大薗の歴史
調査員
川瀬颯人
城戸倫嗣
私たちは、バスを降りてからまず大薗の区長である前田隆志さんのお宅に向かいました。しかし、前田隆志さんはどこかに出かけているらしく、不在でした。そこで、元区長で前田隆志さんの父親の前田隆雄さんに質問を依頼しようとしましたが、残念ながら断られました。そして、私たちは話を聞くために民家を訪ね歩きました。そして、三軒目の八島強美さんの家に伺って、「調査にきたが、区長が不在で困っているので話を聞かせていただきたいのですが。」と頼むと、快く快諾してくださって、その上に家にまであげてくれました。以下は話の内容です。「田んぼへの水はどこから引いていますか。」と尋ねると、「それは、松浦川やね。」と軽快な口調で答えてくれ、そのあとも、松浦川に思い出が、あるのか主人が、若かった頃の話もしていただきました。次に「田植えはいつでしたか。また麦は作っていましたか?」とこちらが、テンポよく聞くとあちらも、調子をつかんだのか、即答で「田植えは、六月の末で、雨が降り終わったくらいやけん、梅雨終わったぐらいやね。」と答えてくれました。ここで、奥さんが、親切にもお茶をいれてくれました。ちょうどのどが、乾いていたのですが、主人の話が、のってきたので、みずをさすのもなにかとおもった私たちは、お茶には、手をださず話をそのままきこうとし、「さなぶりは、ありましたか」尋ねると、主人が、「あったよ。だいたい親戚が集まるね。」と答えてくれました。そして、牛の飼育やしつけの質問を、なげかけると、 主人が話してくれているときに、奥さんも話に加わるまでは、よかったのですが、夫婦間で言っていることが、食い違い、軽いくちげんかになり、私たちは、たじたじでした。(汗)
しかし、さすがに二人も大人ですので、すぐに本題に戻り、「牛は、メスをかっていてこどもをうませ、手綱は、二本つのにつけるね。オスはあんまおらんやったね。顔の周りを縄で作った輪でしばっておとなしくさせとったね。」とさいごは、まとまった答えをくれました。次にその牛に与えるえさについて訪ねると草桐山が、たんぼの土手にあって、それを、たべさせて、ほかには、山の草、米ぬか、塩を、食べさせていたったいと教えてくれました。また、奥さんが「水汲みと薪拾いは子供の仕事やったんよ。ちょうど、あの薪かついどる二宮金次郎みたいな感じやったよ。」と笑いながら、昔を思い出して懐かしんでいるようでした。他には、「米の保存はどうしていたんですか。」と尋ねると、ネズミ対策はねこを飼っていて、もみのまま保存していたんだよ。」と答えてくれました。最後に、格差のようなものは、ありましたかと尋ねると、今もつづいているそうで百姓が強く、田んぼがないと貧乏、今は、逆になっていると語ってくれました。帰るときに畑でとれたなんともみずみずしいトマトを、いただき、帰り道に、山の水でひやしてたべると絶品でした。
村の名前一覧
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ホンムラ(本村)
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スワブタ
地名としこ名一覧
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トリゴエ(鳥越)
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カミガタ(上方)
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シモガタ(下方)
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ハダコノサカ(はだこの坂)
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コヤマ(コヤマ)
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オヤクサマ(おやく様)
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ナガタ(長田)
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ムカエ
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ウシロメ
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ショウサマ(庄様)
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ウエニシクボノウエ(上西久保の上)
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ウエニシクボノシタ(上西久保の下)
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ヤマモト(山本)
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クロサマ(黒様)
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ハチコク
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カワバタ(川端)
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ミズノウラ(水の裏)
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フナカコシ(船かこし)
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ワクドゼ
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スワブタノタノシタ(すわぶたの田の下)
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タノシタ(田の下)
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イワノシタ(岩の下)
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メザキノハナ(目先の鼻)
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オキビラノハナ(沖びらの鼻)
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オキビラ(沖びら)
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タンコウシタ(炭坑下)
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オスワサマ(おすわ様)
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オオミヤサマ(大宮様)
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テンジンサマ(天神様)
田んぼの名前一覧
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ハザコ
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コウチダ(耕地田)
畑の名前一覧
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ミミキレ
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ハチコク
捕れる魚などの種類一覧
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カサゴ
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メバル
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アジ
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キス
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ホリ
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コウズリ
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サザエ
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ウニ
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アワビ
地名についての説明
鳥越という地名は古川さんの家のことを指すと教えてくれました。以下はその写真です。
小山という地名は吉田荒治さんの家の前の土がふくらんで、小さな山ように見えることからそう呼ぶようになったそうです。八島さんが子供の頃は大薗の友達と「小山に集合な。」といった感じでよく使っていたそうです。しかし、今回教えていただいた地名の多くは最近使われなくなってきているそうです。そのため、いくつか忘れた地名もあるということをおっしゃっていました。その写真はこれです。
私たちが、八島さんに大薗の地域でどんな魚が釣れるかと質問すると、海辺の地域のしこ名を思い出して、岸辺のとがっているところが鼻のようになっているということで、目先の鼻と呼ぶと教えてくださいました。その目先の鼻は大薗の住人の方々がよく釣りに行くスポットで、昔から魚がよくつれていたそうです。また、その目先の鼻から上下にだいたい同じ距離のところに炭坑下と呼ばれる場所があり、その名前の由来は、そこに昔炭坑があったからだそうです。北の炭坑下のくぼんでいるところは船かこしと言って、台風などがくるときは、船を守るためにそのくぼみに船を持っていって台風をやりすごしていたそうです。以下は目先の鼻の写真です。