。
<このあたりを舞台とした昔話みたいなものはありますか?>
あれは…モンゴルのアレが来た時は、あそこん前で行きよったけんなあ。
後は、要は焼きものんとこああ(っ)た。買いに来てしたば引きよったとん…入ることは入りよった。
ここはもう、昔の戦争の一番アレは、もうこっから上は皆、豊臣の方から攻められじぃーっとしとかな…きしだけん…きしだみかわの守…アレは追い詰められてみんな切られてさ、その墓ばっかりばい此処一杯…豊臣秀吉がやったっちゃろ?
道を作るしてな、その墓にかかったらさ、大変だからその墓んとこかいてくる…ずーっとしてさ。
やけえ、海岸ある墓はちぃーっとじょうきょうぶっしでな、海面は何か普通にしてな、家の裏の方にもいっぱいあるさ、ずーっと…。
(地図のほうを見る)
<(地図を指して)イマゾエ・・・ですかね?>
イマゾエっていうのここ…市番たい。(市番?) あざ名たい。
<地形的な感じで?>
うん、それでイマゾエの何番地っていうのが…。
この地図新しくおうたるなあ。
<結構新しいですよね。>
これは水源地…水源地はのっとらんが浄化槽がのっちょるな。
<最近のですよね。>
じゃろうなあ、これまだ四、五年しかならんもん。
しろく排水の浄化施設じゃろ?
昔はここは海やったん。ここも道路ば作ったけんここば埋めたっつ。ここ海だったっつ。
あそこ埋め立てしてな、道路の橋架かった 今はゲートボール場じゃ。(笑)
あんな辺も半分になっちょるとばい。今は皆埋め立ててな。
<昔はもっと広かったのですか?>
そうそう。そして海岸たい。しょういったらねえ遊ぶとこ。半分は砂浜やったけんな、そこで遊びよった。
そしてあわびでなんで向こう、ほんで岩なったる、漁しておった。
サザエなんて金ならんけえ採る者おらんけえ、いっぱいおった。
<サザエ、あったのですか?>
おったっちゃ金…昔いっちょん売りよらんやったけえ、やけんあわびだけ採ってな、サザエ採らんと。
今は採ることなったがの(笑)。金なるけたい。
わかめもいっぱいあるばってん、金ならんけえ採らん。
<やっぱりお金にならないと採らないのですか?>
いっぱいあるけえの、わかめ。
わかめで良か時もあったっつ。
<メバエはどうしてメバエというのですか?他の地名の理由とかというのは?>
ここはゲンザイやろ、ここはウトバナやろ、ヒラセってこけせのある。
(しばらく外を見ながら実地確認、聞き取り不可。)
外むいとる時は眼鏡要らんな(笑)。
<昔は肉眼で海のほう見てあそこに魚がいるとか確認していたのですか?>
そうそう、肉眼やった。
ぎょたんのああやったつがなー・・30くらいのときな、昭和27,8年か…。
その時は白黒ようけ見えたんやがな、白黒じゃけえこう針で書きよったたいな。
ほんけふとかようはよう見てあろうが、この上もあったったい、上から見るとな、魚のかたまりはな、海の色と違うもんな、青おなる。
そしてうんと固まったら赤うなる。 鰯も赤うなる。それから見て、(網を)引きようた。
すると上な、キラキラってはねるたい。 そんではね方でな、真鰯はこうピラってする。かたくち(鰯)はちとなごす、
するとどうかしたいは上さんだけ、それは見分けーち。
そんでやすじおる時にいねほりしたらかられるとばい、燃料ごや見とけって。〜
<見ても、経験で覚えろ、といった感じですか?>
そして丁度風んごてなるもんな、ほんなベターって海岸の上でした時は。
そうすっと、風と間違うけえ、今度は魚は風んごてかざしたさんぽんたいとっちゃんで行くたい、それで見よう。
風はな、ざーざーってしてしたっちゃ魚は・・こう黒うなるもんな魚は。
