お話をしてくださった方:大塚 孝允さん (昭和9年生まれ)
製作者:L−2 永山 陽子
野村 聡子
☆6月26日、一日の行動☆ ★目的★
8時15分:六本松に集合 熊本県三加和町上板楠の大塚
8時20分:六本松を出発 孝允さんのお宅を訪ね、直接
11時00分:中十町に到着 質問し、お話を聞かせていた
11時45分:大塚さんのお宅に到着 だく。現在失われつつある、
→お話を伺う 地域に古くから伝わる土地や
14時00分:大塚さんのお宅を出発 建物などの通称、昔の生活・
14時20分:三霊神社を見学 慣習や農業のことについての
16時30分:バスに乗車 お話を伺い、記録する。
19時00分:六本松に到着 また、当時から現在における
→解散 変化について考える。
●大塚さんへの質問●
1.
土地などの通称について
学生:よろしくお願いします。この地図に書かれていないもので、地域の皆さんが使
っていた土地の通称は他になかったでしょうか?
大塚さん:特別な名前というのはなかったけど、たとえば天神さまの前のあたりを「天神の前」と呼んだり、形がひょうたんの形をしているから「あれはひょうたん池だ」とかはあったかな。
学生:村の田んぼにそのようなあだ名はありましたか?また、圃場整備前の田にはどんな名前がありましたか?
大塚さん:そうだなぁ、特別なのはなかったねぇ。
学生:むかし山の中に田んぼはありましたか?
大塚さん:山の中には、だいたいなかったですねぇ。でも、迫(谷)のあたりには、ずっと田んぼがあったですね。
学生:谷に名前はありましたか?
大塚さん:こん谷(地図の黒岩の南西の谷)は「えのき谷」っていうとですよ。そう昔から呼んでるんですが、えのき谷という地名はないですね。どういうわけかわからんけどえのき谷っていうんですよ、ははは。それからねぇ、昔からこの辺(立園原あたり)を「マイソウ」っち言うとですよ。
学生:まいそう、ですか…?
大塚さん:うん、それがどういう意味のことなのかはわからんけど、ここらへんに墓があったというから、そういうことでまいそう、というとじゃなかとですかね。それとなにか、寺の坊さんにちょっと聞いてみたところが、ここに昔、舞を舞う坊さんがおられたから、それでまいそうという名前になったんじゃなかろうか、と。
学生:舞う僧ですか、へぇ〜、おもしろ〜い!!
大塚さん:まぁそれは話ですけどね(笑)
学生:川の瀬や渕、滝には名前はなかったでしょうか?
大塚さん:あぁ、それはあったなぁ。陣内があるでしょ、そこ(地図参照)が渕になってて、それを「陣内渕」っていってるんですけどね。
学生:用水は何という名前ですか?
大塚さん:用水…?特に名前はないです。ここはだいたい昔から、堤の水で田んぼを養ってきたですもんね。それで、特別に用水に名前っていうのはないですね。
学生:この周辺に池はありますか?
大塚さん:池は大小合わせて七つあるかねぇ、うちの近所だけで。
学生:池に名前はありますか?
大塚さん:それはありますね。一番大きいの(松ノ下の西の池)が「大堤」。これ(宮ノ前の南東の池)が「タロウラ」っち言うんですよ。宮の裏の方にひとつある(宮ノ前の西の池)、それが「宮の裏の池」と言うとですよ。これ(片峯の辺りにある池)は特別にはないけど、片峰にあるから「片峯の池」だな。これ(井川迫にある池)が「井川迫の池」、それからこれ(穴首の南の池)はなんでかわからんけど「宮田堤」というんですよ。これ(堤ノ下の池)は「えのき谷の堤」。ここもさっきと同じように地名にはないんですけどこればっかりはわからんなぁ。
学生:橋にはどんな名前が?
大塚さん:橋には…、えっと、ここ(陣内)は「陣内橋」って言うでしょ。他はついてないですねぇ。
学生:年行事または世話役のいる単位はご存知ですか?
大塚さん:あっ、世話役なら昔はいたみたいだけど、今はないんでわかりませんね。
学生:家に屋号はついていましたか?
