歩き見ふれる歴史学レポート
(
内田准心
私は自分の出身地である
た人物は大正11年生まれでこの土地に長年住んでいる私の祖父の内田時哉である。私
はこの調査にあたりこのあたりの昭和45年時の地図にこの地域の方々が生活の中でつ
かわれていた地名が書き込まれた地図を服部先生にいただいていた。わたしは自分の
地元であるにも関わらずこの地図と自分の頭の中の地図とが一致しなかった。それは
圃場整備によるもので、戦後徐々にクリークや道路が整備されていき変化したからで
ある。祖父はその地図を見て懐かしがるように地名を確認した。そこにはヨシギシ、
サキナシ、ジュウゴ、ブタゴヤ、デイノシタ、ニシノウチ、テンジンダ、カノエダ、
ゴホンマツ、マエダ、ニノカク、サンノカク、ロクノカク、ジュウゴホイ、タテボイ
といった崎ケ江の地名が記してあったが、ノナカ、ミヤズミ、デアゲ、ミナミアゲな
どという地名もあると祖父は指摘した。これらの地名を見て気付くことは『ほり』が
まって『ほい』となったもののように方言がそのまま使用されていることである。し
かし地域の人間だけが知っていて、地域の人間だけが使う地名なのだから、方言がつ
かわれるのも当然といえば当然である。そしてその貴重な地名も現在は年輩の方だけ
が知っていて、若い世代には伝承されていない。またこの地域独特の農業のやり方も
あったようだ。
域は非常に大きい干満差がある有明海の近隣に位置しているため、その干満差によっ
て筑後川を逆流する水を取水して農業用水にしたのである。この方法はクリークの発
達と共に農業をささえた。そしてこの取水方式は崎ケ江ではアオと呼ばれている。こ
のように調査をしてみて私は自分の住んでいた地域思った以上に知らなかったことに
驚いた。ただの田舎だと思っていたがこんなに興味深いものがたくさんあることを知
れて農村を見直すことも重要であると感じた。