玄海町有浦下の歴史について |
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調査者 |
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柴田和英 |
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塚常拓也 |
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中川敬悟 |
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【話者】 |
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日高満義 |
さん |
大正12年 |
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日高義弘 |
さん |
昭和22年 |
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常盤繁 |
さん |
昭和4年 |
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【一日の行動記録】 |
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7月20日(月) |
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8:30 |
伊都キャンパス集合 |
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8:45 |
出発 |
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10:30 |
玄海町役場到着 |
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10:45 |
日高さん宅到着 |
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14:30 |
日高さん宅退出 |
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14:35 |
東光寺到着 |
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16:10 |
東光寺退出 |
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16:20 |
玄海町出発 |
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18:00 |
伊都キャンパス到着・解散 |
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【有浦下区の小字名一覧】 |
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白畠 |
シロバタケ |
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影谷 |
カゲタニ |
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梅小屋 |
ウメガヤ |
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潟 |
ガタ |
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新田 |
シンデン |
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小加倉 |
コガクラ |
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井堰 |
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馬出川に井堰を作り田んぼに水を引いた。 |
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有浦下区には井堰は5箇所ある。 |
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田への水 |
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山の上方では湧き水を集めて、田に水を引いた。 |
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昔は水が干上がることもあった。 |
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現在では唐津の松浦川から汲み上げている。 |
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地主同時でもめる事もあった。 |
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川 |
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有浦川には昔いた生き物 |
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鮎 |
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ふな |
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鯉 |
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鰻 |
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鯰 |
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もずくがに |
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めだか |
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蛍 |
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現在いる生き物 |
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白魚 |
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手長えび |
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蛍 |
農薬の使用量の減少に伴い徐々に増加してきた。 |
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農産物 |
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ハウスみかん(全国でトップクラス) |
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イチゴ |
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たまねぎ |
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トウモロコシ |
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家畜 |
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昔は牛は主に農耕用であった。 |
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農耕用の牛はほとんど全ての家庭にあった。 |
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今では食用の牛を飼育している。 |
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現在飼育しているのは2箇所だけである。 |
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有浦下区では牛の頭数は人口より多い。 |
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最も大きい牧場では2000頭ほど飼育している。 |
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馬はほとんどいなかった。 |
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現在馬を飼育しているのは1戸のみである。 |
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電気 |
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明治か大正初期から電気は通っていた。 |
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現在ダムがある場所に発電所があった。 |
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そのため戦時中でも電気は通っていた。 |
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ガス |
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ガスは電気より遅かったが詳細は不明。 |
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農業 |
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昔はほとんどが専業農家だった。 |
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昔は米作が主だった。 |
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肥料は使っていた。 |
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現在では60戸中3戸のみである。 |
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残りは兼業農家である。 |
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ちなみに日高さんは電気会社に勤めて電気料金の集金をされていた。 |
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どちらかというと農業のほうが副業的であるとおっしゃっていた。 |
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米の保存は昔はねずみの対策などはあまり行っていなかった。 |
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現在は大きな冷蔵庫で保存している。 |
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イノシシやサルから被害を受けている。 |
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イノシシの被害を受けるようになったのはここ数年のことである。 |
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箱罠などを仕掛けるがあまり効果はない。 |
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田んぼには電木をしかけている。 |
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草が伸びて引っかかるとアースしてしまうため草を刈る労力は大変。 |
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減反 |
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減反政策は30〜40年から始まった。 |
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減反政策により使用しない棚田が増えた。 |
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田んぼは一度使わなくなると水はけがよくなる。 |
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そのため田んぼとして利用できないものが増えた。 |
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潟 |
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現在の玄海町役場周辺の地域。 |
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昔は商店はほとんど潟に集まっていた。 |
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床屋・魚屋など… |
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長倉から潟へ行くときには当時橋がなかったため |
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飛び石で渡らなければならなかったので |
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人が溺死することもあった。 |
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そのことをかっぱがいるなどと言っていた。 |
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屋号 |
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屋号は全ての家についていたわけではない。 |
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屋号は名前のように用いられていた。 |
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焼印などにも使っていた。 |
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道具などに使って誰のものかわかるようにしていた。 |
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結婚 |
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当時は車などの移動手段が無かったため近所同士で結婚することが多かった。 |
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そのため山の上の方では同じ姓の家が集まっている。 |
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戦争 |
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日高さんは兵隊としてフィリピンへ出兵されていた。 |
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終戦時フィリピンの山の中に居られたため、 |
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終戦したことをすぐには知ることはできなかった。 |
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食料が無いためにカエルや蟻なども食べられたらしい。 |
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ちなみにカエルはおいしかったらしい。 |
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蟻はゴマのようなかんじであまりおいしくなっかたらしい。 |
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東光寺 |
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日高さん宅の近所にあるお寺 |
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有浦下区と諸浦の境界にある。 |
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国宝の薬師如来坐像がある。 |
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病気をなくしてくれるありがたいものである。 |
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行事がないと村人でもあまり見れないらしい。 |
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見せてくださいというと、見せてくれないらしく |
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拝ませてくださいというと見せてくれるらしい。 |
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【考察・感想】 |
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有浦下区の農業は減反政策の影響を大きく受け田んぼが減少したようである。 |
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また地域開発などが原因でイノシシ・サル・アナグマなどの動物が山から |
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降りてくるようになり、農作物に被害を与えるようになった。 |
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農業が機械化されるに連れて、各家庭にいた農耕用の牛も姿を消していった。 |
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今回の現地調査では、昔の有浦について農業・生活様式・自然のことなど |
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様々なことを教えていただき大変参考になった。また偶然行われていた夏祭りで |
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国宝・薬師如来坐像を拝ませていただくことができ、とてもきちょうな体験ができた。 |
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