大塚さん:う〜ん、特別にはなかったなぁ。まぁ、あると言えば神主さんのお宅は「ミョウケン」と呼んでましたね〜。今はその言葉はもうなくなった状態かな。
学生:大木や古木、岩などについた名前、ふるい道や峠などに名前はついていましたか?
大塚さん:こん山(花立のあたり)の頂上のところに、「毒蛇原(ドクジャバル)」と呼ばれるところがありましてね。
学生:どくじゃ…ですか!?
大塚さん:う〜ん、毒蛇っていうのはつまり、原というのは畑んことを言うんですけどね、とにかくそこに、畑があったとですよ、そこに毒蛇がいたんじゃなかろうかと、まぁ、それだけかな、ははは。
学生:毒ヘビですか(笑)
大塚さん:それからねぇ、ここ(黒岩と花立の間のあたり)に大きな松の木があったとですよ。そのことをなぜか、「ご祈祷松」と言ってましたね〜。
学生:なんでですか!?
大塚さん:え〜っと、ここで御祈祷が行われてたとですよ。
学生:あ〜、御祈祷が(納得)。
学生:上板楠地域の範囲はどこからどこまでですか?(地図参照)
2. 農業について
学生:田んぼへの水はどこから引いていますか?
大塚さん:昔は堤から引いてたけど、今は堤と、川からポンプアップしているので、その両方からですね。
学生:水争いはありましたか?
大塚さん:昔はだいぶあったなぁ、ここの辺りは水が少なかったから。
学生:水を分ける上で、特別なルールはありましたか?
大塚さん:今はあんまりないですねぇ。昔は、その、堤の係がおったですね。ポンプアップをするようになってからは、その慣行も崩れてしまったですね。
学生:雨乞いの経験はありますか?
大塚さん:昔はだいぶやりよったなぁ。
学生:どんなことをされたんですか?
大塚さん:よくお参りに行っとったなぁ、とにかく。
学生:平成六年の旱魃のときはどうでした?
大塚さん:とにかく、米がとれんっちいうことは、最近ではないな。その、ポンプアップをするようになってからは。
学生:台風予防の神事などはありましたか?
大塚さん:台風予防の神事というのはなかったですね。
学生:用水路の中にはどんな生き物がいましたか?
大塚さん:用水路かぁ〜、いろいろおるからなぁ、ははは。
学生:ヒルとか、いるんですか!?
大塚さん:ヒルはまぁ、少ないけどな。
学生:生き物は、今も昔も変わりませんか?
大塚さん:いやぁ、とにかく、生き物はやっぱり変わったなぁ。昔はもう、蛍なんかもそのへんにいっぱいおったですもんねぇ。だけど今はもう、たまにしか見らんです。どじょうなんぞも減ってしまって、めだかもおらんくなってしまいました。
学生:田んぼの中にはどんな生き物がいるんですか?
大塚さん:一緒みたいなのがいるよ。
学生:たにしとかもいますか?
大塚さん:たにしはいっぱいおるよ〜、あとはヤゴがた〜くさんおったよ。
学生:それじゃあ秋になったらトンボがいっぱいですね。川にも同じような生き物がいたんですか?
大塚さん:そりゃあいると思うけど、川では魚は減ったなぁ。昔は淡水魚がた〜くさんおったよ〜。
学生:麦はつくりますか?麦をつくれる田とつくれない田はありますか?
大塚さん:麦はつくらんですねぇ。けど、つくろうと思えばつくれますね。昔はつくれないところもあったけど、圃場整備がだいたい進んでからは、つくれない田はないですね。
学生:一反あたりどれくらいのお米がとれますか?
大塚さん:あぁ、そうだなぁ。まぁそれはつくりかた次第だから何とも言えないなぁ。
学生:いい田と悪い田でとれるお米の量に違いはありますか?
大塚さん:山かげなんかは少ないけど、今はあんまり違いはないですね。
学生:量でいえばどれくらい違うんですか?
大塚さん:そうですねぇ、今植えている田では、違いは一俵くらいのもんじゃなかろうか。
学生:そばをつくったことはありますか?
