木曜日・5限目・歴史の認識

歩き、み、きく歴史学

712日・唐津市鎮西町串実地調査レポート

 

 

調査者

阿南清士朗 

後藤誠大  

向井脩   

 


 

調査にご協力いただいた方

伊藤弥三雄様

梅崎正人様 

古舘初美様 

 

 

唐津市鎮西町串へ…イントロダクション

私たちは、九州大学伊都キャンパスから約2時間、佐賀県東松浦郡唐津市鎮西町串を訪ねた。朝、8時30分ごろに伊都キャンパスを出発し、途中、各地で他の班をそれぞれの調査地で降ろしたり、呼子にて休憩をはさんだりしたため、2時間程度かかったようである。実際の移動時間は1時間30分程度でないだろうか。10時30分ごろ、目的地に到着した。

今回の目的は、そこで昔の様子や遊び方、食事などについてうかがい、調査することである。そこで、以前よりアポイントメントをとっていた、この地区に在住の、伊藤弥三雄さんを訪ねた。到着後、近所の商店で道を尋ねることができ、また事前に伊藤さんの携帯の連絡先をうかがっていたため、伊藤さんとお会いするまで、スムーズに行動することができた。しかし伊藤さんは、昭和33年に三重からやってきた(つまりもともと串の方ではない)ので、串のことをあまりご存じでないとのことだ。そこで、ご近所に在住の梅崎さんと古舘さんをご紹介いただき、そのお二方も交えた3名の方に、今回の調査にご協力をいただいた。それぞれ、梅崎さんは昭和20年の7歳のときに北九州からこの地区に引っ越してこられた方で、古館さんは昭和23年生まれで地元の方であったので、かなり詳細な情報を聞くことができた。

 

以下、今回の調査について記す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

串浦について

 串は海(浦)と山に囲まれた自然豊かな村で、昔は米やいちごなどの栽培も盛んであった。しかし、現在は栽培などは行っておらず、漁業を中心として生計を立てている。

 

 

串の漁港の風景写真

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の調査で分かった地名など

(なお、詳細はエクセルファイルに記載)

 

読み

漢字表記

アカセ

赤瀬

アモズ

 

イヌモドリ

犬戻り

カミノハナ

神ノ鼻?

クウラ

 

クビイレ

首入れ

コジマ

小島

サカ

サクベ

作部

ジョウビラ

 

シラハダ

 

シンデン

新田

ジンノウチ

陣内

ゼンニュウ

 

タケジモウラ

竹下浦

チクイソ

 

ヅラセ

 

トウジンノウラ

唐人の浦

トウジンノセ

唐人の瀬

ナカウラカミ

中浦上

ナバワリ

 

ナフカヤマ

ナフカ山

ハチバタケ

 

ヒラセ

平瀬

ホトケダ

仏田

マルボ

 

マルヤマ

丸山

モトノツジ

元辻

モリキヤマ

森木山

 

 

 

串における昔の生活とは、どのようなものだったか

 

おかし・おやつについて

昔は、現在でいうお菓子というようなものはなく、おやつにはもち、野草やよもぎのだんご、山桃、あけび、やまぶどう、いもあめなどであった。

 

青年宿について

お年寄りの家の一画や、使わなくなった家を借りて、未婚の男女が集まり飲んだり話したりしていた。また、そこでは上下関係が厳しく、先輩の言うことは絶対であったようである。昭和40年頃までは存在していた。当時では、「よばい」も普通に行われていた。

 

漁業について

昔は木造船を利用し漁業を行っていた。木造船は地元の大工さんがつくったものを使用していた。水が入らないように、全体をロウでコーティングしていた。また、すきまになめした木の皮をつめ、船体の木が水を吸い膨張することで、浸水を防ぐ構造であったが、それでももって10年くらいであった。漁獲物はいわしやいりこが主としたでものあった。しかしいわしは、昭和46年以降とらなくなった。現在では、漁獲物の大半をいかが占めている。

浦であるため風はさほど問題はないが、潮の流れによって定置網が流されることがしばしばあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年間行事について

 

年間行事の表

 

お話を聞けた行事

 

盆綱引き・盆踊り…14,5年前までは、青年団が中心となって4050人が主催をし、演劇などを行っていたが、現在は4,5人になってしまっている。

 

大般若経…起源は、疫病が入ってこないようにするために開かれていたのではないかとのことである。

 

施餓鬼(せがき)…先祖供養のために行われていた。

 

行事名を失念してしまったため、どの行事か定かではないのだが、お寺からお坊さんをお招きし、お経をあげてもらうという行事もあったとのことだ。

(御大師様であったかもしれない)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕菅の花について

 

近くに、夕菅という花が咲いている場所があり、インタビュー終了後伊藤さんと古館さんの車に乗せていただき、連れて行っていただいた。

 人の手より小さい程度の大きさの、黄色い花が咲いており、きれいだった。

 ここでは、夕菅の花に関するイベント(お祭り)も行われているようで、宣伝を頼まれた。『ぜひ一度行ってみることをお勧めする。』

 

夕菅の説明が書かれた看板

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕菅の花畑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に感想と反省

今回の調査で、私たちは昔の生活の様子や文化などを知ることができ、大変いい勉強(経験)ができた。私たちの地元も海に面していて、漁業などが行われていたが、地元では湾であり、串では浦であることもあるのか、その漁業の形式も異なっていることがわかり、興味深かった。

今後、今回の調査の経験を生かし、自分の地元や、他のいろいろな地域についても、昔の様子などついて調べてみると面白いのではないかと考えるとともに、調査してみたいとも思った。

今回、最大の反省点であり問題点は、ボイスレコーダ使い物にならなかったことである。これにより、貴重な生の声を録音することができなかった。これは、急遽の故障であったとも考えられるが、準備不十分ともいえる。

個人的(阿南)の感想であるが、今回の調査そのものは非常に面白く、興味深いものであったため、このような経験をすることができる機会があれば、ぜひ積極的に参加していきたい。


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