下も見よったとばい。船やすうとこの下んとこおるけんな・・やすうだらけてんて…してやってきた・・。〜
今はもう・・潮流計に魚探にそれからGPS…なんで4,5台据えとるけんな
潮流計も5段階位見よるとな…速さも見よるし・・GPSは10年くらい前こうたつ(買った奴)が…地球上でばい、1mく違う言うたの誤差が…そしたらまーた1mも誤差のなかろうとって換えたらなかった…やけえ金いるとばい。(笑)
魚は魚探じゃろ。魚探も下だけ見ると(の)と、今度はソナーって言うてな、表面ば見るとと。
そうすっと、もう一台高周波と低周波とせないけん。低周波にゃあ・・鰯だなんだ写るさ…ちりめんは写らん。(笑)
高周波のはちりめんも写るばってん、やけん2台据えちょくと高周波だけしか写らんのとかちりめん、両方に写る時は(聞き取り不可)
魚釣らる時代にはんどけんやハンドルも握られんし…歳とったら辞めなあかん・・。
今孫と2人で行きよる。
<お孫さんですか。どのあたりに住んでいらっしゃるんでしょうか?>
一緒に…同居しとる。
<学校は遠いのでは?>
学校どうか・・行かんやった。高校に行かんとばい、上がってちょって行かん。
中もおるとさ、漁師の後継者は4,5年いたっちゃろ。
ほんで免許とりえんけんな、今度は・・県の水産教習所に行った。
そして後継者対策ってなんの免許っちゃーへたしたい。(笑)
姉ちゃんの方は長崎大行ったとばい。今九電に入りよう。
家から通いよう。しとりゃあ、福岡におる。
言えと息子はいかん(笑)。
<瀬などにも名前はあるんですか?>
瀬や?
海の中ある瀬は皆名前あるとばい。
海の中には・・あんま無かもんなあ。
あそこは・・いっちょんゆうたろ?ごんぶうて。
(地図を見、指差しながら)
ここは瀬たいな。ごんぶうて。
ここは瀬も何も・・マルゼじゃけえな。
ここも瀬はある…マナイタって言う・・丁度マナイタんごとずーっとふとう…。
ここはもう瀬…今出ちょるかな?(外を見ながら)今出ちょるたい、出てきた。
<潮引きましたね。>(外に出、周りを見る)
あの岩二つあるけん、夫婦岩。
あっちも…二つあろう?やからこんぶ言う。
(外に出る)
(アワビ養殖の話)
〜
【海のほうを眺めながら】
昔は石炭たいてたけんな、石炭のかちばずーっとたいてた…今は〜。
海水浴でなあー、夏休みはあそこいっぱいだれとも来た…最近来んな。
あそこ2つこうしとろう。(海を指さして)そんでもって作ってあるとばい。
最近は来んことなった…金取らなこんとばい(笑)
<昔から風景はこのままですか?>
そうそう。埋め立てがな、あっただけで・・・波止がなごうなった
田んぼの・・位置は…。
ここ波頭は・・もうここだけぶやばい。
石垣設置しとろうが。これ130m石ばかりありよう。
奥や波止無かばい。
ここは竹のうちうちこすとばいぶや。
船みげ行かれんと。
あそこ(安土桃島?)やけんな、あとはもう中国まで何もなかっちゃ。
であそこはモンゴルたいな、モンゴルはみちよるばってん行ったことなか。(笑)
田舎やけんな、殆ど変わらん。
よそから来るもんもおらん、出てしまえばもう5、6軒空き家がある。
<地図にも空き家空き家…と>
仕事がな、向こうじゃろ。
通勤に遠かけんさ、捨ててな、
だけん書いてなかけん一軒ば潰れたもん、今度は道がなかけえ、解体すると金んだそ。
ウチも3軒空き家がある。今度は1軒には誰か入る。
(雑談)
【事件】
だいぶ喧嘩してなあ…人殺しはしちょらんばってん、取っ組み合いば喧嘩でこれはできたとばい。
<原因は何だったのですか?>