大塚さん:いや、そばをつくったことはないです。
学生:何斗蒔きとか、何升蒔きとかいった田はありましたか?あったとすれば田植えをせずに直播きだったのですか?
大塚さん:何斗蒔きとかいう田はないですね。麦は直播きするけどなぁ。けど麦じゃあね、直播きはしないですよ。
学生:昔はどんな肥料をつかいましたか?
大塚さん:昔はやはり牛肥、それに人糞なんかも使ってたね。
学生:灰は重要でしたか?
大塚さん;えぇ、灰もやはり、肥料として重要でした。
学生:どうやって灰をつくりましたか?
大塚さん:いや、別に、つくるわけじゃないけど、かまどの灰などですね。
学生:稲の病気にはどんなものがありましたか?
大塚さん:稲熱病やシラガレ病は昔はあったねぇ。最近は見らんなぁ。
学生:害虫はどうやって駆除するのですか?
大塚さん:今はほら、ありきたりの薬をまく。
学生:昔はどうされてたんですか?
大塚さん:昔は油をさしよったですね。田んぼに油を点々とまいて、布みたいなやつでこうまぜるとですよ。そしたら虫が落ちて、下であがきようとですよ。
学生:へぇ〜(感心)。
学生:共同作業はありましたか?それを結といいましたか?
大塚さん:近頃はあんまり共同作業はせんくなったなぁ、昔はあったけど。
学生:かせい、とか、てまがえ、といったんですか?
大塚さん:かせいの場合もあるし、てまがえの場合もある。こっちがかせいに行ったら、そしたら向こうからてまがえに来てくれる。
学生:それを総称してゆいっていうんですか?
大塚さん:ゆいっていうのはここではあんまり使わんけど。う〜〜〜ん、まぁてまがえのことですたいね。
学生:田植えはいつでした?
大塚さん:だいたい6月の下旬から7月の上旬にやってましたね。今は6月の中下旬ですかねぇ。
学生:田植えっていうのはゆいでしたんですか?
大塚さん:ええ。
学生:今はどうですか?
大塚さん:今はもうそういうことはないですねぇ。
学生:さなぶりはありましたか?
大塚さん:う〜ん、何ていうんですかそのー…親戚、ゆいなどをするグループとかそういうところではねぇ。
学生:思い出なんてありますか?
大塚さん:特別な思い出というのは、う〜〜ん…それがまぁ一つの楽しみであったわけだから。
学生:田植え歌ってありますか?
大塚さん:いや、こっちにはそんな民謡なんてこの地独特のものはあんまりないねぇ…。
3.牛や馬について
学生:飼っていたのは牛ですか、馬ですか?
大塚さん:うーん、両方だったなぁ。馬のところもあるし、牛のところもある。
学生:馬とか牛のえさはどこから運んだんですか?
大塚さん:ほとんどそのー、あぜ草をとって食べさせてましたねぇ。
学生:牛を歩かせたり、鋤を引かせたり、右、左を向かせるときの掛け声はありましたか?
大塚さん:あぁ〜、ハハハ。右に向かせるときには「まい、まい」といっとったですかねー。それで、左に向かせるときには「さし、さし」
一同どっと笑う
学生:へぇー、それは何でですか?
大塚さん:それはー、何でかはわからんけどその掛け声で馬や牛を使うとですね。
学生:牛と馬、両方同じ掛け声ですか?
大塚さん:そりゃあもう同じですね、はい。
学生:鋤を使うときの掛け声なんてありますか?
大塚さん:ないねぇ、そういう場合はない、うん。
学生:「進め」とか「止まれ」というときの掛け声はありましたか?
大塚さん:あぁ、「すすめー」っち言うときは「ハイー」が掛け声だよなぁ。でねぇ、「止まれ」というときには「おぉ」と言いよったなぁ。
学生:「どうどう」っていうのはよく聞きますよね。
大塚さん:うーん、での、「おぉ」って言いよったなぁ。
一同笑う
学生:手綱はどうやって操作しましたか?1本使いましたか、それとも2本でしたか?
大塚さん:あぁまぁやっぱ鋤とかすくときには2本かねぇ。紐を左右につけてました。
学生:雄牛と雌牛の呼び方は違いますか?
大塚さん:雄牛はゴッテ牛ってやっぱ言うなぁ。ふふふ
学生:おぉ〜!気の荒い牛っていう意味でうの牛って言わないんですか?
大塚さん:いや、そう呼ぶことはなかった。
学生:ゴッテ牛を大人しくするためにはどうしましたか?
大塚さん:やっぱりたたくことですね。
学生:馬は毎日洗いましたか?
大塚さん:毎日は洗わんかった、はっはっは。
学生:どこで洗ってましたか?
大塚さん:そりゃもうほとんど川ですね、十町川だよねぇ。(地図参照)
学生:牛も洗いましたか?
大塚さん:うん、牛も洗いますよ。
学生:へぇ。後で馬洗いはあるが牛洗いがないのはなぜですかっていう質問があった
んですけど、牛も洗ってあげてたんですね。牛を洗わないところが多いみたい
ですね。
大塚さん:あぁそうですか。そりゃやっぱ仕事した後には汚れるからなぁ。
学生:蹄鉄はしていましたか?
大塚さん:そりゃあ馬にはねぇ。
学生:馬の病気にはどんなものがあったのですか?
大塚さん:馬の病気と言ったらですなぁ、下痢とかですかねぇ。
学生:草切り場はありましたか?
大塚さん:特別に草切り場っていうのはなかったけど、う〜ん、まぁ川の堤防のところでしたかね。
4.昔の生活について
学生:この地区にガスがきたのはいつごろですか?
大塚さん:今もガスはプロパンガスだけですね。
学生:プロパンガスはいつごろ来たんですか?
大塚さん:どれくらいかなぁ、ず〜っと前だねぇ。33年以上は前になるね。
学生:電気がきたころの話を聞かされていますか?
大塚さん:明治のことですからねぇ、あんまり聞いたことないなぁ。
学生:それ以前にはどうしていたか、ご存知ですか?
大塚さん:それはよくわからんけど、やっぱりランプでしょうね、昔はランプがあったから。
学生:薪はどうやって入手しましたか?
大塚さん:ほとんど山からとってきましたね。花立山と黒岩のところですね。
学生:むらの共有の山である、入り会い山はありましたか?それはどこでしたか?
大塚さん:昔は花立山がそうだったですかねぇ。入り会い山っていうかわからんけど、田んぼを分ける前は、みんなで花立山に登って、草刈りに行っとったって話は聞いたことがある。
学生:そこでどんな作業をしていたかわかりますか?
大塚さん:まぁ草刈りくらいですね。
学生:木の切り出しは・木馬・しゅら・路引き・川流しはありましたか?
大塚さん:どびきですねぇ。
学生:炭は焼きましたか?
大塚さん:戦後だいぶ焼きましたねぇ。山をひととおり焼いてしまうくらい。
学生:炭を焼くことの収入は良かったですか?
大塚さん:良かったですよ、それは。
学生:炭を焼くのは自家生産ですか、ヤキコですか?
大塚さん:ほとんど自分家で焼やっていました。
学生:山を焼いて焼き畑にすることはありましたか?
大塚さん:ここでは焼き畑をすることはなかったですね。
学生:野稲はありましたか?
大塚さん:それはまあ、昔はあったね。
学生:収穫は普通の田んぼとどれくらい違うかわかりますか?
大塚さん:昔は大体7,8俵くらいでしたもんねぇ。普通の水田が。野稲だったらやっぱ
3俵前後ぐらいだったですねぇ。
学生:焼畑は何と言う地名ですか?
大塚さん:焼畑はなかったなぁ、この辺では。
学生:阿蘇のように、草山を焼くことはありましたか?
大塚さん:ないなぁ。
学生:かご、楮は取りましたか?
大塚さん:楮はだいぶありましたよ。特別な畑というのはなかったけど、畑のあぜとか土手などにずっと植えていたですね。
学生:それで和紙を作ったんですか?楮って和紙の原料ですよね?
大塚さん:えぇ、和紙をつくってましたよ。
学生:すご〜〜い!今はされることはないんですか?