境争いたい。これで、こんの調査で決まるもんじゃけえさ、あー山とか畑は石ばこう立てただけじゃろうが。
ここまでウチの、ここまでウチのって。
もう・・うらなかほうは最近までさいがんしたばい。いえんきょうも。
<壮絶だったのですか>(笑)
<その(赤瀬)名前の由来とかは?>
んー赤瀬はまっきゃしとるけえ赤瀬ってつけたっていうなあ、あこうしちょるもん。
土の赤がおうてな、しちょう。やけん赤瀬。
<ではエビゾネとかモゾネとかは?>
そんなん昔からいいよるけん(笑)。
【難破船】
おお、ここもおうきゃ難破してな・・ここ浦あたりにはな、もう難破船のアレが・・・あの石炭がよりよったばーよ。
よった石炭はな、家ん下よりよったけんな、砂場じゃ。ひるっつあーけっとったばい。
もう何年か前までここんな、キャンプが書いてあんの。向こうんことまであったもん。
難破してさ、石炭もある程度浮くけんさ、ある程度、のってった。
【猪】
もうおんごる変わったと猪ばかりたい、猪がもうどけでん出て、多かなあ。
<これは「馬かご」ですか?>(地図を指差しながら)
馬籠(マゴメ)て言う。
<何か馬が通ったりとかそういう道があったんですか?>
んにゃ…馬はやっぱり…つぁひきの名前でな、まぁ特別やなか。
【防塁】
ここは防塁のこっとるあるばいずーっと。
石垣が・・・山ん中な。防塁じゃろうな、有名にはなっとらんもんな(笑)。
おしかあそこにはあるとじゃんな、でもこっちにもあるばってんこっちのは有名じゃなか。山ん中。
<途中で途切れてたりとかしていませんか?福岡の方では防塁の石を人が持っていったりしていましたが。>
ふとかもん。
【有名?】
地名ゆうたっちゃ分からんだったつばい…。
あてや…悪かほうでうんちいや2回なったとばい。
一票差で全国ひでやったろうが、選挙やってそん次一票差でさいやんしたったい。
あー全国放送したたい(笑)。そうすっとほら、福岡市かてそこ…ほら、あそこんたかりに…ほら、「替え玉殺人」。
<そのようなことがあったのですか?>
そこたい。全国区で有名たい。ほんでそこて言うたろ、な?
うちんとこも分かりよったったい。ほんで「ここですか?」て言われて・・「替え玉殺人」たい。
やけん悪かほうで有名たい。(このあたりの会話は笑い)
あそこ見えちょるところでこれたとばい。そんで下の海岸にな、車流れっちゃいけん。
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他にも色々と話を伺ったが、聞き取れなかったり、録音ミスが起きたりし、記載出来なかった。
地名、家名の位置、名は地図にも記載している。
■感想
浦のほぼ一つ一つに名前があることに驚き、また、面白い昔話を沢山聞くことができて楽しかったです。また、帰り道に半治さんに近道を案内していただきました。ありがとうございます。 (田中)
方言がなかなか聞き取りづらかったです。この集落が、ほとんどが井上さんという名字を持っていたのには非常に驚かされました。この村の自然に囲まれた雰囲気、とってもよかったです。とにかく調査に協力してくれた方々が優しく接して下さったことに感謝しています。この調査を通じて、名の由来を理解し、知ることは非常に楽しかったです。今回の体験を今後の研究、調査に活かしていけるようがんばります。(福井)
■写真資料
↑網。手作りのものを使用している。
↑金比羅神社参道入り口。本殿まで非常に遠い。
↑家名「イワンモト」の由来となった大岩(右半分)。葉に覆われていて見えにくくなっている。この岩にそって水が流れている。
↓駄竹周辺の写真
↑船。