大塚さん:今は役場でまぁ少しずつやってますよね。紙すきの館っちゅうのを役場に作ってですね、少しずつやるとですよ。でも本当の梳き手は3人くらいじゃないかなぁ。
学生:ちょま、いらくさはとりましたか?
大塚さん:いやー、そんなのはなかったなぁ。
学生:山栗は落ちてきたりしましたか?
大塚さん:栗!あぁそりゃ山に行けば前はねぇ。今は栗もほとんどないな。昔はあったけどなぁ、うん。山に小さな栗があったが今はほとんどなくなってしまったなぁ。
学生:カンネはありましたか?
大塚さん:あぁ、そりゃ葛のことじゃろ?いや、葛のつるはいっぱいあるけどなぁ。特別根を掘る人はいないですね。ここら辺には。
学生:山の木の実にはどんなものがありましたか?
大塚さん;それはまぁどんぐりとかかな。どんぐりっちゅうてもクヌギやら、シイノミ、カシノミやね。
学生:商品価値のあった山のもの、山の幸にはどんなものがありましたか?
大塚さん:ここら辺では山のものを特別販売するということはないなぁ。
学生:川にはどんな魚がいましたか?
大塚さん:あぁ、いろいろおったよ。そりゃもうほとんど淡水魚は。
学生:川の毒流しはありましたか?
大塚さん:昔はあったですね。ゲランとか…。あ、これは毒の名前たい。
学生:干し柿の作り方はわかりますか?
大塚さん:干し柿の作り方はまぁ、柿の皮を向いて干しておけば。(笑)
学生:渋柿のときに作るんですか?私も何度か家で作ったことあるんです。
大塚さん:そうだねぇ。ははは。
学生:勝ち栗の作り方はわかりますか?
大塚さん:勝ち栗はこの辺では余りつくらんなぁ。
学生:食べられる野草はありますか?
大塚さん:あぁ、そうだな。ゼンマイ、ワラビ、セリとか。
学生:ヨモギとかは?
大塚さん:ヨモギはもうこの辺じゃ雑草のうちですよ!はっはっは。
学生:えっ!ヨモギは食べないんですか!?
大塚さん:ヨモギはほとんど…。昔はあの、餅に混ぜたりして使うことはあったけど今はほとんど使ってる人はいないなぁ。
学生:タラノ芽とかは?
大塚さん:うん。タラノ芽もあるにはある。
学生:つくしは?
大塚さん:つくしは食ったことないですよ。どうやって食べるんかねあれは?
学生:えっ!煮て食べますよ!菜の花とかも食べませんか?
大塚さん:菜の花もあんまりなんか食ったことないもんねぇ。
学生:うち畑があるんで菜の花とか結構食べますよ。
大塚さん:へぇー、あのつぼみのところを、ブロッコリーのようにしてな?
学生:はい。
大塚さん:へぇー、そうねー。
一同笑う
学生:食べられない野草はありましたか?
大塚さん:そりゃあどんなのがあるかしらんなぁ。
学生:お米はどんな風に保存しましたか?
大塚さん:あぁ、玄米ですな。
学生:飯米、兵糧米は?
大塚さん:飯米というのは自分とこの米のことだと思うんですがね。兵糧米っちゅうのはようわからんけど戦争中は出荷割り当てが来よったけんね。やけん、足りんときには自分のうちの飯米でもださにゃならんやったときもあったな。
学生:ねずみ対策は何かありましたか?
大塚さん:貯蔵庫を使うくらいのもんでな。ほかにはないかな。
学生:昔から貯蔵庫ってあるんですか?昔は何か違う対策とかありますか?
大塚さん:いや、昔はなかったけど…そうだな。特別な対策はなかったけどやっぱりネズミ捕りの薬とかかな。
学生:米作りの楽しみ、苦しみは?
大塚さん:そらやっぱり収穫が楽しみで、苦しみは作業ですよなぁ。(笑)
学生:昔の暖房は?かまどか何かですか?
大塚さん:はい。かまど、こたついろいろですね。
学生:車社会になる前の道はどの道でしたか?
大塚さん:う〜ん、とにかく狭い道でしたね。
学生:じゃあこんなに広い道はなかったんですか?
大塚さん:えぇ。ほとんどなかったですね、昔は。集落から集落の道はそう、幅1間くらいの道はあったですけどね。馬車が通るような道が集落間にはありましたね。
学生:馬車に乗られたことはあるんですか?
大塚さん:そらぁ、近所に馬車を持っておられた方がおったけんね。けど、人を乗せる馬車じゃないと。荷物を運ぶための馬車たい。うん。
学生:あぁ、なるほど!
学生:外からはいろんな人が来たりしましたか?行商人とか。
大塚さん:そうだなぁ。そういうのは来よったですね。今ももちろん来ます。この辺は店がないけんね。昔は箕ソソクリとか言うような人たちはようきよったなぁ。
学生:それはどんな人たちですか?どこの地方から来たとかわかりますか?
大塚さん:う〜ん、その人たちの住所などはわからんな。川の土手とかなんかにちょっとした小屋を作ってな。そこで何日か過ごして箕、商品を作るんですね。しょうけとか竹細工たい。しょうけというのはざるのことたい。(棚の上を指差して)あそこに見えてるやろ。そういうものを作って歩く人は大体何日かその家庭に泊まってね。
学生:「しょうけ」に漢字はないですか?
大塚さん:あぁあれはひらがなたい。
学生:川原やお宮の境内に野宿しながら箕を直したり箕を売りにくる人…あっ!これですね!野宿じゃなくて小屋を建てたんですね。その人たちが箕ソソクリ。
大塚さん:「箕」というのは知っとるね?
学生:みの…ですか?
大塚さん:みのじゃない。箕というのはね。う〜ん、ありゃ何でできとるかな。かごなんかを作る籐で編んだやつかな。こう先の方が細くなっていて、もみなどをいろいろやって、こうやってあおって殻とか何とかを追い出す道具たい。それを修繕に来る。箕ソソクリとはそういう人のことたい。
学生:へぇ〜!
学生:カマドのお経をあげる目が見えないお坊さんはいましたか?ザトウさんとか…。
大塚さん:この辺では見たことないなぁ。
学生:やんぶし、薬売りは?
大塚さん:やんぶしってのはわからんけど、富山の薬売りはよう来よったなぁ。
学生:病気になったときはどこで見てもらいましたか?
大塚さん:私どもは病気になったときはやはりもう医者かな。
学生:来てもらうんですか、行くんですか?
大塚さん:そらぁ病気のしだいかな。
学生:近くにいらっしゃるんですか?
大塚さん:えぇ、近いとこは、あっちの十町あたりですね。そこにいらっしゃいましたね。
学生:麦を食べたりしたことはありますか?
大塚さん:うん、昔はもう本当、あったな。
学生:何対何くらいの割合で混ぜたんですか?
大塚さん:そりゃあもうその時々においていろいろやけど…。
学生:自給してるものってなにがありますか
大塚さん:まぁハウスではメロンとかなすとか。
学生:自給しておかずを作ったりしますか?
大塚さん:まぁ漬物などはたいてい。何ていって限定するものはないけどもういろいろかな。
学生:鶏とか飼っている人はいないんですか?
大塚さん:鶏は今はペットみたいにして飼ってるくらいでなぁ。
学生:卵とかとったりしないんですか?
大塚さん:うん。卵とかとってる人はあまりいないなぁ。
学生:じゃあ動物を飼っている方はいないんですか?
大塚さん:そらまぁ、犬とか猫とかをペットとして飼ってる人はいるけどなぁ。
学生:じゃあもう牛を飼ってる人とかはいないんですか?
大塚さん:牛はもうあんまいないなぁ。
学生:結婚前の若者たちの集まる宿、わっかもん宿、青年クラブはありましたか?
大塚さん:えぇ、昔はね。あった。
学生:そこは男だけしかいけなかったんですか?
大塚さん:いや、そういうわけじゃなかった。
学生:そこで何をしてたんですか?
大塚さん:そうですね。特になんといって…。とにかくまぁ、結局遊びかね。(笑)
学生:そこでは規律は厳しかったですか?
大塚さん:わしらのときはそんなあんまり厳しいような規律はなかったなぁ。
学生:上級生からの制裁はありましたか?
大塚さん:ありよったねぇ。
学生:どんなときに制裁されたんですか?
大塚さん:そりゃあやっぱり上級生の意にそぐわなかったときかな。ははは。
学生:どういうことをされるんですか?
大塚さん:そりゃあやっぱりたたかれたりしよったよ。
学生:やっぱり上級生との上下関係が厳しかったってことですか?
大塚さん:えぇ。そりゃあね。昔はやっぱり学校でも一応上と下ってのはあったからね。
学生:干し柿を盗んだりスイカをとったりしたことはありますか?
大塚さん:ありますよ、そら。はっはっは!若いときにはみんなね。
学生:見つかったらどうなるんですか?
大塚さん:怒られるだけですね。
一同笑う
学生:戦後の食糧難についてお聞きしたいんですけど、若者や消防団の人が犬を捕まえてすき焼きやなべにしたことはありますか?
大塚さん:あります、あります。
学生:えぇ〜!それは消防団の人がするんですか?
大塚さん:消防団というわけではなかけどね。あれはまぁ、結局は若者が。まぁ。
学生:犬を捕まえるって、野犬ですか?それともペットとか…。
大塚さん:あぁ、昔はもうペットというほどのものはいなかったけど、家にどこでもおったもんね。そしてみんなほとんど放し飼いだったけんね。やけん、近所の犬はつかまえませんけど、よそから遊びにか知らんけどくるわけ。そういうやつを捕まえてなべにしとった。
学生:牛肉とかと同じ味がするんですか?
大塚さん:犬の肉はわりとおいしかよ。
学生:すずめの肉をなべに入れるとおいしいってききますよね。
大塚さん:すずめはおいしかよ。小鳥はとてもおいしか。
学生:ほかに何か牛、鳥、豚以外に何か昔食べたことがあるものとかありますか?食用蛙とか…。
大塚さん:食用蛙を食う人はあまりおらんかったなぁ。いっぱいそのへんにおったけど。近頃はへったなぁ。以前はもう夜はここでがぁがぁ声を出してなぁ。今でも池に行けばだいぶおるのはおっとですよ。
学生:犬はおねしょの薬だときいたことはありますか?何か犬を食べると体がぬくもるかららしいんですけど。
大塚さん:あぁ、犬を食べると体がぬくもるってのは聞いたことがあるよ。それが実際どうかは知らんけど。
学生:犬はどうしたら捕まりますか?
大塚さん:そうだなぁ。やはりそのころはちょっとえさなんかを持ってきて。あみとか何とかでやってたね。
学生:よその村から来る青年とけんかをしたことはありますか?
大塚さん:私はあんんまりねぇ。けんかは弱かったけん。はっはっは。しかしそういうことはあるったいね。
学生:強い人とかうわさになったりするんですか?
大塚さん:あぁ〜、そりゃやっぱりどこそこ村は誰がおるという話はみんなしてたな。こっからでもその隣の今で言う春殿地区あたりまではみんな遊びに行きよったけんね。
学生:やっぱりほかの村から来にくかったりするんですか?
大塚さん:やっぱり、なんていうか縄張り意識というかねぇ。よそから来るといえば、どこそこのやつが来たぞとね。ははは。
学生:じょうもんさん、みちわけざけ、まつぼりご、とかいう言葉を聞いたことがありますか?
大塚さん:まつぼりというのは、仮につきに1斗普通入れるとして、それをまぁいろんな代用食などを使って8升ばかりですましたと。そうすると2升あまるわけじゃろ。これが「まつぼる」ということたいね。つまりまつぼりっちゅうのは人にわからんようにうまい具合に余したやつたいね。
学生:もやい風呂はありましたか?
大塚さん:私の知ってるころにはもう各家庭に風呂があったから、もやい風呂はなかったな。
学生:盆踊りや祭りは楽しみでしたか?
大塚さん:盆踊りというのはなかったけど、祭りはやっぱりとても。神社のお祭りとかあったけんね。
学生:いつごろあったとかわかりますか?
大塚さん:神社の祭りは11月末から12月はじめまで。そこに天寿さんとかほこらがあるもんだから。そういうところの祭りもあったしね。
学生:お祭りの時にはほかの村からもたくさん人が来たんですか?
大塚さん:えぇ。その秋神社の祭りにはよう人が行ったり来たりしよったな。
学生:恋愛結婚が多かったですか、お見合い結婚が多かったですか?
大塚さん:さぁ、どっちが多かったかは知らんけどお見合いはそうとうあったな。恋愛結婚というても当時は今のようにあからさまなことはなかったけどねぇ。はは。
学生:農地改革前の小作制度はどのようなものでしたか?
大塚さん:地主から土地をかりて米を作って土地代を払う、といった感じですね。この土地代が昔は高かったようですが。
学生:村に格差のようなものはありましたか?
大塚さん:いや、どこどこのむらだからといって、卑下したりすることはなかったなぁ。
学生:むかし神社の祭りの参加・運営は平等でしたか?
大塚さん:参加はもちろん平等ですけど。
学生:運営は代々受け継がれてたりするんですか?
大塚さん:それは総代さんは交代でね。今も同じ様式です。
学生:戦争はこの村にどのような影響を与えましたか?
大塚さん:ここでは直接空襲はなかったですけど。
学生:靖国の母、戦争未亡人はこの地域でも多く見られましたか?
大塚さん:うん、そりゃあ出征して戦死された方がだいぶいたからね。
学生:むらは昔と変わってきましたか?
大塚さん:そう、変わったな…。あらゆる面でなぁ。人づきあいとか連帯感てもんがだいぶうすれてきたなぁ。
学生:やっぱりそれは農作業に機械が入ってきてからですか?
大塚さん:そうだなぁ。機械が入ってくるとゆいとかてまがえもする必要がなくなったさ。それから水もポンプアップするから争う必要もないし。みんなで仕事をすることがなくなったからなぁ。
学生:これからどうなって行くと思いますか?
大塚さん:そうだなぁ。農業はどんどん衰退していくんじゃなかろうか。人の意識的にも都会的な意識がどんどん入りこんでくるもんな。若者はほとんどが都会に出てってしまうんで。地元に残っている若者は少なかよねぇ。
学生:戦争に行きましたか?
大塚さん:いやいや、まだ私たちは若かったから。戦争が終わったのが私が6年生のころ
だったけんね。
学生:戦争の話を聞かれたことはありますか?
大塚さん:終戦のときが6年生だったけんね。生活面では、いろいろあったよ。小学校の運動場に防空壕掘ってたり、運動場を耕して甘藷などを作ってたり。あと、松の木がいっぱいあったもんね。そんで松根油の採集などさせられとったな。松の木に傷を入れて、その樹液をあつめて精製して飛行機の燃料にするということは聞きました。あと、ちょうどここの山(地図参照)の上で空中戦があったですもんね。B29にこっちの戦闘機が向かっていって、結局はやられて…。花立山とその浦部の上の方の山に落ちてきた。この辺の人はみんな敵が落ちたんだといって竹やりとかなたとか鎌とか持って上っていったら、実際落ちたのは味方のほうだった。
学生:食糧難とかあったんですか?
大塚さん:いや、ここら辺はいなかで、食糧難てのはあんまりなかったな。
学生:都会の方から米を買いに来る人とかいたんですか?
大塚さん:そりゃいっぱいおったよ。飯米は自分のとこに残しとかないかんけん、いもとかそういういっぱい余ってるやつを買っていかれたとです。疎開で来られた方もだいぶおったですね。しばらくすると帰っていったけどな。
学生:ところで、この城跡のことですが、何か城があった証拠とか出てきたんですか?
大塚さん:かなり古い城らしいからね。今はもうみんな畑になってしまったがね、昔はかわらけんごたいものは出ていたらしい。そこのお宮(地図参照)も岡の原の城主がどっからか移してきたらしい。
学生:お宮ってどんなお宮なんですか?
大塚さん:上板楠の全域がこのお寺の氏子たい。初詣にいったりね。
学生:いつから
大塚さん:ようわからんけどなぁ。明治時代は上板楠村と板楠村と十町村があって、これが緑村になって、さらに合併して三加和村になり、
学生:お生まれは何年ですか?
大塚さん:9年です。
学生:わかりました。今日はどうもありがとうございました。